伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

「雪舟伝説」展

2024年05月03日 | 展覧会・絵
京都国立博物館で開かれている「雪舟伝説」には行きたいと思っていた。
雪舟の国宝に指定されている6点がすべて展示されているのだ。
これだけでも見たいと思うではないか。
いつものように招待券をもらったので喜んで行って来た。





京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/

特別展 雪舟伝説―「画聖(カリスマ)」の誕生―
https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/special/sesshu_2024/
会期
2024(令和6)年4月13日(土)~5月26日(日)
[主な展示替]
前期展示:2024年4月13日(土)~5月6日(月・休)
後期展示:2024年5月8日(水)~5月26日(日)

公式サイト
https://sesshu2024.exhn.jp/guide/




今回、博物館まで頑張って歩くことにした。
祇園行きの市バスは清水寺へ観光する観光客で一杯なので
恐ろしすぎてとても乗れない。
だから歩こうと。
腰の痛さは変わらないのでコルセットを締めて
何とかかんとか歩いていくことが出来た。
帰りも長い間バスを待つより歩こうと思い、
へとへとになりながらも歩いて帰った。




今回の展示は「雪舟展」ではありません!
とコピーで書いてある通り、
もちろん雪舟の絵も展示されているが、
雪舟と彼が後世に与えた影響、という感じの展示である。
むしろ後世の画家たちがどのように雪舟を学んだか、
雪舟を手本としていかに画風を吸収し継承していき、
影響を与えられていたかに重きを置かれていた。

雪舟という画家は昭和半ばの時代には、しかし
涙で鼠を描いたというエピソードが知られるだけで、
雪舟の絵画そのものはあまり評価されていなかったように思う。
そうして彼の絵を見る機会もそれほどなかった(と思う)
確かではないが…

雪舟が今日、再評価され始めたのは
赤瀬川原平(と山下裕二)の本からではなかろうか。


日本美術応援団 (ちくま文庫)


赤瀬川と山下が雪舟を取り上げて、それで脚光を浴びた、
と考えている(のだが)
それまでは昭和の時代は雪舟の名は忘れられていたというか、
古くさいイメージがあった。
もしかしてそれは自分だけかもしれないが…

この本に掲載されていた「天橋立図」を見て、
雪舟の力量に初めて気づいたと言っていい。
それまでは雪舟は名前くらいしか知らなかった。
彼の絵を見るチャンスもなかったから。




今回の「雪舟伝説」展でももちろん展示されていた。
「天橋立図」は俯瞰で眺めた図で山の上に登って見たのだろうか。
とてもリアルでいっけん現在の天橋立の案内写真と変わらないように見える。
それくらい精緻で細かく描き込んである。
そしてまず構図が美しい。
これも雪舟が中国(明)絵画に影響を受けて描かれたものだろうか。

この「天橋立図」を見て(始めは実物ではなく本の図版ではあるけれど)
雪舟に興味を持ったのだった。
(のちに京博で何度も実物を見た)




展示は3階の第1室に雪舟の作品をまとめて展示。
始めは有名な「秋冬山水図」、
思っていたより小さく小ぶりの軸装だった。
絵の真ん中にそそり立つ1本の太い線は殆どシュールと言っていいように思え、
それが衝撃的だ。
力強い描線の風景は中国絵画に倣ったものだろうが、
なぜか雪舟の画は暖か味を感じるのだった。


雪舟で一番好きなのは「慧可断臂図(えかだんぴず)」である。
慧可という僧が師の達磨大師に己が左腕を切り取り(!)、
大師に差し出し、信仰の篤さを示している図、だが、
達磨大師はそっぽを向いている。
まるで関わりたくない、というかのように。
師と弟子の緊張感あふれる瞬間が大胆な筆致で描かれている。



