伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

日本の巨大ロボット群像展

2024年07月08日 | 展覧会・絵
なんと、京都文化博物館で「日本の巨大ロボット群像」展と称して、
日本のロボットアニメに登場する巨大ロボット特集をしていた。
博物館が?と、ちょっとびっくり。


京都文化博物館
https://www.bunpaku.or.jp/

日本の巨大ロボット群像
−鉄人28号、ガンダム、ロボットアニメの浪漫−
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/20240706-0901/
2024.7.6(土) 〜 9.1(日)


マンガミュージアムではなく、
博物館でロボットアニメを特集するのは異例ではないだろうか?
最近の京都文化博物館はなかなか攻めているというか、何でもあり?
いや、夏休みだから家族向け・親子向けの展示なのかな?
でも安彦良和の展覧会があったりするし、これも時代の流れなのだろう。





でも行って見たところ、お客さんは男性が7~8割くらい、
一見してオタクと分かる若い男性連れが多し💦。
それでなくても男性が多くて壮年男性も熱心に展示を見ていた。
もちろん(オタクらしき)女性もいたけれど。
それでもいつもの展覧会とは明らかに違う客層に戸惑ったりした(;^ω^)。
どこを見てもオタクぽい人が展示をしげしげ見つめている。


パブリシティのメインビジュアルはすごくカッコよくて、
それだけで(そして博物館で展覧会というだけで)
何となく高尚な感じがしてしまう…。




展示は最近の展覧会がそうであるように、殆どが撮影可能だった。
ただガンダムの設定経過のみは撮影不可だったが、
ロボットアニメの歴史からプラモデルの展示から、
巨大な実物大ガンダムを描いた床まで工夫された展示がいっぱいであった。
撮影可能なので片っ端から撮って行ったが、しまいには疲れてしまい(>_<)、
集中していた始めの方ばかり撮ってしまっていた。






ロボットアニメといえば(最近では)ガンダムがすぐに思い浮かぶが、
この京都文化博物館の展示はさすがに博物館だけあって、
学術的でもあって、巨大ロボットの歴史を紐解くことから始まっていた。





展示は4階と3階でまずエレベーターで4階まで上がり、
そこで巨大ロボット前史というべき鉄人28号の展示から始まる。
プラモデルや昔の漫画雑誌も展示されていてなかなか楽しい。

ロボットアニメとは切り離しても切り離せないプラモデル。
ロボットアニメによって一大市場を築いた。








やっぱり昔人間には鉄人あたりが感性に一番フィットするのかな💦。
でも鉄人28号の展示は他と比べてかなり多かった。




それからマジンガーZや勇者ライディーンなどへと進む。
鉄人28号のように外から操縦するのでなく、巨大ロボットの中の操縦室へ入り
操縦するようになったのはマジンガーあたりからなのだろうか?





それほどロボットアニメに詳しくないので(世代が違うから💦)
良く分からないが、
ただプラモデルのロボットの造形はとても細かくてカッコいいと思う。

ライディーンでは富野由悠季などがすでに参加していたようで、
勇者ライディーンあたりからロボットアニメの転換があったのかも?。
コン・バトラーVとか、ボルテス5とか闘将ダイモスなどの
懐かしい名前が並んでいるコーナーもあり感涙。




展示は学術的?で真面目なものだが、
それでも展示内容が巨大ロボットなのでワクワク感がある。







壁には巨大なロボットをテーマにした壁画が飾られている所もある。
まるでアートのようで、壁面いっぱいに描かれた描写には迫力があった。







設定図や分解図なども迫力満点で詳細な設定がリアリティを出している。
詳細であればあるほどカッコいい。マニアは大喜びかも?





