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聖ニコラスからサンタクロースへ

2016-12-04 17:04:52 | 雑文
聖ニコラスからサンタクロースへ
聖ニコラス(Saint Nicholas)は3世紀末に、現在のトルコのパタラという町で生まれとされています。後になりミラ(現トルコ内)の司教になりました。この聖人が後に「サンタクロース」と呼ばれるようになりました。彼が亡くなったのは342年12月6日で、この日が聖ニコラスの日となりました。
彼は裕福な家庭に生まれながら、両親からの遺産を、貧しい者、病気の者に分け与えたと言われ、社会の弱者、貧しい者の味方として人気があり、また子供たちの守護聖人として尊敬されたということです。また、同時にかれは航海の守護聖人でもありました。
彼のエピソードとして有名な話があります。
ある日、聖ニコラスは町に貧しくて3人の娘たちをお嫁に出せないという人の話を聞きます。それで聖ニコラスは夜中に頭巾とマント姿で、そっとその貧しい人の家の窓から金貨の入った財布を投げ入れてました。その金貨が偶然、暖炉の側に吊るしてあった靴下に入ったそうです。
ミラにあった聖ニコラスの墓は、長く巡礼の対象となりますが、彼の骨は11世紀に、イタリア南部のバリの船乗りたちに盗まれ、やがてバリに、その骨を祭った聖ニコラス聖堂が建設さ、船乗りたちの守護聖人として敬われるようになります。実は、ヴェニスも彼の骨を狙っていたようですが、バリに先を越されてしまったとのことです。
聖ニコラスの日(12月6)、あるいはその前夜の5日に、子供にプレゼントをするということが前ヨーロッパで習慣となりました。その習慣が現在ではクリスマスと合わされて一つになりました。

さて、この地中海の聖人が、何故、真っ赤な上着とズボンを身につけたサンタクロースに変身したのでしょうか。
アメリカ大陸に聖ニコラスを持ち込んだのはコロンブスで、彼は初航海の際、1492年の12月6日(聖ニコラスの日)に、ハイチの港をセント・ニコラスと名づけました。その影響を受けて、アメリカ大陸のフロリダの初期のスペインの植民地は、「セント・ニコラス・フェリー」と呼ばれたとのことです。
16世紀のヨーロッパでは宗教改革以降、プロテスタント(特に厳格な清教徒、ピューリタン)は、カトリックでは大切にされる聖人、聖人の日を廃止し、プルグリム・ファーザーを初め、北米ニューイングランドへ移住した清教徒たちは、聖ニコラスに関する伝統には全く無関心でした。
ところが19世紀に入ってニュー・ヨークはオランダ人の移民によって始まった土地で、1804年に、もともとここがオランダに起源がることを思い起こそうと、ニューヨーク歴史協会が設立されます。ピルグリム・ファーザー達とは異なり、ニュー・ヨークのオランダ移民たちは聖ニコラスを愛し、祝ったとされるため聖ニコラスがこの協会、及び、ニューヨーク市の守護聖人に選ばれます。
1808年に、当ニューヨーク歴史協会に、「スリーピー・ホローの伝説」などを書いた米作家、ワシントン・アーヴィング(Washington Irving)が加入し、その年の聖ニコラスの日に、彼は「ディートリッヒ・ニッカーボッカーによるニュー・ヨークの歴史」という本を出版いたしました。
アーヴィングは、厳密な史実に基づいて、というより、かなりの部分は想像で最初のオランダからの移民たちが聖ニコラスの像を持って来たこと、最初に立てた教会を聖ニコラスに捧げたこと、ここでは聖ニコラスの日を祝ったこと、聖ニコラスは、贈り物をするため、煙突を降りてくることなどが紹介されます。要するに、この本が陽気なパイプをくゆらす聖ニコラスがサンタクロースへの変身の第一歩となったようです。
それから以後、次々と、文学やイラストで、キリスト教の司教から段々と離れたキャラクターが形成されて行き、そのうち、何故かそりに乗ってやって来る事となり、衣装も、司教のマントから、かけ離れたものへと移行していきました。呼び名も「セント・ニコラス」のドイツ語の「Sankt Niklaus」の発音が崩れて、サンタクロースへ。子供達へのプレゼントの習慣も聖ニコラスの日ではなく、クリスマスへと移行します。1823年に出版されたクレメント・クラーク・ムーアによる詩「クリスマスの前の晩」(The Night Before Christmas)では、すでに、現在私たちの抱いている「サンタクロース」像が描かれています。
当時のアメリカのクリスマスは、労働者たちが酒を飲んで乱痴気騒ぎをし、騒動を起こす様な、上流階級にとっては有難くない時期であったため、これを、家庭と子供を中心として祝う、もっと大人しいものに変えようという動きがあったといわれています。また、社会の中で、子供というものは、こき使ったり、どなりつけたりするものではなく、慈しみ、大切にするものという感覚が育っていった時期でもあり、その点でも、子供が好きな陽気な聖人とクリスマスの合体はもってこいだったのかもしれません。
最終的に、赤い衣装、丸いほっぺのサンタクロースのイメージを決定的にしたのは、1931年から始まり35年間続いた、コカコーラのクリスマス用の宣伝だったと言うので、まさに、消費者文化によって確立された比較的最近のキャラクターだと言えるでしょう。社会の変化と共に、そのイメージと意味するものも大幅に変わり、今や、キリスト教とは全く関係の無いような人となったわけです。

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