ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

M.エンデ作「ポロメオ・コルミの通廊」(「自由の牢獄」)

2007-12-12 19:42:56 | 雑文
わたしたちを取り巻くすべての長さや体積や重さや、時間が瞬間に、半分になっても、わたしたちはそれに気が付かないであろう。わたしたちの生活を成り立たせている「数値化できるもの」が、一瞬に10分の1に縮小しても、誰も気が付かないであろう。1メートルは世界中どこに行っても1メートルであり、それは絶対普遍の数値であると、思いこんでいる。実は、わたしたちの世界は、その「思いこみ」によって、スムーズに営まれている。
しかし、1メートルが1メートルであることを証明する規準は、この世界に属する1メートルのものである。従って、すべてのものが瞬間に10分の1になるということは、その計量器も10分の1になることで、それは何の証明にもならない。
このおかしさをテーマにした作品が、M.エンデの「ポロメオ・コルミの通廊」(「自由の牢獄」収録)である。「モモ」という作品において、「数値化された時間」を問うたエンデはこの作品において「数値化された空間」を問う。
今、日本では「夏時間」の採用ということが話題にされている。アメリカでは既に夏時間制度が採用されている。何でもアメリカに追随すればいいと思っている人びとの考えそうなことである。実際、証券取引ということでは、1時間のズレというものはかなり大きな影響を与えるのだろう。
関西から九州に来て、先ず感じることは、日の出と日没の時間のズレである。もうここに来て半年以上立っているが、このズレにはなかなか慣れない。とにかく、朝、明るくなるのが遅い。太陽が昇るスピードが遅いのではない。出てくるのが遅いのである。寝坊な息子をたたき起こしたくなる感じである。しかし、これは遅いと感じるわたしたちの方が「おかしい」のであって、九州の人たちにすればそれが普通のことである。東京に住んでいる人間が、夏時間を論じるなら、九州や北海道に住んでいる人びとの意見も聞いて欲しい。

最新の画像もっと見る