ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 11/13

2016-11-15 08:24:31 | ツイッター
お早うございます。主の平和。昨日は午前10時に家を出て、福岡の唐人町へ。陶友祭の後、山本夫妻に「みのしま商店街」を案内して頂いた。古き良き時代の雰囲気を残した商店街。帰宅したのは午後5時。夕食後、写真の整理と、陶友祭の観想を格。見るべき番組もないので9時半に就寝。1時間ほど寝て、痰がひどすぎて龍角散を飲んだり、白湯を飲んだりでやっとおさまり就寝。熟睡。5時半起床。体温:35.6、血圧(143:76:77)・体調・快調、チュン、チュン。

31 木下 海龍さん、東山 富昭さん、他29人
コメント

村田 多鶴子 おはようございます~♪
先生ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられますようにとお祈り致します。
主日礼拝が祝されますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。次男の幼児祝福式、礼拝です。祝された時となりますようにお祈りします。

藤木 冨士子 おはようございます。


文屋 善明
11月13日 6:03 ·
お目覚めの花。「今日は聖霊降臨後第26主日、ローズンゲンでは終末前主日だ。要するに次の日曜日は終末主日だぞという日である」「つまり終末に備えよという警告の主日だ」「実は重要なのは『終末』ではなく、『終末への備え』だ。このことを心にとめて今日の主日と今週を過ごそう」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外、自然

27 東山 富昭さん、松井 信一さん、他25人


文屋 善明
11月13日 6:28 ·
016 日々の聖句 11月13日(日)
わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために。(列王下19:34)
神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。(2テモテ2:19)
私の黙想:
今日の聖句は、アッシリアが北のエルサレム王国を滅ぼし、その足で(ついでに)南のユダ王国にまで手を伸ばしてきたとき、それを畏れたヒゼキア王が預言者イザヤに相談した。その時のヤハウェの託宣である。この言葉で「わたし自らのために」という言葉が光っている。ヤハウェがユダ王国を守る。アッシリアは矢を放つこともない。「主はアッシリアの王についてこう言われる。彼がこの都に入城することはない。またそこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない。彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない、と主は言われる」(32~33節)。そんなことがあるはずが無い。しかしそれが事実となった。今日の聖句は、このことは「(あなたのためにするのではない。)わたし自らのためにするのだ」。北も南も同じ兄弟民族なのに、なぜ、北のイスラエル国は滅ぼされたのか。北と南、どちらが兄でどちらが弟なのか分からない。その後のイスラエル民族の歴史は、この謎を抱えたまま、答えのないまま続く。
人間の歴史は根元の部分で「一つの謎」をもっている。カインとアベル。何故カインの供え物は拒絶され、アベルの供え物をヤハウェは受け入れられたのか。しかも、そのアベルはカインによって殺された。その後の人類の歴史はこの謎を抱えたままである(創世記4章)。実は人類史はアダムとエヴァから始まったというより、カインとアベルから始まったと言うべきであろう。歴史観と言い、歴史学という。結局、人間の学問ではこの謎は解明されない。このことを今日の聖句では、ただ一言「わたし自らのために」という。

25 東山 富昭さん、藤木 冨士子さん、他23人
コメント

門叶 国泰 同じ時間に、同じ箇所を読み、同じ所に引っかかっている;いつものことながら、不思議なものですね。

文屋 善明 同じ「血」を感じますね。23日が楽しみです。

門叶 国泰 わたしは、相当変わっている、のでしょうね。否、少しはまともな点がある、と考えなければ「牧師」に失礼ですね。

文屋 善明 お互いに「相当に変わっている」のでしょう。「変わっていて、バンザイ」。


文屋 善明
11月13日 6:35 ·
今日の名言:@simoneweil_bot
創造。善はこなごなにされて、悪の中にばらまかれている。(シモーヌ・ヴェイユ)
<一言>創造以来、人類の歴史はこんなものだという。善がない訳ではない。ある。必ずある。善がなければ悪もないことになる。悪があれば必ず善もある。しかし、その善は悪の中にばらまかれているという。この善を一つ一つ拾いあげて、つなぎ合わせ、善の固まりを作る、これが人間に託された使命だという、ヴェイユは言っているような気がする。

28 植村 光郎さん、濱 和弘さん、他26人

村田 多鶴子 文屋先生、笑顔がとても素敵です~♪(^^♪

文屋 善明 プロフィール写真、自撮りはダメだという友人が撮ってくれました。家内は、これが良いと言っています。

藤井 衞 これが一番自然な表情だと思います。

櫻井啓子 セイコウ会のドンからいきなり福の神に変身ですね。(笑)

