研修 第二日 ~本日、学んだ事

2010-10-05 23:01:04 | 日記・エッセイ・コラム

キャサリン・M・サンダーズ著の『死別の悲しみを癒すアドバイスブック』に書いてある「悲しみのプロセス」である「ショック」「喪失の認識」「引きこもり」「癒し」「再生」。

 

今日、お勉強した『先天奇形のある子どもの親が示す精神的な適応過程についての仮説として、子どもの誕生時から、Ⅰ.ショック、Ⅱ.否認、Ⅲ.悲しみと怒り、Ⅳ.適応、Ⅴ.再起の5段階をめぐりながら子どもの養育にかかわるのが一般的であろう』とするドローターの考え。

 

共に大きな悲しみに直面し、経験した者にしか分からない過程だ。

今までは、死別しか見えていなかった……。

似た過程をたどるのを知った。

 

ドローターのことを教えてくれた講師が言っていた。

『経験上、親御さんは(「Ⅱ.否認」からは)両極端の対応』だそうだ。

否認の過程が非常に強くなる場合もあるとのこと。

何となくだが、分かる気がする。

死別も同じような感じを受ける人たちがいる。

まぁ、これらが全てじゃないのは分かっているんだけどね……。

 

今の私は、4と5のステージ周辺のような気がする。

そうかと思えば、逆戻りしたり(さすがに最近は少ない)。

辛い経験をした人達が、いつか、必ず、「再生・再起」へたどり着けると良いナァ~。 

 

 

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4 コメント

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夫は、がんを、「否認」でとまったなー。 (ふみ)
2010-10-07 07:12:53
夫は、がんを、「否認」でとまったなー。

あたしは、ほんとに受容したんだろうか?!
親は、受容しようとしまいと、日々を過ごさなければ生きていけないような気もするけど…まあ、「みないようにする」親も、確かにいるだろうねー。

あたしは、一生死ぬまで、
「死別も人生の節目・よい経験」
みたいな受容は出来ない気がする~。
だからって、前に進めない訳じゃないというか。

傷を負って、それがあることを否定もしないし、
「いやあ、怪我して良かったよ~。見えないものが見えてきたよ、こいつのおかげで。」
とも思えない。
そこにあるから。
時々撫でたりしながら。
うとましく、なんで傷がいつまでもあるんだろう!と思いながら、生きていくんだろうなあー。


ある種、受験や恋や、就職も似てない?
失敗した時の対処の仕方(^_^;)。
「あんなに勉強したのに、落ちるわけがない!」
とかさ(^_^;)。
返信する
  (管理人♪いわとも)
2010-10-08 23:57:16
 
 
 
 
ふみさん>
 
いつもコメント、ありがとう。
 
そうか、ふみさんは↑こんな感じなのですね。
傷を負っている感覚は、私もまったく一緒。
でも傷があることについての想いはちょっと違うかな。
 
傷の比喩を使うとき、いつも思い出すのが、私の左肘にある傷痕。
学生時代、バイクに乗ってのバイト帰りに事故に遭いました。
その時に、手のひらと肘を負傷(もの凄く出血!)。
手のひらの傷は跡形もなく消えましたが、肘の傷は約20年経過した今でも残っています。
その傷は、当初傷口は塞がりましたが、いつまでも疼きました(年単位)。
が、今では疼きません。痛くも痒くもありません。
それでも、傷痕は残っています。
死別という傷も、左肘の傷のようになるのでしょうか……。
 
 
5段階について、「ひとつひとつクリアして、次へ」と言う訳でもないようです。
あっちへ行ったりこっちへ来たり……。
気分が落ち込んだりハイになったり……。
 
私の場合、『なかなか落ち着かない』と言うのが、実感です。
とは言え、死別8年ともなると、その振れ幅は小さくはなりました。
時間の経過がそう感じさせてくれます。
 
人それぞれだから、『この場合は、こうだ!』なんて言うつもりは毛頭ありません。
でも、同じ死別という体験をして痛みを感じ、受けた感情は共感できます。
なので、様々な想いがあることを尊重します。
死別への想いだけではなく、死別後のココロの動きや感情の起伏もあって当然。
むしろ、そこまで回復し始めていることは再起・再生への一歩だと感じます。
そんな自らの感情とどう付き合っていくかは、個性の出るところだと思います。
 
 
最近のふみさんは、ちょっと無理し過ぎ?
猛暑に頑張り過ぎたかな?
どうか、どうかご自愛下さい。
 
 
 
返信する
そうそう。 (ふみ)
2010-10-10 07:54:28
そうそう。
そういう傷のイメージが一番似ています。

「ぜったい無くならない」
と思う心持ちは、
「無くしたいと思いたくない」
なのかもしれないけどね(^_^;)。

でも、日々傷を確認して悲嘆にくれているわけではないから。
最近は、傷だと思い出すことも、痛むことも少ないよ。

ほんと、同じように病気の死別でも、十人十色・千差万別だわね。

あたしは。
どこかにつれあいが、
「ありがとう」

「なんてひどいやつなんだ」
でもいいから、言葉を遺してくれたら、心持ちは違ったと思う。

彼はどう思っていたのか。
あの闘病は間違っていたのかいないのか。

それがあれば、
「わかった」
って、次に進めたような気がするよ。
返信する
  (管理人♪いわとも)
2010-10-10 22:57:14
 
 
ふみさん>
 
コメント、ありがとう。
 
そうだね、十人十色だね~。
亡くなった原因や状況は違うけれど、我が家の場合も言葉は遺ってません。
突然だったから……。
日記が残っているけれど、7年経過してもまだ全然読めない。
正直に言うと、読むのが怖いのだよ……。
もしかしたら、これからずっと読まないかもしれない。
娘の方が私より早く読むかも知れない。
でも、娘には日記の存在は話していません。
 
次に進めると良いですね、時間がかかっても。
「わかった」ってふみさんの気持ちが切り替わると良いですね。
そう簡単に行かないのは分かってはいるんだが(笑)。
 
 
実は、傷についての私の思い出の続きがもう一つあるんだ。
バイクで転倒し、出血もひどかった……。
事故にあったのは自分のアパートのすぐそば。
でも自分の部屋へ行っても処置する消毒液や包帯なんてないのは分かっていたので、
すぐそばの知り合いの部屋を訪ねたんだ。
その人は、女性。でも、彼女じゃなかった。本当に良い友人でした。
消毒してもらえればそれでいいや~と、傷は酷いが軽い気持ちで訪ねた……。
が、そんな考えは甘かった!
なんと拒否(笑)。部屋に彼氏でもいたのでしょう、玄関先で文字通り「門・前・払い」。
 
その時にさすがの私も気付きましたよ。
『あぁ、この人にとって私の傷は、然程重要ではないのだな~』
『自分が考えている以上には他人は感じないものだ』
『この傷の痛みって、この人には伝わらないんだ』
……などなど。当時はまだまだ若かった(笑)。
今思い出せば良い思い出です。
 
そんな甘酸っぱい(?)思い出があるものだから、死別直後、他人には過度の期待はせず、他愛はないが配慮に欠ける他人の言葉をサラリと(そうでもないか~)往(い)なせました。
死別当初から、『自分の感情を分かるのは、同じ経験をした人』と思ってここまで来ました。
そう、直接助けてもらえなくても、私は共感してもらえればそれで嬉しいのです。
 
どんな形にしても、結論を出すのは自分自身。
ふみさん、納得したら次へ進めるといいね~。

 
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