ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 09/07

2012-09-08 06:09:53 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『検察崩壊』続読。第3章の八木啓代との対談は恐ろしい。鉄の結束で政権をも裏で支配する検察権力の足下に彼らを脅かす謎のシステムが蠢いている。彼らの存在を脅かす極秘資料が既に世間に流出していたのだ。それでも尚、しらばっくれ続けている厚顔さにはあきれる。その謎のシステムの実態はわからない。今までは検察だけが握っていた捜査資料がほとんど全て筒抜けになっている。夜は「京都地検の女」、「遺留捜査」を見て10時半就寝、今朝は午前5時半起床。十分に寝た感じ。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:41:48

#losungenj 09.07(fri)
主よ、あなたの裁きによって定められた道を歩み、わたしたちはあなたを待ち望みます。(Isa26:8) 裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。(1Cor11:32)
posted at 06:01:45
#losungenj 私の黙想:
捕囚の地バビロンにおいて、イスラエルの民は祖国の地に「堅固な都」(3節)が再建されることを希望し、確信している。それは戦争と略奪によって立てられる豪壮な都ではなく、「パーフェクト・ピース」(米田豊)、平和によって築かれ、平和によって維持される都である。異国の地において預言者の目はこの世の権力の横暴、暴力を鋭く批判的に見ながら、その中で神のみに信を置く民の生き方を「平和」という言葉に託している。
posted at 06:17:07

今日の名言:RT @meigenkakugen:
人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称しがたい。しかし、とにかく一部を成している。(芥川龍之介)
<一言>「落丁」とは原稿にはあるのに、完全な書物は存在するのに、印刷の途中で何らかの事情により抜けてしまった頁を意味する。これは一般的な人生論ではなく、「私の人生」がそんなものであるという意味である。
posted at 06:34:20

「昨日のツイート 09/06」をブログにアップしました。 http://t.co/QCz8KHYw
posted at 08:04:21

郷原信郎『検察崩壊』読了。凄い本だ。取り上げられている中心的な「事件」は最高裁において無罪と判決された小沢事件における検察審査会への証拠資料として石川知裕氏の対する検察の取り調べにおける供述調書と田代検事による捜査報告書の矛盾である。この事件により初めて取調室の実態が暴露された。
posted at 15:15:14
FB『もしニーチェが短歌を詠んだら』4(19頁)
伝統と闘ったとしても やましさを感じずにいられるようになれ!
『悦ばしき知識』第4書「聖なる1月」第297節

(どんどん、コメントをお寄せください。みんなでこの短歌を味わいましょう。)

文屋 善明 信田正三訳では「習慣となったもの・伝統となったもの・聖化されたものと戦うことによって獲得する疚しさを知らぬ良心」とある。やはりニーチェも「やましさ」を感じ、それを克服し、「真の良心」を獲得したのであろう。

文屋 善明 この短歌はニーチェの思想を短歌として表現したものです。従ってニーチェの思想という枠をはみ出してはいけません。その意味で「あえて」という言葉は強すぎる気がします。ニーチェの主観によれば、「あえて」ではなく「しかたなしに」、「やむを得ず」戦ったのです。従って戦っている中で絶えず、終わりまで「やましさ」を感じていた。伝統との戦いは自己の内部にある疚しさとの戦いでもあり、最終的に根拠とするものは「良心」だというのです。それはイエスの場合でも同じだろうと思っています。ただイエスの場合は良心とは言わず「神」と言った。

文屋 知明 創造的な人生を歩もうと思う者は、あえて(やりにくいことを押し切ってすること)、闘争的な気持ちで歩まねばならない。更に、やましさ(良心がとがめる。後ろめたい)を感じないためには、高潔な精神(良心には深みがあるが迫力が薄い)と持たねばならない。でなければ到底、そうような道を拓けない!

文屋 善明 あなたの「あえて」と「やましさ」の解釈は了解しました。あれぇ、あなたの短歌が消えている。あれはあのまま残しておいて欲しいな。決して悪い作品だとは思っていません。

文屋 知明 なぜ!消えたのかな~、覚えてないわ!

文屋 善明 それじゃ、もう一度アップしていただきたい。短歌そのもののリズム感や完成度は高いですから。

三浦 三千春 「伝統の名に隠れ自らの良心死なす愚かをぞ知れ」ってのはどうですか?

