ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/31

2015-11-02 08:29:47 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。水巻町の「十字架の塔」墓参。『日本の知識人』続読。鴎外、漱石、荷風の西洋体験の対比が面白い。昼寝1時間。夜、「世界の村で発見」を見て10時に就寝。6時起床。体調・快調。チュン、チュン。
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Chieko Shinbuchi 文屋先生のいつも規則正しい生活と旺盛な知識欲に本当に感心させられます。このままだと100歳はすぐ来るような気がします。私たちのお手本にさせてください。

東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 少し寒いですが、爽やかな朝です。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ、穏やかなよい一日となりますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。


文屋 善明さんが新しい写真3枚を追加しました
10月31日 6:15 ·
お目覚めの花。「?!?」「不思議な花。あなたは花ですよね?」「花から花が咲いている!」「花の概念を変えなくっちゃ」。
文屋 善明さんの写真

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Chieko Shinbuchi
Chieko Shinbuchi 本当に不思議な花ですね。でも花の概念を変えなくっちゃとまでは思いませんでした。思考が柔軟なんですね。文屋先生は。


文屋 善明
10月31日 6:53 · 編集済み ·
2015日々の聖句 10月31日(土)
わたしの魂よ、再び安らうがよい。主はお前に報いてくださる。(詩116:7)
あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。(マタイ6:8)
私の黙想:
私が私の魂に呼びかけている。「再び安らうがよい」と。一体、何があったというのだろうか。ここで「私」と「私の魂」との関係を論じても何も生まれたない。まさに自己確認である。私の中で私自身に語り掛け、自己を確認している。語りかけている「私」は私自身であり、語りかけられている「私」は神との関わりにおける「内なる私」である。現実の私は現実に振り回されてフラフラしてその歩みも定かではない。しかし「内なる私」は私の不動の一点である。私は私の人生において何度「わたしの魂よ、再び安らうがよい」と語りかけたことだろう。口語訳ではこれを「お前の平安に帰るがよい」と訳している。フランシスコ会訳では「安らぎに戻れ」。新改訳は激しい「お前の全きいこいに戻れ」。それぞれ面白い。「内なる私」から、お前の歩き方を見ていたら、ハラハラして、昼寝なんかしておれないよ」という声が聞こえてくるような気がする。「後もう少しですから、よろしく頼みます」と返事をしておこう。
今日は宗教改革日記念日だ。世界のキリスト教の歩みを見ていて、天の神もさぞハラハラして居られることだろう。
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門叶 国泰 「神との拘りに於ける内なる私」はいいですね。もう一寸やわらげて「神との関わりにおける」とすると、「あなたの安らぎ」に「神の安らぎ」が見えてきます。カルヴァンに一言、言いたくなりました。


文屋 善明
10月31日 8:24 · 編集済み ·
今日の名言:@gorohani
「ファシズムは、短い記憶と長い舌をもっている」という言葉がある。この言葉は、今の日本の政府にぴったりであろう。短い記憶とは、都合の悪い過去の残酷な記憶はすぐに忘れてしまうということだ。長い舌とは、言葉たくみに国民をだましつづけるということだ。(羽仁五郎)
<一言>いや、間違いなく仁先生はどこかに甦って、今の日本を見ておられる。
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Chieko Shinbuchi 羽仁先生、文屋先生、お二人の素晴らしいお言葉に感謝いたします。

播 稔 すばらしい言葉ですね。


文屋 善明
10月31日 8:49 · 編集済み ·
今日の「折々のことば」。この言葉は折り目正しく、まさに正論であり、反論の余地がない。しかし、これには後半がある。
「いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、心得たるどち、片端言ひ交し、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ずある事なり」(徒然草第78段)。こちらの方はかなり強烈で、ドキッとさせる。意味は、不慣れな人がいる際に、現場の人間には馴染みの作業や物の名前を、知っている者同士が通称で呼び、目配せをして笑い合い、その意味がわからない者を不安な気持ちにさせるのは、世の中の仕組みが分かっていないバカタレがやりそうなことである。テレビなど見ていると、ときどきこう言う馬鹿なタレントやアナウンサーがいて腹が立つ。場所を弁えろ。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=916374825106646&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

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清水 行雄 おはようございます。古文で読みづらいのですが、最近徒然草好きになりました。

水草 修治 齢のせいです。

清水 行雄 水草先生、これはいい傾向でしょうか?

水草 修治 あ、失礼しました。もう一人のおもしろ友達の同姓の方と間違えてコメントしました。
 傾向としてよいか悪いかはわからないですが、段々そんなふうになりますねえ。「最近の若いもんは・・」なんて思いませんか?

