11/26の午後は, 情報システム学会 の 2005年研究発表大会 に参加した.
情報システム学会は,今年の春に発足したばかりだ.
『“情報システム”は人間活動を含む社会的なシステムです。豊かな情報空間をもたらします。単なるコンピュータ応用システムではありません。人間の情報行動を支え,発展に寄与するものです。組織活動に柔軟と革命を与えるものです。』
という視点で,情報システムを捉え,
『情報システム学会 (Information Systems Society of Japan) は,人間中心の情報システムを志向し,ビジネス・研究領域の融合や情報システム人材の育成を目的とした学会です。』
という.
コンピュータ科学,情報工学よりも広い範囲をカバーしようとする学会である.
最後のセッションでは,「今後の人材育成について」というパネルディスカッションがあった.
経団連や情報処理サービス企業の業界団体では,アンケートの回答として「即戦力」を求めているということだが,「実際には『即戦力』の中身について,ちゃんと説明できる人事担当者は少ない」「それは『ないものねだり』でもある」という某大手企業の元役員の厳しい指摘もあった.
情報システムの要求仕様や設計,プロジェクトチーム内でのコミュニケーションにおいて,ちゃんとした論理的な構造をもった日本語の読解力,書き方==テクニカルライティング(Technical Writing)の弱さが指摘されていた.
これは,本質的かつ重要な問題であると思う.
2つ気になる議論があった.
その一つ,ある先生が,
情報システムのソフトウェア部分は目に見えない.
情報システムの要求や設計は,言葉(ここでは,もっぱら日本語)で書かれる.
情報システムの設計において,図はほんの一部しか用いられない.
ということを,過度に強調していたことだ.
他の分野で工学的に設計されるもののほとんどは,設計図として表現される.言葉==文章による表記はその補助でしかない.
我々が「情報システム」の設計において,他の「設計を要する分野」のような「設計図」を持てないのは,本当に情報システムが「見えない」からだろうか?
単に,我々の技術が未熟だから,まだ適切な「設計図」を持っていないだけではないだろうか?このことは,長年の私の研究テーマの一つだ.
もう一つは,日本の文化(以心伝心等)と日本語の(単数,複数の扱い等)特徴が,仕様や設計の記述における「論理的な文章」の妨げになっているとの意見だ.
これは,日本文化や日本語の弱点ではない.明らかに,教育の失敗だと思う.
日本語でも,社会科学(特に法学,哲学),自然科学,理工学等の分野の良いお手本を沢山読んで,さらに,ある程度練習すれば,ちゃんと論理的な文章は書けるようになる.
また,ある大学の先生が「情報システムが扱う,個々の業務分野の知識については,そのシステムのユーザすなわち業務担当者にはかなわない」というと,何人かの人から「それは間違った認識である.業務担当者よりも業務ドメインの知識に詳しいSEはいくらでもいる.」「プロなんだから,システムを開発するために必要な業務的専門知識は,情熱をもって,みずから学習できなければならない.」という反論があった.
この,「システムを設計開発するために必要な,新しい業務知識/専門知識を学習する能力」こそ,情報システムの設計者に,まず一番必要な能力かもしれない.
これらの話しは, 10/31 の blog でも取り上げた,「構造把握力」や「継続学習」にもつながってくる.
情報システム学会は,今年の春に発足したばかりだ.
『“情報システム”は人間活動を含む社会的なシステムです。豊かな情報空間をもたらします。単なるコンピュータ応用システムではありません。人間の情報行動を支え,発展に寄与するものです。組織活動に柔軟と革命を与えるものです。』
という視点で,情報システムを捉え,
『情報システム学会 (Information Systems Society of Japan) は,人間中心の情報システムを志向し,ビジネス・研究領域の融合や情報システム人材の育成を目的とした学会です。』
という.
コンピュータ科学,情報工学よりも広い範囲をカバーしようとする学会である.
最後のセッションでは,「今後の人材育成について」というパネルディスカッションがあった.
経団連や情報処理サービス企業の業界団体では,アンケートの回答として「即戦力」を求めているということだが,「実際には『即戦力』の中身について,ちゃんと説明できる人事担当者は少ない」「それは『ないものねだり』でもある」という某大手企業の元役員の厳しい指摘もあった.
情報システムの要求仕様や設計,プロジェクトチーム内でのコミュニケーションにおいて,ちゃんとした論理的な構造をもった日本語の読解力,書き方==テクニカルライティング(Technical Writing)の弱さが指摘されていた.
これは,本質的かつ重要な問題であると思う.
2つ気になる議論があった.
その一つ,ある先生が,
情報システムのソフトウェア部分は目に見えない.
情報システムの要求や設計は,言葉(ここでは,もっぱら日本語)で書かれる.
情報システムの設計において,図はほんの一部しか用いられない.
ということを,過度に強調していたことだ.
他の分野で工学的に設計されるもののほとんどは,設計図として表現される.言葉==文章による表記はその補助でしかない.
我々が「情報システム」の設計において,他の「設計を要する分野」のような「設計図」を持てないのは,本当に情報システムが「見えない」からだろうか?
単に,我々の技術が未熟だから,まだ適切な「設計図」を持っていないだけではないだろうか?このことは,長年の私の研究テーマの一つだ.
もう一つは,日本の文化(以心伝心等)と日本語の(単数,複数の扱い等)特徴が,仕様や設計の記述における「論理的な文章」の妨げになっているとの意見だ.
これは,日本文化や日本語の弱点ではない.明らかに,教育の失敗だと思う.
日本語でも,社会科学(特に法学,哲学),自然科学,理工学等の分野の良いお手本を沢山読んで,さらに,ある程度練習すれば,ちゃんと論理的な文章は書けるようになる.
また,ある大学の先生が「情報システムが扱う,個々の業務分野の知識については,そのシステムのユーザすなわち業務担当者にはかなわない」というと,何人かの人から「それは間違った認識である.業務担当者よりも業務ドメインの知識に詳しいSEはいくらでもいる.」「プロなんだから,システムを開発するために必要な業務的専門知識は,情熱をもって,みずから学習できなければならない.」という反論があった.
この,「システムを設計開発するために必要な,新しい業務知識/専門知識を学習する能力」こそ,情報システムの設計者に,まず一番必要な能力かもしれない.
これらの話しは, 10/31 の blog でも取り上げた,「構造把握力」や「継続学習」にもつながってくる.