このところ、ほぼ毎日聴いている曲がある。
それが、コレ ↓ 。
“八神純子/みずいろの雨”
本当に偶然発見し、聴いてみた。
久し振りに音楽を聴いて鳥肌が立った。
昔より上手い。いや、「凄い」だ。
彼女は1958年生まれ・・・・・、ってことは55歳か。
こんな年齢の重ね方があるのだと感動した。
若い方が聴くのと、私が聴くのは、前提条件が違う。
私はデビュー当時を知っているし、その後何があったかもリアルタイムに体験してきた。
だから、なおさら、「凄い!」と感じる。
その凄さの中に「色っぽさ」もあって、良いのだ。
元来、ハスキーな声や特徴的な声が好きだが、こんなにもクリアな声質に反応してしまった。
「参った、やられた」って感じだ。
年齢を重ねても色褪せないというか、色褪せないように努力してきたのだろう。
日々の訓練の賜物なんだね、きっと。
では、翻って自分自身はどうか?
この十年、リハビリ中とは言え、日々の練習を怠り、ダラダラと過ごしてきたと感じる。
やむをえない部分があるにしても、そろそろ鍛えないと身体やココロが劣化しそうで怖い。
いや、もう劣化は始まっているのかもしれない。
(既に始まってることを認めたくない私)
今ならまだ間に合う、きっと。
そして、今夜も聴くのであった。
八神さん渡辺真知子さん、フォークじゃなくて、ニューフォークだっけ?なんだっけ。
ラジオからよく流れていたわー。
懐かしい歌と言えば。
3月かなあ。
BSで、
「きたやまおさむの加藤和彦音楽会」
ってタイトルだったと思うけど、そういう番組があってね。
ザ・フォーククルセダーズのきたやまおさむさんが、3年前に亡くなった加藤和彦さんの追悼音楽会をひらいたようなのよ。
何があったか知らないが、何で自ら死を選んだのか。
しかも、用意周到に。
翌月のコンサートの予定も入れていて。
みんなに、
「加藤和彦は、危ういけど、今は自殺はしないだろう」
と思わせといて。
マンションの荷物は整理してあり。
スタジオはまっさら。
遺書も何通か。
で。
スタジオにあった、たった一つのものは、フォークル解散コンサートの写真なんだって。
奇しくもそれは、きたやまおさむさんが唯一飾ってあるフォークルの写真の、対を為す写真。
きたやまおさむさんは、防げなかった責任を感じているともいい(彼は精神科医)。
きたやまおさむさんが言うんですよ。
加藤和彦は、こんな追悼音楽会なんか、嫌に違いない。
「嫌なんだったら、戻ってこいよ!」
と。
会場は、笑いに包まれる。
そうだそうだ。
嫌なら戻って来い、加藤和彦、って。
涙混じりみたいな、笑い。
何度か、
「怒るんなら、戻ってこいよ、加藤和彦!」
と。
フォークルの歌は、いま聞いても色褪せず、単純だけど力強く、歌詞の想いがひびいて来ました。
ほんと、まだ信じられないから、
「戻ってこいよ」
と。
そういうきたやまおさむさんの想いが切なくて痛くて、思わず、
「若い加藤和彦のように」
というアルバムまで買ってしまいました。
いわともさんの、昔は知らないから何とも言えないけど、この10年くらいは老けてはないと思うよー(^_^)。
見た目は更に、ね(^_-)。
無事に年を重ねられるのは、幸せなことなんだ!
とでも思い込みたいですわ(^_^;)。
こちらは身体の老化が、順調に行われておりますから(^_^;)(^_^;)。
お久しぶり、コメントありがとう。
分かってるけど言ってしまうんだよなぁ~「戻ってこいよ!」って。
かつての職場で、後輩を喪いました。自死でした。
何もできなかった……。
文字通り、無力でした。
悲しみと同時に怒りのような感情も込み上げてきました。
その時に「戻ってこいよ」って強く強く思ったのを思い出しました。
私のことを「老けてない」なんて言って元気付けてくれるのはふみさん位さ(笑)。
サンキュー。
年齢を重ねるって、カッコいいことだと思う。
40歳を過ぎたころから、そんな風に思えるようになったんだ。
このタイミングで、ふみさんからのコメントはありがたい。
プライベートでちょっとあってね(笑)。
次の記事で、行動開始なのだ。