ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 08/13 日航機墜落30年

2015-08-15 06:26:08 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。久しぶりの雨。涼しい一日。整形外科。田上著『キリスト教と政治』続読。カール・バルトの神学と『バルメン宣言』。著者・田上雅徳氏のことを調べる。夜、「刑事7人」を見て10時に就寝。5時起床、体調・快調。チュン、チュン。
いいね!20件コメント5件

佐藤 静代さん、松井 信一さん、藤木 冨士子さん、他17人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 久し振りに雨の音で目覚めました。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。雨です。まもられますように。お祈りします。

藤木 冨士子 1日遅れで、おはようございます。(笑)

文屋 善明 で、今日の分は?

藤木 冨士子 今書きました。
posted at 05:58:04

8月13日@ybunya
文屋善明@ybunya
今日の名言:@wisesaw
人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人には分からないものである。(ウィリアム・サマセット・モーム)
<一言>人生って、自分の思うようにならないから、面白い。
posted at 06:29:19


文屋 善明
8月13日 6:31 ·
今日の名言:@wisesaw
人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人には分からないものである。(ウィリアム・サマセット・モーム)
<一言>人生って、自分の思うようにならないから、面白い。人生の晩年を九州で過ごすなんて、誰が考えたのか。私は知らないよ。
いいね!25件コメント3件

藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、山上 博信さん、他22人が「いいね!」と言っています。

植村 光郎 平凡ですが、住めば都。九州・福岡は、この国で、地震・台風が少ないところです。

文屋 善明 本当に、その通り。人良し、食良し、自然良し。

門叶 国泰 モームは昭和20年代後半~30年代かけて「流行り」ましたね。書棚から、「A Writer's Notebook(朱牟田夏雄編)」「Of Human Bondage」を引っ張り出して眺めています。
posted at 06:30:38

「昨日のツイート 08/11 これが本当の国際貢献だ」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/a994997ddb33b64a382c02a7462ba1b…
posted at 06:58:01


文屋 善明
8月13日 6:26 ·
お目覚めの花。「鉢植えで、すみません」「鉢植えでも見事に実るのですね」「鉢植えのほうが、栽培されたぶどう園のぶどうよりも自然な感じがするから、不思議ですね」「美味しそう、というより美しい」。
文屋 善明さんの写真
いいね!59件

松井 信一さん、藤木 冨士子さん、丸山 順子さん、他56人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
8月13日 6:15 ·
2015日々の聖句 08月13日(木)
わたしたちの主は大いなる方、御力は強く、英知の御業は数知れない。(詩147:5)
神を愛する者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ロマ8:28)
私の黙想:
イスラエルの民の「神自慢」である。「子の親自慢」といって笑われるかもしれない。笑われたっていいではないか。自慢できる親を持つことは幸である。主観的だと言われようと、そんなこと構わない。親子関係において、客観性が何の役に立つ。私の親より、もっと力強い者、偉い人、高学歴の人、頼りがいのある人は世間にたくさんいるかもしれない。それが何だ。彼らは私のために何かしてくれるのか。私が弱っている時、困っている時、食べるものがなくて死にそうな時、私が世間から批判され、糾弾されるようなことがあっても、何かしてくれるのか。私の親は、自分が食べなくても私に食べさせ、そのために恥も外聞も恐れず、守り、助けてくれる。それが「私の親だ」。私たちとヤハウエとの関係はそういうものだ。イスラエルの民はそのように歌う。
いいね!25件コメント1件

藤木 冨士子さん、木下 海龍さん、尾股 賢一さん、他22人が「いいね!」と言っています。

石井 昭 アーメン


文屋 善明
8月13日 6:38 · livedoor News ·
読んでいて、思わず、胸にグッと来る。

日航機墜落30年 機長の長女はいま… - ライブドアニュース
520人が死亡した、日航ジャンボ機墜落事故の機長の娘は、実は今、日本航空の客室乗務員として働いている。事故から、12日で30年。彼女を支えていたのは、...
NEWS.LIVEDOOR.COM

http://news.livedoor.com/article/detail/10459032/

いいね!91件コメント6件シェア1件

西川 芳昭さん、藤木 冨士子さん、播 稔さん、他88人が「いいね!」と言っています。
シェア1件

糸原 由美子 このようなことがあるといつも心無い人たちが電話したりするんですね。きっと遺族たちではないと思います。こういう機会を待っていて、悲しみの中にある人をさらに貶める、ある意味さみしい、悲しい残念な人がいるんですね。

