ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 09/06

2012-09-07 07:51:01 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『検察崩壊』続読。要するに検察は石川知裕氏の「供述調書」と「捜査報告書」とを意図的に混同させ、検察審査会の結論を誘導したのである。日本の検察はそこまで腐っている。午前中、イオン福津に出かけ映画「あなたへ」を観て、午後からはその余韻に浸っていた。午後9時半就寝、午前4時半起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 04:36:58

文屋 知明 「早寝早起き、元気な子」ですね!

文屋 善明 だといいのですが、夜はもっとすることがあるのにダウン状態で寝てしまいますし、朝は目が醒めてしまって寝ておれなくなります。そして、昼間は眠気がダラダラと続きます。これでは「元気な老人」とは言えませんね。

文屋 知明 老人って、そんなもんや!アニキは、やるべきと思うことの意欲が多すぎる?文屋家の家風やね~、私も同じ!

#losungenj 09.06(thu)
主の使いはその周りに陣を敷き主を畏れる人を守り助けてくださった。(Ps34:8)
posted at 04:59:01
#losungenj 09.06(thu) 主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。(Act12:7)
posted at 04:59:24
#losungenj 私の黙想:
「危機一髪」というところで奇跡的に救出されるという経験をする。いや、私は何度かそういう経験をした。私はその時「天使が助けてくれた」と信じる。合理的説明はいくらでもできるが、「何故、その時に、そこで、私のために」という説明は不可能である。
posted at 05:04:31

今日の名言:RT @Einstein_ja:
神はサイコロを振らない。
<一言>アインシュタインの有名な言葉。しかし人生はしばしばサイコロで決まる。神は人間がクジを引いて決定することを許しておられる(参照:使徒1:26)。神は人間のクジも支配しておられる。だからローズンゲン(籤)が面白い。我が家はかつて宝くじが当たって経済的危機を逃れたことがある。
posted at 05:19:38

「昨日のツイート 09/05」をブログにアップしました。 http://t.co/GXhyklCo
posted at 05:49:54

FB『もしニーチェが短歌を詠んだら』3(42頁)
たとえば地球 真裏の地にも いつだって 正しく立ってる人がいるもの
『悦ばしき知識』第4書「聖なる1月」第289節
(どんどん、コメントをお寄せください。みんなでこの短歌を味わいましょう。)

文屋 知明 「たとえれば 地球の裏にも 何時だって 正しく立つ人 いると知るなり」

文屋 知明 「たとえれば」を強調して「何をたとえているかを」考えさせる。短歌も俳句もリズム感が必要、時には、意識的に「字余り」にする。

文屋 善明 おお、その方がいい短歌になっている。ただ、「たとえば地球」というのと「たとえれば」というのの違いはなんだろう。ニーチェにとって、この「地球」とは「哲学」を意味しているといわれている。プラトンやキリスト教に基づく哲学を全否定して、全く新しい哲学を思考することができるという意味らしい。

文屋 知明 「たとえば地球」と言うのは、「即物的」すぎる・・。「地球」と「真裏の地」の「地」が重なって面白くないし、「前の句」が日本人のDNAに組み入れられている五・七・五・ 七・七 のリズムから少しずれている感がある。「・・・・いるもの」を「知るなり」といきなり「他人」に押し付けるのではなく、「わたしはそのように知ったと」、他者に伝える、「謙虚さ」があるほうが、かえって他者に訴えることができる。

文屋 善明 うん。そうだね。その方がいい。

注目:『戦後史の正体」の著者、孫崎享さんが、ツイッターで次のような発言をしておられる。
<森本防衛大臣について、5日の東京新聞は「就任前の今年1月、電力関係講演会で日本の原発維持を主張し「周りの国から見て非常に大事な抑止的機能を果たしている」と発言したとのこと。馬鹿の一つ覚えのように何でもかんでも「抑止力」。周辺国から見れば日本の原発をミサイル攻撃すれば核兵器積んでなくても、原発事故で日本壊滅する。>

