Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

セカンドシリーズまでの心の道のり

2014-03-19 19:35:02 | エッセイ
身体面において、特に最近2~3年の練習は現状維持の意味合いが大きくなってきた。
アシュタンガヨガに出会った当初の飛躍的な肉体の変化はひと段落つき、ここしばらくは一進一退の日々。小さな変化を見落とさぬよう注意深く観察しなければ、とうの昔にマンネリ化していたんじゃないかと思う。

今年に入って週に1~2回セカンドシリーズの練習も取り入れるようにした。クラスやワークショップでやったことのある比較的難易度の低いアーサナを追加。その理由にはマンネリ化防止もあるが、もちろん向上心もある。自主練が中心だからか、いくつかのアーサナは頭打ちの状態が長く続いている。これをどうにかしたいという思いが募り、次第にセカンドシリーズへの羨望を膨らませていた。

その背景には、クラスで一緒だった人が、セカンドシリーズを始めたところファーストシリーズのアーサナが更に深まったことを話してくれたことがある。セカンドシリーズのおかげで、行き詰まり感のあったファーストシリーズのアーサナに道が開けたという体験。確かに、ウルドゥバダヌールアーサナ(車輪のポーズ。後屈)の後に行なうパスチモッターナアーサナ(座位の前屈)が心なしか深まるように感じるのは、彼女の体験談にある作用のひとつと言えるだろう。
そして、彼女の話を補うように、師匠が「ファーストシリーズは前屈を中心に構成されているので、ファーストシリーズのみを延々とやっていると身体が偏る」と言っていたのも、昨年はよく思い出していたのだった。
「君もそろそろセカンドを始めなさい」と師匠にせっつかれていたのだが、私がのらりくらりとしている間にシャラの閉鎖と移転でセカンドシリーズを始めるタイミングを逃してしまった。

現在通っている若先生のクラスには初心者が入れ替わり立ち替わり参加するため、なかなかセカンドシリーズの練習まで漕ぎ着けることができない。時間借りしているスタジオの方針なので致し方ない。が、正直に言うと、そのために物足りなさを感じてしまうことは儘ある。かと言って、自分の停滞感をその所為にするのはいかがなものかと一応の葛藤を抱くあたり、私も少しは大人になった。誰かのせいとか、環境のせいとか、自分の外に因縁をつけても自分の中の本質は報われない。それでも燻りを抑えきれないのは、もはや人間らしさであり、人間的成長の余地だと思い直すことにして、結局はつべこべ言わずに出来ることをやるしかない。セカンドシリーズもそう。


現状に妥協せず、焦ることもせず。
このちょうど間でバランスを取る心の駆け引きが実はなかなか面白い。


ナマステ&シャローム
Nozomi


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