3階に降りると3階全体がほぼガンダムコーナーだった。
(1部撮影不可)
何といっても16メートルあるという等身大のガンダムが床に描かれているのが
迫力があり、そしてあまりにも大きくて、カメラが全体を捉えられない(>_<)。




それぞれのパートに説明がついていた。
ここをカメラで撮影している人はあまりいなくて、?だった。
みんな、設定や設計図の方が興味があるのかな。



セル画のコーナーもあり、遠近が出るように背景が奥まっていたり、
立体的に作られていた。
3階のガンダムコーナーは初代だけのようで、歴代ガンダムを展示、ではなかった。



左端のお兄さんのような、いかにもオタク、マニアな人たちで埋まっていた。


展示場を出て2階の踊り場?へ行くと(無料スペース)、
そこにも関連する展示があった。



巨大ロボットはなぜ2本足?とか、
ロボットには顔があるのにどうして人間が乗り込むのか?
という自分も感じていた疑問にその道の詳しいマニアが答えているのが
パネルになっていた。
それを読んでそれらの理由が分かった気がした。

これも含めてトータルで巨大ロボットの人気、繁栄を解明する試みの
意欲的な展示だった。



まだ会場へ入る前、無料エリアの1階のロビーに飾ってある
(3メートル?くらいはある)装甲騎兵ボトムズの巨大なパネル。
巨大さを表すために作成したのだろう。
このパネルがお迎えして巨大ロボットの世界へ誘う。
(そういえばエヴァンゲリオンはまったくなかった。なぜか)



まさか京都文化博物館でロボットアニメとは思ってもみなかったが、
真面目でありつつ、楽しむことも出来る。
博物館でアニメや巨大ロボット展示を見るような時代になったのだ…
と感慨も一入だ。





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文化博物館の祇園祭展示

2024年06月21日 | 展覧会・絵
7月から始まる祇園祭に合わせて京都文化博物館で、
総合展示として祇園祭展示が行われている。

新館の2階の小さな1室のみでの展示だが、
無料招待券で行って来た。

1室だけの展示なので展示品も非常に少ないが、
祇園祭自体が歴史のある祭りなので意外なほど見どころがあった。




京都文化博物館
https://www.bunpaku.or.jp/

総合展示
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_sogo_post/20240605-0804/
祇園祭-山鉾巡行の歴史と文化
会期 2024年6月5日(水)〜8月4日(日)



祇園祭が済んでも展示は8月まであるようだ。




まず展示室に入るとすぐの所にガラスケースの中に
巨大な鉾の模型が飾られている。
放火鉾の模型だった。

鉾の心柱はあまりに長すぎるので3つのパーツに分けて置かれていた。
何十分の一か忘れたが、本物が10メートルくらいあるので、
模型になってもびっくりするほど巨大だ。

放火鉾の模型は江戸時代作だそうで、
そのため鉾の音頭取りと、鉾の中で祇園囃子を奏でている囃子方は
皆ちょんまけで、江戸時代の風俗を反映させている。

細部まで細かく作られていて、懸装品も前掛け・胴掛け、見送り、
土台となる石持ちまで忠実に再現してあった。

月鉾の模型も展示されていた。
こちらは明治時代の作だが、
こちらも音頭取りも囃子方もちょんまげを結っていた。
このミニチュアサイズの人形たちの表情はすごくうれしそうで、
ニコニコしながらお囃子を奏でているのが印象的だ。

模型は江戸時代から頻繁に作られたようだ。
祇園祭の期間に宵々山などへ行くと、
鉾町では玄関先に鉾の模型を飾っている町家が多くある。
今でもこうした模型は大事にされているのだ。
何より鉾の模型は細部までこだわって作られているので楽しい。




次に江戸時代に発行された祇園祭について書かれた冊子が展示されていた。
「祇園御祭礼記」とか「祇園絵鉾記」などというもので、
図版入りで祭と鉾についての説明がしてある。
当時(江戸時代)より、祇園会(祇園祭)の案内記が発行されていたようだ。

室町時代の屏風にも祇園祭が描かれているように、
どの時代でも祇園祭は京の観光の目玉だったのかもれしない。




「都名所百景」(江戸時代後期)の中より
「祇園会宵錺」という彩色豊かな版画は、
宵山の鉾に飾られている駒形提灯が現在のものより小さくて、
やたらに数が多い。無数に飾られている。
もしかしたら誇張して描かれたものなのかもしれない。