FB<閑暇閑話(かんかかんわ)>3
 閑な老人の駄弁、昼寝からの目覚ましに、どうぞ。

「閑」という字は、「閑職」(あまり仕事のないひまな職務)、とか「閑静」(もの靜かな様子)、「安閑」(のんきに暮らす様子)、「閑座」(静かに座っていること)というような熟語を構成する。要するに「閑」とは静かに周りを見る余裕を意味するらしい。つまり「閑暇閑話」とは、あくせくした生活から離れ、周りを見る余裕のある閑人の無駄話ということを意味する。

本日取り上げる徒然草第38段の冒頭の言葉は、「名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ」。これをある人は次のように現代語に訳しています。
以下は第38段の現代語訳全文です。断っておきますが、以下の文章の内容につきまし、ご不満がありましても、私には責任はありませんので悪しからずご了解ください。

人から羨望の眼差しで見てもらうために忙しく、周りが見えなくなり、一息つく暇もなく、死ぬまでバタバタしているのは馬鹿馬鹿しい。金目の物がたくさんあれば、失う物を守ることで精一杯になる。強盗や悪党を呼び寄せ、宗教団体のお布施にたかられる媒介にもなる。黄金の柱で夜空に輝く北斗七星を支えられるぐらいの成金になっても、死んでしまった後には、誰の役にも立たないばかりか、相続で骨肉の争いが勃発するのが目に見えている。流行の最先端を歩もうとする人向けに、目の保養をさせて楽しませるような物も虚しい。運転手付の黒塗りの高級車や、プラチナの爪にダイヤモンドを飾ったアクセサリーなどは、賢い人ならば「下品な成金の持ち物」で「心が腐っている証拠だ」と、冷ややかな目で黙殺するに違いない。金塊は山に埋め、ダイヤモンドはドブ川に投げ捨てるのがよく似合う。物質的裕福さに目がくらむ人は、とっても知能指数が低い人なのだ。
時代に埋もれない名誉を、未来永劫に残すことは理想的なことかも知れない。しかし、社会的に地位が高い人だとしても、イコール立派な人だとは言えない。欲にまみれた俗人でも、生まれた家や、タイミングさえ合えば、自動的に身分だけは偉くなり、偉そうな事を言いはじめる。通常、人格者は、自ら進んで低い身分に甘んじ、目立たないまま死ぬことが多い。意味もなく高い役職や身分に拘るのも、物質的裕福さを求める事の次に馬鹿馬鹿しいことである。
「頭脳明晰で綺麗なハートを持っていた」という伝説だけは、未来に残って欲しいと思うかも知れない。しかし、考え直してみれば「自分の事が伝説になって欲しい」と思うのは、名誉を愛し、人からどう思われるかを気にしているだけだ。絶賛してくれる人も、馬鹿にする人も、すぐに死ぬ。「昔々あるところに、こんなに偉い人がいました」と話す伝説の語り部も、やはりすぐに死んでしまう。誰かに恥じ、自分を知ってもらいたいと願うことは無意味でしかない。そもそも、人から絶賛されることは、妬みの原因になる。死後、伝説だけが残ってもクソの足しにもならない。従って「伝説になりたい」と願うのも、物質的裕福さや、高い役職や身分に拘る事の次に馬鹿馬鹿しいことなのであった。
それでも、あえて知恵を追求し、賢さを求める人のために告ぐ。老子は言った。「知恵は巧妙な嘘を生むものである。才能とは煩悩が増幅した最終形だ。人から聞いた事を暗記するのは、本当の知恵ではない。では、知恵とはいったい何であろうか。そんな事は誰も知らない」と。荘子は言った。「善悪の区別とはいったい何であろうか。何を善と呼び、何を悪と呼べばいいのだろうか? そんな事は誰も知らない」と。本当の超人は知恵もなく、人徳もなく、功労もなく、名声もない。誰も超人を知らず、誰も超人の伝説を語ることはない。それは、真の超人が能力を隠し馬鹿なふりをしているからではない。最初から、賢いとか、馬鹿だとか、得をするとか、失ってしまうとか、そんなことは「どうでもいい」という境地に達しているから誰も気がつかないのだ。
迷える子羊が、名誉、利益を欲しがる事を考えてみると、だいたいこの程度の事だ。全ては幻であり、話題にする事でもなく、願う事でもない。(吉田兼好著・吾妻利秋訳)

<補遺>特になし。

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