鈴木 ゴリ 宣仁 この便を予約していました。予定が変更になり一週間後の同じ便に変更になりました。
生き残った者の一人なのだ、先に逝った人の分も生きようという思いをあれ以来ずっと持ち続けています。

文屋 善明 言葉を失います。

山本 友美 ,30年前のこの日は久留米聖公教会の教会学校のキャンプでした。私は親しい人を空港から沖縄へ送り、夕方参加、このニュースがとびこみました。子供たちと祈ったのを覚えています。

播 稔 高濱機長の長女であり同じ遺族なのです。


文屋 善明さんが宮崎 好彰さんの投稿をシェアしました。
8月13日 7:47 ·
宮崎 好彰さんの写真

宮崎 好彰さんが新しい写真4枚を追加しました
Mai più Hiroshima

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=731326186978809&set=pcb.731326273645467&type=1&theater

毎年、ローマのパンテオン前広場で行なわれる原爆慰霊の式典。
イタリアのいくつかの都市でも、それぞれの方法で行なわれている。

いいね!32件コメント5件

松岡 義之さん、藤木 冨士子さん、糸原 由美子さん、他29人が「いいね!」と言っています。

植村 光郎 「反核兵器」が世界共通の言葉に。素晴らしいことです。

文屋 善明 こういうニュースをもっと流して欲しいですね。ああ、日本のマスコミはダメか。

磯道義典 知らなかった、喜ばしい。

竹花 京子 ミラノの妹もこのニュースは投稿していました。日本では知り得ないニュース。シェアさせてください。

藤木 冨士子 私も今年初めて知りました。FBのおかげです。シェアします。


文屋 善明
8月13日 8:12 ·
今日の「折々のことば」。私もiPhoneやiPadにSiriという機能があることは知っているが、使ったことがない。どうせ大した返事はないだろうという「偏見」を持っているのであろう。ある意味で「馬鹿にしていた」こと大いに反省しなければならないだろう。ただ、問題はその答えに至る「論理」は誰が教えたのだろうか。結局、その人の知性の枠内なのだろう。あっ、これも偏見か?
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=881269658617163&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=1&theater

いいね!52件コメント12件シェア1件

藤木 冨士子さん、大坂 太郎さん、永田 惠めぐむさん、他49人が「いいね!」と言っています。
シェア1件

文屋 知明 これは、面白かった!(^^)/

文屋 善明 では、何時もはあまり面白くないということですね。

文屋 知明 同じ質問を次の日にすること、それに、反応する機能がね!違う質問でやってみるとどうでしょうね・・1+1は?では・・・、「∞」とでるか!

文屋 善明 第1日目に1+1は?と問えば、その答えは間違いなく「2」でしょう。おなじ質問をあくる日に問えば、「未だわからんのか、アホ」と答えるでしょう。

文屋 善明 もし、これと違う反応をしたら、私の勝ち(価値)です。

村田 多鶴子 ハ・ハ・ハ~♪? ご兄弟のやり取りを楽しませて頂きました~(笑)

Satoshi Mizota いまやりました。『愛とはなんですか?』『分かりませんでした。』

増野 真美 笑わせていただきました!ありがとうございます~(#^_^#)

植村 光郎 ヘー!そのソフト見てみたいです。

文屋 善明 これはソフトというよりも、機能です。

播 稔 すごいですねー。 人工頭脳ですね。

藤木 冨士子 すごくて私は怖いかも。


文屋 善明
8月13日 16:30 ·
メモ:ピューリタンの項目を論じる場面で、著者は初めて著者自身の視点を次のように明らかにする。
<あらかじめ述ベるなら、アングロ・サクソン世界に生まれたピユーリ夕ニズムを本書が重要だと見なすのは、それが、自発的結社(ボランタリー・アソシエーション)という宗教共同体のモデルを定式化しからに他ならない。17世紀イングランドに生きたピューリタンたちが共有する信念があったとすれば、それは「属地主義」を自明の前提とする国教会制度に対するラディカルな批判だった。>(田上『キリスト教と政治』234頁)
いいね!13件コメント1件