文屋 善明 普段着のままで失礼します。

文屋 知明 まさに、母(文屋房子)の顔やね、特に目の辺りがそっくり❗💖今までで、一番いい顔や💕これが、アニキの心の底にある顔だ💞😄👴

文屋 善明 じゃ、葬式用だね。葬式はなしのつもりなのに。

藤木 冨士子 笑ってる~(^o^)v
口をへの字にしてるのも味があってよかったですけど、その写真とは別人です。

糸原 由美子 大変柔和な笑顔ですね。昔はこのような笑顔見たことなかった!

糸原 由美子 よくみたら、けいちゃんのこんな笑顔見てた!

文屋 善明 弟は母親ソックリと言うし、若い日のGFは息子とソックリだと言うし、どっちやねん。

糸原 由美子 どっちも、なんでしょうね!え、私GFに格上げ?

文屋 善明 GF御就任おめでとうございます。今さら別れられへんやんか。

望月 克仁 なんと柔和な。素晴らしいお顔ですネーいやいや、写真ではなくて、土台がよいという意味です。失礼。

文屋 善明 誰か、菅原謙治そっくりね、と言ってくれる人は居ないのかな。若い頃はそう言われたものなんだけど、そうか、そもそも菅原謙治を知っている人は居ないのか。

藤木 冨士子 知ってますけど、似てますか?遠くから見たら似てるかも(笑)すいません、遠慮なく言うて。

文屋 善明 菅原謙治が80歳になれば、こんな顔になる。

藤木 冨士子 彼はまだ生きたはりますか?

藤木 冨士子 調べたら、1999年に死んだはりました。73歳でした。

辻本 昌弘 穏やかで、しかも目の輝きを失っていない、素敵なプロフィール写真です。これは聖書信仰の賜物でしょうか?それとも、ご自身の現在の生活が祝福された、とても幸福なものであるとの証でしょうか?私の記憶に残っている約30年前の文屋先生といえば、多少の毒舌家でもあり、この人の前では嘘をついてもすぐに見破られる鋭い人だとの印象がありましたが、こんな優しい目をした方だとは気づきませんでした。

有澤 慎一 先生、ステキな笑顔ですね!

水草 修治 前の怖いのよりもずっといいです。

増野 真美 いい写真ですね~❤これがいい と思います❗

大脇 友弘 いいカメラマンに出会いましたね!
あはは(^o^)/

文屋 善明 その通り。カメラも良かった。

佐藤 静代 先生、菅原謙治に似ておられると夫が言ってます。私は彼の名前は知っていますが、顔の記憶がおぼろです。

佐藤 静代 先生、夫が似ておられるよ、と言ってます。私は菅原謙治さんの顔がおぼろです。この写真素敵です。

加藤 佑三 先生、お会いした事ないんですが、良過ぎでは無いですか。とうやったらこんなに明るくて、楽しそうで、穏やかで、優しそうな、健康そのものの写真が撮れるのですか。およそ「聖職者」には見えません。

文屋 善明 正直に言いましょう。この写真は私、キリスト教の牧師とカメラマン、根っからのホンモノの共産主義者との合作です。私はもう「聖職者」卒業です。

植村 光郎 優しい好いお爺さん。笑顔の素晴らしさ!

水草 修治 タバコライオンのおじさんですか。

文屋 善明 「タバコライオン」?

水草 修治 そういう歯磨きがあって、菅原謙治さんがコマーシャルをしていました。私の子ども時代のことです。


文屋 善明
11月13日 16:30 ·
今日は八幡聖オーガスチン教会の朝の礼拝に出席し、オーガニストが不在だったので久し振りにオルガンを弾きました。聖研で「姦淫の女」を取り上げて、新約聖書の正典結集及び決定のプロセスを語りました。何故、「姦淫の女」の物語が正典決定のプロセスと関係があるのかということは、お任せします。ついでに、日本聖書協会発行の『共同訳聖書』と『新共同訳聖書』との関係について余談として語り、現在『新・新共同訳』の準備中のことにも触れておきました。
画像に含まれている可能性があるもの:テーブル、室内

50 増野 真美さん、岡本真知子さん、他48人
コメント

文屋 善明 予備練習なしのいきなりの聖歌伴奏でしたので、第1節は手探りでしたが、2節3節と進むうちに、自然に指が動くようになりました。足踏オルガンは久しぶりでかなり足が疲れました。足のリハビリには良さそうです。

