ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 06/17

2016-06-19 06:24:05 | ツイッター
お早うございます。主の平和。リハビリ。昼食後、1時間昼寝。波多野精一『基督教の起源』(1908年)のヨハネの部分を読む。この時代、ここまで書けたということ自体驚きである。夜、「警視庁捜査一課長」、「グッドパートナー」(最終回)、報ステをちょっとだけ見て10時過ぎに就寝、起床5時半。血圧(147,76:71)・体調・快調。チュン、チュン。

19佐藤 静代さん、藤木 冨士子さん、他17人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪今日は暑い日になりそうですから、どうぞ、お大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。

藤木 冨士子 ほんとならこんばんは、まだ明るいから、こんにちは。


文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
6月17日 6:04 ·
お目覚めの花。「さぁ、困ったぞ。これは赤いバラというべきか、黄色いバラというべきか」「世の中、白黒はっきりしないときグレーっていうけど、こんな場合何と言うんだろう」。
文屋 善明さんの写真

34竹本 耕造さん、藤木 冨士子さん、他32人
コメント

真塩 ナナ子 我が家の庭にも咲いている「リオサンバ」という名のこのバラ、咲き始めは黄色いバラなんですが、だんだん縁から赤(オレンジ)に変わっていくんです。きっとだんだん情熱的になっていくんでしょうね。

文屋 善明 このバラが、海の中道公園(福岡市)の今年の薔薇フェアのハイライトでした。


文屋 善明
6月17日 6:28 ·
2016 日々の聖句 06月17日(金)
夢を見た預言者は夢を解き明かすがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語るがよい。もみ殻と穀物が比べものになろうかと主は言われる。(jer.23:28)
愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。(1jh.4:1)
私の黙想:
「夢」と「預言」との対比。「偽物と本物と」、偽物は本物以上に偽物らしい。今日の聖句はその対比を「籾殻と穀物」を例に、比べものにならないという。外観だけ見たら区別がつかないが、脱穀すれば表皮と実との違いは明白になる。口語訳ではこの部分を「わらと麦」と訳している。これでは似ている点が全くない。つまり「比べようがない」。この部分、比べようがないということをいっているのであるから「比べようがない」ならいいではないかと思うが、そうではないだろう。類似点があるのに、本質が違うという点が重要である。フランシスコ会訳でも新改訳でも「藁と麦」と訳している。文語訳では「糠と麦」。新共同訳のユニークさが面白い。
どこかの団体で「5年後の夢を語る」というプロジェクトがなされた。その組織の5年後を予想したら、その高齢化の故に「夢」どころか「存在そのもの」が怪しい。むしろ重要なことは、5年後の状況を予想して、今からその備えをすることではないだろうか。ある会員が「夢」でいいなら、私はこれから「宝くじ」を買って、2億円当たったら、それで魅力的な聖堂を建てる、という。「夢を語る」ことの空しさである。預言者(エレミヤ)は絶体に「夢」を語らない。

21藤木 冨士子さん、佐藤 元紀さん、他19人
コメント

藤木 冨士子 夢を見て行動したヨセフは?

文屋 善明 創世記においては、夢と啓示とのがまだ明瞭に分離されていなかったんでしょう。ヤコブは夢うつつの中で天に通じる階段を見ていますからね。

藤木 冨士子 イエス様のお父さんも夢を見ましたよ。

文屋 善明 ああ言えば、こう言う。ジョウイウみたい。じゃあ言っちゃいましょう。福音書の「夢物語」は、創作です。

Mizota Michael Satoshi 福音書のほうが事実で、我々のほうが夢をみているという理解もできますね。。。

文屋 善明 ついでに言うと、創世記はまるまる「神話」です。

Mizota Michael Satoshi ますます我々が夢を見ている可能性が高いですね。

文屋 善明 問題は「我々が見ている夢」と聖書の中にある「夢」との質的違いでしょう。フロイト、ユング以前と以後。

Mizota Michael Satoshi 我々の人生も夢にすぎない。出エジプト記を読んでいますが、確かに我々の夢かどうか、その見方なら面白いです。

文屋 善明 この話は、あまりにも専門領域に入りすぎていますので、ここまでで終了しましょう。

藤木 冨士子 ほっ!

