ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 11/14 「姦淫」「姦通」「不品行」

2016-11-16 06:33:48 | ツイッター
お早うございます。主の平和。礼拝に出かけ、聖研を終え、3時に帰宅。ダラダラ過ごす。夕食後、「姦淫」について考える。福音書における姦淫についてまとめておこうと思う。「IQ246」を見始めたが疲れて9時半に就寝。熟睡。5時半起床。体温:36.3、血圧(141:81:75)・体調・快調、チュン、チュン。

38 佐藤 静代さん、小貫 ツマさん、他36人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

山口 貴志 おはようございます。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
先生ご夫妻がお守りの内に穏やかなよい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りです。守られますようにお祈りします。

早乙女 実 おはようございます。プロフィール写真は、現在ので決まりですか。私は先生らしくて、とてもいいと思いますョ。
文屋 善明 ほぼ、これに決定です。
東山 富昭 おはよう😃ございます。今日は、雨が☂降ったりしています。芋掘りが、ホームであります。今週も、よろしく、お願いします。


文屋 善明
11月14日 5:58 ·
お目覚めの花。「さぁ、新しい週の始まりだ。今週はどんな良いことがあるだろう。楽しみだ」。(教会の玄関の花)
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花

42 大野 泰男さん、芳賀 道子さん、他40人


文屋 善明
11月14日 6:39 ·
016 日々の聖句 11月14日(月)
モーセが(アロンに)言った、「『わたしに近づく者たちに、わたしが聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現そう』と主が言われたとおりだ。」(レビ10:3)
神がイエス・キリストによって、イスラエルの子らに平和を告げ知らせてくださいました。(使徒10:36)
私の黙想:
今日の聖句はややこしい。カッコの中はモーセがアロンに言ったセリフ、その中の二重カッコの中はヤハウェのセリフである。二重カッコの中のヤハウェのセリフは特にアロンに告げられた言葉ではなく、ヤハウェが、「わたし」とはこういう者方だという宣言である。ローズンゲンでは「アロン」という言葉か省かれているので状況が全く隠されてしまっているが、弟のモーセが兄のアロンにつくづく語っている兄弟の会話である。この場面はアロンとその一族が大祭司の地位に就くときの最初の祭儀であると言われている。そこでもまた、とんでもないことが起こった。アロンの息子たちが祭壇に献げる聖なる香炉に「規定に反した炭火」を入れたという。すると、その火が突然燃え広がり、アロンの息子たちを殺してしまった、という。そのとんでもない不祥事を前にしてのモーセのアロンに対する言葉である。この言葉を聞いてアロンは何も言えなかったという。ここでいう「規定に反した炭火」というのが何を意味するのか定かではない。
ともあれ、「祭儀」ということのもつ厳しさ、それは「(ヤハウェの)聖なること」示すものであり、同時に「(ヤハウェの)栄光を現すものだという。さて、この出来事を、私たちの聖餐の祭儀の問題として受け止めるとき、どういうことになるのであろうか。

36 芳賀 道子さん、小貫 ツマさん、他34人
コメント

清水 行雄 おはようございます。先生の黙想も見事ですが、ローズンゲンよくできていると言う他ありません。

文屋 善明 ローズング(日々の聖句)は向こうからやって来る言葉だという意味がよく分かりますでしょう。

清水 行雄 Losung 辞書で当たって見ましたが、そんな意味があるんですね。ありがとうございます。

文屋 善明 単語の意味は「くじ」で、毎日の聖句を籤で引いて決めるのだと言われています。

清水 行雄 だが、先生、Loesung という言葉もあってlose からの造語で、「解決、解放」の意味もあるようなので、言葉の学問は難しいです。

齋藤篤 私は今日この聖書の言葉をレビ記10章全体を含めて読んだ時、原子力発電で暴利を貪った人間の傲慢さを思い起こしました。飛躍しすぎかもしれませんが…。


文屋 善明
11月14日 6:50 ·
今日の名言:@jinseiron_note
評判を批評の如く受取り、これと真面目に対質しようとすることは、無駄である。いったい誰を相手にしようというのか。相手は何処にもいない、もしくは到る処にいる。しかも我々はこの対質することができないものと絶えず対質させられているのである。(三木清、『人生論ノート』、噂について)
<一言>「評判」をらは「批評とは違う次元の事柄であり、それは俗にいう「噂」にすぎないと、三木は言う。噂などまともに付き合うことなない。
三木はまた噂についてこうも言う。「歴史は不確定なものの中から出てくる。噂というものはその最も不確定なものである。しかも歴史は最も確定的なものではないのか」。三木も噂によって困らされた一人なのであろう。権力者は「噂」を作りだして、敵を倒す。

