ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

M.エンデ「遠い旅路の目的地」

2007-12-11 21:35:47 | 雑文
だが、「思い出」という言葉が何を意味するというのか。意識は思い出の上に築き上げられるが、それはなんと弱々しいことか。今、話した、読んだ、おこなったことは、次の瞬間にはすでにもう現実でない。それはただ記憶の中に存在するにすぎない──人生そのもの、いや、この世界全体がそうなのだ。現実と呼べるものは、それをとらえようとするときには、すでに過ぎ去った無限小の現在にすぎない。私たちは、今朝、いや一時間前、ほんの一瞬前に出現したのかもしれなに、ただ三十年、百年、千年間のでき上がった記憶を持って出現したのかもしれない。確かにはわからないのだ。思い出とは何か、それはどこから来るのか、それを知らないかぎり、確かなことはわからない。しかし、もしそうならば、時間とは時を知らぬ世界を意識が知覚するかたちにほかならないのなら、近い将来や遠い将来に体験することの思い出があって、なぜいけないのか?
(M.エンデ「遠い旅路の目的地」、岩波書店発行「自由の牢獄」に収録)

普通は、誰でも「故郷」というものを心の中にもっている。エンデは、この小説において、「故郷」というものをまったく知らない主人公シリルを造形し、「故郷」を求める放浪の旅に出かけさせる。この旅の途中で無名の画家の「遠い旅路の目的地」と題する一枚の絵と出会う。シリルは理由なしに、なぜかこの絵の中に自分の「故郷」を感じ、この絵が描く「目的地」を探し求める旅に出かける。その主人公の心の中の「思いで」についての一節である。わけのわからない故郷というものに対する憧憬、それが「思い出」という言葉で表現されている。

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1 コメント

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人生は思い出である (加藤 治)
2007-12-12 10:45:35
自分の人生は何だったのかということを考えると、他人とは決して共有できない思い出の連続になります。結局、人生とは完全に固有の思い出を創りあげることではないかとも考えます。
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