ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/12

2013-04-13 06:12:57 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。晴れたり、雨が降ったり、強風で変な天気。外出せず。『国家論』を続読。第4章「国家と神」はバルトの『ロマ書講解』が扱われる、ということで大いに期待して読んだ。私の手元にある翻訳は吉村善夫の訳でかなり古く、引用箇所を一々確認しながら読んだので、かなり時間がかかった。内容は期待した程ではなかった。北朝鮮は未だ動かず。11時に就寝、6時半起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 06:25:47

今日の名言:RT @Iwanamishoten:
諸君,謀叛を恐れてはならぬ.謀叛人を恐れてはならぬ.自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ.新しいものは常に謀叛である。(徳冨健次郎『謀叛論』)
<一言>徳富蘆花の本名。いかにも同志社人らしい文学者。これぞホンモノのジャーナリスト。
posted at 07:09:09

「昨日のツイート 04/11」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/0d3568c3655fdc8beed63ed5273a939…
posted at 09:44:54

文屋 善明
23時間前
日々の聖句2013 04月12日(金)
わたしは、彼らの間に一つのしるしをおき、彼らの中から生き残った者を諸国に遣わす。彼らはわたしの栄光を国々に伝える。(イザ66:19)
イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)
私の黙想:
全世界に宣べ伝えられる べき神。「わたしたちの神」は「世界の神」。宗教(わたしたちの信仰)による世界制覇。この発想の正当性と危険性。マイゴッドが部分的な神であるということに耐えられない。これは当然の心情。宗教における寛容性とは何か。わたしだけが救われたらいいということに基づく寛容性。キリスト者は、他人の救済に無関心でおれるのか。バルトは「われわれはわれわれの信仰を他人に要求しない」と言う。その意味は?
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松浦 裕介さん、野間 悦三さん、春木 孝之さん、他28人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 寛容と遠慮を思う! 他人とは?!
23時間前 · いいね!

文屋 善明 寛容のアントニム、遠慮のアントニム。不寛容、無遠慮。不寛容の究極は相手の殲滅。無遠慮の究極は図々しさ。図々しさとは、相手の存在をあたかも存在しないかのように振る舞うこと。そこから見えてくる、寛容と遠慮との差異。寛容とは相手の存在を承認すること。遠慮とは相手の思いを尊重し遠くから眺めている態度。こと、救済という事柄において寛容と遠慮との差異は有効か。

平位 全一 · バルトは、要求することはしなくても、勧めること、証しすることはしましたでしょう! 神学書を書く事自体が、そのような行為ではないでしょうか?

門叶 国泰 具体的に、(諸国民などという大きなことではなく)家庭内伝道に思いを馳せています。子供たちには配偶者がおり、配偶者には夫々の家族がおります。伝道とは、背中を見せることだけか、最後の伝道は死の時か、証しとは!

文屋 善明 日本にはいろいろなバルティアンがいます桑田秀延、菅円吉、滝川克己、井上良雄、小川圭治等々、それぞれが自分流のバルティアンで、ここにもう一人、佐藤優が登場したというわけです。わたしは若い頃からバルトには魅力を感じながら、バルトには距離を保って来ました。といって、ブルンナーも好きになれず、修士論文ではティリッヒを取り上げました。という訳でどうしても「哲学的、普遍的立場」を取ってきました。

文屋 善明 門叶さん、日本人にとってキリスト教とは「個人主義」のテキストであり、キリスト教に接することによって「家」から独立したという経緯がありますからね。日本のキリスト者にとって宗教とは個人のものという意識があります。

二上 英朗 まことに、イエスさまが「家庭に剣をもたらした」は真実ですね。ユダヤの2000年前においても。まして、現代の日本においてもや。

Akira Ueda Licht und Kraftは「生き残ったもの」が少数であることを前提に、しかしそのロウソクの炎のように小さなものが世界を照らす、と言っています。

大岩 正己 そんな時代でしたね。ぼくは個人的には、R. ニーバーに引かれましたね。

石井 良則 おおむかしは一家、一村?

文屋 善明 そういう状況の下でキリスト教が入っていくためには、「個人主義的信仰」を強調せざるを得なかったのだと思います。しかし、旧約聖書にせよ、新約聖書にせよ、欧米の教会にせよ、キリスト教はほとんど常に「家庭の宗教」あるいは種族の宗教として機能していたのだと思います。そこが、どうしても日本における宣教がもう一歩踏み込むためのエネルギーが不足する原因だと思います。

文屋 善明さんが善養寺 ススムさんの写真をシェアしました。
そのことに国民もやっと気づき始めましたね。でも、まだ頑なに知らん顔をしている人がいます。
「そうだ、そうだ!」と思ったらシェアしてください。

この後に及んで「電気が足らなくなる《かもしれない》」「日本の産業がたちいかなくなる《かもしれない》」という《かもしれない》に踊らされて、原発が必要《かもしれない》と思っているひとがた~~~~~~くさんいますが!

