特攻魂のままに ―元靖國神社宮司大野俊康講演集/大野 俊康/展転社/2012
素晴らしい書評が2件ある。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年 2月19日(日曜日)
通巻第3563号
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎◎○◎◎
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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いま蘇る特攻の精神
このままでは日本は亡国の道を歩むしか手段はない
♪
大野俊康『特攻魂のままに』(展転社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@
著者の大野氏は元靖国神社宮司。学徒出陣し特攻で多くの戦友を失った。祖国の再建のためには英霊を顕彰し、その志を継いで靖国のこころを回復させ、本物の日本人にわれわれは回帰する必要がある。そうしなければ祖国は再建できないという信念で全国を講演して歩いた。
『靖国之宮』という歌がある。
正気凜たり靖国の宮
祠前に拝跪して思い窮りなし
偉勲千載何ぞ鎖滅せん
新日本は生きる偉烈の中
現在日本は凜としなくなって外国からさげずまれ、若者に怯懦がはびこり、国体は顧みられず、政治は腐敗して「政権ごっこ」の子供らと宇宙人と「小さな小さなファシスト」に壟断された。正気が失せた。
大野宮司は三島由紀夫の『行動学入門』のなかに次の記述を見つけ出した。
「オーストラリアで特殊潜水艇が敵艦に衝突寸前に浮上し、敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、月の明るい夜のことであったが、ハッチの扉をあけて日本刀を持った将校がそこから現れ、日本刀を振りかざしたまま身に数弾をあびて戦死したという話が語り伝えられているが、このような場合にその行動の形の美しさ、月の光、ロマンティックな情景、悲壮感、それと行動様式自体の内面的な美しさとが完全に一致する。しかしこのような一致した美は人の一生に一度であることはおろか、歴史の上にもそう何度となくあらわれるものではない」(『行動学入門』)
この文章を前提に大野宮司は論を進めた。
「この海軍将校こそ殉忠・菊地一族の流れをくむ熊本県山鹿市出身の軍神・松尾敬宇中佐」であることを確かめた氏は、その後の逸話を披露する。
豪海軍は、この大胆不敵なる日本軍人に「深く感銘し」、沈んだ潜水艇を引き上げた豪州海軍は「廷内から収用した四勇士を海軍葬の礼をもって弔った」
敵の軍人を葬る必要なしという豪世論を前に、往時の豪海軍シドニー港司令官グールドは、かく反論したという。
「勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、かつ一様に推奨せらるべきものである。これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高度の勇気がいる。これらの勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のある豪州人が幾人いるのであろうか」。
そして戦死から二十六年を閲し、豪海軍は勇士をたたえる記念碑を建立した。松尾の母は八十三歳の老婆となっていたが、けなげにも慰霊をかねて豪を訪問した。そこで豪の新聞は書いたのだ。
「勇士の母、きたる」
「勇士の母は詩人」
豪は十日間の老婆の訪問を歓迎した。
最初から最後まで涙なくしては読み通せない。
◇□○△
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%93%C1%8DU%8D%B0%82%CC%82%DC%82%DC%82%C9
5つ星のうち 5.0 熱血宮司の魂の講演録, 2012/2/16
By かんすけ (東京都調布市) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 特攻魂のままに―元靖國神社宮司大野俊康講演集 (単行本)
著者の大野俊康さんは、大正11年熊本県生まれ。
天草島総鎮守の本渡諏訪神社の社家に育つ。
伊勢の旧制神宮皇學館大學予科修了後、同大學祭祀専攻科に進学するも文科系学生の徴兵猶予が停止され学徒出陣。陸軍特別操縦見習士官として陸軍熊谷飛行学校にて訓練を積み少尉任官するも終戦。復員して再び皇學館で神職となるための勉学に励もうとしたが、GHQによる「神道指令」により国が設置した唯一の神道系大学であった「神宮皇學館」は廃止されてしまい(昭和37年に私学として皇學館大学として再建)、九州大学文学部に転籍し、卒業後神職資格を取得して実家である本渡諏訪神社宮司に着任され約40数年、故郷天草で神明奉仕をされていた。
