ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 10/14

2017-10-16 20:55:56 | ツイッター
お早うございます。主の平和。10月14日、土曜日。宗像市は気温19度、最高21度、曇り。ただ今室温24度。10時半就寝、熟睡?6時10分起床。体温:36.3、血圧(120:78、74)。体調:まぁ快調としておこう、チュンチュン

27 瀧本 直子さん、丹羽 一二さん、他25人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和

Mabune Tatsuo · 共通の友達: 久保和男さん、他44人
おはようございます。今日も主にかたく立って過ごせますように!アーメン。

村田 多鶴子 おはようございます~♪こちらはよく降っています。
両親の都合で昨夕から孫たちが来ています。慌ただしい朝です~(笑)...もっと見る

東山 富昭 こんばんは🌆。今日は、朝の祈祷会に行って、午後は、教会の作業をしていました。明日は、聖日礼拝です。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。明日も、よろしく、お願いします。

藤木 冨士子 こんばんは。

文屋 善明
10月14日 6:16 ·

昨日の日誌
午前:二人で整骨院へ。断想の仕上げ。
午後:昼寝1時間、読書、「黙示録」。
夕方:雨のため散歩は中止。頭の体操。
よる:「駐在刑事SP」、寺島が好演。報ステを見て10時半就寝。

18 磯野 眞紀子さん、岩城 真紀子さん、他16人

文屋 善明
10月14日 6:20 ·

お目覚めの花。「手入れの行き届いた花壇。遠方に出かけなくても散歩道だけで結構いい花が見られるもんだ」。「なんでアベさんを支持する人が大勢いるのかわからん。結局マスコミの人心操作が上手いのだろう」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外

31 磯野 眞紀子さん、丹羽 一二さん、他29人

文屋 善明
10月14日 6:51 ·

2017 日々の聖句 10月14日(土)
御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。(申命記30:14)
群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。(ルカ2:10~11)
私の黙想:
今日の聖句、「御言葉」ではない。「この言葉」(口語訳)である。口語訳以外では岩波訳を除いてすべて新共同訳と同じである。ここでは「御言葉全般」、抽象的に「神の言葉」を言っているのではなく、「この言葉」「その言葉」と特定されている言葉である。「天にあるものではない」、「海のかなたにあるものでもない」(12~13)という。日本人で言うなら、ヨーロッパやアメリカに行かなければ手に入らないものではない。あるいは厳しい修行をして手に入れるものでもない。手を伸ばせば、いや手を伸ばさなくても、「あなたの口と心にある」という。だからこそ、実行しようと思えば、誰でも、簡単に実践できる、という。それこそ、祈らなくても、信じなくても実行できる。大人でも子供でもすぐに、そのまま行うことができる。その言葉とは、「心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛すること」だという。クリスチャンたちは、これこそ非常に難しいことだと思い込んでいる。神の助けがなければできないことだと思い込んでいる。信仰がなければ不可能だと思っている。だいたい「心を尽くし、魂を尽くして」ということが難しいことだと思っている。そうだろうか。簡単な話、神をスキになることである。もしその神が高い天にあるとか、海を渡って取りに行かなければ手に入らない神ではなく、あたしの口の中に、心の中にいる神だ、という。その意味で、難しい説明を論じると、「神がスキになること」と「自分自身が好きになること」、同じことなのだという。私が私自身のことを考えても、そうだ。自分を愛し、自分を大切にすることと、神を愛し、神を大切にすることとは一体なのだ。
今日のテキストこそ、申命記の核心的なメッセージである。ここに、「見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」と神は言われる。

28 磯野 眞紀子さん、菊池 泰子さん、他26人
コメント
門叶 国泰門叶 国泰 成る程、定冠詞ですね。味わってみます。

菊池 泰子 このことに気づくのに何十年とかかりましたが、よく考えてみると子供の頃から自然にしていたことかもしれません。「どうして皆すぐにやらないのだろう?」と思うことが多かったし、今でもそうです。難しいことだと思い込んでいるからなのですね。これから雨の中バザーの準備に出かけます。これも簡単なことなのに、働き人はいつも同じ顔ぶれというのが教会の現状?

文屋 善明
10月14日 7:02 ·

今日の名言:@SaintexuperyBot
救いは一歩踏み出すことだ。さらにもう一歩。そして、たえずその同じ一歩を繰り返すことだ。(サン・テグジュペリ)
<一言>私たちは「救い」という言葉に、あまりにも重い荷を背負わせて居るのではないだろうか。今、ここに生きている私が、生きているという事実が救いそのものではないのだろうか。水の中で溺れそうになっているものにとっては、そこから出て普通の状態になることが「救い」である。溺れもしていない者が何を求めて「救い」と言っているのだろうか。

25 磯野 眞紀子さん、宮田 真也さん、他23人
コメント

Izumi Nara 今を感謝!

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
10月14日 7:04 · 福岡県 宗像市 ·

4年前のローズンゲンです。
4年前
この日の思い出を見るchevron-right

文屋 善明
2013年10月14日 ·

日々の聖句2013 10月14日(月)
わたしの胸が思い煩いに占められたとき、あなたの慰めがわたしの魂の楽しみとなりました。(詩94:19)
わたしたちの主キリスト、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、あなたがたの心を励まし強め、善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。(2テサロニケ2:16-17)
私の黙想:
詩94をじっくり読むと、ジーンと来るものがある。1節から7節まで権力者たちに横暴さが克明に描かれている。そして彼らは「(このことを)神は知らない」と嘯く。その声を聞いて詩人は怒り、8節から16節「神は知っている」、だから神は必ずこの状態を放置なさらないと反論する。
しかしそのような状況の中で詩人は外に向かって行動している訳ではなさそうである。実際に行動など取れる程生易しくはなさそうである。良心ある人々は只心の中で「思い煩う」だけである。
17節から23節までは、そのような現実の中で詩人が実際に経験し心の中での「思い煩い」、いや、その「思い煩い(絶望)」そのものが「魂の楽しみ(=希望)」に変化する内面的経験を語る。

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31 久保和男さん、小貫 ツマさん、他29人

10 宮田 真也さん、安井 郁夫さん、他8人

文屋 善明
10月14日 8:34 ·

「昨日のFB 10/12」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11 安井 郁夫さん、永島 大資さん、他9人

文屋 善明
10月14日 8:40 ·

「今週のローズンゲン 2017/10/08~10/14」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

14 磯野 眞紀子さん、文屋惠さん、他12人

文屋 善明さんが写真5件を追加しました。
10月14日 17:23 ·

今日の散歩道。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、屋外、自然、水

44 瀧本 直子さん、磯野 眞紀子さん、他42人

文屋 善明
10月14日 17:36 ·

1%の金持ち連中のために99%が貧乏になる。そんなの許せるか。私は共産党員ではないが、このビラはホントウだ。
自動代替テキストはありません。
田中 隆夫
10月14日 16:56 ·
共産党のビラ第2弾!「安倍政権、もう💢お断わり」
#比例は共産党 第2面
http://www.jcp.or.jp/web_download/201710-senkyo-gogai2.pdf …

4 安井 郁夫さん、東山 富昭さん、他2人

文屋 善明
10月14日 19:48 ·

大丈夫今の苦しみ報われる、我らの主は涙をぬぐう神 善明(※コメント)

32 磯野 眞紀子さん、岩城 真紀子さん、他30人
コメント

文屋 善明 <イザヤ25章(特定23の日課)をイメージして>

Mizota Michael Satoshi ぬぐうだけでは足りず、栓くらいしてほしいと思う時がほとんどですね。

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