7 永遠のパズル
雪の女王のお城は、硬い氷と冷たい雪だけでできていました。窓や戸口のガラスは身を切る寒い風でできていました。中にはたくさんの広間があって、みな雪を固めて作ってありました。どの広間も、青いオーロラで照らされて、氷は焼けるように熱く光って見えましたが、それはもうそれ以上冷たくなりようがないほど冷たいのでした。暖かいものなどなにもありません。炎の妖精が躍っているようなあたたかなだんろなどはもちろんのこと、ばら模様の壁紙も、シロクマの文様を織りあげたカーテンなども、狐の貴婦人のお茶会を染め上げたタペストリなどもありませんでした。心を暖めてくれるような素敵なものなどなにもなく、ただひろびろと、がらんとしていて、寒いばかりなのでした。
この広いお城の真ん中の一番広い広間には、大きな湖がありました。もちろんその湖も青く凍っていて、それには縦横無尽に傷を負った兵士の背中のように、割れ目が走っていました。それはなめらかな鏡よりもずっときれいな文様で、見ようによっては花園のようにも見えるのです。雪の女王は、この城にいる時はいつも、この凍った湖の真ん中にある氷の玉座に座っていました。女王はこの湖のことを、「理性の鏡」とよび、これほど素晴らしいものはこの世にないと思っていたのです。
カイは、この女王の傍らに、真っ青な顔をして座っていました。いやその顔は青いというよりもまるで薄黒く見えました。女王がカイに口づけをして、寒さを吸いとってしまったので、カイは寒さも冷たさも感じなくなってしまっていたのです。
カイの手元には、薄い氷の板きれがいくつかあって、カイはそれを並べてパズルを解いていました。その氷の板きれをきれいにならべて、「永遠」という文字を作ろうとしていたのです。
「さあパズルをお解き。そのパズルを解くことができたら、わたしはおまえに、新しい服と雪靴を買ってあげよう。そして世界の支配者にでもしてあげよう」と雪の女王はカイに言いました。心が氷のように冷たくなったカイは、まるでそれを信じ込んで、一生懸命にパズルを解いていたのです。しかし雪の女王は、カイには聞こえない声で、こうも言うのでした。
「それは解いても解いても解き尽くせないパズル。永久凍土のように、決して解けはしない」
そして雪の女王は、かすかに含み笑いをして、一瞬、花をこぼすようなため息を落とし、冷たいまなざしでカイを見つめて、一層カイの心を凍らせるのでした。
「さて、そろそろわたしは、暖かい国にでも行って来よう。少しは大地を凍らせないと、よい葡萄ができないというからね。エトナやヴェスヴィオの真っ黒親父の顔も覗いて来よう。そうしないとあいつらは、始終火の粉や雷を吐き出してたまらないから」
そういうと、雪の女王は、城を出て飛んで行ってしまいました。カイは、たったひとりで、玉座のかたわらで考えこんでいました。分数の計算や三角形の公式などを思い浮かべながら、必死にパズルを解いていました。時には、あと少しで出来上がるかと思うところまで行きましたが、どうしても氷の板の角度や長さが合わず、パズルを解くことができないのでした。
城の中に入ってきたゲルダが、冷たい大広間の戸口をあけて、そこに入ってきたのは、その時でした。ゲルダは、がらんとした氷の広間をいくつもいくつも抜けてきて、とうとう湖と雪の女王の玉座のあるこの広間にたどりつき、カイを見つけたのです。
カイを見るなり、ゲルダは涙をほろほろと落として、カイに走り寄り、カイを抱きしめました。
「カイ、大好きなカイ。とうとう見つけたわ!」
けれども、カイには、ゲルダのその声は聞こえませんでした。悪魔の鏡のかけらが、心臓に入っていたからです。ゲルダはそれでもカイを抱きしめる手をゆるめず、カイに接吻をして、冷たいカイの頬を暖めようとしました。