しかし平成4年、各方面からの懇請により靖國神社第七代宮司として着任された。
当初はご本人いわく・・・。
「田舎神主が靖國神社の宮司など務まるわけが」と最初は困惑されていたが、意を決して就任された。
大野さんはそれまでの歴代宮司とは違い、遺族・崇敬者との交流を重視する姿勢を示した。
大野さんは全国各地の遺族やかつての特攻基地であった知覧や鹿屋などを訪れ、それによって始めて知った英霊の秘話、そして祖国や故郷、家族への哀しいまでの愛情を抱いて戦場に散っていかれた英霊の語り部として全国を講演されて回った。
特に大野さんの陸軍時代の恩師である神田軍曹の逸話は読んでいて大変目頭が熱くなる。
この本では靖國神社附属の戦史博物館である「遊就館」で平成5年に行われた伝説の特別展「学徒出陣五十年展」に関する秘話、講演を中心にまとめられている。 また、明治維新にも影響を与えた佐久良東雄に関する講演や昭和天皇、今上陛下に関する講演も収録されている。
ところで私は中学、高校の頃、遊就館が大改装されガラス張りのモダンな新館が増築されるずっと前から何度も拝観していた。
「学徒出陣五十年展」も私が高校生の頃に開催されており、当時の雰囲気が記憶に残っている。
今のように大きな解説パネル、迫力あるビデオによる日露戦争の解説、戦前のNHKラジオの「臨時大祭・招魂式」実況中継の再現といったビジュアライズされた現代的な展示とは違う大変地味なもので、館内は薄暗く、休みに行っても拝観者がほとんどいなかったが、その暗くシーンとした静かな雰囲気ゆえに直筆の御遺書を拝読していると今以上に慄然とした覚えがある。
横道に逸れてしまったが、大野さんはおそらく靖國神社歴代宮司のなかで軍隊経験のある方としては最後の方になろうかと思う。
現在もお元気に天草の本渡諏訪神社で名誉宮司を務められながら過ごされているが、実際に特攻隊で戦死されていった方の親御さんやご家族の方と真摯に交流された方の講演集だけあって読んでいるとその世界に引き込まれそうになる。
多くの方々にはこの本をご一読され、英霊が示された生命の尊厳と祖国の栄光をひたすらに信じて戦場に斃れていかれたことを知っていただきたい。特に青少年層の方々にお勧めしたい一冊である。
素晴らしい書評が2件ある。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年 2月19日(日曜日)
通巻第3563号
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◎◎○◎◎
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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いま蘇る特攻の精神
このままでは日本は亡国の道を歩むしか手段はない
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大野俊康『特攻魂のままに』(展転社)
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著者の大野氏は元靖国神社宮司。学徒出陣し特攻で多くの戦友を失った。祖国の再建のためには英霊を顕彰し、その志を継いで靖国のこころを回復させ、本物の日本人にわれわれは回帰する必要がある。そうしなければ祖国は再建できないという信念で全国を講演して歩いた。
『靖国之宮』という歌がある。
正気凜たり靖国の宮
祠前に拝跪して思い窮りなし
偉勲千載何ぞ鎖滅せん
新日本は生きる偉烈の中
現在日本は凜としなくなって外国からさげずまれ、若者に怯懦がはびこり、国体は顧みられず、政治は腐敗して「政権ごっこ」の子供らと宇宙人と「小さな小さなファシスト」に壟断された。正気が失せた。
大野宮司は三島由紀夫の『行動学入門』のなかに次の記述を見つけ出した。
「オーストラリアで特殊潜水艇が敵艦に衝突寸前に浮上し、敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、月の明るい夜のことであったが、ハッチの扉をあけて日本刀を持った将校がそこから現れ、日本刀を振りかざしたまま身に数弾をあびて戦死したという話が語り伝えられているが、このような場合にその行動の形の美しさ、月の光、ロマンティックな情景、悲壮感、それと行動様式自体の内面的な美しさとが完全に一致する。しかしこのような一致した美は人の一生に一度であることはおろか、歴史の上にもそう何度となくあらわれるものではない」(『行動学入門』)
この文章を前提に大野宮司は論を進めた。