不気味な洞穴の描写と達磨大師の白い装束の対比、
太い灰色の線で描かれた達磨大師の装束の大胆な筆遣い、
ひと目で忘れられなくなる作品だ。
雪舟の作品中、もっとも新しく国宝に指定された作品で、
これが現代での雪舟の名声を決定づけた、と思っている。



後世に影響を与えたという点では、
長大な絵巻である「四季山水図巻(山本長巻)」がすごかった。
多分、今回初めて見る作品だ。
全長16メートルに及ぶ。
一種の絵手本らしく、
様々な山水表現を長大な絵巻にまとめてある。
中国(明)の風景を描いたもののようだが、
絵手本として見ても、また単に絵手本というより
風景の図として破綻なく山や木や海や船、家屋などが配置され、
絶妙な風景画として成立しているのだった。
筆遣いも力強かったり、墨の濃淡が鮮やかだったり見応えがあった。




これを見れば雪舟が手本として受け継がれていったのも頷ける作品であった。

狩野派の絵画における直線的なごつごつした岩や、
岩の輪郭を太く描く描写や、
痙攣的に伸びる木の枝の描写などは雪舟から来ているのかなと思われた。


雪舟は室町時代、明時代の中国にわたり、
大陸の絵画を学び日本の水墨画の礎を築いた。
雪舟の画が最も多く国宝に指定されているのは、
時代が古いからであるだろう。
自ずと後世の画家が何らかの影響を受けているのも自然なことと思う。







第2章以降は、雪舟の影響を受けた絵師たちの作品が並ぶ。
長谷川等伯、狩野探幽、から尾形光琳、伊藤若冲、曽我蕭白、
円山応挙、司馬江漢、原在中、酒井抱一まで・・・
錚々たる画家が雪舟に学び、写し、自分流に解釈した。


江戸時代には雪舟の本物を見る機会はあまりなかった。
それゆえ雪舟その人の作でないものも雪舟作とされ、
伝承されていった。

「富士三保清見寺図」という図は雪舟の真筆かは分か
らないらしく伝雪舟筆として展示されていたが、
江戸時代には雪舟作として受容されていったらしい。



日本の富士山の図はこの伝雪舟作が基本になったという。
伝雪舟筆のこの図を基にした
有名絵師たちの数々の富士山図が並べられていた。
中には狩野山雪、そして曽我蕭白の富士山図、
洋画家の司馬江漢の富士山図まであった。
それぞれの絵師がもとの伝雪舟作をもとに
自分なりの富士山図を展開していったのだ。



(曽我蕭白の富士山図:富士三保図屏風)


松尾芭蕉の「笈の小文」に日本の文化人をずらずらと並べてゆく一文があり、
そこに雪舟の名が記されているという展示もあった。
(芭蕉の「笈の小文」が展示)
尾形光琳と乾山による雪舟の画を用いた火入れまであった。

今回の展覧会は、
このように雪舟が長谷川等伯を始め狩野派などに規範とされ、
受容され、いかに雪舟が幅広く受容され、
やがて画聖として評価されてゆくかを展示で示していた。

そして雪舟を基礎としつつそれぞれの画家が
それぞれの作風を確立していったことを示すのも展示の目的だったかも。





確かに狩野派の勃興により、雪舟は画聖と認められていったのだろう。
その影響力も今回の展示で理解できた。
京博展示の意図するところも分かるが…、
まあ、でも自分としては雪舟の国宝6点を改めて
間近でまとめて見られたことが何よりの収穫だった。




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細見美術館・空間を彩る屏風展

2024年03月20日 | 展覧会・絵

左京区岡崎にある私設美術館・細見美術館で、
屏風ばかりを集めた屏風展が開かれていた。

「空間を彩る屏風・広がる大画面(ワイドスクリーン)」
というタイトルである。



細見美術館
https://www.emuseum.or.jp/

空間を彩る屛風びょうぶ―広がる大画面ワイドスクリーン―
https://www.emuseum.or.jp/exhibition/ex084/index.html
会期:2024年 2月20日(火) - 4月14日(日)
[前期] 2月20日(火) - 3月17日(日)
[後期] 3月19日(火) - 4月14日(日)