江戸後期には宵山ではすでに、
現代と同じ駒形提灯を飾る風習があったことがとても興味深い。



そうして山鉾の懸装品の本物そのものがいくつか展示されていた。



保昌山の見送り「仙人図」は16世紀前半の刺繍だそうで、
全山鉾の中でも最も古いものらしい。
刺繍が殆ど剝落して何が描かれているか分からないほど
褪色しているが、それでも16世紀の色彩は残っている。
刺繍が所々剥がれかけているのがかえって生々しく、
精緻な刺繍が施されていたのだと分かる。
(あまりに古すぎて巡行には使われない)


保昌山は東洞院通松原という、烏丸通より東側、
四条通より南側という、他の山鉾からぽつんと一つだけ離れた場所に建つ。



その保昌山の見送りがもう一点展示されていた。
日本で製作された綴れ織で「寿星図」という名前で、
描かれているのは寿老人たちだろう。
日本で綴織の技術が確立したころ、1798年に作られたというが、
300年以上前の織物が残っているのも脅威だ。

懸装品の多くが中国の逸話を描いているが、当時は中国の影響が濃かった。
そのため山鉾の装飾には中国の影響によるものが多い。





白楽天山の前掛けは、なんとヨーロッパ製である。
16世紀前半のタペストリーを切張りしたもので、
鯉山や函谷鉾に通じる西欧の作品を取り入れている。
中国だけでなく、装飾的で華やかだと思ったものは取り入れたのだろう。

白楽天山の前掛けは「イーリアス」がテーマの16世紀のタペストリーに、
そのほか18世紀・中国の官服を裁断して両側に繋ぎ合わせたものだという。
大胆に繋いでいるが、それが違和感なく調和しているのを思うと、
それが当時の美意識だったのだ。
良いと思うものはどんどん躊躇なくパッチワークして取り入れたのだろう。




最後に竹内栖鳳の見送りが展示されていたのはとても嬉しかった。
孟宗山の見送りとして、栖鳳が直接墨で描いた墨絵である。
始めて間近で見た気がする。
いつもは孟宗山の後ろに飾られているのを見ていたが、
改めて壁に吊るされているのを見ると、こんなに大きかったのかと驚く。


孟宗竹がまっすぐに伸びているのではなく、
左右の竹は中央に向けてしなっている。
その迫力に圧倒される。

他の見送りなどの懸装品は色彩豊かで、
極彩色で飾り立てられているが、
この栖鳳の見送りのみ墨一色で描かれた異色の作品である。
極彩色の山鉾の中で逆にかえって目立ち、
また竹の伸びやかさが清々しく感じられる。


文博の祇園祭特集はほんの少しの展示数だったが、
竹内栖鳳の本物を見られたし、
祇園祭好きとしてはとてもうれしい企画だった。



7月に入るといよいよ祇園祭マンスが始まる。
文博の2階のロビーには粽がディスプレイされていた。
「蘇民将来の子孫也」・・・
祇園祭が近づいて来たなと感じる展示だった。



(画像はパンフレットより)
-----------


前祭の山鉾巡行(7月17日)をプレミアム観覧席(40万円!)で
観光客向けに売り出すことに八坂神社の宮司が反対していた件、
観光協会はプレミアム席では酒類と食事を提供しないことにした。

宮司は巡行はショーではない、と理事の辞意を表明していた。
(京都新聞より)

祇園祭・山鉾巡行は八坂神社のお祭りで疫病退散のために行う。
確かに酒を飲みながら鑑賞するショーではないが、
近年は(いや、江戸時代より)巡行が観光目的の客が増え
観光が主眼になって来ていた。

山鉾行事には膨大な費用もかかる。
維持してゆくだけでも大変だから毎年クラウドファンディングを募って
宵山や巡行の際の警備費などに当てている。

神事ではあるけれど、費用もまたかかるから、
観光目当てでお金を落とす人たちもまた大切なお客様。
けれども今回の宮司辞意の件は、お酒を提供しない、との結論で、
改めて祇園祭を双方が大事にしたいという気持ちの表れだ。
皆、祭を大切に思ってるのだ。
どのような形になったとしてもこの先何百年と続いてほしい。