文屋 善明 藤木さんの「ほっ!」を聞いて、私も「ほっ!」。


文屋 善明
6月17日 6:36 ·
今日の名言:@wisesaw
山から遠ざかればますますその本当の姿を見ることができる。 友人にしてもこれと同じである。(アンデルセン)
<一言>密着取材では真の姿は見られない。対象をしっかり把握するためには対象との間に距離が必要である。「友人」の場合は「距離」が必要である。しかし「夫婦」の間では「すき間」は災いである。

27藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、他25人
コメント

文屋 善明 ということで、写真を一枚

藤木 冨士子 自分をしっかり把握するために客観性が必要。それがなかなか。


文屋 善明
6月17日 6:48 ·
「昨日のFB 06/15」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

8藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、他6人


文屋 善明
6月17日 7:59 ·
NHKこころ旅。北上川の畔。今日の目的地は御堂観音、北上川源泉へ。川がだんだん小さくなる。長い長い4号線(国道)。岩手町に入る。沿線から応援の声。奈良屋でじゃじゃ麺。足がかなり痛む様子。細い北上川、源泉は近い。源泉らしい雰囲気がある。大河の初めの一滴!

13藤木 冨士子さん、Hanna Bunyaさん、他11人


文屋 善明
6月17日 8:43 ·
今日の「折々のことば」。「月に叢雲」を鷲田先生は「良いことにはとかく邪魔が入りやすい」ことの一つの例として論じておられる。この言葉、果たしそういうことだろうか。夜空に輝く満月の月。それを眺めても何の趣もない。ただ、そこに月があるというだけである。完全すぎて面白さがない。というよりも動きがない。満月の写真を取っても、ただ暗闇にお盆のような丸い円があると言うだけである。絵にならない。叢雲とはまだら模様の雲で、雲と雲との間にすき間がある雲である。決して「暗雲」ではない。まさに、群れになって流れている雲である。この雲がまん丸の「不動の月」の前を遮るように流れるとき、満月が輝く。花も同じで美しい花は「絵に描いたように美しい。しかし、その花が風吹かれて揺れるとき、不思議に生きてくる。神もただそこにある神は、確かに神ではあるだろうが、それは「哲学者の神」である。その神の前を「うろちょろ動き回る人間」が居て「歴史の神」となる。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1047941655283295&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

33堀 俊明さん、藤木 冨士子さん、他31人
コメント

藤木 冨士子 文屋先生に賛成。

堀 俊明 西洋人なら幾何模様が好きですから満月が良いのかも?


文屋 善明さんが写真12件を追加しました。
6月17日 17:36 ·
今日、テレビを見ていて、海の中道のアジサイが満開ということで、衝動的に午後から出かけました。こういうことも自動車を降りると出来なくなるなぁ、話し合いながら出かけました。
文屋 善明さんの写真

36大野 泰男さん、大垣 收ピーターさん、他34人


文屋 善明
6月17日 19:22 ·
注文していたミヒャエル・エンデの『魔法のカクテル』が届きました。『モモ』、『果てしない物語』を興味よく読んでいた私、うかつにもこの本を見逃していました。これが邦訳され、出版されたころ、1993年、私は、教会の牧師、幼稚園の園長、管区の法憲法規審議委員として多忙で、ほとんど読書もしない毎日だったのでした。というわけで、ひょんなことから最近この本のことを知り、早速アマゾンの中古本を注文したました。届いた本は、ほとんど新品同様で、これから読みます。先入観なしでエンデの世界に入っていきます。
文屋 善明さんの写真

30大野 泰男さん、木下 海龍さん、他28人

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