28 藤木 冨士子さん、西堀 俊和さん、他26人
コメント

村田 多鶴子 因みに、片柳神父さんによる、今日の超訳マザー テレサ日めくりカレンダーには「自分をよく知っている人は、悪口にも、お世辞にも左右されません」とあります。

文屋 善明 自分で左右されないだけでは、事は済まないでしょう。社会の方が左右されるので、自分が立っている地盤が崩れ、立っておれなくなるのです。


文屋 善明
11月14日 6:53 ·
イミタチオ・クリスチ(306):
霊のことが分かっていない、ということに気付いていない。2:5:3
文屋註:これは聖職者に対する警告であろう。

27 藤木 冨士子さん、西堀 俊和さん、他25人


文屋 善明
11月14日 8:33 ·
「昨日のFB 11/12 陶友祭」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

13 藤木 冨士子さん、植村 光郎さん、他11人


文屋 善明
11月14日 16:34 ·
「姦淫」「姦通」「不品行」
「姦淫の女」の記事を扱うにあたり、福音書での「姦淫」という単語が用いられている個所を確認しておく。
マタイ5:27 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
マタイ15:19 悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくる
マタイ19:18 イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。
マルコ7:22 姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。
マルコ10:19 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。
ルカ18:20『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」。
マタイ5:32 だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。
マタイ19:9 不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。
マルコ10:11 「だれでも、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。
マルコ10:12 また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである」。
ルカ16:18 すべて自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うものであり、また、夫から出された女をめとる者も、姦淫を行うものである。
マタイ5:28 だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
ルカ18:11 『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、
ヨハネ8:3~4 姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
4つの福音書(口語訳)では17回「姦淫」という言葉が出現している。
(1) このうち、マタイ5:27、15:19、19:18、マルコ7:22、10:19、ルカ18:20の6回はいわゆる十戒に基づく罪のリストに出てくる。これらはすべて新共同訳においても「姦淫」と訳されている。
(2) マタイ5:32、19:9、マルコ10:11、10:12、ルカ16:18は離婚と姦淫との関係を論じた平行記事である。注目すべきことは、これら5回は「姦淫を行う」と訳されており新共同訳では「姦通」という訳語が用いられている。つまりこれは動詞である。
(3) あの有名なマタイ5:28「だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」という言葉は新共同訳では丁寧に「みだらな思いで他人の妻を見る者は誰でも、既に心の中でその女を犯したのである」と訳されている。この訳はかなり訳者の解釈が入っている。原文では「他人の妻」などとは書いて無くてただ「女」であるし、「みだらな思い(エピスーメオー)」も直訳すれば「もの欲しそうに」というだけの言葉である。つまり、この言葉は未婚であれ、既婚であれ、一人の女性を「自分のもににしたい」という思いで見るだけすでに姦淫したことになる、という意味である。これも新共同訳では「姦通」と訳している。
(4) ルカ18:11では、神殿で二人の男が祈っている。一人はファリサイ派の男で、彼は自分の正しさを主張し、いろいろ罪を列挙し、私はそれらの罪を犯していないという。そのリストの中に「姦淫する者ではなく」という。これを新共同訳では「姦通を犯す者でなく」という。
(5) さて、以上が共観福音書における「姦淫」の使用例である。ヨハネ福音書では、たった 2回だけ「姦淫」という言葉が使われている。8:3と4で、例の「姦淫の女」の記事である。「姦淫をしているとき」「姦淫の場で」捕まえたという。これを新共同訳では、「姦通の現場で」「姦通をしているとき」捕まえたという。だからタイトルも「姦淫の女」ではなく「姦通の女」である。この記事は後から付加されたといわれているが、そうだとするとヨハネ福音書では「姦通」の記事はないことになる。ところがヨハネ8:41の「わたしたちは不品行の結果生まれたものではない」(口語訳)を新共同訳では「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません」と訳している。原語では「ポルネイアス」で、罪のリストにおいては通常は口語訳のように「不品行」と訳されるが、マタイ15:19「殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹り」というように姦淫と並んで用いられている。姦淫と不品行とがどういう関係なのかよく分からない。ここでの使用例から考えると、ユダヤ人たちがイエスを殺そうと企んでいることを見破られ、アブラハムの子孫ならアブラハムの子孫らしい行動をせよ、イエスから批判された。それに対して私たちはアブラハムの正当な子孫であることを主張する言葉である。要するに「俺たちは正妻の子だ」という主張であり、ここでいう「不品行による子」とは「側室の子」(これを言い表すいろいろな言葉があるがそれらを使いたくないので「側室の子」なんている場違いな言葉をつかっています)ではないという意味だと思われる。この場面では、イサクとイシマエルとの違いが背景にあると思う。この正当性の反義語が不品行である。日本語の「不品行」という言葉では十分に表現できない。マタイ5:32では「だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである」というように用いられている。不品行が離婚の唯一の正当な理由となり、その女性と結婚する、つまり性関係を結ぶとそれが姦淫となる。従って、これを新共同訳のように「姦淫」と訳すのは正確ではない。