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Mozuミニチュア展

2024年06月07日 | 展覧会・絵

昔から人形や、ミニチュアが好きなので、
大丸京都店の大丸ミュージアムで開かれていた
「Mozuミニチュア展 ようこそ、ちいさな世界へ。」
という展覧会へ行って来た。
ミニチュアなら1/6のドールはもちろん、
ドールハウスもリーメントも好きなので。


どこかの展覧会でチラシをもらい、それでこの展覧会があることを知り、
興味を持ったのだった。
作者も知らないままだったが
四条烏丸の大丸京都店のギャラリーへ行って来た。





ミニチュアというか、
ドールハウスをまだもう一つ小さくしたような作品たちが展示されていた。

ドールハウスといえば基本的には1/12のスケールで作られているようだが、
今回行って来たMozuという人の作品はもっと小さく、
1/24くらいまたは1/30くらい?にも見えた。


公式サイト
https://mozu-miniature.com/
Mozuミニチュア展 ようこそ、ちいさな世界へ。



大丸・松坂屋の展覧会
https://dmdepart.jp/museum/kyoto/mozu-miniature/
Mozu ミニチュア展 ようこそ、ちいさな世界へ。
京都 | 大丸ミュージアム<京都>(大丸京都店6階)
2024年5月29日(水)~2024年6月16日(日)

今回の展示は殆どが撮影可能だった。
フォトスポットもある。
だまし絵のような楽しいフォトスポットだったが、
おひとり様なので記念撮影は出来ずだった(T_T)。




Mozuという人はまだ20代の若いミニチュア作家で、
ミニチュア制作だけでなく映画のジオラマや
コマ撮りアニメなども手掛けているそうだ。




ドールハウスは数多ある中で、
このMozuという人は独自の、独特の世界観を表現している。
だからこそ、個人での展覧会が可能なのだろう。
(彼の作成したキットも販売している)




その世界は「こびとシリーズ」に集約されていると思う。
今回の展示もこびとシリーズが主なものだった。



まず実物大のコンセントがある。
家庭のどこにでもあるコンセントの挿し口をまず展示し、
その横に小さな扉や窓が開いている。
その扉や窓の内側に極小の部屋があるのである。



(公式サイトからの画像)


極小の部屋の中には、ちゃんと人が生活している気配があるのである。
玄関口のミニチュアには靴が乱雑に脱ぎ捨てられており、
ハイヒールや子供靴があり、
スツール椅子もあればスケートボード、紙袋、ランドセル、皮のバッグもあり、
床にはテスト用紙が散らばっている。
散らばり具合に生活臭が感じられる。



それらがコンセントの横のほんの小さく作られた扉の向こうに、
あたかも生活空間のように世界が広がっているのである。
まるでこびとがそこに住んでいるかのように。
だからタイトルが「こびとのお風呂」だの「こびとの牛丼屋さん」
だのとついているのだろう。



その再現度は神経症的なほどで、
細部にわたるまで忠実に再現してある。
作り込むことが楽しみでもあるのかもしれない。



冷蔵庫やレンジ、テーブル
お風呂場にはアヒルのおもちゃまで。
牛丼屋さんには忘れ物のビニール傘まで
(指摘されなければ気がつかない)。


(公式サイトからの画像)

隣りのコンセントで光る仕掛けがしてあったり、
展示もとても工夫されていた。



本棚にある本も小さい写真では分からないが、
全部タイトルまで再現してある。
「鬼滅の刃」だとか「ドクタースランプ」などが揃っている。





旅館のインスタレーションは、等身大の旅館のセットの下にコンセントがあり、
その横に小さな窓が開いている。
そしてその小窓の中は、小さな旅館の一室なのである。
この展示のしかたもしゃれていた。
旅館in旅館、マトリョーシカ旅館?




