下記のような表示になった場合、
動画を再生できません
他のウェブサイトでの再生は、動画の所有者によって無効にされています。
「YouTubeで見る」をクリック(タップ)いたしますとご覧いただけます。
何も問題がない世界でいつまでも生きられるようになる~
下記のような表示になった場合、
動画を再生できません
他のウェブサイトでの再生は、動画の所有者によって無効にされています。
「YouTubeで見る」をクリック(タップ)いたしますとご覧いただけます。
何も問題がない世界でいつまでも生きられるようになる~
聖書は,最もつらい時期にも慰めを与えてくれる
神様はどのように助けてくださいますか
聖書の答えはこうです。
「神(エホバ,ヤハウェ)は,ご自分を呼び求めるすべての者,ご自分を真実に呼び求めるすべての者の近くにおられます。神はご自分を恐れる者たちの願いを遂げてくださり,助けを求めるその叫びを聞き,彼らを救ってくださいます」。
(詩編 145:18,19)
実に心温まる言葉です。では,神様はそうした叫びにどのように答えてくださるのでしょうか。
力を与える
問題があると,体も心も疲れ果ててしまうことがあります。
「苦難の時に落胆するなら,力が失われる」。
(箴言 24:10)
しかし,神は「疲れた人に力を与え,弱った人にみなぎる偉力を豊かに与えてくださ」います
(イザヤ 40:29)
大きな試練を何度も乗り越えた使徒パウロは,「自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっている」と述べました。
「力を与えてくださる方のおかげで,私は強くなり,どんなことも乗り越えられます」。
(ピリピ・フィリピ 4:13)
神様から聖霊を与えられ,力を得たのです。あなたも神様に,聖霊を求めて祈ることができます。
「それで,あなたたちが罪深い人間でありながら,子供に良い贈り物を与えることを心得ているのであれば,まして天の父は,ご自分に求めている人に聖なる力を与えてくださるのです」。
(ルカ 11:13)
知恵を与える
聖書を学んで当てはめるために助けが必要なら,どうですか。ヤコブはこう書きました。
「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての人に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば,それは与えられます」。
(ヤコブ 1:5)
祈った後は,聖書を読んでその教えを当てはめます。
「神の言葉を聞いても実践しない人は,鏡で自分の顔を見る人に例えることができます。その人は自分を見ますが,そこを離れると,自分がどのような人かをすぐに忘れてしまいます。
しかし,自由をもたらす完全な律法をじっくり見て守る人は,聞いてすぐに忘れるのではなく,行動します。そのような人は幸せになります」。
(ヤコブ 1:23~25)
そうすれば,聖書のアドバイスがいかに知恵のあるものかを実感できます。
平和を与える
大きな不安を抱えていても,神は穏やかな気持ちを与えてくださいます。聖書にはこうあります。
「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」。
(フィリピ・ピリピ 4:6,7)
平和を与えてくださるよう,神様にお願いしてみてはいかがですか。
問題が長引いてなかなか解決しなくても,神様から見捨てられたわけではありません。神様は勇気や忍耐する力を与えてくださいます。
「皆さんが受けてきた誘惑は,多くの人が同じように経験してきた誘惑です。神は信頼できる方で,皆さんが耐えられないほど誘惑を受けるままにはしません。出口を設けて,誘惑に耐え切れるようにしてくださいます」。
(コリント第一 10:13)
そして聖書の約束によると,問題はやがて永久に解決されるのです!
下記のような表示になった場合、
動画を再生できません
他のウェブサイトでの再生は、動画の所有者によって無効にされています。
「YouTubeで見る」をクリック(タップ)いたしますとご覧いただけます。
夕陽と上弦の月 4K 2021年11月11日
許されない罪とは何ですか
聖書の答え
許されない罪とは,神の許しを受けられない態度の伴った悪い行ないを指します。そのような態度はどのようにして培われてゆくのでしょうか。
罪を犯したとしても,悔い改め,神の規準を生活に当てはめ,イエス・キリストに信仰を働かせるなら,神から許していただけます。
「ですから,罪を消し去っていただくために,悔い改めて生き方を変えなさい。そうすれば,爽やかにする時期が神(エホバ,ヤハウェ)から来て,あなた方のために任命されたキリスト,つまりイエスが遣わされます」。
(使徒 3:19,20)
しかし,罪深い歩みに深くはまり込んでしまい,自分の態度や行動を決して変えない人もいます。そのような人を聖書は,「人を欺く罪の力のためにかたくなに」なった「邪悪な心」を持つ者,と表現しています。
「兄弟たち,皆さんの誰も,生きている神から離れて,信仰が欠けた悪い心を育てることがないよう,気を付けてください。 「今日」と呼ばれる時期が続く限り,毎日励まし合い,人を欺く罪の力によって頑固になってしまうことがないようにしてください」。
(ヘブライ 3:12,13)
粘土を窯の中で焼くと,決して作り変えることができなくなるのと同じように,その人の心も,神に敵対し続けるものとなってしまいました。
『自分を造った方と争う者には災いがある!彼はただの土器のかけらであり,地面に落ちているかけらの1つにすぎないからだ。粘土が陶芸家に向かって,「何を作っているのか」などと言うだろうか。あなたの作品が,「この人には能力がない」などと言うだろうか』。
(イザヤ 45:9)
そのような人が罪を許される根拠はありません。ですからその人は,許されない罪を犯した,と言えます。
「もし私たちが,真理の正確な知識を得た後に故意に罪を犯し続けるなら,罪のための犠牲はもう何も残っていません。恐れつつ処罰を待つしかなく,逆らう人は神の燃える憤りによって焼き尽くされます」。