細見美術館は一階から地下へ降りてゆく独特の構造になっていて、
地下3階ほどある。(4階かも?)一室はそれほど広くない。
今回の展示はその広くない美術館においても、
思ったより展示品は少なく感じた。
しかも前期・後期で分かれているからよけい少なかったかもしれない。
全部で20点くらいだったかも。
こじんまりした展示だった。
それでも「屏風」に焦点を当てた展覧会で、楽しい企画だと思った。




屏風と言ってもいろいろあり六曲一双がスタンダードだと思うが、
他にも二曲一双とか八曲一双とか六曲一隻など、
大きさや用途によりさまざまな種類があるのだった。
大きさもさまざまで、枕元に置く小さなものから、
部屋いっぱいに広げて画題を楽しむものなど、
サイズは一定しておらず、さまざまな大きさの屏風が展示されていた。





もともとは間仕切りや風よけとして使われて来た実用品だった。
使い方は自由で、寝床の枕元に置いたり、
四方を屏風で囲んで間仕切りとして使ったり。

そこに描かれた絵は置く場所によってさまざまな画題が扱われ、
装飾的なものになっていった。
絵師たちは横長の画面に創作意欲を刺激され腕を振るったのだった。


展示は主に江戸時代の無名の作者か、作者不明の屏風が並んでおり、
それらがどのように使用されていたかも説明されていた。
平安期や室町時代にも使われていたらしいが、
実用品でもあったので消耗が激しく古い時代のものは残っていない。
江戸時代前期のものから昭和初期までのものが展示されていた。


画題として有名なのは「柳橋水車図屏風」、
「誰が袖図屏風」で1点ずつ展示されていた。


「柳橋水車図屏風」は宇治川が主題で大きな橋を屏風全体に描き、
橋の袂には水車が必ずあしらわれている。
定番の画題だった。
展示品は紙本に金地に着色され華麗なものだった。
展覧会のチラシにも使われている図だ。



「誰が袖図屏風」は部屋の片隅に置かれた衝立に、
今脱いだばかりと思われる女性の着物・装束だけが衝立に掛けられている。
人の気配はまったくないが、
着物の持ち主の残り香はあるような気がする。
着物だけが置かれた部屋が謎めいた雰囲気を醸し出しているという図だ。
この画題もよく屏風に取り上げられた。


もう一つ、「洛中洛外図屏風」も屏風絵の代表的な画題である。
狩野永徳が「洛中洛外図」を描いてから普及し、
数多くの洛中洛外図屏風が描かれた。

これなどはすでに実用品とか空間演出のためというより、
客人をもてなしたり、財力を示すものという感じになってる。

画題が豪華なので─
左隻には御所や貴族の住まい、右隻には祇園祭や清水寺、
など様式が決まって来ていた。
これも金地の華麗な雲が描かれていて豪華な作品になっていた。

ほかに洛外図屏風というのもあって、
清水寺や方広寺、三十三間堂など、東山の観光地を描いた、
洛中洛外図から派生した作品もあった。

祇園祭礼図屏風というのもあり、
これも洛中洛外図から派生したものだろう。
文字通り横長の(ワイドスクリーンの)画面に、
延々と続く祇園祭の山鉾巡行の様子が緻密に描かれていた。

祇園祭の時期には鉾町の家々では屏風祭と言って、
旧家(町家)に残る屏風を玄関に飾り、戸を開け、
道をゆく人に見せるという風習がある。
そうした風習に沿って祇園祭の屏風絵が描かれたのだろう。