「あいしているわ。さがしていたのよ。ずっとさがしてきて、やっとみつけたのよ」
そのことばといっしょに、ゲルダの暖かい息が飛び出して、そこから小さなばらがでてきたかと思うと、それはうすべに色のあたたかい小さな天使になりました。そしてその天使は、ゲルダの暖かい涙を、カイの目と胸に運んでいき、悪魔の鏡のかけらを、残らず壊して消してしまいました。そのとたん、カイの目にゲルダの顔が見えました。
「ああ、ゲルダ、大好きなゲルダ。こげ茶色の髪と目がかわいいぼくの愛するゲルダ、なぜ泣いているんだい」
カイの心臓にも暖かい血が脈打ち始め、天使の薔薇が溶け込んで、その心臓に燃える愛を一層引き立てて、燃やしました。するとそのとたん、カイの手から氷の板切れが落ちて、それは永遠のパズルを残らず蹴散らしてしまったのです。カイはそのとき初めて、自分のいるところに気づいて、言いました。
「ああ、ここはなんて寒いんだろう。なんて冷たくて、おそろしいんだろう。ゲルダ、こんなとこは早く出よう。そして、花園のあるぼくたちの家に帰ろう」
そうしてふたりは、手をとりあって城を出、あの赤い実のなる茂みのところまで来ました。するとそこには、あのトナカイが待っていました。トナカイは、隣にもうひとりの友達のトナカイを連れていました。
「まあ、故郷に行ってしまったのではなかったの?」とゲルダは聞きました。するとトナカイは言ったのです。
「一度でも、心を交わした人のことを、忘れることができましょうか。助けてあげたいと思って、友だちを連れて待っていたのです。さあ、ゲルダさんはわたしに乗りなさい。カイさんは、友だちに乗りなさい。故郷の街に連れて行ってあげましょう」
そうしてふたりは、それぞれにトナカイの背に乗って、故郷の街に向かって帰って行ったのです。
ふたりはとちゅう、フィンランドのおばあさんやラップランドのおばあさんに挨拶をしていきました。みな、ゲルダがとうとうカイを見つけたことを、とてもよろこんでくれました。「強い真心を持つ子は、絶対にやり遂げることができるのだ」と、フィンランドのおばあさんは言いました。世話になった盗賊の娘にもあって行きました。盗賊の娘は、カイを見ると、「こんなやつのために、何を一生懸命にがんばる価値があったのかしら」と言いました。するとトナカイはそれをひきとって言いました。「いい人ですから、誤解しないでください。いろいろとわかっていないことが多いのですけど、真心のある人ですから、助けてくれたのです。ただ、わからないことがあると、言いたいことは乱暴にみな言ってしまうのですよ」
ゲルダは、盗賊の娘と再び友情を交し合い、お礼を言いました。盗賊の娘は「あたいも旅に出よう。そして世間を見てくるわ」と言いました。
そしてゲルダとカイは、とうとう故郷に帰ってきたのです。雪と氷は拭われたように世界からなくなっていき、懐かしい街には春が来ていました。
野にも川辺にも花が咲き乱れていました。ゲルダは自分の心を助けてくれた花たちに深くお礼を言いました。花たちはいつの間にか、ゲルダの心の庭に入って来ていて、天使になって自分を守ってくれていたのです。
そうしてとうとう、ゲルダとカイは、花園のあるなつかしい家に帰って来ました。おばあさんは、カイとゲルダに再び会えたことができたのを、とても喜んでいました。そしてゲルダからあったことのすべてを聞くと、言ってくれたのです。
「そうとも、愛と真心を、こどものように純真な心で信じるものは、いつも神様が見てくれているものなのだよ。本当の永遠は、ここにあるのだよ。さあおいで、美しい神様の話をしてあげよう」
カイとゲルダは、二人並んで、手をつないで、おばあさんの話を聞きました。
季節は春の真っ盛り、そとでは小鳥と一緒に、ばらが歌っていました。
