映画や本の中で、何故身近な人は死ぬのだろう。
そう、それが感動の始まりだからなのか?疑問だ。
「身近な人の死」は非日常的。それではエンターテイメントならOKなのか?
我々「死別組」はどうなのか?
私は、「人の死」を扱う内容のエンターテイメントで涙することにちょっと抵抗感あり。
ひねくれているかな?
もうちょっと映画や小説の内容考えてくれと言いたいなぁ。
それとも、より強い刺激を求めるあまり「死」を扱うのだろうか?
映画や本の中で、何故身近な人は死ぬのだろう。
そう、それが感動の始まりだからなのか?疑問だ。
「身近な人の死」は非日常的。それではエンターテイメントならOKなのか?
我々「死別組」はどうなのか?
私は、「人の死」を扱う内容のエンターテイメントで涙することにちょっと抵抗感あり。
ひねくれているかな?
もうちょっと映画や小説の内容考えてくれと言いたいなぁ。
それとも、より強い刺激を求めるあまり「死」を扱うのだろうか?
コメント、ありがとう。
チカさんのブログ、読んだよ。
何なのだろうね、この『抵抗感』。確かにあるんだよ、私にも。
私がこれに類する映画や小説に直面したとき、非日常から日常へ引きずり戻されてしまうのだ……。
我々には我々のエンターテイメントが必要なのかもしれない……。
迷いに迷ってここまできた。
が、まだ結論はでない♪
フィクションだから仕方ないのだけど「キレイに」まとめられることが、嫌なのかもなぁと分析しています。
感動したいから映画を観る。
人の死で感動する。
何か違うだろって。
ネタなら掃いて捨てる程ありますが、
誰も貰いにきてもくれません(苦笑)