さらにMozuという人にはもう一つの方向性の作品群があり、
後半にはそれらが展示されていた。




算数の教科書の表紙に起用されたイラスト集だった。
一種のトリックアートである。




正面から見ると、平面的な歪んだ虹に見える。
ところが体を左へずらして見ると、
肉眼でも虹が浮き出て立体的に見えるのである。



決して立体ではないのに、影の付け方で浮き出て立体的に見える。
まるで紙から物体が立ち上がっているかのようだ。
錯視を利用しているのだろう、
何度も行ったり来たりしながらどのような仕掛けになっているのかと、
しげしげとトリックを見破ろうと見つめ続けたが、
いかにも不思議だった。
影の付け方で立体に見えるのだ。






このように、Mozuの作る作品はミニチュアといい、
算数の教科書イラストといい、
精密に考えられていて緻密に再現しつつ、
遊び心があり、トリック的な人を驚かす楽しさがあり、
何度も眺め直したりして楽しめる作品たちなのだと思った。

ミニチュア自体にこんなに小さなものをどうやって作るのだろう?
という驚きと、小さなものに対するときめきがあり、
見ていて飽きないし、見るだけで楽しさがあり発見もあるのだと思う。
しかも見る側も参加できるようになっているのが、
より一層面白さが倍増だった。

思った以上に面白く楽しめた展示会だった。



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「没後100年 富岡鉄斎」展

2024年05月28日 | 展覧会・絵
もう終わってしまったが、京都国立近代美術館で開かれていた、
「没後100年 富岡鉄斎」展へ行って来た。





富岡鉄斎については名前くらいしかほとんど知らなかった。
最後の文人画家と言われているそうで、幕末に生まれ、
明治から大正にかけて京都で活躍した画家である。


文人画家といえば池大雅とか与謝蕪村が思い浮かぶ。
文人でありつつ絵画も良くした人たちだ。
墨絵が主でモブが多いという印象だ。
山水画が基本で中国の風景絵画を手本とする、から
中国の風景画を題材にすることが多い。
風景の中に人物たちを小さく配置しているのが特徴だという印象がある。


ああいう感じの絵画を描く人なのだろう、と見当をつけて
京都国立近代美術館で開かれていた、
「没後100年 富岡鉄斎」へ行って来た。

京都国立近代美術館は左京区・岡崎にある
京都市京セラ美術館の向かい側の美術館だ。




京都国立近代美術館
https://www.momak.go.jp/

https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionarchive/2024/457.html
没後100年 富岡鉄斎
会期
2024年4月2日(火)~5月26日(日)


池大雅や蕪村は長年絵画を見て来て、
どうも良さが分からない絵師たちだったが、
それでも最近はそれなりに何となく味わえるようになって来た気がする。

雄大な中国風の風景に点描で小さく人物が描かれていて、
その人物たちに人間の慎ましい営みが感じられる。
小さいだけにどこか人物に愛嬌がある。
そんな画風を受け継いでいる画家なのかなと思い、
見に行く気になったのだ。





鉄斎が「最後の文人画家」と言われているのは、
活躍したのが明治から大正期で、
そのころは明治の文明開化で日本に西欧絵画が大量に流入し、
日本の画家たちも西欧絵画に倣って油絵を取り入れ、
洋画が盛んになった時期だからだろう。
明治維新によって西欧文明が礼賛され西欧化が推し進められた。
廃仏毀釈で寺が軽んじられたように。

明治期から大正期にかけては恐らく日本画は衰退していたのではないか?
鉄斎はにもかかわらず、日本画---先達の描く伝統の山水画に徹した。
鉄斎は文人画家として誇りを持っていたからではなかろうか。


文人とは何か。
それは書を読み、詩を良くし、画を描く。
「万巻の書を読み、万里の路を行く」

古今の書を読み精通し、また書を読むだけではなく、
旅をして見聞を広める。
それを画に活かす。
鉄斎は九州から北海道まで旅をして歩いたそうだ。
旅で見聞した膨大なスケッチも展示されていた。





鉄斎の画は詩・書・画一致、と言われるように、
彼の絵には讃と言われる書が常に書かれている。
書も画の一部なのである。
何と書いてあるのかとても読めないが、
書だけでも作品として成り立つ、そんな個性的な字である。
鉄斎自身が画に書かれている書も一緒に見てくれと言っていたという。