(おわり)
雪の女王のお城は、硬い氷と冷たい雪だけでできていました。窓や戸口のガラスは身を切る寒い風でできていました。中にはたくさんの広間があって、みな雪を固めて作ってありました。どの広間も、青いオーロラで照らされて、氷は焼けるように熱く光って見えましたが、それはもうそれ以上冷たくなりようがないほど冷たいのでした。暖かいものなどなにもありません。炎の妖精が躍っているようなあたたかなだんろなどはもちろんのこと、ばら模様の壁紙も、シロクマの文様を織りあげたカーテンなども、狐の貴婦人のお茶会を染め上げたタペストリなどもありませんでした。心を暖めてくれるような素敵なものなどなにもなく、ただひろびろと、がらんとしていて、寒いばかりなのでした。
この広いお城の真ん中の一番広い広間には、大きな湖がありました。もちろんその湖も青く凍っていて、それには縦横無尽に傷を負った兵士の背中のように、割れ目が走っていました。それはなめらかな鏡よりもずっときれいな文様で、見ようによっては花園のようにも見えるのです。雪の女王は、この城にいる時はいつも、この凍った湖の真ん中にある氷の玉座に座っていました。女王はこの湖のことを、「理性の鏡」とよび、これほど素晴らしいものはこの世にないと思っていたのです。
カイは、この女王の傍らに、真っ青な顔をして座っていました。いやその顔は青いというよりもまるで薄黒く見えました。女王がカイに口づけをして、寒さを吸いとってしまったので、カイは寒さも冷たさも感じなくなってしまっていたのです。
カイの手元には、薄い氷の板きれがいくつかあって、カイはそれを並べてパズルを解いていました。その氷の板きれをきれいにならべて、「永遠」という文字を作ろうとしていたのです。
「さあパズルをお解き。そのパズルを解くことができたら、わたしはおまえに、新しい服と雪靴を買ってあげよう。そして世界の支配者にでもしてあげよう」と雪の女王はカイに言いました。心が氷のように冷たくなったカイは、まるでそれを信じ込んで、一生懸命にパズルを解いていたのです。しかし雪の女王は、カイには聞こえない声で、こうも言うのでした。
「それは解いても解いても解き尽くせないパズル。永久凍土のように、決して解けはしない」
そして雪の女王は、かすかに含み笑いをして、一瞬、花をこぼすようなため息を落とし、冷たいまなざしでカイを見つめて、一層カイの心を凍らせるのでした。
「さて、そろそろわたしは、暖かい国にでも行って来よう。少しは大地を凍らせないと、よい葡萄ができないというからね。エトナやヴェスヴィオの真っ黒親父の顔も覗いて来よう。そうしないとあいつらは、始終火の粉や雷を吐き出してたまらないから」
そういうと、雪の女王は、城を出て飛んで行ってしまいました。カイは、たったひとりで、玉座のかたわらで考えこんでいました。分数の計算や三角形の公式などを思い浮かべながら、必死にパズルを解いていました。時には、あと少しで出来上がるかと思うところまで行きましたが、どうしても氷の板の角度や長さが合わず、パズルを解くことができないのでした。
城の中に入ってきたゲルダが、冷たい大広間の戸口をあけて、そこに入ってきたのは、その時でした。ゲルダは、がらんとした氷の広間をいくつもいくつも抜けてきて、とうとう湖と雪の女王の玉座のあるこの広間にたどりつき、カイを見つけたのです。
カイを見るなり、ゲルダは涙をほろほろと落として、カイに走り寄り、カイを抱きしめました。
「カイ、大好きなカイ。とうとう見つけたわ!」
けれども、カイには、ゲルダのその声は聞こえませんでした。悪魔の鏡のかけらが、心臓に入っていたからです。ゲルダはそれでもカイを抱きしめる手をゆるめず、カイに接吻をして、冷たいカイの頬を暖めようとしました。