清水 行雄 最近の若いもんはとは思いませんが、いかに時代が変わろうと、変わらない真実もあるんだなあって、最近は思うことが多いですね。

水草 修治 なるほど。


文屋 善明
10月31日 9:29 ·
「昨日のツイート 10/29 世界の大学の授業料事情」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP
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文屋 善明さんがThe Mind Unleashedさんの写真をシェアしました。
10月31日 10:53 ·
本当に、人間って変な被造物。
The Mind Unleashedさんの写真

https://www.facebook.com/TheMindUnleashed/photos/a.434569209933563.103142.432632306793920/1049906835066461/?type=3&theater

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播 稔 だから、リサイクルは大切なのです。


文屋 善明
10月31日 11:35 ·
感動的な話。ぜひ、読んでください。色々なことを考えさせられます。

「レベルの低い小学校の授業なんて何の役にも立たない!」と発言した母親に対して、塾講師が論じた言葉
ここ近年、教育に過敏になりすぎて、偏った方針で子供に接する親が非常に増えています。
TREND-IZUMI.COM

http://trend-izumi.com/post-5196/

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萩野 秀子 ありがとうございます。確かに学校は成長の為に色々な行事を消化するのに必死で結果的にプリントで終わらすケースも少なくないです。また有名進学校は予備校化されており、ミッションスクールでも蹴落とし合いです。社会が学歴を求めているからだと思います。

長谷 礼子 · 共通の友達: 片柳 弘史さん
生徒は休み時間や行事が好きです。それが学校だと思います♪現役中学校教師

文屋 善明 家庭で愛されている子供は勉強するために学校に来るが、そうでない子供は愛されるために学校に来ている。

長谷 礼子 · 共通の友達: 片柳 弘史さん
おっしゃる通りです。

文屋 善明 私のもう一つの投稿の翻訳です。原文はそちらの方でご覧下さい。

Ikumi Mineo 教育が必要なのは親だと思うことがあります。

文屋 善明 この話、小学校の先生が話したら、感動話にはならない。なぜなら、彼らはその小学校の役割をほとんど果たしていないから。

亀岡 聡 · 共通の友達: 宇都宮 けんじさん、他2人
お気持ちはわかりますが、そう言ってしまうと身も蓋もない感じがします(^_^;)
学校の教師が一人残らずどうしようもない存在でもありますまい。
なかには心痛めつつ技量が未熟で悪い結果を生んでいるという例もありましょうし。
その事に目をつむれとは言いません。結果に対する責任は問われて然るべきですから。ただ、最初から性悪説的存在と言い切ってしまうのもどうかなと思うものですから、駄言を連ねました。

文屋 善明 ありがとうございます。その通りですね。ただ、問題は教師一人ひとりの問題ではなく、組織としての学校教育が問題なのです。

亀岡 聡 · 共通の友達: 嶋津 雅彦さん、他2人
その視点からの指摘でしたら同感するところ多、であります(^o^;)

文屋 善明 現在の公教育の体制では良心的な教師が不当な圧力を受けているケースが少なくありません。むしろ、個別的な問題なら、上のケースの場合の塾の教師が何故小学校の教師ではないのかということを問いたいと思います。

亀岡 聡 · 共通の友達: 高遠 菜穂子さん、他2人
ありがとうございます。
久しく公教育のあり方について考えることが無かったので。
また、折々自分なりに考えてみようと思います。

亀岡 聡 · 共通の友達: 宇都宮 けんじさん、他2人
シェアさせていただきましょう(^-^)

秋山 茂 いっぱいのかけそばのような説教くささぷんぷんの話ですね。この講師の子供や、家庭の実際がぜひみてみたい。


文屋 善明さんがWeAreTeachersさんの写真をシェアしました。
10月31日 11:38 ·
そうなんです。学校は勉強だけではないんです。
WeAreTeachersさんの写真

https://www.facebook.com/WeAreTeachers/photos/a.10150774463388708.469877.93919173707/10153737564073708/?type=3&theater

Some days really drive this home.


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文屋 善明さんがDeccan Chronicleさんの動画をシェアしました。
10月31日 11:47 ·
聞くだけで満足!