洛中洛外図から派生した作品は、
洛中洛外図の影響を感じさせるものだった。



行ったのは後期だったので、
大好きな酒井抱一や神坂雪佳の作品が見られなかったのが
とても残念だった(>_<)が、
鈴木基一の作品が2つほど展示されていた。



ひとつは屏風ではなく軸装で、「花雛図」というもの。
(画像は細見のXより)
3月の節句の時に床の間に飾るものなのだろう。
菜の花と蓮華草を雄雛、女雛に見立てて立ち雛として描いていた。
床の間に飾る軸として粋な雛祭りの図だった。


もうひとつ基一の作品「白椿に藪柑子図(しろつばきにやぶこうじず)屏風」、
両者とも日本画によく見る画題だが
基一はいかにも琳派の流れを汲む画家として、
たらし込み技法で山の連なりを描いていて、絵の具の流し方が清々しかった。


展示品は少なかったが、今回の細見美術館の
屏風という調度品に絞って収集品を展示する方法はアイデアが魅力的だし、
なるほどそういうやり方もあるのだと思った。
屏風を装飾品や調度品として見てもいいし、美術作品としても眺められる。

企画次第で楽しく新鮮な展示が出来るのだと感じた。




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上村松園・松篁・淳之展

2024年03月14日 | 展覧会・絵
京都高島屋7階のグランドホールで、
上村松園・松篁・淳之の親子・孫三代の展覧会が開かれていると、
京都新聞に紹介されていたので見て来た。
高島屋なら近いからすぐ行ける。

上村松園は言わずと知れた美人画が有名な日本画家、
その息子も孫の淳之さんも文化勲章を受章していたという。
だから文化勲章 三代の系譜とタイトルがついている。

京都高島屋グランドホール
https://www.takashimaya.co.jp/kyoto/departmentstore/topics/event.html
文化勲章 三代の系譜 上村松園・松篁・淳之
■3月6日(水) → 25日(月)


親、子、孫まで三代にわたって日本画の美をそれぞれに追い求め、
その功績で文化勲章を受章した上村松園、松篁、淳之の
三人の画業を紹介する展覧会を開催いたします。
松園は、格調高い美人画で1948年に女性として初となる栄誉に輝きました。
松篁は自然を描く新たな日本画表現を追究して1984年に受章。
そして2022年、鳥の姿を通じて自然の神秘を描写し続けてきた淳之が
受章しました。
それぞれモチーフや画風は異なりますが、
描くことへの情熱や根底にある美意識が世代、
時代を超えて静かに受け継がれ、現代に繋がれています。
日本画の美を継承してきた、上村家三代の作品をご堪能ください。


---ということである。
グランドホールは意外と広く、三人合わせて約60点が展示されていた。






上村松園といえばすぐに美人画が思い浮かぶが、
美人画というより着物姿の女性美を追求した画家と言えるだろう。
女性のたおやかな姿のみならず、
着物の詳細な描写と艶やかな柄、帯の華麗な柄、
裾を引きずる着物の着こなし。
やまと絵や古典・浮世絵なども学び、
日本画の伝統技法を継ぎながら、主題は一貫していた。



昭和の時代になっても着物姿の女性を描き、
自身も死ぬまで着物で通した。
着物や帯の鮮やかな模様に美を見出したのだと思う。



絵画は写実ではない。
画家の理想、現実を超えた理想の美を具現化するものなのだ。
細い描線で丁寧に描かれた品格のある女性像には、
色彩や色使い、フォルムや構図も含めて、
絵画としての美を表現していた。

見る者に時代を超えて、主題を超えて美しいと思わせるもの。
それがあるのが松園の日本画だった。
(軸物だけでなく、額縁に入った絵もあったのが少し意外だった)




松園の息子、上村松篁は
母に絵画について教えを受けたことはまったくなかったという。

花鳥画、というより植物の描写が美しかった。
絵の具の色の美しさ、発色の鮮やかさも素晴らしかった。

3人とも絹本着色の日本画家だが、主題はまったく違う。
自分が描きたいと思ったもの、美しいと思ったもの、
美しく描きたいと思ったもの、
それを心のままに描けば、自ずと主題が定まったのだろう。