(ヘブライ 10:26,27)
イエスの時代のユダヤ教の宗教指導者の中には,許されない罪を犯した者たちがいました。彼らは,イエスの奇跡が聖霊の力によるものであることを知りながら,その力は悪魔サタンから出ている,と言ったのです。
『また,エルサレムから下ってきた律法学者たちは,「彼はベエルゼブブに取りつかれている。邪悪な天使の支配者の力で,邪悪な天使を追い出しているのだ」と言っていた』。
(マルコ 3:22)
『はっきり言いますが,人は,どんな罪を犯し,どんな冒瀆の言葉を発しても,全て許されます。ただし,聖なる力を冒瀆する人は永久に許されず,永遠の罪を負うのです」。イエスがそう語ったのは,「邪悪な天使に取りつかれている」と言われたからだった』。
(マルコ 3:28~30)
例えば,どんな罪は許されるか
無知ゆえの冒とく。使徒パウロはかつて神を冒とくしていました。しかし後に,こう言いました。「そのわたしが憐れみ(あわれみ)を示されたのです。わたしは知らずに,そして信仰のないままに行動していたからです」。
「以前は神を冒瀆し,神の民を迫害し,横柄だった私が,憐れみを示されました。当時は信仰がなく,よく知らずに行動していたからです」。
(テモテ第一 1:13)
姦淫(かんいん)。聖書には,一時は姦淫を犯していたものの,行動を改め,神に許された人たちのことが述べられています。
「正しくない人が神の王国を授けられることはない,ということを知らないのですか。思い違いをしてはなりません。性的に不道徳な人,偶像を崇拝する人,姦淫をする人,同性愛行為に身を任せる人,同性愛にふける人, 盗む人,貪欲な人,酩酊する人,ののしる人,脅し取る人が神の王国を授けられることはありません。皆さんの中には,以前そのような人もいました。しかし,洗われて清くなり,神聖なものとされました。主イエス・キリストの名によって,また私たちの神の聖なる力によって,正しいと認められました」。
(コリント第一 6:9~11)
「自分は許されない罪を犯したのだろうか」
過去の罪を心から憎み,行動を改めたいと本当に思っているなら,許されない罪を犯したとは言えません。同じ罪を繰り返したとしても,神に対して心をかたくなにし続ける場合は別として,神から許していただけます。
「主(神)は言われる,さあ,われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても,雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても,羊の毛のようになるのだ」。
(イザヤ 1:18)
ある人たちは,良心の呵責(かしゃく)にさいなまれているために,自分は許されない罪を犯したのではないか,と考えます。しかし聖書は,人間の心は信頼できるとは限らない,と教えています。
「心はほかのどんなものよりも信用できず,必死になる。誰がこれを知り得るだろうか」。
(エレミヤ 17:9)
神はわたしたちに,他の人を裁く権限も自分自身を裁く権限も与えておられません。
「他人の召し使いを批判するとは,あなたは何者なのですか。その人が立つのも倒れるのも,その人と主人との間でのことなのです。実際,その人は立つようにされます。神(エホバ,ヤハウェ)はその人を立たせることができるからです」。
(ローマ 14:4)
「私たち一人一人は,神に責任を問われることになるのです」。
(ローマ 14:12)
心が責められるとしても,神に許していただくことは可能なのです。
「そのようにして,私たちは自分が真理から出ていることを確信し,神の前で安心できます。心に責められることがあっても安心できるのです。神は私たちの心より大きく,全てのことを知っているからです」。
(ヨハネ第一 3:19,20)
ユダ・イスカリオテは許されない罪を犯したのか
そう言えます。ユダは貪欲だったので,神聖な用途のために寄贈されたお金をくすねていました。貧しい人たちを気遣っているふりをしましたが,本当はもっと多くのお金を盗みたいと思っていました。
『しかし,弟子の1人で,イエスを裏切ろうとしていたユダ・イスカリオテが言った。「どうしてこの香油を300デナリで売って,貧しい人たちに施しをしなかったのか」。 とはいえ,ユダがそう言ったのは,貧しい人たちのことを気に掛けていたからではなく,彼が泥棒で,管理していた金箱からよく盗んでいたからだった。そこでイエスは言った。「マリアをそのままにしておきなさい。私が葬られる日のために行っているのです。貧しい人たちはずっといますが,私はずっといるわけではありません」』。
(ヨハネ 12:4~8)
そして,心が悪を行なうことに凝り固まり,イエスを銀30枚で裏切りました。イエスは,ユダが悔い改めることは不可能だと分かっていたので,ユダを「滅びの子」と呼びました。
「わたしは,彼らと共におりました時,わたしに与えてくださったあなたご自身のみ名のために,いつも彼らを見守りました。そしてわたしは彼らを守り,滅びの子のほかには,そのうちだれも滅びていません。それは聖句が成就するためでした」。
(ヨハネ 17:12)
ですから,ユダは死んだ時,永久の滅びを被ったと言えます。復活の見込みはありません。
「人の子は書かれている通り去っていきますが,人の子を裏切るその人には災いがあります! 生まれてこなかった方がよかったでしょう」。
(マルコ 14:21)
ユダは犯した罪に対する真の悔い改めを示しませんでした。告白はしましたが,神に対してではなく,共犯者である宗教指導者たちに告白したのです。
『その時,裏切り者のユダは,イエスが有罪とされたのを見て後悔し,銀30枚を祭司長と長老たちに返して,「私は無実の人を裏切って罪を犯した」と言った。その人たちは,「私たちの知ったことではない。あなたが始末すべきことだ!」と言った。 ユダは銀を神殿に投げ込み,去っていって首をつって死んだ』。
(マタイ 27:3~5)
「神の意志に沿った悲しみは,救いにつながる悔い改めを生じさせるので,後悔は残りません。一方,世の考えに基づく悲しみは死をもたらします」。
(コリント第二 7:10)