ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

<小説>正義の人アブラハム

2015-08-06 09:45:54 | 説教
<小説>正義の人アブラハム

2007年 聖霊降臨後第9主日(特定12) 2007.7.29
<小説>正義の人アブラハム   創世記18:20-33

「すっかりご馳走になってしまって、ありがとうございました。いろいろとご予定もありましたでしょうに、わたしたちのために忙しい思いをさせまして申し訳ありませんでした。おかげさまで、すっかり元気を取り戻すことができました。特に、あのご手製のチーズは美味しかったです。あんなに美味しいチーズはほかでは手に入れられないでしょう。奥さまはお料理がとてもお上手であなたも幸せですね。」
太陽は西の山に傾き、涼しい風が吹き始めた。旅人は二人の従者をうながして腰をあげた。彼らはアブラハムのもてなしに満足したようで、心からの感謝の言葉を述べた。

真昼の暑い頃、彼ら三人の旅人が宿営地の近くを通り越そうとしていたのを見つけて、アブラハムは半ば強制的に引き留めて、マムレの樫の木陰で休ませ、自ら足を洗う冷たい水や冷たい飲み物を差し出したりなど接待したのであった。その間に、妻のサラには大急ぎで昼食の準備をさせ、彼らにご馳走した。このようなもてなしは、何も特別なことではなかった。アブラハムはいつでも旅人を見かけると、自分のテントに連れてきてもてなす習慣になっていた。妻のサラも、いつものことなので、迷惑がることもなく、料理の準備をしながら、夫と旅人との会話を楽しみにしていた。

「いえいえ、とんでもない、十分なおもてなしもできず、却って貴重な旅のお時間を取らせてしまって、ご迷惑だったことでしょう。これに、懲りずこちらの方においでの際には、ぜひお立ち寄りください。ここをあなたの親類の家とでも思っていただけたら、嬉しいです。」
アブラハムも丁重に答えた。こういう場合のアブラハムはさすがに家長としての風格がにじみ出ていた。旅人も、顔に笑みをたたえて答えた。
「ハイ。ありがとうございました。来年の今頃には必ず参ります。その折には、ぜひ、あなたの息子さんにお会いしたいですからね。」
これは昼食のときの会話の続きであった。旅人はアブラハムの妻サラが来年の今頃男の子を産むと予言したのであった。アブラハムも笑みを浮かべてそれに答えた。
「そうなったら、本当に嬉しいですね。その息子には、あなたとの出会いを記念して、イサクと名付けたいと思っています。ところで、あなたがたはこれからどちらの方に向かいますか。」
「そうですね。ここから、少し丘を下ったところにあるソドムという町に所用がありまして。」
「ああ、あの町ですね。あの町はかなり風紀が乱れておりまして、あまり評判はよくありません。あまり重要なご用でなければ、避けられる方が賢明かと思いますよ。ともかく、お気を付けてください。」
「そのようですね。わたしも、いろいろな噂は聞いております。だからこそ、よけいそこには出かけなければならないのです。」
アブラハムは旅人のその答えには、何か不吉な予感がよぎったが、それ以上会話を発展させるつもりはなかった。
「そうですか。それでは十分気を付けてください。で、もし、万が一あの町でお困りのようなことがありましたら、あの町にはわたしの甥のロトとその家族が住んでいますので、ご相談ください。彼も、旅人をもてなすことの大切さは十分心得ていると思いますので。」
「ありがとうございます。ぜひ立ち寄らせていただきます。」
「それでは、わたしも丘の上までお見送りさせていただきましょう。」

こうして、アブラハムは三人の旅人と共に丘の上に向かって出発した。アブラハムは旅人と肩を並べて歩きながら考えていた。今日初めて出会ったというのに、アブラハムと旅人との間にはまるで旧知のような雰囲気が漂っていた。旅人の風貌には周りを威圧するような威厳があった。しかし、それと同時に近づく人々を包み込んでしまうような優しさも感じられた。この人の歳はいくつぐらいなのだろう。自分よりもかなり年上に見えるときもあるし、皮膚や動作を見ているとかなり若いようにも思える。わざわざ危険なソドムの町に行かなくてはならないというが、いったいどういう仕事をしている人なのだろうか。出会ったときからの、会話を思い起こしても、この旅人はこれまで歓迎した多くの旅人とは違っていた。あの二人の従者たちを見ていても、この人がただ者ではないことだけは分かる。

