Dr. Jason's blog

IT, Engineering, Energy, Environment and Management

60歳からの精進

2005-02-27 | Education
 今日,中学時代の恩師の個展を見に行った.中学3年のときの担任であり,また結婚の時は仲人をお願いした恩師である.
 恩師は,長年,中学校で美術の教師として教育の現場にたち,教頭,校長までつとめながら,創作活動を続けてきた洋画家である.
 私自身は,元々芸術系は好きで,高校では美術部員だったが,それ以降はほどんど絵を書いていない.しかし,絵は好きで,画集を買ったり,展覧会を見たりはしている.中学卒業から,数年前までは,春,秋と,恩師が所属する団体の展示会を見に上野の都美術館にいっていたが,最近は,時間がとれずに行けないこともあった.
 今日は,手みやげの茶菓子とともに博士論文の資料を持参し,博士の学位取得をご報告して,恩師に大変喜んでいただいた.
 今回,恩師の絵をみて,驚いたことは,(失礼を承知であえて言えば)色彩,タッチ,構図のどの面からみても,明らかに「絵が上手くなった」と感じられたことである.
 校長を定年になってから,この数年は,創作活動だけに集中して精進してこられたことの成果が,はっきりとキャンバスの上に現れていたと思う.
 私が恩師に「色がとても,明るくなりましたね」申しあげたところ,恩師は「肩の力を抜いて,描けるようになってきた」という意味のことをいわれた.
 画家の世界では「40,50歳はまだ若手」という話しは以前から聞いていたが,60半ばにさしかかった恩師の絵のはっきりとした進歩を観たことは,久しぶりに恩師の元気な姿をみたことと併せて,私自身にとって大きな収穫だった.
 やはり,どのような専門分野でも,日々精進し,それを継続することが,もっとも重要であるとが再認識された.私も,65歳になって「自分は上手くなった」と思えるようになることを目標に,努力しよう.
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ITベンチャーは放送局を買収できないのか?

2005-02-24 | Business
 このところ,ニッポン放送の株式を大量に取得したライブドアへの風当たりが強い.
 どうも,テレビ局も新聞社も「自分たちは特別な存在」と考えているようにも見える.
 いつもは歯切れの良い産経新聞の社説もどうも「苦しい答弁」になってるように思う.また,様々なコネクションを利用して,政治家にも自社を弁護するような発言を促しているようにも見える.
 ニューズウィーク日本語版(2005.3.2)のジェームズ・ワーグナー副編集長のコラムでも「...逆に日本では,政府が許可していること以外はしてはいけないと,よく言われる.私がその感を強めたのは,大物政治家が次々にテレビに登場してライブドア批判を繰り広げたときだ.」と指摘されている.ライブドアの堀江社長の大胆な行動が,日本の旧体制の「暗黙の了解」からはずれて「出るくいは打たれる」形にになっていることが,アメリカのビジネスマンからみて奇異に見えるということだろう.
 資本主義の世界で,株式を公開しているということは,単純に大株主には色々な発言権(および付帯する義務)があるというのは,小学生でもわかる理屈のはずである.
 時間外取引でも,それは合法的な普通の売買である.フジテレビがすでにTOBを仕掛けていても,購入資金があってフジテレビのTOB価格よりも少し高い値段で買い注文を出せば,当然だれでも買い付けできたはずだ.
 元々,歴史的な背景から,持ち株会社あるいはオーナー一族の資産管理会社的な性格をもつ,総体的に小さな会社が,より大きな会社の大株主になるような形態で,長い間グループ運営してきたことそのものに問題があることは,明白だと思う.
 問題の表面化の仕方は違うが,グループのガバナンスと株の所有について「ねじれ現象」が発生していたのは,コクドと西武鉄道と大差ないのではないだろうか?ライブドアが仕掛けなくても,他の資金力のあるベンチャー企業が狙っていたと思う.
 一部には,テレビ朝日の株が買い占められたときの教訓が全く生かされていない,つまりフジ-サンケイグループの経営陣の脇が甘いだけだという指摘もある.日本の企業の株価は,その資産や事業の内容からすれば,株式の総評価額が意識的に低めにコントロールされているのではないかと思われる会社がいくつもある.このような会社は,ちょっと気をぬいていると,あっという間に,あまり知られていない会社に事実上買収されてしまう可能性がある.
 米国では,数年前の大手インターネット会社のAOLによる出版・映画の大手タイム・ワーナーグループの買収は失敗だったと考えられている.ライブドアの堀江社長は,ブロードバンドによる高速低価格常時接続が前提となっている現在は当時とは異なる状況であるというヨミのようだ.
 すでに,国内でも,携帯電話によるのECサイトなどを運営している会社が,雑誌や通販の会社を買収して「メディア・ミックス」のシナジー効果を出している例もある.逆に米国では,老舗の新聞社であるニューヨーク・タイムスが,WebのポータルサイトのAbout.com を買収したそうだ.
 私は,個人的には産経新聞もフジサンケイ・ビジネスアイも長年愛読しているが,今回の騒動については,ライブドアにがんばってもらいたいと考えている.
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京都議定書発効 -2005/2/16 新しい出発の日-