Mizota Michael Satoshi 古くていい教会ですね。

文屋 善明 昔の聖公会の聖堂そのままです。チャンセルとネイブ(会衆席)の間にはスクリーンの名残もありますが、今ではスクリーンの前で分餐しています。説教台(プルピット)と使徒書台とがありますが、現在では説教台は位置が高すぎるので使われていません。


文屋 善明
11月13日 16:47 ·
陶友代表の大脇さんが、陶友祭における発題の原稿を送ってくださいましたので、全文をご紹介させて頂きます。
陶友祭:相模原事件を考えるリレートーク
(昨日はちょっと感きわまって涙が、(^_^;)今日は…?)
                 2016年11月13日
「かけがえのない生命~~共に生きる社会を〜」(大脇 友弘)
 陶友祭にお越しいただきありがとうございます。
陶友開所以来、陶友祭は、①仲間たちが楽しく誇りをもって働く姿を知っていただき、その成果を発表し販売を促進し仲間たちの給料を稼ぐ、そして②地域の人たちとの相互理解・交流を深めることを目的に取り組んできました。
今年は、そのテーマを「いっしょに 生きよう 働こう~みんなちがって みんないい」としました。
それは、あの相模原事件の容疑者が突き付けた問題を正面から受け止め、あの言動を押し倒しでも上手投げでもしてやっつけて、答えを出さなければならないからです。いわば、「障害者は不幸を作り出す存在だから祭りなど楽しむ場合かよ!」と刃を向けてきたわけですから。
祭りには暗い重い話だというご批判もありますが、ここを避けては陶友祭そのものの意味がなくなると考えています。どうぞ、ご理解いただき、耳を傾けてほしいと思います。
さて、この7月29日、相模原市の障害者施設やまゆり園で、入所者19人の命が奪われ27人が重軽傷を負った悲惨な事件から3か月半になろうとしています。改めて、犠牲者のご冥福と、負傷された方の回復をお祈りします。
この事件は、容疑者が施設の元職員だったことも衝撃を大きくしました。
後ほど仲間達にも話をしてもらいますが、いくつかの感想を紹介します。
「いなくなればいいといわれても、自分たちは生きていかないかん。好きで障害者になったわけじゃない。元職員やったらそんなことはせんはず、犯人は許せない」(鹿)
「障害者をバカにしている、自分がされたらどうか考えてほしい。」(樋)
「障害者は色々できないこともあるけど、なんで殺されたかわからない」(有)
「悪いことしてないのにかわいそう、許せない!」(濱)
「障害者は人の手助けがあって幸せになれる。普通の人とあんまり変わりない。きちんと理解してくれる人を職員にしてほしい。」(本)
「元職員がなぜってびっくりした。他の職員からのけ者扱いされて悔しくて?国の偉い人たちも、障害者はいなくなればいいと思っているのかしら?」(小)
「障害者にも生きる権利はある、しかし、それが不幸だととらえられてしまった。犯人に相談する人がいれば、考え直しができたかもしれない」(山)
・・・などなどです。
「障害者は生きていても無駄」「不幸を作るだけ」と言い放った容疑者は、反省や謝罪どころか、「障害者はいなくなるのが社会のため」と言ったまま、来年1月ぐらいまでの予定で、精神鑑定を受けているそうです。
私はこの事件を、常軌を逸した特異な人間の犯行と片づけてはならないだろうと思います。
 彼は、「「ナチスの思想が降りてきた」と語り、「目標は重度障害者が安楽死できる世界」と衆院議長に手紙を出していました。
人の命に優劣をつける「優生思想」は、断じて許してはならない。これが、基本的な立場です。
私たちは、去年の陶友祭で「戦後70年、戦争と障害者の歴史」を振り返り、あのナチスが600万人にも及ぶユダヤ人の大虐殺に先んじ、障害者を「生きるに値しない命」として「安楽死」と称して8万人もガス室に送り込んだ、ナチスがその政策をやめてからも精神科医たちが「自主的に」さらに12万人も、計20万人もの障害者たちを虐殺したと言う事実、「T4作戦」のことを知りました。
優生思想が独裁国家の政策となり、「断種法」に始まり、人種の優劣や、兵隊や労働に役立たないものを大量に虐殺した、その歴史でした。
それはドイツに限らず、日本でも、つい20年前まで優生保護法により、遺伝性疾患や精神障害のある人々への不妊手術が行われていた事実があります。旧優生保護法第1条は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する・・・ことを目的とする」とされていました。