再生392,201回
Deccan Chronicleさんが新しい動画をアップロードしましたいいね!
10月29日 22:00 ·
VIDEO | AMAZING: Are you an AR Rahman fan? If yes, then you'll love this version of Dil Se performed by the choir from Berklee College of Music, Boston.

https://www.facebook.com/yoshiaki.bunya


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岡 輝美さん、藤木 冨士子さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他11人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
10月31日 17:23 ·
小田実『日本の知識人』読書メモ
日本の知識人にとっての「思想の場」と「生活の場」
すくなくともこれまでのところ日本の近代化の驚ろくべきスピードには、「思想の場」と「生活の場」の入れこ細工、そのあいだの自由交通があずかって力あったのだろう。むろん、そのゆがみに対しても同じことが言えるに違いないのだが、まず近代化しなければどうしようもないという絶対命題の下では、それはむしろ必然の運命であった。インドにはその入れこ細工、自由交通がなかった。また今もってないということは、長い眼で見ればともかく、現在においては、ことを近代化にかぎって言えばマイナスに働いていることを、私たちは認めるベきであろう。ネルーは、今日のインドの悲劇は、とにかく走らなければならぬことだということを述ベたことがあるそうだが、それを今日までの日本の知識人の姿に当てはめてみれぱ(実際、彼らも走って来たのだ)、「思想の場」と「生活の場」をあわただしく駆け抜けて来たことにほかならないのである。 「思想の場」に執着することを、 周囲の状況が彼らに許さなかったということも、 多分にあったにちがいないのだ。
もっとも「思想の場」に執着しないことは、根本的には国民性の間題であろう。ここでは、宗教も諭理や倫理の偉大な体系をうちたてることよりも、たとえば日常的な美意識と結びつき(中世の浄土観)、あるいは「生活の場」の儀式となって(今日の仏教)、「非合理なれどわれ信ず」といったふうな強烈な態度はついに生まれなかったと言えるだろう。 日本の宗教の世界にただようものは、 無常感に典型的に見られるように、様式化された絶望、悲哀の一形式である。これは宗教性の稀薄を生み出し、その稀薄はまた近代化の急速な達成に大きな役割を果す。
「思想の場」と「生活の場」とが入れこになって、たがいにあいおぎなっているとき、もし、「生活の場」が身分制度によって固定していたり、それを強力な一つの価値原理が支配していたり、あるいはまた文明上、文化上の理由によって画一化されているとき、「思想の場」も固定化、権威主義化、画一 化するだろう。前の二つが維新前の日本の知識人の状態であり (封建的身分制度と武士階級の価値原理)、あとの二つが維新後、敗戦までの状態(天皇制をその頂点とした価値原理、それにつけ加えて、近代化の進展とともに次第に力をまして来た社会の画一主義的傾向)、そして今日の状況は、主として最後者の状態であるととらえることができよう。
(中略)
こうした精神構造は、さっきからくり返し述べて来ているように、ある点では、近代化の急速な進展に大きな役割をはたしたと言えよう。こちらに強固な論理体系がないこと、あるいはそれをくみたてる習慣なり伝統なり態度なりがないことは、西洋の論理体系を自分の体内にくみ入れることに役立ったのだが、その場合でも、無制限、無限定にくみ入れたのではない。「自分に必要なものをとる」、「よいものをとる」という二つの原理は、この場合にも働いていた。それは、つまり日本の近代化にとって必要なものだけをとり入れるということだが、たとえぱその西洋の論理体系をとり入れるにあたっても、近代化にとって不要なものは容赦なく切捨てられて行ったのである。いや、言い方を正確にしょう、故意に、あるいは無意識的に、不要なものと世の指導者によって判断されたものを切り捨てて行ったと言ったほうがよい。「平等」という観念はある程度入ったが、その「平等」を実生活で、支える「契約」の観念はほとんど入らなかった。そして前者は、「神の前での平等」というのに似た、「天皇という絶対者の前での平等」という考え方の形成に役立ったようだ。
知識人が「判断者」でないとすれば、彼を「非知識人」から区別するのは、「知識の集積」だということになる。世間も自分自身も、その方向だけから評価する。私をときどき驚かせるのは、知識人だとふつう一般にみなされている人が、何かものごとを判断するとなると、横丁の八つつぁん、熊さんと同じような判断を下すことである。念のために言っておくが、私は八っつぁん、熊さんの判断のほうが価値が低いと言っているのではない。そこに知識人らしい片麟も見られない、いい意味でもわるい意味でも、素朴な判断が下されるということである。つまりその判断は自分の知識に結びついていないで、 「生活の場」の体験や信念だけによりどこるを求め~、他人に伝達するために不可欠な論理的解明を欠いているのだ。 「生活の場L」が固定化、権威主義化」 画一化されるとき、体験も信念も同じ運命をたどり、判断もそのあとに従う。
近代化は、そして、そのための「技術」教育は、知識人を「判断者」の位置からともすれば引き離そうとするのだが、実際、それは、日本の知識人のその素地の上で大きな実をむすぶことができた。近代化の急速な達成には、思考の権威主義、画一化が必要なのだが、日本人の精神構造はよくその要請にこたえたものだと言えるだろう。知識の種類、集積の程度においては各人各様だが(戦後のマス状況はそれさえを画一化する傾向をもつ)、判断おいてはみんな同じ。これは支配者にとって都合のいい構造であるにちがいない(戦後の状況の一つの特徴は、判断に種類と程度の差ができて来たことだろう)。(174頁)
体験的知識の軽視
実際の体験から得られたものは、それが誰か権威者の手によって、それもたぶん西洋の権威者の手によって「書かれた」ものとならないかぎり、どのように貴重な知識であり思想であろうと、ほとんど問題にされないのだ (しかし、 い ったん 「生活の場」に入り込めば、 そこではたとえぱ~、農民の実際の体験に弱く、今度は、それを不当に高く評価するきらいをもつ。 それでいて、それが一つの思想というかたちにまでたかめられたとき、逆に認めようとしない)。 知識とか思想とかは、あくまで「書かれた」ものでなくてはならない、それ、~西洋の権威者の手によって「書かれた」ものでなくてはならない——それは、たとえば桑原氏がこれまでくり返し指摘して来たことだし、また京都大学人文科学研究所による若い探険家の一団が、新鮮なおどろきを日本の社会にあたえたことで逆にうかがい知ることができるものだろう。(桑原氏はたとえばつぎのように書く。 アジア・アフリカについての日本の学界の理解があまりにも現実離れしていると述ベたあとで、「このようなことはなぜ起るのか、おそらく、日本の学者は左派も右派も文献学者であって、その発想の源は、多くの場合、西洋学者の本の中にあるが、たまたまそれらの名著に書いてないからであろう。慎重に読めば、大宅壮一、丸山静雄、梅沢忠夫、小田実などの文章の中には、 一貫した学説にはなっていないとしても、 その萌芽たりうベき微妙で深い洞察が見出されるのだが、日本の専門家は、そうした『非学術書』を参考文献とすることを拒否することから学問的出発をするようである。『植民地の独立』 にはくわしい文献目録がついているが、これらの人々の名はまったく出ていない」(『後進国問題の考え方』)。(177頁)
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中野 芳夫 和魂洋才なんでしょうね。


