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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

空ぜき「普通の肺炎と違う」 治療の最前線  武漢病院長の証言

2020年02月22日 | 日記

空ぜき「普通の肺炎と違う」 治療の最前線  武漢病院長の証言

新型コロナウイルスの最初の発生地で都市ごと「封鎖」されている中国・湖北省武漢市。
12月末にいち早く「原因不明の肺炎患者」が運び込まれ、今も患者治療の最前線になっている市内の金銀潭病院の張定宇院長が、現地からのビデオ通話で朝日新聞の取材に応じた。
張院長は未知の感染症と格闘し始めてまもなく、事態の重大さを認識。同僚の医師らに自分たちが「嵐のど真ん中にいる」と覚悟を促した状況や、試行錯誤を通して得た知見も明らかにした。  
取材は21日夕、SNSのビデオ通話で武漢にいる張院長と結んで行った。新型肺炎をめぐり、張院長が外国メディアの取材に応じるのは初めて。
武漢の医療機関幹部が応じるのも極めて異例だ。
金銀潭病院は2016年に設立された市内の感染症対策の最重要拠点。新型肺炎の蔓延後は肺炎治療に特化し、多数の重症患者を受け入れてきた。


新型肺炎対応の医師ら職場でバイ菌扱い学会が抗議声明

2020年02月22日 | 日記


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASN2Q52PHN2QPLZU001

一部引用

多くの医師や看護師らが、災害派遣医療チーム(DMAT)として、中国・武漢から政府のチャーター便で帰国した人や、横浜港でクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員への対応にあたった。声明では、こうした活動がなければ、より多くの人が重症化して命が失われた可能性があると指摘した。

ところが、学会によれば、医師らが不当な扱いを受けるケースが続出。自分の身を危険にさらして活動したのに、職場で「バイ菌」扱いされたり、子どもの保育園・幼稚園から登園自粛を求められたりしているという。さらに、職場の上司から現場で活動したことに対する謝罪を求められた例もあった。当事者から「悲鳴に近い悲しい報告」が寄せられているとしている。

学会はこうした行為を見過ごすことはできないとして、「もはや人権問題ととらえるべき事態であり、強く抗議するとともに改善を求めたい」とした。


テレビ ― わたしたちにどのような影響を与えるか

2020年02月22日 | 日記

テレビ ― わたしたちにどのような影響を与えるか

テレビはいま多くの人々の生活の中で非常に大きな場を占めています。米国には,テレビを家庭内で一番重要なものとみなす人がいます。中国では,最も新しい地位の象徴<ステータスシンボル>としてテレビが自転車やミシンに取って代わりました。英国では,“テリー”(テレビの愛称)の前に長時間座っているために生ずる胃の病気や腰痛や足の血行障害などの治療を受ける人が次第に増加しています。

世界全体では4億6,500万台のテレビ ― 地上の10人に1台の割合 ― が使われており,そのうちのあるものは,1日6時間半もの間スイッチが入っています。このテレビの普及を焦点として非常に多くの研究や調査が行なわれるようになりました。

視聴覚媒体の力

「物事を変化させるテレビの力は,少なくとも印刷機のそれに等しく,事によったらアルファベットそのものの力に匹敵するほど大きいと言えるかもしれない」と,コミュニケーションを専門とするネイル・ポストマン教授はUS・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌上のインタビューの中で主張しています。テレビが基本的に視聴覚媒体であってみれば,実はこれも驚くには当たりません。しかし,紙に印刷されたものとは異なり,テレビの動きや音,そしてカラフルな場合の多い映像は視聴者に臨場感を与えます。こうしてテレビは,視聴者のすべての注意力,つまり体も思いも感情も引き付けてしまうのです。次いで,視聴者の批判力や分析力は弱められ,あるいは完全に圧倒されて,テレビの画面に映るものすべてが全く信じられ,受け入れられるものに思えてくるのです。

明らかに広告主は,テレビにしかないこの力を十分にわきまえています。毎年彼らは視聴者の心を動かして自社の製品を買わせるという一つの目的をもって,テレビのコマーシャルに幾十億ドルものお金を費やします。概して,有名デザイナーによるジーンズなどのコマーシャルは,製品の質や値段などについては一言も触れず,顧客となる可能性のある人にその商品が与える“イメージ”の力を利用します。そしてそれを見た人々は,テレビで宣伝されていたもののために,惜しげもなく普通の値段の2ないし3倍のお金を払うのです。

テレビの別の特色は,ほぼ同時に世界中の膨大な数の視聴者に情報を伝達できることです。例えば,人間が初めて月面の土を踏んだその瞬間を全世界の6億のテレビ視聴者たちが見,約10億人の人々が第20回のオリンピック大会の様々な競技が実際に行なわれているところをテレビで見たと言われています。

テレビ局は,見る人の心をとらえる番組を放送してより一層多くの人々を引き付けようと絶えず努力を払っているため,大衆の好みや態度に本当に精通しています。テレビ局は番組を編成することにより,視聴者が何を見,それをいつ見るかを指図します。さらにまた,社会的,政治的に重要などんな問題を論ずべきかをも決定します。しかし,放送すべきものを決定する際の決定要素となるのは大抵大衆の関心事や福祉ではなく,大衆の購買力であるということを忘れてはなりません。

子供に対するテレビの影響

研究者や,テレビ産業に携わる人々の多くは,とりわけ子供たちがテレビで見るものに毒され,影響されやすいということに同意しています。その根本原因の一つは,子供たちがテレビに費やす時間とテレビに向ける注意です。前に引用したポストマン教授は,その点をこのように説明しています。「テレビというものは,子供でも3歳くらいから理解できるようになる媒体である。このごく幼い時期から,テレビは絶え間なく影響を及ぼすのである」。