丘の上からは、遠くの方に西日に照らされてソドムの町がかすんで見えた。なかなか賑やかそうで、栄えているように見えた。旅人とアブラハムとはしばらく別れを惜しんだ。すると、旅人は若い二人の従者に向かって、「わたしたちはここでもう少しアブラハムさんと話したいことがあるので、あなたたちは一足先にソドムの町に行って、様子を見てきてください。わたしもすぐに追いかけますから。」
と言った。「ハイ、かしこまりました」という声を残して二人が出かけると、旅人はアブラハムの顔をジッと見つめ、真剣な顔になって、今までの親しそうな口調をすっかり改めて、話し始めた。アブラハムも少し驚いて、威を正して、旅人の顔をしっかりと見直した。この人とはどこかで以前に会ったことがある。アブラハムは確信した。

「あなたにはもう何も隠しておくことはできませんので、わたし自身の身分を明かしておきますが、今は旅人の姿をしていますが、実はわたしはヤハウェと呼ばれている神なのです。」
この言葉に、さすがのアブラハムも驚ろきのあまり声も出なかった。今までにもしばしばヤハウェなる神の声は聞いてはいたが、目の前に人間の姿を取って現れたことはなかった。しかし、そういわれてみると、なるほどと思われる節はあった。たとえば、99歳の夫と89歳の妻に対して、あなたたちは来年男の子を産むなどといえる者は神以外にはあり得ないことであった。アブラハムは無言のまま、うなずいた。旅人は続けて言う。
「わたしもあなたのことは、以前からずっと見てきました。あなたがわたしの言葉に従って故郷を出て、わたしの導くままに、行き先を知らないままに、旅を続けていることも知っている。ときどき、人間的な弱さのために、とんでもないことをしでかしたことも知っています。しかし、あなたは一度もわたしの言葉を疑ったことも、反抗したこともありませんでした。わたしはあなたをわたしの僕として選んだことは間違いでなかったと確信している。あなたは必ずわたしの僕として全人類の祝福の基となるででしょう。あなたがわたしに対して真実であるように、わたしもあなたに対しては真実でなければならないと思っています。」
この言葉を聞いてアブラハムはますます、この方がヤハウェなる神であることを確信し、心の底から涌き上がってくる喜びをジッと押さえて、彼の話す言葉に耳を傾けていた。すると、神は語調を変えておそろしいことを語り始めた。
「ソドムとゴモラの街の風紀が非常に乱れ、それが近隣の街まで悪影響を与えていると訴える叫び声がたくさんわたしのもとに届いています。それで、わたしは降って来て、あの街を焼き尽くしてしまおうと思っています。」