墨で描かれた水墨画と書はおそらく同じなのだ…(暴論)
デザインされた書(文字、漢字)は絵と言って良いし、
墨で描かれた単彩の事物は時に書のように見える。
(若冲の鶏など)
同じ筆で描かれているからそう見えるのだ。

鉄斎の描く風景や小さい人物も時に荒っぽく、
筆を走らせているように見えるが、
書を書くように画を描いているのだと思えば大いに合点が行くのだ。
分からなくても味わうことは出来る。







展示は4期に分かれていて、行った時は会期ぎりぎりだったので
メインビジュアルに使われていた「富士山図」(屏風)は見られなかった(>_<)。
スケッチというか下絵は何点か展示されていたが。
(下絵をもとに本作品を構築したのだろう)





「富士山図」の代わりに展示されていたのは「妙義山図」(屏風)という、
群馬県にある特徴的な奇岩のある風景を描いた驚くような図である。
恐らく現実にはない光景だと思う(あるはずがない(>_<))
誇張、あるいは理想図か。






富士山図屏風でも妙義山図でもそうだが、
鉄斎は絵を描く時、参考にする先人の絵があったそうだ。


富士山図の火口(お鉢)は江戸期の絵師たちの絵を参考にしたという。
妙義山図も参考にした図があった。
鉄斎の独創ではなかったということだ。
妙義山の驚くべき奇岩は先人たちに言い伝えられて来たものなのかもしれない。

鉄斎はそれをもとに新たに新しく構築しなおしたのだ。
彼の風景画は写実ではない。
日本中を旅してスケッチをしたが、
絵に描く時は見た光景そのままを描くのではなく、
いったん頭の中に蓄え、画としてアウトプットする時は、
自分の理想としての風景を描いた。

だから鉄斎の風景画は写実のように見えて、現実の風景ではない。
それは鉄斎の頭の中にある理想の風景なのだった。
一種のコラージュというべきものだろう。
あるいはこうあるべき理想というより、
鉄斎の中で再構築された架空の風景というか。





画の傍らに常に書が書かれるのも、
それも含めて一つの作品であるからだ。



鉄斎は文人画の最高峰と評価されているが、
晩年の彼は文人画という枠にとらわれず、
鉄斎という画家の自由な表現の域に達していると思われる。




その中でもモブを描いた作品もあった。
「三津浜漁市図」という軸物で漁市で働く人々を描いた図だった。
無数の人々が魚市に集まって様々に働いている。
人々の営みを描いた大らかな人間賛歌のようでもあり、
モブの人たちは文人画に共通する、どこか愛嬌のある描写であった。


絵画作品のほか、印章の膨大なコレクションも展示されていた。
文人画家らしく印章をコレクションしていたらしい。
鉄斎作品にも様々な印章が押されているが、
それも一つの作品として拘りがあったのかもしれない。



アトリエ(画室)の様子が分かる絵の具や筆、筆置き、
文房具、蔵書なども展示されていた。
京都御所近く、室町一条下ルに邸宅があったそうだ。

旅行記などもあり細かくメモしていたことが分かる。
日本画の絵の具類は保存状態がとても良く、
大事に残されて来たのだなあと思った。

総じてどの物品も今でもすぐに使えるような良い状態で、
その保存状態の良さにも驚いた。
画業に一途に打ち込んだ鉄斎の人となりが伺えるようだった。




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松尾大社展

2024年05月13日 | 展覧会・絵

京都市西京区にある松尾大社(まつのおたいしゃ)には
残念ながら今まで一度も行ったことがない。
ただ、ヤマブキの名所として記憶していた。
毎年4月~5月ころ、
松尾大社のヤマブキが見ごろだという新聞記事が美しい写真とともに載る。
それくらいと京都の西の端にあるだろうくらいしか
松尾大社に関して知らなかったのだが。
このたび京都文化博物館で「松尾大社展」が開かれていて
展示されている神像をちょっと見たくなり、招待券があったので行って来た。