「青柿」という作品はまだ熟していない青い(緑の)柿のまわりを
様々な色の葉っぱが取り巻いている。
どれ一つとして同じ色の葉はなく、絶妙な構図のおかげで
それぞれの葉っぱがハーモニーを奏でているようだった。


同じ松篁の「芥子」という作品も、
すっくと伸びた何本もの芥子の花が空に向かって群れて描かれ
花の品格を表しているようだった。



「月夜」という空色の背景に高く伸びた植物の根元に
かわいい兎が佇んでいる絵はまるで童話のようで、
メルヘンな図にたまさかおとぎの国に誘われたようだった。


上村淳之さんは現在も京都で健在である。
最近はさすがに弱って来られたようだが、まだまだ活躍して欲しい。

調和の取れた美しい花鳥画が多く展示されていてうれしかった。
祇園祭の霰天神山の原画が展示されていたのもうれしい。

淳之さんの日本画は花鳥画ではあるものの、写実ではない。
それは自然世界の具体表現ではなく、象徴的なもので、
描かれた対象は花や鳥だが、
彼の絵画世界ではそれらが理想のユートピアを築いているようだった。
現実ではなく、見る者を暖かな世界に誘うような絵。


「花の水辺Ⅱ」もまるでメルヘンの世界のようだ。


「四季花鳥図」という日本絵画の伝統的な画題の作品も、
様々な鳥が林の中を群れ遊ぶさまはまるで楽園を表しているようだ。


淳之さんは奈良の自宅の庭に多くの鳥を飼って、写生していたそうだが、
鳥たちの目は丸くてかわいく描かれている。
どの鳥も可愛くて、写実を超えていた。

写生を極め、写実から発展して
いつしかそれが理想世界を絵画の上で表現しているのだった。




親子、孫、三世代にわたって
品格のある日本画を紡いで来た上村家の画家たち。
画風や画題はそれぞれ違うが、気品のある、
抑制のきいた日本画の神髄を描くことでは一致していた。

美しいものはいつの時代も目と心の喜びだ。
それは西欧絵画でも日本画でも何ら変わらない。
気持を揺り動かす力を持っているのだ。



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京博・雛まつりと人形展

2024年02月28日 | 展覧会・絵


京都国立博物館で現在、毎年恒例の雛まつり展を開催している。
新聞に出ていたので行きたくなった。
京博ならば歩いて行けないことはない。
腰が痛くてどうしようもないが、頑張って歩くことにした。
帰りはばててしまい(>_<)、バスに乗ってしまったが…。


現在、展示が行われているのは平成知新館だけで、
3階から1階へと降りて行く形で展示を見る。
雛人形展は1階の1室に特集展示という形で展示されていた。

3階と2階は常設展示のような感じで名品ギャラリーとして展示がある。
3階は考古室、2階が絵巻や仏画、中世・近世絵画など。
1階には彫刻として仏像彫刻、染織や書跡、
そして特集展示があった。




京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/


特集展示 雛まつりと人形―古今雛の東西―
https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/feature/b/hina_2024/
2024(令和6)年2月10日(土)~ 3月24日(日)
京都国立博物館 平成知新館1F-2


名品ギャラリー
https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/collection/2024/02/?date=27#Theme5743-27
生誕290年 円山応挙
2024年2月14日(水)~ 3月24日(日)
近世絵画|2F-4展示室


3階から見ていくと、考古室には国宝の藤原道長による
「金銅藤原道長経筒」が展示されていた。
以前にも見たことがあるが、
経筒の表面に刻まれているはずの道長の字をまじまじと探した。


2階へ降りて行くと円山応挙の作品がいくつか展示されていた。
今年で生誕290年だそうで、
そのためちょっとした応挙の特集展示がされていたのだ。
数は多くはなかったが、これらが意外にもとても良かった。