「この海軍将校こそ殉忠・菊地一族の流れをくむ熊本県山鹿市出身の軍神・松尾敬宇中佐」であることを確かめた氏は、その後の逸話を披露する。
豪海軍は、この大胆不敵なる日本軍人に「深く感銘し」、沈んだ潜水艇を引き上げた豪州海軍は「廷内から収用した四勇士を海軍葬の礼をもって弔った」
敵の軍人を葬る必要なしという豪世論を前に、往時の豪海軍シドニー港司令官グールドは、かく反論したという。
「勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、かつ一様に推奨せらるべきものである。これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高度の勇気がいる。これらの勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のある豪州人が幾人いるのであろうか」。
そして戦死から二十六年を閲し、豪海軍は勇士をたたえる記念碑を建立した。松尾の母は八十三歳の老婆となっていたが、けなげにも慰霊をかねて豪を訪問した。そこで豪の新聞は書いたのだ。
「勇士の母、きたる」
「勇士の母は詩人」
豪は十日間の老婆の訪問を歓迎した。
最初から最後まで涙なくしては読み通せない。
◇□○△
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%93%C1%8DU%8D%B0%82%CC%82%DC%82%DC%82%C9
5つ星のうち 5.0 熱血宮司の魂の講演録, 2012/2/16
By かんすけ (東京都調布市) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 特攻魂のままに―元靖國神社宮司大野俊康講演集 (単行本)
著者の大野俊康さんは、大正11年熊本県生まれ。
天草島総鎮守の本渡諏訪神社の社家に育つ。
伊勢の旧制神宮皇學館大學予科修了後、同大學祭祀専攻科に進学するも文科系学生の徴兵猶予が停止され学徒出陣。陸軍特別操縦見習士官として陸軍熊谷飛行学校にて訓練を積み少尉任官するも終戦。復員して再び皇學館で神職となるための勉学に励もうとしたが、GHQによる「神道指令」により国が設置した唯一の神道系大学であった「神宮皇學館」は廃止されてしまい(昭和37年に私学として皇學館大学として再建)、九州大学文学部に転籍し、卒業後神職資格を取得して実家である本渡諏訪神社宮司に着任され約40数年、故郷天草で神明奉仕をされていた。
しかし平成4年、各方面からの懇請により靖國神社第七代宮司として着任された。
当初はご本人いわく・・・。
「田舎神主が靖國神社の宮司など務まるわけが」と最初は困惑されていたが、意を決して就任された。
大野さんはそれまでの歴代宮司とは違い、遺族・崇敬者との交流を重視する姿勢を示した。
大野さんは全国各地の遺族やかつての特攻基地であった知覧や鹿屋などを訪れ、それによって始めて知った英霊の秘話、そして祖国や故郷、家族への哀しいまでの愛情を抱いて戦場に散っていかれた英霊の語り部として全国を講演されて回った。
特に大野さんの陸軍時代の恩師である神田軍曹の逸話は読んでいて大変目頭が熱くなる。
この本では靖國神社附属の戦史博物館である「遊就館」で平成5年に行われた伝説の特別展「学徒出陣五十年展」に関する秘話、講演を中心にまとめられている。 また、明治維新にも影響を与えた佐久良東雄に関する講演や昭和天皇、今上陛下に関する講演も収録されている。
ところで私は中学、高校の頃、遊就館が大改装されガラス張りのモダンな新館が増築されるずっと前から何度も拝観していた。
「学徒出陣五十年展」も私が高校生の頃に開催されており、当時の雰囲気が記憶に残っている。
今のように大きな解説パネル、迫力あるビデオによる日露戦争の解説、戦前のNHKラジオの「臨時大祭・招魂式」実況中継の再現といったビジュアライズされた現代的な展示とは違う大変地味なもので、館内は薄暗く、休みに行っても拝観者がほとんどいなかったが、その暗くシーンとした静かな雰囲気ゆえに直筆の御遺書を拝読していると今以上に慄然とした覚えがある。
横道に逸れてしまったが、大野さんはおそらく靖國神社歴代宮司のなかで軍隊経験のある方としては最後の方になろうかと思う。
現在もお元気に天草の本渡諏訪神社で名誉宮司を務められながら過ごされているが、実際に特攻隊で戦死されていった方の親御さんやご家族の方と真摯に交流された方の講演集だけあって読んでいるとその世界に引き込まれそうになる。
多くの方々にはこの本をご一読され、英霊が示された生命の尊厳と祖国の栄光をひたすらに信じて戦場に斃れていかれたことを知っていただきたい。特に青少年層の方々にお勧めしたい一冊である。
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