文屋 善明 確かに弟のところからは送られているのに、私のところは入らないので、コピーしておきます。 "〽伝統と やむを得ず闘えど やましさを 感ぜぬ道を 拓きたる..." これは弟の作品でコメントの2番目に入るべきものです。

文屋 知明 〽 伝統と やむ得ずして 闘えど やましさ感ぜぬ 道を拓くべし 〽(最後を「なり」より「べし」の方が当然だ、と「・・なれ」という命令調に近くなるかな?~~倒置的に「やましさ」を強調すると・・ 〽 やましさを 感ぜぬ道を 拓くべし やむを得ずして 伝統と闘いしが 〽 (やましさを感じない高潔な自分でなければ、しかたなく伝統と闘うには・・・かな)

三浦 三千春 今の風潮に即して言えば「伝統」の部分に、
「世論」とか「KY」とか「絆」とか入れられそうです。

三浦 三千春 知明さんのは、現実主義者的デスネ~

文屋 知明 再度申し上げますが、創造的人生、創造的芸術家は、「あえて」伝統と「自分自身の表現」のために戦う!!

文屋 善明 知明の第2作は面白いが、今度は逆に「やむを得ず」が強すぎる感じがする。三浦さんの作品は、作品それそれ自体としてインパクトがある。

文屋 善明 先日、全国高校対決「俳句甲子園」とテレビで見たが、一つの作品を前に置いて二つの高校の生徒が激しいディベートをする姿を見ました。非常に迫力がある弁論でした。そういうことが、フェイスブックでもできたらいいなと思います。

文屋 知明 「俳句」は「短歌」より、更に、「磨かれた(?)言葉」が必要かも・・・難しいぞ~!(-_-;)

文屋 善明 結局、今の私のスタンスは先ずニーチェの思想があって、それを短歌という形式で表現するという枠から出ていないのだと思います。もし、ニーチェ自身が短歌を作ったとしてら、もっと自由に、彼の思想そのものを超えるような作品が生まれたのだと思います。

三浦 三千春  短歌:リクツ好き向き、俳句:感性派 といえるかも知れませぬ。季語が要りますしネ。

文屋 善明 私は徹頭徹尾、散文的人間で、短歌や俳句には憧れており、時々は批評のようなことはしますが、今までに一句も書いたことがありません。

文屋 知明 三浦さん、さすが鋭いですね! 作曲家は「抽象的」なモノを「具体的」に表現しなければならいのでね~!現しきれないですが・・・!(ー_ー)!!

三浦 三千春  ニーチェの短歌を下敷きというか、出汁にして、語り合いながら、時には575、足りなければ57577、もっと必要なら詩みたいな感じでどんどん作品を書いてしまう、って手もあるかも知れませぬ。

三浦 三千春  ニーチェを正しく理解・講釈すること自体に、最終目的があるわけでもなさそうですし(^^)

三浦 三千春  興に乗れば、フシを付けてくれる作曲家もおられるわけですし~

三浦 三千春  キリスト業界紙の仕事をしてて、記事の「見出し」をつけるのが案外、句作、詩作に近いと思ったことがありました。中心点をぐっととらえて、リズム感もあり、なおかつ読者の目を惹くものでありたいわけですから。

FB<閑暇閑話(かんかかんわ>4
私も昼食後の昼寝から目覚めたところで、あまり頭が回転していませんので、気楽なところから、ユダヤのジョークを一題、お楽しみください。

イスラエルで祭りがあった。王様は古今東西の珍味を用意した。
そして国民はそれぞれ皮袋いっぱいのぶどう酒を持ち寄り、一つの大きな樽に入れることになった。
祭りが始まり、ぶどう酒を飲むため各人は大きな盃を持って列に並んだ。
そして最初の一人が樽をのぞきこむと・・・
全部水だった!

いかがでしたか。えっ、水では酔えん。じゃぁ、おまけにもう一題。

2人のラビが話していた。
「知恵と金と、どっちが大切だろうか」。
「もちろん、知恵にきまってるよ」。
「しかし、もし知恵のほうが大切だとするなら、どうして賢人が金持ちに仕え、金持ちは賢人に仕えないのだろうか? いつも学者や、哲学者たちが金持ちのご機嫌をとり結んで、金持ちは賢人に対して横柄に振舞っているではないか」。
「それは非常に簡単なことだ。賢人は金のありがたみがわかるが、金持ちは知恵の大切さがわからないからだ」。

郷原信郎『検察崩壊』読了。凄い本だ。取り上げられている中心的な「事件」は最高裁において無罪と判決された小沢事件における検察審査会への証拠資料として石川知裕氏の対する検察の取り調べにおける供述調書と田代検事による捜査報告書の矛盾である。この事件により初めて取調室の実態が暴露された。この本の中で最も痛快だったことは、決定的な証拠となる田代報告書と内緒で録音されたテープのお越し、これを手に入れようとするがなかなか手に入らない。これあの所在場所は検察と指定弁護士と小沢集団だけであるが、それが不思議なところからメールで送られてきた。これだけでも007並の出来事である。その謎は今だに解けていない。この証拠が検察側を二進も三進もいかないところまで追い詰めている。それにもかかわらず検察は田代検事を微罪で済ませようとしている。

<補遺>過去の説教とブログ「落ち穂拾い」に入っている「パン屑」をEvernoteに移動・保存。


最新の画像もっと見る