「あいしているわ。さがしていたのよ。ずっとさがしてきて、やっとみつけたのよ」
そのことばといっしょに、ゲルダの暖かい息が飛び出して、そこから小さなばらがでてきたかと思うと、それはうすべに色のあたたかい小さな天使になりました。そしてその天使は、ゲルダの暖かい涙を、カイの目と胸に運んでいき、悪魔の鏡のかけらを、残らず壊して消してしまいました。そのとたん、カイの目にゲルダの顔が見えました。
「ああ、ゲルダ、大好きなゲルダ。こげ茶色の髪と目がかわいいぼくの愛するゲルダ、なぜ泣いているんだい」
カイの心臓にも暖かい血が脈打ち始め、天使の薔薇が溶け込んで、その心臓に燃える愛を一層引き立てて、燃やしました。するとそのとたん、カイの手から氷の板切れが落ちて、それは永遠のパズルを残らず蹴散らしてしまったのです。カイはそのとき初めて、自分のいるところに気づいて、言いました。
「ああ、ここはなんて寒いんだろう。なんて冷たくて、おそろしいんだろう。ゲルダ、こんなとこは早く出よう。そして、花園のあるぼくたちの家に帰ろう」
そうしてふたりは、手をとりあって城を出、あの赤い実のなる茂みのところまで来ました。するとそこには、あのトナカイが待っていました。トナカイは、隣にもうひとりの友達のトナカイを連れていました。
「まあ、故郷に行ってしまったのではなかったの?」とゲルダは聞きました。するとトナカイは言ったのです。
「一度でも、心を交わした人のことを、忘れることができましょうか。助けてあげたいと思って、友だちを連れて待っていたのです。さあ、ゲルダさんはわたしに乗りなさい。カイさんは、友だちに乗りなさい。故郷の街に連れて行ってあげましょう」
そうしてふたりは、それぞれにトナカイの背に乗って、故郷の街に向かって帰って行ったのです。
ふたりはとちゅう、フィンランドのおばあさんやラップランドのおばあさんに挨拶をしていきました。みな、ゲルダがとうとうカイを見つけたことを、とてもよろこんでくれました。「強い真心を持つ子は、絶対にやり遂げることができるのだ」と、フィンランドのおばあさんは言いました。世話になった盗賊の娘にもあって行きました。盗賊の娘は、カイを見ると、「こんなやつのために、何を一生懸命にがんばる価値があったのかしら」と言いました。するとトナカイはそれをひきとって言いました。「いい人ですから、誤解しないでください。いろいろとわかっていないことが多いのですけど、真心のある人ですから、助けてくれたのです。ただ、わからないことがあると、言いたいことは乱暴にみな言ってしまうのですよ」
ゲルダは、盗賊の娘と再び友情を交し合い、お礼を言いました。盗賊の娘は「あたいも旅に出よう。そして世間を見てくるわ」と言いました。
そしてゲルダとカイは、とうとう故郷に帰ってきたのです。雪と氷は拭われたように世界からなくなっていき、懐かしい街には春が来ていました。
野にも川辺にも花が咲き乱れていました。ゲルダは自分の心を助けてくれた花たちに深くお礼を言いました。花たちはいつの間にか、ゲルダの心の庭に入って来ていて、天使になって自分を守ってくれていたのです。
そうしてとうとう、ゲルダとカイは、花園のあるなつかしい家に帰って来ました。おばあさんは、カイとゲルダに再び会えたことができたのを、とても喜んでいました。そしてゲルダからあったことのすべてを聞くと、言ってくれたのです。
「そうとも、愛と真心を、こどものように純真な心で信じるものは、いつも神様が見てくれているものなのだよ。本当の永遠は、ここにあるのだよ。さあおいで、美しい神様の話をしてあげよう」
カイとゲルダは、二人並んで、手をつないで、おばあさんの話を聞きました。
季節は春の真っ盛り、そとでは小鳥と一緒に、ばらが歌っていました。
(おわり)