原発問題は《偽装されたエネルギー問題》にすぎません。
大飯も必死に再稼働するのは、電力供給ではなく税金
目当てですよね?

原発止めたら「電力4社が倒産する」そうですが、それには増え続ける核のゴミという負の資産は計上されていません。税金でやればいいからという考えです。
税金で発電して、税金で処理して、これが会社なのか?

原発問題はエネルギー問題ではありません!

Satoshi Tanakaさん、望月 克仁さん、服部 弘一郎さん、他14人が「いいね!」と言っています。

木下 豊 文屋さん、みなさん、ありがとうございます。

石井 良則 電気代が上がらないようにしてほしいんですが。

文屋 善明
久しぶりに天神に行ってきました。何故か、天神はいつものような賑わいはありませんでした。天神のジュンク堂で話題の村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)を買って来ました。また、勉強する時間がなくなります。現在読書中の『国家論』の最後の部分を読み上げたら、竹下節子の『無神論』は先延ばしです。 (写真7枚)

松浦 裕介さん、渡邊 宣博さん、Hirata Makotoさん、他25人が「いいね!」と言っています。

寺田 由志子 天神‼ 懐かしい地名です。いつも賑やかな街ですが、どうしたことでしょう。

木下 海龍 天神ですか!! 懐かしい街ですね。下関教会に二年間いました。その折に車で、または電車で出かけました。気にかけた映画を観たり、ブルーノートで鈴木重子のライブを見聞したり、本屋に立ち寄ったり、食事をしたり、西鉄ホテルのバーカウンターに腰かけたり。楽しい街の記憶がよみがえりますね。

大津 博子 天神・・
・・懐かしい・・随分前に4ヶ月くらい出張したことがあるです。警護っていうところに住んでいました。楽しかったなぁ・・

文屋 善明 天神界隈では「警固」というところが一番大きく変化しています。

大津 博子 あ、「警固」でしたね!(^^;
そこにマンションの一室を借りて頂いて、歩いて天神の職場まで通っていました。
すっごくオシャレでマニアックな方が多い街でした・・。屋台も、東京の屋台とは全く違っていて・・とっても面白かったなぁ。また行ってみたいところの一つです。

文屋 善明
天神に出たついでに、岩田屋で「探検・九州」という美味しいものフェアをしているというので除いてきました。会場をあちらこちら人混みをかき分け、いわゆる試食品を可能な限り爪楊枝で味見をして歩き、最後に、昼食用に「天草大王のとりめし」と夕食用に「佐賀牛弁当」を一つづつ買い帰宅しました。「天草大王」は二人で一つで満腹でした。それもそのはず、試食品で半分ぐらい満腹していましたからね。それと、もう一つ、どうしても理解出来ないことは、探検・九州フェアなのに、大阪の「551の豚まん」が店を出しており、3重に行列が出来る賑わいでした。なんでやろ、わからへん。 (写真8枚)

松浦 裕介さん、Hirata Makotoさん、松井 貴志さん、他22人が「いいね!」と言っています。

黒田 聖司 なんでやろ(^^;) 天草は父方の故郷です。大阪でも九州物産展があれば買って食べてみたいです。

文屋 善明 正直言うたら、ビールか焼酎の試飲ができたら、最高やったんだけんどなぁ。

黒田 聖司 試飲まであれば、ワタシなら閉店までいますね。(^_^)

文屋 善明 自宅から天神までマイカーで行っていましたから、そんなサービスがあったらフラストレーションはピークに達するでしょうが。

黒田 聖司 なくて良かったですね。

文屋 善明 のどとハートは別ですね。

文屋 善明
佐藤優『国家論』読了。終章の2結語、呆れるほど陳腐な結論。しかし、結語(結論ではない)が陳腐なのは仕方がないことであろう。「だからこそキリスト教神学的な議論、キリスト教的な国家論は、現在の日本の社会を強化するために有効なのです」と著者は言い、「だから、結論をいうと、社会が強くならないといけない」と言う。
しかし、それにもかかわらず、この書は一読の値打ちはある。無理にバルト神学と結び付けなくても、民族、社会、国家というそれぞれ成立の過程の異なる機構の結びつきについての整理は非常に重要で、その点では卓越した議論が展開されている。考えてみると、これまでに、少なくともわたしは、このような分析と整理をしてこなかったということについて反省させられる。

松浦 裕介さん、森分 望さん、濱 和弘さん、他21人が「いいね!」と言っています。

水草 修治 そうですか。佐藤さんの本は今まで何冊か読みましたが、これはまだなので読んでみます。

<補遺>特になし。

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