ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/03

2016-04-05 10:25:57 | ツイッター
お早うございます。主の平和。復活論(復活信仰)は信じられないこと、あり得ないことが起こったというところからしか始まらない。信じられないことを何故信じたのか、これが根本的謎。ごごから、釣川堤防を散策。「桜つつみ」と名付けられているだけのことはある。大変な人で、お弁当を開いているグループも沢山あった。夜、「京都南署鑑識ファイル」を見て11時半に就寝。6時に起床。血圧(134:79,75)・体調・快調。チュン、チュン。

35堀 俊明さん、藤木 冨士子さん、他33人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

萩野 秀子 おはようございます。礼拝、チラシ配布です。良き日となりますようにお祈りします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにとお祈り致します。
復活節第二主日礼拝が祝されますようにm(__)m


文屋 善明
4月3日 6:27 ·
お目覚めの花。「今日は復活節第2主日です」「なぜ復活節は復活節と言うんだろう。復活後第1主日でもいいではないかと愚考する」、「そんなこと言いだしたら、21世紀の現在も全てあの時から数えて復活後〜〜〜〜主日いわなきゃならないじゃない」「じゃ、なぜ聖霊降臨後~~~主日って言うんだい」「屁理屈を捏ね廻すのじゃない。それが復活という出来事の一回性ということじゃないの」。
文屋 善明さんの写真

37堀 俊明さん、藤木 冨士子さん、他35人
コメント

文屋 善明 ローズンゲンを見ると、ドイツ(ルーテル派)では今日の主日を「復活後第1主日」と呼ぶらしい。

門叶 国泰 QUASIMODOGENITI(Wie die neugeborenen Kindlein)となっていますね。ここから先が私のドイツ語では、10年早い。

村田 多鶴子 えっ、そうなんですか?!


文屋 善明
4月3日 6:43 ·
2016 日々の聖句 04月03日(日)
主は我らの王となって、我らを救われる。(Isa.33:22)
主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。(2Thes.3:3)
私の黙想:
今日の聖句、当たり前すぎて、黙想が始まらない。22節全体を読むと面白い。主が王であるという意味が明白になる。王とは司法と立法権と統治権(行政)を併せ持つ存在だと言うことである。つまり、三権分立の原理がここには表明されている。主が「王である」という意味はこれらの三権を併せ持っているということ、そのことが国民にとって「救い」だという。これを現在の日本に当てはめるならば、国民主権ということは国民が三権を持っているということである。つまりこの国で最も偉いのは「国民」である。司法も立法(国会)も行政(内閣)も国民に基礎付けられてその仕事をしている。現在、日本で実に馬鹿らしい議論が展開している。内閣総理大臣があたかも「王」であるかのように振る舞い、そう信じ切っているような振る舞いが見られる。ここに根本的な過ちがある。せっかくの日曜日、つまらないことを考えてしまった。

27藤木 冨士子さん、小貫 ツマさん、他25人
コメント

門叶 国泰 何で同じことを?

文屋 善明 政治学専攻の門叶さんと同じ発想で光栄です。

清水 行雄 先生の黙想とは関係ありませんが、イザヤ書33章を口語訳で読んで、イザヤ書のような預言者の言葉を収録している聖書とは、実に不思議な書物だと、改めて思いました。


文屋 善明
4月3日 6:57 ·
今日の名言:@F_W_N_jp
物事のそもそもの初めを探すことで、人は蟹になる。歴史家は後向きにものを見る。挙句の果てに、後向きに信ずるようにもなる(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」24)
<一言>ハッハッハ。ドイツのカニは後ろ向きに歩くらしい。ニーチェはヨーロッパ全体の歴史思考を批判し、笑っている。その意味でニーチェは未来思考である。

22藤木 冨士子さん、小貫 ツマさん、他20人
コメント

久保和男 よい主日を。


文屋 善明
4月3日 11:34 ·
「昨日のツイート 04/01」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

9藤木 冨士子さん、文屋 知明さん、他7人


文屋 善明
4月3日 12:58 ·
イミタチオ・クリスチ(82):
私たちの進歩は私たち自身の決意に対応している。大いに進歩したいと思う人は大いに勤勉でなければならない。固い決意をした人でも失敗することはある。まして、あやふやな決断しかしていない人に何ができるであろうか。19:5~6

21寺田 由志子さん、堀 俊明さん、他19人

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