木下 海龍さん、藤木 冨士子さん、岡 輝美さん、他10人が「いいね!」と言っています。

Daniel Corl これはクエーカー教徒にもあてはまります。


文屋 善明
8月13日 16:31 ·
メモ:ピューリタンについて、著者は言う。
<ピューリタンとは、英国の国教会における「属地主義」の矛盾点に割り込んできた、大陸の宗教闘争によって祖国を追われたカルヴィニストたちとその思想的影響によって、「信仰(=良心の自由)の純粋性」を求めた人たちであった。>(田上『キリスト教と政治』231頁)
<ピューリタンたちによるこうした国教会批判の背景には「終末意識」が関係していた。いうまでもなくこれは、本書が全体を通して重視している思想的要因だが、17世紀のイングランドでいえば、旧約聖書の黙示思想に由来する歴史観が見なおされたり、フランスなどのカトリック国の動向を「反キリスト」勢力の台頭と見なしたりと、そこでは少なからぬ人びとの間で強烈な「終末意識」が共有されていた。そして、そういう知的.心理的環境も手伝って、ピューリタンたちは容易に、既存の国教会の「堕落」を終末の予兆と見なすことになったのである。>(田上『キリスト教と政治』234頁)
いいね!10件

松井 理直さん、藤木 冨士子さん、Daniel Corlさん、他7人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
8月13日 16:32 ·
メモ:ピューリタンの共同体
ピューリタンたちは、教会に代わる新しい宗教共同体を形成しそれを持続させるには、聖書から「共同性」を現実化させる思想としての「契約」という概念を取り出してくる。神と人、そして人と人とのあるベき関係を規定し、これを軽視したときに被る制裁まで明示する聖書の契約理念。これに一人一人が自覚的にコミットすることが、国教会離脱後に建ちあげられる宗教共同体の中心になるのである。
ともあれ、17世紀のイングランドでピューリタンたちは一時的であれ、自分たちの理念を体現する宗教共同体を実現したのである。その時、ピューリタンたちは個々人の主体性や自発性を重んじることで人は理想的な宗教共同体を立ち上げうるのであれば、同じことがどうして世俗の政治共同体でもいえないだろうか、という考えた。聖俗両共同体のあり方を問い直すチヤンスは、近代初期のイギリスにおいて宗教共同体が自発的結社として捉え直されたことに由来していたのである。(田上『キリスト教と政治』236頁)
いいね!16件シェア1件

藤木 冨士子さん、岡 輝美さん、松井 理直さん、他13人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
8月13日 16:32 ·
メモ:アメリカという国
アメリカという国を、宗教的か政治的かを問わず、共同体を自発的結祉として受け止める傾向が強いアングロ・サクソン世界、という視点から提え直してみたい。
北米大陸における植民活動で大きな役割を担ったのは、理念にもとづいて共同体を形成できるし形成すベきだ、と固く信じるピューリタンたちだった。
ところで政冶の現場では、特定の理念を特定の人(びと)が過度に追求すると、いろいろな無理が生じるものである。当の理念をめぐる衝突も起こるだろう。そしてこのとき、共同体を設定する場としての空問が重要な意味を持つことになってる。ところがアメリカ大陸は広い。そこでは意見が違えば「外に出ていける」。だから、アメリカという広い大地は「自発的結社としての共同体」をいくつも形成できたのである。
例えば、クェーカーがそうだ。クェーカーの指導者ウィリアム・ペンの名前をとった「ペンの森」、つまりペンシルバニアである。その結果が、「参加者意識の高いコミュニティの建設である。
ところが、このような共同体の弱点は「異質な人びとと何か折り合いをつけて共存するということが苦手なのである。
いいね!19件コメント2件

山上 博信さん、藤木 冨士子さん、岡 輝美さん、他16人が「いいね!」と言っています。

Hajime Kawamukai この辺、アメリカにおける神の国 ラインホールト・ニーバー辺りにも触れてありましたし、森本あんりの反知性主義にもあったか、と。

播 稔 アングロサクソン世界の人間が、少し判るような気がしました。なるほど。


文屋 善明
8月13日 16:33 ·
メモ:ラインホルド・ニーバーの「クリスチャン・リアリズム」
キリスト教信仰に倫理的な妥当性があるとするならば、それはむしろ、一見したところモラルに適っていると思われることに潜む悪を浮かび上がらせるて、これを批判的に問い質すことにある。246頁
いいね!7件