この『絶え間ない影響』は子供たちにどのように及んでいますか。20年間幼稚園の先生をしてきたある人は,「テレビを長時間見ている子はすぐに指摘できる」と述べています。「テレビを長時間見ているのは,大体テレビのスーパーヒーローのまねをする子供たちだ。彼らは,バットマンのマントよろしく首にタオルやエプロンを結んでテーブルの上に立ったりする。ただわけもなく走り回ったり,げんこつを食らわせたり,叫んだりすることが多い。テレビを長時間見ている子供たちは,話を聴くときも大抵静かに座っていることができず,必ずもじもじしたり,絶えず口をはさんだりする。ところが映画を見せると,そういう子供たちもじっと座り,それを食い入るように見つめる」。

「食い入るように見つめる」のは,明らかにテレビを見る習慣の延長であり,それは子供たちの別の問題,つまり読書力の低下をもたらします。読書の際に目が印刷されたページを1行ずつ追っている間,脳は読んでいることの意味をつかんでいかなければなりません。「一般には理解されていないことだが,習慣的にテレビを見ると,目は動かないように訓練される」と,ゴーディング発達視覚協会の会長,エドガー・ゴーディング博士は述べています。(テレビを見過ぎると,子供たちの理解力,想像力,会話の範囲,言葉の用い方なども影響を受けるということを示す証拠が次第に増加しています。)

子供たちがテレビを見るためにさらに別の深刻な結果が生じています。大人の世界の押入れに隠されていた醜い骸骨のようなもの ― 姦淫,離婚,同性愛,近親相姦,汚職,残虐行為,暴力など ― がテレビを通して子供たちの前にすっかりさらけ出されるのです。その結果,子供らしい無邪気さが影をひそめてしまいました。

大人の場合はどうか

テレビを持っている人々の多くにとって,テレビはくつろぎと便宜を与えてくれる,無害なもののように思えるでしょう。ところが,1970年代の半ばから,テレビの有害な影響,それも特に暴力について多くのことが言われ,また公にされてきました。テレビ番組の暴力シーンを削減するためにテレビ局がある程度の措置を講じてきたとはいえ,ブラウン管は血の赤い色から,わいせつを意味するブルーへと変わりつつありました。伝達媒体の一分析家は,「暴力を押さえ込んだと思ったら,今度は人を食い物にするセックスが飛び出してきた」と述べています。テレビ局の検閲部門のメンバーの中にさえ,「今日における番組の組合わせの上で,性の問題は暴力に取って代わった」ということを認める人がいます。

しかしテレビ局は次のように述べて,自らの立場を擁護します。つまり,最も人気があるのは多くの連続ホームコメディーやバラエティーショーの中に出てくるような,恋愛事件や言葉による当てこすりがそこここに見られる番組であるという結果が調査のたびに出るのだから,「視聴者は二枚舌を使っている」,というわけです。彼らは,大衆が欲しているものを与えているにすぎないと主張します。

テレビの場合,娯楽の質がしばしば問題になるだけでなく,伝達媒体としての限界ゆえに,ニュース源や情報源としても十分に能率的なものとは言えません。なぜでしょうか。テレビでは夜のニュースの見られる時間が決められています。そればかりか,天気予報のようなある特定の情報を得るためには,ニュース番組全体を見なければならないかもしれません。一方,本や雑誌や新聞はいつでも手に取って読むことができ,自分の好きなようにあるものはざっと読み,あるものはとばし,あるものは選ぶことができます。

それに代わるもの

英文読売紙は,神戸市に住む42家族が,「ソープオペラ[連続メロドラマ]と連続ホームコメディーの精神的束縛」を打ち砕くため,市当局が後援したある計画に参加したことを伝えました。神戸市の平均的な家族は,テレビを1日約4時間見ています。しかし,二十代の新婚の若夫婦から退職した人々の家族まで,様々な家族からなるこのグループは,一月間テレビのコンセントを抜き,テレビのない生活がどんなものかを知ろうとしました。彼らは何を発見しましたか。

まず第一に,“禁断症状”は全く無痛というわけではなく,必ずしも耐えやすいものではないことが分かりました。1家族はテレビなしでは1日も過ごすことができませんでした。他の4家族もすぐに降参し,その計画から脱落しました。ほかの家族はどうだったでしょうか。新聞の報道に注目してください。

「家庭に静けさが戻ってきた,あるいは,早寝早起きをするように,またたくさんのものを読むようになり,以前よりも概して気分もさわやかになった,と彼らは熱意を込めて語った。

「一人の母親は,自分も夫も子供たちと生き生きした会話ができるようになったが,それはテレビが夜の主要な友であったころにはまず珍しいことであった,と述べた。

「以前は家の中で何もしなかった子供たちが,今では自分で布団を敷いたり,食事のあと片付けをしたりするようになった,と言う人もいた」。

テレビを持っている大勢の人々の態度は変化しつつあるように見えます。一時,そうした人々の大半は,テレビのない生活は考えられないとかみじめであるとか思っていました。ところが今では,テレビを見る習慣を断ち切るだけの意志力と勇気を持ちたい,あるいは少なくともテレビを見る習慣を良い方向へ調整したほうがよい,と言う人が少なくないのです。読者もそのように考えておられるなら,そのために今どんな努力が必要になろうとも,その努力はきっと豊かに報われるでしょう。