ヨーロッパの自動車ジャーナリストの長老であった,ポール・フレール(Paul Frère)先生が,2008.2.23に,91歳で逝去されました.
ここに,フレール先生の長年の自動車業界での業績を讃え,謹んでご冥福をお祈りいたします.
フレール先生は,自動車ジャーナリストであり,また,レーサーとしての実践経験をもち(1956年のF1ペルギーグランプリでは2位,1960年にはル・マン24時間レースで,オリヴィエ・ジャンドビアンとともに優勝),さらに,様々な自動車メーカーのアドバイザーも努めていました.
日本では,一般には,二玄社のカー・グラフィック誌のコラム「From Europe」や「Road Impression」等の記事で知られていました.また,マツダやホンダの,コンサルタントも努めていました.
私は,中学後半から,カー・グラフィックのコラム記事を読むようになって,自動車とレース,ヨーロッパの自動車業界についての基本的なことを学びました.また,フレール先生の著作からも多くを学びました.
高校のときに,一度だけ,英文でクリスマスカードを書いて,返事をもらったことがあるだけで,直接の接点はなにもありません.
しかし,私にとっては,まさに,ポール・フレール先生は「恩師」です.私が多少なりとも自動車に関係する研究で,博士号を取得するにいたった,入門の多くは「ポール・フレール先生から学んだ」と言えます.
長いあいだ,ご指導ありあとうございました.
http://www.webcg.net/WEBCG/news/n0000018409.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・フレール
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Fr%C3%A8re
http://www.honda.co.jp/sportscar/enjoy2/05/
http://www.forumula1.net/2008/f1/f1-news/paul-frere-dies/
http://www.grandprix.com/ns/ns20046.html
http://www.autoblog.com/2008/02/25/rip-paul-frere-1917-2008/
http://www.classicrallies.com/blog/index.php?/archives/1095-Paul-freres-death.html
ここに,フレール先生の長年の自動車業界での業績を讃え,謹んでご冥福をお祈りいたします.
フレール先生は,自動車ジャーナリストであり,また,レーサーとしての実践経験をもち(1956年のF1ペルギーグランプリでは2位,1960年にはル・マン24時間レースで,オリヴィエ・ジャンドビアンとともに優勝),さらに,様々な自動車メーカーのアドバイザーも努めていました.
日本では,一般には,二玄社のカー・グラフィック誌のコラム「From Europe」や「Road Impression」等の記事で知られていました.また,マツダやホンダの,コンサルタントも努めていました.
私は,中学後半から,カー・グラフィックのコラム記事を読むようになって,自動車とレース,ヨーロッパの自動車業界についての基本的なことを学びました.また,フレール先生の著作からも多くを学びました.
高校のときに,一度だけ,英文でクリスマスカードを書いて,返事をもらったことがあるだけで,直接の接点はなにもありません.
しかし,私にとっては,まさに,ポール・フレール先生は「恩師」です.私が多少なりとも自動車に関係する研究で,博士号を取得するにいたった,入門の多くは「ポール・フレール先生から学んだ」と言えます.
長いあいだ,ご指導ありあとうございました.
http://www.webcg.net/WEBCG/news/n0000018409.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・フレール
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Fr%C3%A8re
http://www.honda.co.jp/sportscar/enjoy2/05/
http://www.forumula1.net/2008/f1/f1-news/paul-frere-dies/
http://www.grandprix.com/ns/ns20046.html
http://www.autoblog.com/2008/02/25/rip-paul-frere-1917-2008/
http://www.classicrallies.com/blog/index.php?/archives/1095-Paul-freres-death.html