藤木 冨士子さん、播 稔さん、森田 美芽さん、他4人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
8月13日 16:34 ·
メモ:ニーバー兄弟の論争
ラインホルド・ニーバーの社会倫理を巡って弟リチャード・ニーバーとの間で論争された。この論争は日本人にとっても重要な意味があるので、かなり長いが、ほとんどそのまま引用する。論争は1932年春、弟リチャードがイエール大学教授という立場で、キリスト教オピニオン誌に掲載したことから始まる。であった。
<そこで彼(弟リチャード)は、(満州)事変への対応策として経済制裁を日本に対して行うベきだと勇ましく説くアメリカ人たちを非難する。中国侵略ということでいえばアメリカは日本の先輩格にあたるのであり、アメリカによる日本の糾弾は偽善以外の何ものでもない。少なくともアメリカのキリスト教徒は、自国が日本に向けて強制力を行使するのを支持すベきではなく、むしろこの機会を帝国主義にかかわる自己反省の時とすべきでなのだ。こうした主張を掲げたリチャードの文章には「何もしないことの恵み」とのタイトルが付せられてあった。
だが兄ラインホルドはただちに、弟の論考に対する反論をものする。兄が弟の中に見いだしたのは、「不純な動機を宿す行為はすベて均等に不道徳であるとみなす宗教的蒙昧」に他ならなかったからである。兄は指摘する。弟は「強制力の不道徳性のみが特定の状況から切り離されて一方的に強調される」という過ちを犯している。しかしリチヤードのように「イエスの倫理に文字通り忠実であろうとする人は、結局相対的な正義のために何もできずに終わり、その無活動がかえって悪を助長してしまうという皮肉な結果を生む」(鈴木有郷『ラインホルド・ニーバーとアメリカ』80〜81頁)であろう。このようにラインホルドは、自分と同じくアカデミックな世界でキリスト教倫理を講じるようになった弟に、責任倫理を軽視しない観点から再考を促しているのである。
戦争と平和をめぐって明確な姿を現し始めたラインホルド・ニーバーの倫理思想は、満州事変の数年後、より人びとの注目を集めるものになっていく。いうまでもなく、ヨーロッパにおけるナチスの台頭が契機となって、である。(中略)
「あなたの誤りは、歴史の中に罪を犯さずに生きようとすることにある。けれども、そのような可能性は歴史の中に存在しない」。>(前掲書128〜129頁)。
いいね!20件コメント1件

藤木 冨士子さん、岡 輝美さん、松井 理直さん、他17人が「いいね!」と言っています。

水草 修治 リチャードの主張が「反省するが、実際は何もしない」ことでなく、「反省して、行動する」ことであればよかったのに、と思います。つまり、キリスト者が米国政府に、当時で言えばフィリピンでの虐殺・暴虐を悔い改めて、植民地政策をやめて賠償するようにと働きかけ、「わが国も悔い改めたから、貴国も中国から手を引きたまえ」と日本に働きかけることであったなら、ということです。
 まあ、過去の歴史のことですから、私の言っていること自体、机上の空論にすぎませんけれども。


