こんにちは。
今年1月1日には能登沖地震、そして先週は台湾で大きな地震。
これまでも、さまざまな災害で罪のない多くの人々が犠牲になる、というニュースを見るたびに、
昭和世代の私は、「神も仏もないものか?!」と憤りを覚えます。
国土交通省HPより
ふと、若いころ、勤務先の先輩に人間関係の悩みを相談していて、言われた言葉を思い出しました。
「善も悪も世の中には必要、悪がなければ善がわからないでしょ、
光と暗闇も同じ。暗闇がなければ明るい光に感謝することもないでしょ」と。
そうなのですよね、私なんか単純なので、悪いことはすべて排除して、すべて善ばかりになれば世の中平和になる、
と思っていますから。
そして、自分の苦手を排除していくというのは間違っている、と教えてもらったのでした。
しかし、自分の思考傾向を変えていくのは、なかなか難しい。
人間誰しも、自分は正しいと思って行動し、自分の指針の中で善悪を判断してしまうので。
でも、この年になってわかってきたのは、自分の苦手に対して、
「苦手だと意識してもいいので、それを排除せず、その存在も認めた上で共存すべき、
つまり清濁併せ呑む?」 というもの。
すみません、ごく当たり前のことですよね。
そういえば、院長はこんなことを言ってました。
昔、とても苦しくて悩んでいた時、自分の手を見つめていて、
「ずっと手の甲ばかりを見ていたけど、ひっくり返したら手のひらがあった。
表側ばかりじゃなく、裏側もあるじゃないか」
と気付いて、気持ちを切り替えたとか。
最初の話から、どんどんずれてきてしまいましたが…。
世の中を0か100かで安易に判断せず、違った角度や方向から俯瞰して見る目を持ち、状況や背景などを把握した上で、
上手く折り合いをつけながら、上手く生きていかねばならない…ということでしょうか?
ただし、人の痛みがわかるピュアな心は大事にしなければと思います!
なんだか、とりとめのない話になってしまいました。
では、また。