29 佐藤 静代さん、平野 宏さん、他27人
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コメント

橘 智 先生。大変興味があるところでしたので、私も「姦通」について調べてみました。
新共同訳聖書で「姦通」と訳出されているのは全部で16箇所(旧約聖書2箇所、新約聖書14箇所)です。
対して、新改訳聖書では「姦通」と訳出されている箇所は旧約聖書で33箇所、新約聖書にはありません。...もっと見る

文屋 善明 「姦通」って、なんて品のない露骨な言葉だろう。事柄自体に品がないことなのであるから、言葉だけでも含みがある方がいいだろう。

橘 智 日本の明治・大正にかけては「愛する」という言葉さえも憚ったと聞きました。
今の時代、コンビニでフツーに大人向け雑誌が売られていますので、あまりおっしゃるようなことを感じる人は少ないのかもしれません。むしろ「わかりにくい!」などと言われてしまうかもしれません・・・。
「聖書の品格」にか関わることだと思うのですが・・。

文屋 善明 要するに、口語訳では「姦淫」という言葉を新共同訳では「姦淫」と「姦通」に使い分けていると言うことです。「姦淫」と「姦淫する」で十分だと思います。

橘 智 そうと思います。ありがとうございます。

文屋 善明 私はこれを日本語の聖書を本にして分析しましたが、プロはこれをギリシャ語レベルでするのです。そういう基礎的な研究を経て日本語聖書への翻訳が進められます。従って、上でやっていることは、早く言えば「お遊び」です。

Mizota Michael Satoshi なんだ、お互いみんな姦淫仲間だな、許してやろうよ、って方向に向かわせるように追い詰めていく議論が福音書のイエスなんだと思います。

文屋 善明 「許してやろうよ」ではなく、「責められないなぁ」ということでしょう。

Mizota Michael Satoshi そこで、責められ無いなあ、というところがやはり『キリスト教の坊さん』らしいとこでしょうね。『不品行の女』は『ハイエナの餌食』にされるために『引きずり出され』て来ますから、『リンチ』を受けてしまっているんです。そうなると『引きずり出した側』の『性根の腐った信仰』の方が問題になってきます。

文屋 善明 この物語の中心的なメッセージはセクハラ問題に対して徹底的に関心を示さない、自分の気持ちを表明しないというところにあると私は解釈しています。

Mizota Michael Satoshi まあそれでも良いんですが、この物語のフレームは『姦淫』でなくても成り立ちますね。『贈収賄』『窃盗』でも同じ枠です。

文屋 善明 そうです。でも、私にはセクハラ問題に対するイエスの姿勢が重要なんです。もっとも、この物語そのものは、本来福音書に納められる資料ではなかったと思います。この問題は、ここでストップ。

藤木 冨士子 学者さんですねぇ。ようわからんかったことがちょっとわかりました。


文屋 善明
11月14日 21:50 ·
「カインとアベル」、とうとう創世記の物語と出会ってしまった。これが、この物語の展開にどう影響するのだろうか。

23 北村 良輔さん、大野 泰男さん、他21人

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