狩野派から学んだ虎の図から始まり、
雁と芙蓉、鴨の図の二対の軸物「芙蓉飛雁・寒菊水禽図」は
特に芙蓉の花の描写がとても美しく、
しばらくその場でじっと眺めていたくらいだった。
応挙の几帳面な描写は花の美しさを余すことなく描いていて素晴らしかった。



また「雲龍図屏風」は巨大な屏風に2匹の龍が迫力満点に描かれ、
巻き上げるような雲の描写と共に応挙の力量が存分に発揮されていた。

雛人形を見に来たのに、
思いがけず応挙の名品まで見られて嬉しい思いになった。

1階へ降りて彫刻の部屋へ行くと、
久しぶりに宝誌和尚立像が展示されていた。
重要文化財の変わった仏像で、顔が両側にぱっくりと割れていて、
中から観音様の顔が見えているという、故事に基づいた仏像だ。
変わっていて面白い仏像なのでまた見られて嬉しい。





そして1階の1室にある雛人形の部屋へ行く。
雛祭りの始まりは意外と遅く、江戸時代初期からだそうで、
始めは人間の穢れを祓うために、木や紙で出来たヒトガタに移し、
川へ流す3月の祓いの行事だったという。

そういえば自分たちの町内でも神社から6月と12月に、
紙のヒトガタが数枚配られて来て、そこに家族分の名前と年齢を書き、
息を吹きかけて神社に渡すという行事がある。
すると神社がそのヒトガタをお焚き上げしてくれるのである。
もしかしたらそうした行事が発展して雛祭りになったのかも。

それがやがて公家の女子たちが3月3日に行っていた
お人形遊びのひいな遊びと結びつき、江戸時代には
飾るための豪華な雛人形へと発展していったものだという。



雛人形の始まりは立ち雛だった。
簡素なもので、始めは立たせることが出来ない、
ヒトガタが発展したような男女対のものだった。
それが立たせることが出来るような形になり、
衣服が徐々に豪華になり、次に座った状態のものになり、
それに公家の装束を着せた、飾るための人形へと発展していった。

その雛人形が徐々に発展し形式を整えててゆく様子が展示に表されていた。
展示は近代のものはなく、江戸時代のものに限られていた。
(個人のコレクションで寄贈されたものもあった)
「寛永雛」「享保雛」「次郎左衛門雛」「古今雛」などと分類されている。

それぞれスタイルの違いや、制作した当時の人形師の名を取ったものなど、
時代によって見た目がまったく違うのが興味深かった。

顔が簡素な初期のものは女雛が両手を開いたままの形で、
手が袖の中に隠れていた(手は作られていない)。
目や鼻や口だけが目印のように描かれていた初期のものが、
時代が進むにつれ表情も写実的になる。



驚いたのは大きさで、50㎝くらいはあるかと思うような巨大なものがあった。
五人囃子も従えているものはすごく広い場所を取っていた。
ちなみに五人囃子は江戸特有のもので、上方では流行らなかったそうだ。
江戸と上方の違いも展示に表現されていた。

江戸の雛は玉眼がはめ込まれているのが特徴だという。
上方(京)のお雛様は公家への憧れがあり、
装束が公家装束を模したものになり、
そこに女雛の袖口に刺繍を加えてより豪華なものに仕立てたという。

何よりそれら江戸時代のものが保存状態もよく、
装束も念入りに仕立てられているのに驚かされた。



巨大な雛人形の御内裏様たちは誂えたもので
当時の豪商の家に伝わったものらしい。
どおりでとても豪華で細部まで細かく作られていた。



最近の女雛の冠は簡素化されたものだが、
江戸期のものは天冠といい、左右に装飾のついた豪華なものだった。
自分の家にあったお雛様も、そういえばこのような冠を被っていた。



最後に御殿飾りが展示されていた。
とても巨大で広い場所のある広い家でないと飾れなかっただろう。
いかにも豪商の家で飾られたものらしい精緻で巨大なドールハウスだった。