文屋 善明
8月13日 16:34 ·
メモ:アメリカにおけるキリスト教と政治
<1960年代、カウンター・カルチヤーやベトナム反戦運動に人びとが直面した頃は、ニーバーの影響を受けた若い聖職者たちが全米各地の主要な教会に派遣された時期と重なる。そして、彼ら東部の名門大学神学部を卒業した牧師たちが教会の説教壇から発したメツセージは多くの場合、伝統的なキリスト教の説教とは異質のものだった。それは、人びとのいわゆる宗教心に訴えて、敬虔な生活を推奨するのではなく、聖書を同時代の社会問題に引きつけて解釈、論評するスタイルの説教である。宗教としてのキリスト教が重んじる礼拝の場にも、進歩的なマスメデイア上で見聞きするクリティカルな言説が飛ぴ交い始めたことに、人びとはショックを受け、そして失望する。こうして、各種統計が示すように、リベラルな姿勢を持つ(ということは、ニーバーの影響の強い)メインラインの教会は所属会員数を1960年代後半から多く失うようになり、その代わり、素朴な信仰に立脚しようとする福音派の教会は会員数を飛躍的に伸ばしていくことになったのである。
こうして、1960年代までにアイデンティティ・クライシスに脅かされていたアメリカの敬虔なクリスチャンたちは、 70年代以降、一気に政治的に目覚め、反攻に転じることとなった。思えぱ、 60年代までがおかしかったのだ。世俗社会の潮流におもねってキリスト教のメッセージを歪め、しかもそうすることで進歩的であることを気取っているうちに、素朴かつ健仝な宗教心とその宗教心が生み出す道徳が、そしてそういう道徳に立脚していたはずのアメリカが危機に瀕したのだ。こういう思いを明快に代弁するメツセージが、日曜日ごとに福音派の教会の説教壇から語られる。それだけではない。これまた第2次世界大戦後急激に発達した媒体を通じて、こうしたメツセージは敬虔なキリスト教徒たちの家庭にフル夕イムで届けられるようなったのである。ケーブルテレビなど、多チヤンネル化によって発信の場を新たに得たテレビ伝道者たちを通じてである。
こうして1980年になると、保守革命と称される政冶ムーブメントの一端を福音派が担う体制が整い始める。ジェリー・ファルウェル やパット・ロバートソンといったテレビ伝道者はそれぞれそれぞれ「モラル ・マジョリティ」「キリスト教連合という団体を作り、 家族の価値や反共主義を体現する連邦レベルレでの政策を実現するよう、人びとを動員し、議会や政党に圧力をかけていく。そして彼らの努力は、伝統的な価値観の擁護を訴える共和党の ロナルド・レーガン が大統領に当選したことで一定の成果を見た。そして、このレーガン以来、政治的存在感を示すようになった福音派の一部が宗教右派の支柱を担っていくのである。>(田上『キリスト教と政治』260頁)
いいね!35件コメント3件シェア3件

増野 真美さん、小栗 龍男さん、小貫 ツマさん、他32人が「いいね!」と言っています。
シェア3件

堀 俊明 説教は差別を語れば良いという時代がありましたね〜!

健一 松浦 ニーバーは最近読み出しましたが、とても興味深い話です。紹介のシェアさせてください。

増野 真美 シェアします


文屋 善明
8月13日 17:05 · 編集済み ·
田上雅徳『入門講義 キリスト教と政治』(慶応義塾大学出版会)の読後感想。
読み終えて、全体を振り返ると、先ず第1部で聖書のテキストから「共同性」と「終末意識」という2つのキイ・タームが取り出され、第2部の古代地中海世界の部分では、主にアウグスチヌスの「神の国」から、キリスト教の政治への関わりにおける「共同体論」と「終末論」が論じられ、第3部中世教会史の部分では、ユニバーサルなコルプス・クリスティアーヌム(「キリスト教世界」)を確立し、ここから政治世界に対して権威付けを担う教皇権が論じられる。ここでは、世界が一つの統一体として捉えられる。従って、空間としての「共同体」がテーマで、時間としての終末は意識の外に置かれる。であるとされる。その上で、第4部の宗教改革では、その統一体としての世界は、有限であるという視点から、現世の終わり、時間意識としての終末論が取り上げられる。その上で、第5部では共同体としての教会と共同体としての政治とが絡み合っている関係が論じられる。
非常に壮大なプランのもとに、この「入門講義」は構成されている。
いいね!20件コメント5件
いいね! コメント シェア
松井 理直さん、西川 芳昭さん、望月 克仁さん、他17人が「いいね!」と言っています。

Daniel Corl 第3部でフィオーレのヨアキムはどのように位置づけですか?
8月13日 20:18 · いいね!

文屋 善明 その名前は出て来ませんでしたね。
8月13日 20:33 · いいね!

Daniel Corl だから第3部はやや静的なのでしょう。ヨアキムは千年王国思想の持ち主で終末論的歴史意識を持っていましたからね。
http://flamboyant.jp/eschatology/esc026/esc026.html

世界の終わり フィオーレのヨアキムが語る千年王国
FLAMBOYANT.JP
8月13日 20:56 · 編集済み · いいね! · プレビューを削除

門叶 国泰 有難うございます。ゆっくり追いかけます。
8月13日 21:00 · いいね!

文屋 善明 フィオーレのヨアキム、出ていました。トマスと同時代のフランチェスコ修道会の修道士で、緻密な終末論を提示した、と言われています。著者は彼に非常に好意的に書いていますが、ただ一言、「トマスがヨアキムの所論を『憶測に過ぎない』とばっさり切り捨てられた」と述べています。これが中世の神学の総括の部分で述べられています(同書、151頁)。

最新の画像もっと見る