閑雲孤鶴の日々  - Fire生活者の呟き -

Fire生活経験談のほか、世相世情 💹📆、知的生産技術💻📱、書評📒について、書き綴ります。⏳

一般化技術

2015年03月18日 | 知的生産技術

文章を書くという作業の中で、多種多様な情報を纏め、別の言葉に置き換えるために必要な技術である。要約技術の一種であるが、完全な要約ではない。

たとえば、

Aさんはこう言った
Bさんはこう言った
Cさんはこう言った

という類のことが、新聞記事などで書かれていることが多い。

ブログ活動されている方の中には、

掲示板情報の中から目ぼしいものを選んでコピペして、ブログを書いた気になっている方がいるようだ。

ただ、これら、の作業は、単に、情報を並べて示したに過ぎない。
従って、情報が増えれば増えるほど、読むべき情報が増えることになる。

これらは、単に情報をリストアップしているに過ぎない。

また、仕事上では、こんな経験をしている。

打ち合わせの席上、こういうことがある、ああいうことがある、そういうこともあると語る人がいる。決して少数ではない。実は、打合せ参加者の大多数がそうなのだ。
彼らは、口頭では語るが、合理的な目標値の設定根拠と実現シナリオを求められると一様にダンマリするのである。

渓内謙というロシア政治史に詳しい歴史学者が書いた「現代史を学ぶ」という本によれば、日本の学者は、オリジナリテイある学説を考えるより先に、どういう研究実績があるかを調べ、誰がどういう研究をしているかということに詳しいこと、欧米の学者は他人の研究実績に余り関心を持たず自分の興味が先行し、行き詰った時に他の学者の論文を読む程度であるとしている。
また、渓内謙は、この本にて、日本人は、概して、文章化作業において、一般化して表現する技術が欧米人と比較し拙いという趣旨のことを書いている。

私もそうだと思う。
何か重大な問題が起きる度に、義憤、抗議、文句はどんどん言葉になるのだが、たとえば、マスコミの偏向捏造報道、議員の売国行為などについて、どういう手段で、どういうプロセスを経て規制し、処罰するのか、というテーマで、具体的かつ実現する前提での提言をしている言論人がまったく見当たら現状を鑑みるに、国家の将来を憂いていればいるほど、このスキルを疎かにすべきではないように思う。

要するに、文句、不満を言っても、何の解決にならず、何かを実現したのであれば、渓内謙がこの本で、分類、定義したスキルを身につけ、しかるべく活動するしかないのではないかというのが、私が描いているこの種の事案に対する対処策である。

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