2005-02-21 | Environment
 先週,2005/2/16は,色々な意味で長く私の記憶に残ることだろう.この日は,地球温暖化防止のための国際協定である 京都議定書 が,発効した日である.
 もちろん,京都議定書には色々な問題がある.アメリカは批准していないし,インドや中国はノーカウントである.また,日本の地球温暖化防止策は全くうまくいっておらず,すでに,当初目標よりもだいぶ二酸化炭素の排出量は増えていることも,新聞やTVのニュースをにぎわしている.やはり,短期的には,省エネルギー/環境負荷低減の協力者へのインセンティブを十分に考慮した施策,長期的には技術的な戦略が必要であると思う.
 しかし,この議定書の発効は,地球環境に関して,政治的にも社会的にも新しい第一歩であることは間違いないだろう.
 私自身にとっても,2005/2/16は,記念すべき日となった.京都議定書発効の数時間前に,母校の学長室で,博士号の学位記を授与されたのだ.私の学位論文は,二酸化炭素の削減に関わるものであり,その学位授与式の日に京都議定書が発効したことはある種の因縁かもしれなと,友人の研究者にメールしたところ,その友人からは「因縁と言うより、さらに発展させなさい、ということじゃないでしょうか。」と叱咤激励された.
 とにかく,この日を「新しい出発の日」と考えて,次の第一歩をふみだそう.
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知的財産権? -MBAと弁護士達の陰謀-

2005-02-15 | Business
 先般の松下とジャストシステムの係争はちょっとした茶番になっていると思う.
 裁判官がソフトウェアに無知なのに売名のために担当したのか,それともわざとWindowsのAPIには言及しなかったのかは興味のあるところだ.松下も,国内のソフトウェア会社をいじめているヒマがあったら,米国のサブマリン特許や,アジアの新興国での模倣などにもっとエネルギーを割いたほうが良いのではないだろうか?
 知的財産権とは,「特許権,実用新案権,意匠権,商標権の4種の工業所有権に,さらに著作権,トレードシークレット,ノウハウなどを加えたものの総称」とされている.(http://www.furutani.co.jp の用語辞典より引用)しかし,元来,特許/実用新案,意匠/商標,著作権とは,それぞれ全く異なる背景から生まれた社会的メカニズムとそれを守るための法律である.
 そもそも,ソフトウェアが特許の対象に適しているかどうかから見直すべきではないだろうか?すくなくとも,ハードウェアとのインターラクションのない,単独のソフトウェアが,他の発明・発見と同等の意味で,特許をの対象であるという意見には同意できない.
 知的財産権に関係する制度の歴史は古く,特許権は13世紀のイギリスの織物技術特許に,著作権は15世紀のドイツの印刷技術の発達に伴う海賊版防止のための複製権として始まっているといわれている.更に国際条約としては,1883年のパリ条約(特許),および,1886年のベルヌ条約(著作権)がその始まりである.1967年の「世界知的所有権機関」WIPO(World Intellectual Property Organization)の設立をきっかけに,複数の異なる権利が,知的財産権として総合化されといわれている.(http://www.jaeic.or.jp/より引用)
 しかし,ビジネスのネタとして「Intellectual property」を,まとめて扱うように考えたのは,たぶん米国の工学部で学び,そのあとMBAを取ったビジネスマンと弁護士たちであろう.
 米国では,工学や理学の修士をとったあとで,MBAをとったり,ロースクールを出て弁護士になるやつらが沢山いる(そもれも,若手ではなく,キャリア20年の弁護士にそのような経歴のやつが沢山いる)のだ.これに対して,日本の弁護士は文系出身者が多く,たまにいても,最新のソフトウェアやネットワークなどの目に見えない分野には疎い場合が少なくない.敵方の弁護士や判事達は,CやJavaのプログラムを書いたり,Linuxなども使っていたりすると思うと,米国のプロパテント政策にやられっぱなしになっているのも無理もないことかもしれない.
 形ばかりの,ロースクールもどきではなく,ちゃんと理学,工学について修士レベルの学位を取ったものを,優先的に弁護士として育成するような社会的なシステムが必要なのではないだろうか?
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同窓会 -場と暗黙知の共有-

2005-02-07 | Education
 この週末,高校の同窓会があった.卒業して26年目である.
 一昨年,ミニ同窓会の幹事をして,その時「来年は25周年で盛大に!」と宣言したのだが,仕事や研究が忙しくなって,準備が遅れたため,開催が今年にずれ込んでしまった.また,準備不足のため,「盛大に」とはいかず,先生も含めて30名ほどのミニ同窓会となった.しかし,同窓会の時期が当初の予定よりも遅れたお陰で,結果的に,担任だった数学と生物の先生に,博士(工学)の学位取得を報告することができたので,良しとしよう.
 私の通っていた高校はごく普通の都立高校だが,戦前からの伝統と独特の自由な校風の学校であった.当時は,戦前からの超ベテラン,気鋭の中堅,若手と非常に幅広い年齢層で,ユニークな先生方が沢山いた.(私が高校生のころ,当時は都立高校の教員には「定年」がなかったため,戦争をくぐり抜けてきた貴重な経験を持った,校長よりも年上の,ベテランの先生方が現役で教壇にたっていた.)
 同じ高校の先輩で作家になった方がいて,30年近く前の当時の高校の様子を題材にしたエッセイを書いている.実態を知らない読者からみれば空想の中の学校のように思えるかもしれないが,卒業生からみると非常にリアルな記述になっている.これを読むと,あらためて,母校がとてもユニークな環境であったことが実感される.
 そのような場で3年間を過ごした同窓生も,磁性体研究開発ベンチャー企業の役員,大手携帯電話メーカーの開発責任者,大手出版社の編集長,フリーランスのイラストレーター,ライター等多士済々である.
 26年ぶりに会う友人や恩師と違和感なく話しができるのは,やはり,多感な時期に,様々な場面での体験や状況を共有していたことが大きいように思う.単に知識の伝達だけでなく,深いところの「教育」的な効果には,やはり,場の共有とそれによる暗黙知の共有が重要であることが再確認された.
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