京都文化博物館
https://www.bunpaku.or.jp/

特別展 松尾大社展 みやこの西の守護神
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/20240427-0623/

会期
2024年4月27日(土)~6月23日(日)


松尾大社は酒・醸造の神として信仰され、醸造家、
酒造会社から崇敬されているとか。
そういえばお酒の神様だと聞いたことはある。
そのためか、イヤホンガイドには京都出身の佐々木蔵之介が。。
彼の実家は二条城近くの佐々木酒造だからだ。
文化博物館の今回の展覧会トにまつわるトークイベントでは、
佐々木酒造の蔵元が登壇することからも、
佐々木酒造も今回の松尾大社展を支援?しているようだ。


ただ当然ながら松尾大社そのものへ実際に行ってから、
今回の展覧会へ行った方がより理解できただろう。
松尾大社へ行っておくべきだったとは思う。

展示は4階と3階で4階から見ていくが、
松尾大社の縁起や、
歴代将軍---室町幕府の足利尊氏や、織田信長、豊臣秀吉、
徳川将軍家からの朱印状とか、
所領を巡っての周囲とのいざこざをどうにかしてくれ(?)という
訴えとか、
文書、書状の展示がほとんどでなかなか神像が現れない。
3階へ降りてやっと最後の最後に目当ての神像群があった。
それまでが疲れた(>_<)
(・・・何せ腰痛持ちで展示を見るので…)

しかも書状類の展示が時代の順番になっておらず、
江戸時代から始まっていたりしていつの創建なのか分かりにくい。
松尾大社は平安時代以前の創建らしいが。

平安京以前、渡来氏の秦氏によって建立されたとのことだ。
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)というらしい。





ただ、文書の展示はそれなりに面白かった。
徳川将軍家からは家康から歴代将軍の朱印状がずらりと
展示されていたのはなかなか壮観だった。
933万石を安堵するというような内容だ。
家康、秀忠、家光、綱吉、吉宗などなど
(もちろん自筆ではないが)

隣接する西芳寺と領地で揉めたりしていたこと、
近くの川(桂川?)の堤防を巡ってのいざこざ、
などが赤裸々(?)に綴られていてへえーっ、そうなのか、
歴史のある神社はいろいろあったのだなと妙に納得したり。







4階から3階に降りて、最後の一室に神像群が展示されていた。
全部で8体展示されており、うち3体が重要文化財で、
他の5体は京都府指定文化財だった。
すべて平安時代の作で、一木造りのものもあった。

木像といえば仏像がほとんどだと思われているが、
日本には神像という独自に発展したジャンルもあるのだった。


そもそも昔は神仏習合が普通であり、仏も神も同時に祀っていた。
お寺の境内に鳥居があったり、
神社に仏像があったり、それが明治以前では当たり前なのだった。
この松尾大社も同時に一切経が伝わっていたり、
神仏習合の典型例を示していた。

この神像群も仏像に負けない良い出来で、
写実性もありつつ威厳もある。
簡素な彫りではあるものの、相貌は個性的で、
驚くほど存在感があった。




特に気に入ったのは女神像(じょしんぞう)で、
ロングボブヘアの後ろ側が可愛く(;'∀')、彩色も良く残っていた。

男神の方は平安時代の衣冠装束で貴族の衣服を着用している。
平安時代の神の姿とはこのような形で表すのかと改めて感じ入った。
抽象的な仏像より写実的でモデルがいるだろうというような像だった。




展示は撮影禁止だったが、いくつかフォトスポットがあり、
そこは松尾大社が酒の神をまつるのに因んだ
月桂冠などのインスタレーションだった。
それが何ヵ所かに設置されていた。
本展ではお酒に関しては殆ど触れられていなかったので、
フォトスポットにいきなり酒樽や日本酒ラベルを集めた屏風などがあり、
ちょっと違和感を感じてしまった💦。




佐々木酒造が関係しているからかな。
フォトスポットはフォトスポットで面白かったが。。
いつかは本物の松尾大社に行かねばならないなと思った。



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