文屋 善明さんがおっちゃん、おばちゃんのゆるゆる倶楽部さんの写真をシェアしました。
10月31日 17:49 ·
なんまいだー、なんまいだー。
おっちゃん、おばちゃんのゆるゆる倶楽部さんの写真

https://www.facebook.com/ojiobaclub/photos/a.238832482921215.1073741828.234636273340836/604007009737092/?type=3&theater

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播 稔 これは良い。 先進国でも、ナンバー制は無い国、廃止する国もあるのだが。


文屋 善明さんがおっちゃん、おばちゃんのゆるゆる倶楽部さんの写真をシェアしました。
10月31日 17:54 ·
成る程、納得。
おっちゃん、おばちゃんのゆるゆる倶楽部さんの写真

https://www.facebook.com/ojiobaclub/photos/a.238832482921215.1073741828.234636273340836/603715193099607/?type=3&theater

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林 巌雄さん、佐藤 静代さん、藤木 冨士子さん、他41人が「いいね!」と言っています。
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清水 晴好 四国民は動じないのだろうか?

藤木 冨士子 座布団進呈。


文屋 善明
10月31日 19:05 ·
貴重な資料

マルチンルター生涯の思想信仰
 決定的決裂  ワルトブルクで  再び改革運動の渦中へ  深刻な危機  熱狂主義との対決  農民戦争の中で
JELC.OR.JP

http://www.jelc.or.jp/lutherstory/index.html

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佐藤 静代さん、藤木 冨士子さん、岡 輝美さん、他21人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明さんがDavid Wolfeさんの写真をシェアしました。
10月31日 19:11 · 編集済み ·
これは難しい。直訳ではダメですよ。私も考え中。
David Wolfeさんの写真

https://www.facebook.com/DavidAvocadoWolfe/photos/a.10150364951666512.342374.102515706511/10153063631366512/?type=3&theater

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奥野 卓司さん、藤木 冨士子さん、Yoshinobu Toboさん、他27人が「いいね!」と言っています。
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Daniel Corl life をどう訳すかキーポイントですね。