アブラハムはこの言葉を黙って聞いていた。二人の間にかなり長い沈黙が続いた。しかし、アブラハムの脳裏ではいろいろな言葉が激しく動き回り、ぶっつかり、まるで核分裂寸前の分子活動のようであった。しかし、それらの言葉は口から外には出てこない。言葉を失うとはこういうことなのか。思いが言葉にならない。可愛い甥のロトとその家族があそこに住んでいる。アブラハムは、神にロトとその家族だけは救い出してください、と頼みたかった。その言葉は口元まで出かかっていた。しかし、それは神がこれからしようと思っておられることと比べると、ささやかな私情に過ぎなかった。そのことの故に、神の大きな意志を妨げることはできない、とアブラハムは思った。
アブラハムは先祖ノアの時代のことも思い起こしていた。あれも凄まじい出来事であった。神が行うと言えば、必ず行う。神が決断し、語るとき、もう誰もそれをとどめることはできない。人間の言葉など、おそろしい勢いで走る機関車に吠える犬のようなものである。アブラハムは、そのことを十分承知していた。悪がはびこっている状況を神は決して許せない。それが、神の正義である。一つの悪を許せば、その悪はバン種のように膨らみ、無限に増殖し、全体を悪にしてしまう。ノアのとき、神はその状況を見て、「人だけでなく、家畜もはうものも、空の鳥も、これらを造ったことを後悔し」、これらをすべて「地上からぬぐい去ろう」(創世記6:7)と決断し、実行なさったのである。もう一度言おう。これが神の正義なのだ。アブラハムは、全身びっしょり汗をかきながらいろいろなことを思い起こし、考えた。99年の全生涯よりも長いく感じた数分間であった。
しかし、アブラハムの心に幽かな光がともった。あの時、神はノアとその家族を救い出したではないか。ヤハウェがノアにすべてのものを地上からぬぐい去るということをお告げになったとき、同時、ノアとその家族を救出するために箱船の建造という大事業を命じられたではないか。あれは一体どういう理屈だったのだろう。ソドムの場合には、なぜそれがないのだろうか。それも不公平ではないのか。やっと、アブラハムの口から言葉が絞り出て来た。
「神さま、あなたは本当にソドムの街を滅ぼすおつもりですか。」
神は答えた。
「こんなこと冗談で言えるか。」
神の答えはぶっきらぼうであった。アブラハムは、おそるおそる神に向かって質問した。
「それでは、先に出かけたあの二人の役目は何ですか。彼らは何をしに行ったのですか。」
今度は神の方が沈黙した。しばらく沈黙が続いた。この沈黙する神の姿を見ながら、アブラハムは思った。神も迷っている。ホンネのところでは、神もソドムの街を滅ぼすことを望んではいない。神も困っている。神も神である故に困っている。神にとっても、何とか、救済する論理が必要なのだ。
アブラハムははやる心をできるだけ抑えて、冷静に、静かに、礼儀正しく、神に質問した。
「本当に、あなたは正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるおつもりですか。もし、あの街に正しい者が50人いるとしても、それでも滅ぼしになるのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
実に堂々たる理屈である。ここにはロトについてのアブラハムの私情は微塵も感じられない。神の正義についての正統な論理である。悪を許さないという神の正義に対して、悪い者と正しい者とを同じように取り扱ってはならないという法的正義をもって対置したのである。法的正義とは衡平性である。悪い者は悪として、正しい者は正として取り扱うことを意味する。裁判所における正義論である。アブラハムが立てた正義論を神は受け入れる。
「もしソドムの街に正しい者が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」
神はアブラハムの理屈を承認された。なるほど、その通りだ。しかし、神が実際に判断したことはアブラハムの理屈とは根本的に異なる。神は、「正しい者50人のために、町全部を赦そう」と言われる。これは衡平の理論ではない。大多数の悪人の故に町全体を滅ぼすという理屈をただ単に裏返しただけである。言い換えるならば、神の正義の未執行、あるいは執行猶予という理屈である。しかし、この時点では、アブラハムはそのことに気づいていない。しかし、神があまりにもあっさりと妥協してくださったので、アブラハムには迷いが出て来た。ソドムの街全体に対して50人という数字は多すぎたのか。アブラハムは人数のことについてはあまり深く考えずに、適当に「50人」と言ってしまったが、それは妥当な数字だったのか。それで、アブラハムは次ぎに数字を少し下げてみた。
「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、50人の正しい者に5人足りないかもしれません。それでもあなたは、5人足りないために、街のすべてを滅ぼされますか。」
この「45人」という中途半端な数字はアブラハムの迷いを示している。
「もし、45人いれば滅ぼさない。」
この段階で初めてアブラハムはソドムの街の現状をイメージしている。果たして、あの町に45人の正しい者がいるのだろうか。どうも、少し怪しい。そこで、神は45人より5人足らなかったらどう考えるのだろうか。
「もしかすると、40人しかいないかもしれません。」
「その40人のためにわたしはそれをしない。」
神はアブラハムの心配を理解して言われた。
さらに、アブラハムは人数を30人、20人と減らしていって交渉をする。神の方は一貫して簡単に承認する。こうなると、まるでゲームか、商売の値切りのようである。今度は、アブラハムの方が心配になってきた。神はどこまで妥協なさるのか。ゼロになってしまえば、アブラハムの理屈は無用となる。全部悪い者であるならば、町全体を滅ぼしても文句はない。しかし、問題はそんなことではない。この調子でいくと、神は一人でも正しい者がおれば、ソドムの町を滅ぼさないかも知れない。それはアブラハムと神との一種の戦いにおけるアブラハムの勝利である。神に勝ってしまっていいのだろうか。それよりも、極度に少数の人間の故に、正義の執行という重大なことが取りやめになってしまっていいのだろうか。それでは正義というものそのものが無意義になってしまうではないか。アブラハムの正義観もこれ以上神に迫ることは出来なくなってしまった。
もう結末は分かっていた。しかし、ここまで元気に神の正義を追求してきた以上、これでやめるわけに行かない。しかし、アブラハムはロトとその家族のことだけが心配であった。
ロトは大丈夫か。この段階まで、実はアブラハムは口には出さなかったが、ソドムの街のことなどあまり心配していたわけではない。むしろ、心の奥底では、ロトとロトの家族のことだけが心配であった。アブラハムの正義感を支えていたものは、思想としての正義論ではなく、ロトに対する情愛であった。彼らが、あのまちに住み始めたいきさつにはアブラハム自身も関わっていた。あの時、ロトがソドムの街を選んでいなければ、自分自身が住むことになったのだ(創世記13:10-13)。ロトは、故郷から出てくるときに叔父であるアブラハムを慕って付いてきた甥である。かつて、ロトが暴漢の襲われて拉致されたとき、アブラハムは勇敢な手下318人を引き連れて救出したこともある(創世記14:13-16)。なんと言ってもアブラハムにとってロトは可愛い甥である。何とか救い出さなければならない。しかし、人数が10人以下ということになると、その思いが露出してしまう。自分の私情によって神の大きなご計画を妨げることはできない。アブラハムの生き方がそれを許さない。それに加え、もしアブラハムが「ロトの家族だけは救出してください」などと口に出したら、アブラハム自身が神の前に堂々と論陣を張ってきた正義論がそこなわれてしまう。ディレンマに陥ってしまったアブラハムは黙ってしまった。
アブラハムは「10人では」ということを口にする前に、頭の中で指を折りながらロトの家族の人数を数えていた。ロトと彼の妻、二人の娘に彼女らの婿で6人。10人が済んだら次ぎに何人を交渉するのか。「6人」と言えばアブラハムのホンネがばれてしまう。と言って、6人以下では困る。完全にアブラハムは行き詰まってしまった。アブラハムは顔を伏せて、口の中でボソボソと
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、10人しかいないかもしれません。」
神はアブラハムの表情を伺いながら言った。
「その10人のためにわたしは滅ぼさない。」