こうした優生思想は、人類の進歩とともに徐々に克服してきたが、経済危機や格差の広がる社会の中で次第に頭をもたげてきているのではないでしょうか。
かつて石原慎太郎氏は、都知事時代に重度の障害児を「ああいう人に人格あるのかね」と発言した。また去年、茨城県教委の女性委員が、「こういう子は出生前になんとかならなかったのか、茨城県の障害者はもっと減らせたのではないか」と述べ、麻生副総理は、高齢者に「いつまで生きていくつもりなんだ」と言い放ってます。
市場原理・競争原理一辺倒の日本社会では、格差や貧困を「努力が足りない」と自己責任に帰し、重い障害者は邪魔であり厄介であるとして、障害者施策などの社会保障を「国のお荷物」扱いにするそんな社会の空気と政策があるのではないでしょうか。
「命よりもお金」、経済効率優先、障害者には金がかかる…、労働生産性と経済的価値で人間の優劣が図られる社会。障害者のみならず、労働能力が低いと見なされれば切り捨てられる社会、こんな社会はだれもが生きづらく、不安に感じるのではないでしょうか。
こう考えると、刃が向けられたのは重度障害者だけではないのではないということです。
事件の全貌はまだ解明されてはいません。政府の「検証委員会」では、措置入院後のフォローと福祉施設のセキュリティーや犯罪への厳罰化に議論が終始している。「危ない」精神障害者の強制入院・隔離施策は偏見を助長する危険こそあれ何の解決にもなりません。
政治のリーダーは、真っ先に「みんな平等に生きる権利がある、弱者を差別してはいけない。障害のある人もない人も、私たち一人一人が大切な存在。差別や格差のない、ともに生きられる社会を創ろう」というメッセージを発するべきだと思います。しかし、安倍総理はこの事件について、一言も公式な発言をしていません。
「国の偉い人たちも、障害者はいなくなればいいと思っているのかしら?」と、仲間が言わざるを得ないのは悲しいことです。
障害者権利条約は、「障害を理由とする差別のない社会、障害の有無にかかわらず共に生きる社会」の実現をうたっています。
遺伝学的には、70兆分の1の確率で生まれるという人間の生命、脳と神経系につかさどられた高度な生命体は、どこかがちょっと傷つけば障害を負わざるを得ない、常に障害のリスクと隣り合わせに生きる命なのです。障害は私たち(人類)の一部なのだ。障害者を排除し否定することは、人間そのものを否定することに他ならないと思います。
仲間たちが「人間関係が悪く、信じられる人がいなかったのでは…」「犯人に相談する人がいれば、考え直しができたかもしれない」と言いました。
容疑者を弁護するわけではないが、ある意味では、分断され孤立した社会にあって、彼もまた孤独な犠牲者なのかもしれません。
「障害があるから不幸な存在などではない」と断言したいし、仲間たちの今日の姿をご覧いただければご理解いただけると思います。しかし残念ながら、障害ゆえに不幸な生き方を強いられる社会でもあります。ならば、その社会をどう変えるのか、そのことこそが私たちに求められているのではないでしょうか。
差別がはびこる社会の底辺には無知と無関心が横たわっています。
事件が私たち一人一人に突き付けた、「人間と社会のありよう」について、一緒に考える機会になることを期待して報告を終わります。
■人のことを、不幸だとか役にたたないだとか決めつけないでください!(仲間H)
僕はこの事件のことを知って、「サイアクだ」と思いました。
なぜかと言えば、「障害者は不幸だ」とか「役にたたない」と決めつけるからです。僕は、人に決めつけられるのがイヤです。
「自分がされたらどうか?」、元職員がなんでそんなことしたかわかりません。
これから人生があるのに、親もかなしむと思いました。
そんな人が、夜、自分の住むグループホームに来たらマジこわいです。
中学校の時は、数学や英語の時間に、「お前はわからんから絵でも書いておきなさい!」って先生に言われました。わかるように教えてもらいたかったのに、差別されるのはイヤです。
「僕は知的障害がある」というと、「え?どういうこと?」と聞かれます。
「小学校3年生ぐらいのことしかわからん」と言うと、友達に「え、同じやん!みんなむずかしいことはわからん!」って言われます。
僕はひかり作業所に来てミシンの仕事をがんばり、それから陶友に来て、食品班でリヤカーはんばいや売上計算や色々がんばっています。
去年の中学の同窓会で、「変わったね。成長したね」と友だちに言われて、とてもうれしかったです。
 これからもがんばって、就職ができて結婚できればいいなあと思っています。
■好きで障害者になったわけじゃない!(仲間K)
