クリスマスにふさわしい絵と言ったらこれでしょうね。
美しい聖母マリアが、幼子イエスをかかえている。それをたくさんの人が称えている。
このように、天使の母親が信仰の対象となったのは、マリアだけです。イエスを産んだというだけで、かのじょは女神に等しい扱いを受けています。それはなぜかというと、イエスの人生が本当にひどかったからです。
自分というものに苦しんでいた人間は、イエスの美しさに嫉妬したのです。見栄えはさえないおじさんでしたが、彼は言うこととすることが実に美しかった。優しく、とても立派な男だったのです。悪いことなど何もしなかった。
ただそれだけのことが、当時の人間たちはいやだったのです。自分はつまらないことですぐにつまずいて、とてもくだらないことや、馬鹿みたいなことばかりしているからです。影に回れば平気で悪いこともしていた。
自分と言うものは、そんな自分の姿を常に見て知っている。馬鹿なことをやりながら、同時にその自分をさげすんでいる自分も自分の中にいるのです。
だから、イエスがいやでたまらなかった。すばらしいことを教えてくれるし、いいことばかりしてくれるとてもいい男だったのに。本当は愛していたのに。自分が嫌だったから。だから狂ったようにみんなで暴力をふるって殺してしまったのです。
それがあまりにひどかったから。人間は彼を失ってから、彼の人生をとびきり美しくするために、彼の生まれた日の神話をこしらえ、その生母を神の位に押し上げたのです。
そうでもして、イエスの人生を真っ白にきれいにすれば、自分のしたことも真っ白になるかと思ったのでしょう。
だがそんなことで、自分のやったことをごまかせはしない。何も変わりはしない。
感性の進化した目で、もう一度2000年前の自分を振り返ってみましょう。イエスの殺害に参加しなかった人も、誰も彼を助けなかったということで、罪を共有しているのです。
なぜ人類は彼を見捨てたのか。
そろそろ、2000年間放っておいた宿題に、手をつけましょう。