二人の、実は二人というより神と人間との対話は中途半端なまま終わってしまった。アブラハムの主張した法的正義論は破綻した。破綻の原因は、アブラハムと神との議論のあのズレによる。神はアブラハムの法的正義論に反対したわけでもなく、反論したわけでもない。ただ、50人でも正しい者がおれば、町全体を赦そうと言っただけである。その態度を最後まで貫いただけである。アブラハムを行き詰まらせた神における正義は、論理的徹底性というよりも救済の方向に重点がかかった正義である。
この物語の結末はあっさりしている。実にあっさりしている。あっさりしすぎである。神はアブラハムの問題点を少しも責めない。神はアブラハムと語り終えると、黙って去って行かれた。アブラハムも黙って自分の住まいに帰った。二人とも、何も結論を出すことなく別れてしまった。それは決して喧嘩別れではない。妥協点を見出して和解したわけでもない。神と人間との間における正義に関する議論は今でもまだ終わっていない。人類は正義について、ファイナルアンサーを神から受け取っていない。ただ、非常に重要な後日談がある。
実は、神の方でもアブラハムに言っていないことがあった。あの二人の従者には特別な任務が与えられていたのである。彼らはソドムの町でロトと出会い、ロトの家に招き入れられた。それから町中で大騒動が起こった。その物語については別な機会に報告しよう。ただ、その時、二人の天使たちはロトにこの町には間もなくとんでもない災いが起こるから、「後ろを振り向かないで、すぐにこの町から脱出しなさい」と命じる。ロトとその家族はアブラハムの神との会話などまったく知らなかったが、天使たちの言葉に従って、町から脱出し、辛うじて難を逃れた。しかし、その時、天使の忠告に従わないで、後ろを振り向いたロトの妻だけは天から降ってくる火に打たれて塩の柱になってしまった。それは、現在でもそこに残っているとのことである。




















































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