置かれていた小物や雛道具もひとつひとつ素晴らしく、
ミニチュアの御膳、お椀、急須、茶道具など、目を見張る細かい細工で、
ミニチュア好きにはたまらないものが御殿の前にずらりと展示されていた。

御殿飾りは宮中を模したもののようで、
内裏雛が住まう御殿を再現した。
迫力満点で圧倒された。




家では飾らなくなってしまったので、
博物館で雛飾りを見て楽しもうかと思い見に行ったが、
江戸期のものばかり集めたかなり学術的な展示で、
博物館らしい雛人形の飾り方(展示方法)だった。

家でも古い雛人形を飾りたくなった。
どこにあるか分からなくなってしまったが・・・。




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相国寺承天閣美術館「若冲と応挙」展

2024年02月05日 | 展覧会・絵

相国寺は御所の北門、今出川御門の北側にある、
臨済宗(禅宗)のお寺である。

臨済宗相国寺派の大本山であり、京都五山の第2位に列せられている。
足利義満によって創建された。夢窓疎石を開山とする。
(現在の建物は再建されたもの)
創建時は広大な境内だったが(現在でもかなり広いが)、
現在はかなり縮小されている。
金閣寺、銀閣寺はこの相国寺の境外塔頭となっている。


相国寺の北横に相国寺承天閣美術館があり、
相国寺とその塔頭に伝わる美術品を受託し展示している。
伊藤若冲の理解者・師であった大典顕常が相国寺の僧であったことから、
若冲の名作「動植綵絵」が相国寺に寄贈されたことは有名である。
また若冲が金閣(鹿苑寺)の障壁画を依頼されたのも、
金閣が相国寺の塔頭だったからだろう。

そんなわけで相国寺承天閣美術館に若冲の優品が残されているのである。
若冲による重要文化財「鹿苑寺大書院障壁画」は
一部が常設展示されている。

今回はその障壁画50面が一挙公開された企画展だったので、
噂を聞いて行くことにした。



承天閣美術館
https://www.shokoku-ji.jp/museum/

企画展
https://www.shokoku-ji.jp/museum/exhibition/jakuchu-ohkyo/
若冲と応挙
Ⅰ期  2023年9月10日(日)〜11月12日(日) /
Ⅱ期 11月19日(日)〜2024年1月28日(日)
会期延長 2024年2月1日(木)〜2月25日(日)

Ⅱ期は伊藤若冲の傑作、
重要文化財の《鹿苑寺大書院障壁画》五十面を一挙公開いたします。





本来なら「若冲と応挙」展は1月28日で終了だったが、
好評だったようで、会期が延長されたようだ。
展示替え後の2期の作品が2月25日まで開催されている。
自分が行って来たのも展示替え後の第2期のものだ。

承天閣美術館は靴を脱いで観覧する、寺院らしい小さめの付属美術館だ。
だが所蔵品は由緒あるお寺らしく若冲を中心に名品が並ぶ。
写真撮影は禁止だった(>_<)。




相国寺の広い境内を北に歩いてゆくと、
突き当りに承天閣美術館がある。
寺院と地続きなので美術館というより、靴を脱ぐこともあり、
まるで相国寺の建物の一つかと思ってしまう。

こじんまりした美術館の第1室では、
若冲の「動植綵絵」のコロタイプ複製がずらりと全作並んでいた。
突き当りの相国寺所蔵の釈迦三尊像のみは本物であった。



(普賢菩薩・釈迦如来・文殊菩薩)

カラフルな三尊像で、中国の原画の写しだったと思うが、
若冲らしい細部まで細かく神経質なほど描かれている。
上質な絵の具を使っていることが分かった。
(2月1日からは複製を展示)


動植綵絵の現物は現在は三の丸所蔵館にあり、国宝に指定されている。
もとは若冲が釈迦三尊像と共に相国寺に寄進したものである。
だから動植綵絵と釈迦三尊像を並べて展示するのは、
極めて正しい展示方法だ。