文屋 善明 私はカギはmindの方だと思います。

Daniel Corl ネガティブ思考は決してポジティブな〇〇につながらない。

文屋 善明 「弱気な人は」、あるいは「弱気では」、何もうまく行かない、とか。

伊藤 利行 くじけた心は人生を開かない

文屋 善明 うーむ、一寸原文から離れすぎな感じもするが、これも良い訳ですね。

文屋 善明 そこが「翻訳」の難しいところですね。

伊藤 利行 そうですね。

糸原 由美子 物事を否定的に受け取るあ

文屋 善明 negativeやpositiveという単語の守備範囲は、日本語よりかなり広い。

糸原 由美子 だから、最近はネガティブとかポジティブとかいうほうが通じたりしますね。

文屋 善明 そうです。しかし、それでは「翻訳」にならないでしょうね。それが分かる人なら、翻訳する必要がない訳です。

糸原 由美子 はい、おっしゃるとおりです。しかしながら、翻訳できないニュアンスっていっぱいありますね。メンタリティの相違でしょうか。

文屋 善明 当然です。翻訳は近似値であることは普通のことです。従って、学術的に重要な文章の場合は「原文」に当たるのは当然のことです。

糸原 由美子 手が滑りました、受け取る人は前向きに生きられないよ、ってのはどうでしょう。

文屋 善明 しかしnegativeとpositiveはセットになっている言葉ですから、「前向き」というなら「後ろ向き」とセットにする必要があるでしょうね。「後ろを向いていたら前には進めませんよ」とか。

糸原 由美子 それもそうですね。ただ、後ろ向きってのもちょっと、という感じがしますが。なにごとにも でもしかし、っていうとか。

三浦 三千春 「ものごと悪うに言うても、ええことは生まれません」

文屋 善明 一寸ズレましたが、方向はそういうことでしょう。

井澤常和 「生活は心の表れ」は如何でしょう?先輩!
かなりの意訳です。
明日は市岡高校生物部の26期の先輩方の集まりに、27期の私ものこのこと顔を出します。
顧問だった5期生のO先生も80歳超えているのに参加してくださいます!

文屋 善明 逆から攻めてきましたね。そうか、あなたは市岡ですか。私は8期ですが、O先生?知りませんね。誰でしょう。水野先生かな?家内は小倉先生だろうとのこ。彼女も市岡出身。

井澤常和 はい、漢字は違いますがオグラ先生です。今は亡きワシントニアを校舎の前に植えた先生です。3階を超えるまで成長していた、あのデカイ、ヤシ科の植物です。
水野先生は故金子先生の退官の集いで約150人が集まった時にお目にかかりました。
「市岡高校生物部OB会」で検索すると小椋先生が綺麗な風景写真を掲載しておられるサイトがあります。私も数年に一度投稿しています。

文屋 善明 そうそう小倉ではなく小椋でしたね。私と家内も、小椋先輩とはおなじ町で育ちました。

井澤常和 今日、小椋先生に文屋さんのことをお伝えしましたら、喜んでおられました。
先ほどFBに写真入りで投稿しました。
良かったらご覧ください。

平野 宏 「否定的な思いからは、決して肯定的な生き方は生まれない。」

文屋 善明 これは直球でなかなか早いですね。ど真ん中ストライク!

文屋 善明 「直訳はダメですよ」と書きましたが、ダメじゃありませんでした。降参です。

平野 宏 positiveとnegativeの対比を生かそうとすると、どうしてもこうなってしまいます。

文屋 善明 的の中心を射貫いた感じですね。

文屋 善明 ただ、難点は「否定的な思い」という場合に「何に対して否定的」なのかが、読む人によって変わってくると言うことでしょうか。原文のnegativeには自分自身に対する否定的という意味が感じられるのですが。「俺はダメなんだという思い」。

文屋 善明 これが外に向かっての否定ということになると、与党が野党に対する批判的な言表になってしまう恐れがあります。

平野 宏 「自信がなければ、積極的に生きられない。」というのはいかがでしょうか。

文屋 善明 いや、やはりあなたの最初の訳が一番良いでしょう。

門叶 国泰 続きがあるのでは? A positive mind will not necessarily give you a positive life.」「能天気の方がいい、というわけではないけどさ」

文屋 善明 positiveの多義性を上手く使った名文ですね。「無茶したからって巧く行くわけじゃないよ」。

門叶 国泰 元気だからいいって訳でもないさ。足や腰の痛さを抱えながら、明日の糧を気にしながら生きるのだって、結構「生きがい」になるのだから。

文屋 善明 「生きがい」ときましたか。「結構楽しいよ」でもいけますね。

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