ぼくは、元職員だったらそんなことはせんと思うし、犯人はゆるせないとおもいました。
障害者はおらんでもいいと言われても、すきで障害者になったわけじゃないし、自分たちは生きていかないかんけん、こまります。
 障害者の人もいろいろあって、目がわるい人も、耳がわるい人も、同じ人間やし、いっしょうけんめい生きているから、さべつしたらいかんと思います。
 ぼくは、養護学校の中学部をそつぎょうして、いろいろはたらきましたが、「バカが!」とか「のろい!」とかおこられて、いやになってやめました。障害者をバカにせんでほしいとおもいます。
 陶友にきて、今はだれもバカにしないし、みんなといっしょに仕事して、たのしいです。
リヤカーはんばいでお客さんとおしゃべりするのが大好きで、リヤカーを引きながら死んでもいいとおもっています。
これからも、体に気を付けてがんばります。
■生まれてきてくれてありがとう。(親K)
昭和51年11月9日に娘が生まれて来るまで、私の人生は揚々たるものでした。何不自由なく育ち、幸福な結婚、長男にも恵まれました。娘の誕生一ヶ月でダウン症の診断が下され,「なんで私だけ!」と言う気持ちでいっぱいでした。
 当時千葉に住んでおり、保健所から国立国府大病院を紹介されました。そこには、全国ダウン症児の親の会の本部があり、金曜日にはダウン症児だけの診断日が設けられていました。同じようなダウン症児がたくさん来ており、一喜一憂しながら「私だけじゃないんだ」と、ホッとした思いがありました。
 娘を育てる中で大事にしたことの一つは、挨拶をちゃんとするということ。そうすれば向こうからも声おかけてくれるし見守ってくれます。二つ目は、可能性を親が摘み取らないということ。小さい時から字を書くのが好きだった娘のために、小学6年の時に、5人のお母さんたちと書道教室を立ち上げました。それから28年間、週1回の教室をほとんど休んだことがありません。上手にならなくてもいい、続けることが大事だと思ってきましたが、親のひいき目にも上手になりました。娘は、「ずっとやめない!」が口癖です。
 ある日仕事から帰ってくると、娘が、ダウン症児が出ているテレビを真剣に観ていました。耳が聞こえずしゃべれない、やっと歩くことができるようぬなった3歳ぐらいの子ども・・・。そんな子がダウン症と思ったのでしょう、娘は私の顔を見て、「私、ダウン症じゃないよ!」と言いました。本人は障害があるとは思ってないんです。この生活が娘にとっては当たり前で普通のことなのです。
「世界に一つだけの花」と言う歌に「ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン」と言う歌詞がありますが、障害も個性なんだと実感しました。
 陶友に通いだして22年、仕事が大好きで仲間が大好きで、溶融での生活が娘の生きがいです。家族、親せきに見守られ、陶友と言う素晴らしい職場にました。娘は幸せです。
 生まれて40年、おかげで大きな病気もなく、明るく育ってくれました。社会の役に立つのは難しいかもしれませんが、人の心を育てる役目は果たしているのではないかと思います。癒されます。楽しませてくれます。大きな声を上げる原因も作ってはくれますが・・・。
 私も老人サークルに誘われる年になり、元気なうちに将来の道筋をつけてあげなければとも思いますが、もう少し一緒にいたいというのが正直な気持ちで、なかなか決断がつきません。
 娘は、誕生日のたびに「産んでくれてありがとう」と言ってくれます。私は、「生まれてきてくれてありがとう」と、心から言いたいです。
ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。

24 大野 泰男さん、東山 富昭さん、他22人
コメント

大脇 友弘 ありがとうございます。恐縮です。

藤木 冨士子 生まれつき障害のある人、後から障害をもつ人、障害はいつ誰がもつかわからないと思います。ひとに向けた刃が自分を傷つけないといいですね、麻生さん、教育委員の方、石原さん。人に刃を向けることは空しく悲しいことだと気づいてほしいです。

萩野 秀子 表面的な平等教育ではなく理解し受け入れが大切だと思います。

東山 富昭 野田 聖子氏が雑誌で、障害者と健常者には、境界線がないと指摘していましたが、私自身は心身に障害がありますが、障害者手帳は、持っていないだけです。私は、近いうちに、認知症だと診断されるかもしれません。認知症も、障害であると言えます

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