動植綵絵の本物は以前、この承天閣美術館で展示されているのを見た。
全作品並べて展示していて、
大盛況で美術館へ入るのに列を作って並んでいて、時間がかかったほどだ。
それくらい人気作品なので精密なコロタイプ複製を作成したのだろう。



今回複製を見て改めて心に残ったのは、芦雁図だった。
垂直に落ちてゆく雁が不安を掻き立てる。
寒々しい木の枝に積もる雪と地面の亀裂。
不安を増幅するような異色の絵であった。


もう一つ、残ったのが「雪中錦鶏図」。
木の枝に積もった雪の表現が神経症的で、だが美しくも感じられた。

コロタイプ複製とはいえ、
「動植綵絵」全図がずらりと展示されているのは圧巻だった。


第二展示室に「鹿苑寺大書院障壁画」(重要文化財)が展示されていた。
墨絵による淡彩。
普段は一部だけが常設展示されていたものが、
今回は50面、全図が公開されていた。
鹿苑寺とは金閣寺のことで、
若冲が金閣寺のために描いた障壁図を本山の相国寺が所有しているのだ。


大書院障壁画では葡萄図襖絵が好きだが、
今回は竹図襖絵や、芭蕉図なども展示。


竹図は竹の節が丸くはみ出ている若冲独特の解釈で描かれていて
ユニークな形をしている。
どの流派にも属さない独自の作風だ。

松鶴図襖はわりと普通の鶴の絵だと思っていたら、
鶴の足の細かい点描が神経症的なほど細かく、
それがやはり若冲らしいなと思った。

が何といっても大書院障壁画では葡萄図襖と、
一之間の床の間を再現した葡萄図がとても好きだ。


画像は↓より
http://inoues.net/club3/jyakuchu034.html

日本絵師は空間込みで全体をデザインするのが様式となっているが、
若冲もその例に漏れない。
日本画は襖絵、軸物とも画面全体に物体を描くことはなく、
空白部分を残し、そこを効果的に見せる。
若冲も同様。
葡萄の蔓を壁面の上部と下部に這わせたデザインが秀逸すぎるし、
つるの描き方は、
細い筆一本でくるりと回っている蔓をさっとさらっただけに見える。
それくらいラフに描いているのに、
全体として空間の中で絶妙な位置に配置されていて、
見ていて快感なのである。
若冲は墨絵を描いても陰影の出し方といい、
筆の使い方といい、ユニークでありつつセンスが抜群だ。
現物は迫力満点だ。


第3章として応挙の作品が展示してあった。
円山応挙は京都で活躍した絵師であるので、
承天閣美術館でも応挙作品をいくつか所蔵している。


第2期は応挙の重要文化財「牡丹孔雀図」が目を引いた。
長い尾を牡丹の咲く崖から垂らした華麗な調和の取れた作品だ。

若冲の作品を見て来た後では応挙作品は常識のある、
安定した作品に見え、見ていて安心感がある。
気持ちが和むというか。
それだけ若冲が尖っている感じがあるからだろうか。

応挙は写生に優れ写生を重視したと言われているが、
作品は多岐にわたり、どんなものでも描いたという印象がある。
大作にも優れたものはあるが、
より応挙の手腕が発揮されるのはやはり写生図だ。
写生帖に応挙の本領が発揮されていると思う。



今回の展示ではしかし、「大瀑布図」(重要文化財)という、
巨大な滝を描いた図(相国寺蔵)が目を引いた。

谷から流れ落ちる巨大な滝を淡彩で描いたダイナミックな作品で、
応挙の多彩な一面を見ることが出来た。


相国寺承天閣美術館はさほど大きな美術館ではないが、
所蔵する作品は優品揃い。
今回の展示も入館料は安いし、それほど多くの作品があるわけではないが、
じゅうぶん見応えがあった。 




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