ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(02)<1:19~2:25>

2015-06-15 19:17:13 | 松村克己関係
松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(02)<1:19~2:25>

<解説>「原書」では、各セクションの初めに該当する聖書テキストを書かれていましたが、それは削除しました。先生が使っておられた邦訳聖書は文語訳でした。この度の再話では全面的に口語訳を用いることに致しました。現行の新共同訳では文語訳とあまりにも離れすぎているので、いろいろと支障が出てくるからです。

神の子、キリストを証するもの(1:19~51)

(1) ユダヤ人に対するヨハネの証し(19~28)

19節
洗礼者ヨハネの活動は人々に注目された。長い期間登場しなかった預言者が現れたということが世間の評判となったのである。確かに彼の風貌と語る言葉の激しさは預言者らしかった。彼の権威に圧倒された人々は彼こそ待望のキリスト(救い主)ではないだろうかと噂された。これからどういう事態になるのか見当が付かなかった。熱狂的な民族運動が政治的色彩を帯びて発展するかも知れない。
エルサレムにあるユダヤ人の最高機関サンヘドリンは、非公式にもせよ当の本人について明確な事実審議をしておかなくてはならないと考えたのであろう。そのためにヨルダンの渓谷地方でいろいろな町や村から人々を引き寄せているヨハネの元へ使者を送った。それは「祭司たちやレビ人たち」であった。祭司の任務は神殿における祭儀の執行をしたり、民衆を教えるという仕事をする人たちである(歴代下35:1~12、ネヘミヤ8:7~9)。レビ人とは祭司たちの仕事を手伝う人々で彼らも祭司族であった。実は洗礼者ヨハネもまた祭司ザカリアの家の生まれで、彼の誕生物語はよく知られていた(ルカ福音書)。従ってヨハネ福音書の著者はそれを前提にして書いている。派遣された人々が祭司たちとレビ人たちであったということはそのことを考慮してのことであったのかも知れない。しかし彼らを派遣した人々の背後でこれを画策したのはパリサイ派の人びとであったと思われる。彼らは洗礼者ヨハネの活動に関心を寄せていた。24節の「つかわされた人たちは、パリサイ人であった」という言葉は19節と矛盾するがこの句は恐らく「彼らはパリサイ人からつかわされたのであった」と読むべきであろう。下級祭司やレビ人はともかくとして、祭司たちの多くはサドカイ派に属していた。サドカイ派では一般にローマ帝国の統治を承認しており、国民的希望の対象であり革命的運動の源泉となるキリスト信仰にはあまり関心はなかった。律法を厳格に守ることによってキリストの到来を早め、そのことによって民族の汚辱が注がれることを待望していたのはパリサイ派の人々であった。彼らにとって洗礼者ヨハネが何者なのかということははっきりさせなければならない問題であった。従って、「あなたはどなたですか」と問わせたのは彼らであった。

20節
これに対するヨハネの証しは明瞭であった。「彼は告白して否まず」、はっきりと「わたしはキリストではない」と答える。では一体何者なのか。キリストが近く到来すると預言するからには、キリストが到来する前に再び来るといわれているの預言者エリアなのか。それとも、モーセが神の救いと祝福とをもたらす者として預言した「あの預言者」(申命記18:15)なのか。それらの問いにはヨハネは答えない。もし「そうだ」と答えたとしたら、当時の人々の常識的判断によれば簡単にキリストと取り違えられる危険性があったからである。派遣された人々はいらだち、わたしたちを派遣した人々にはっきりと答えられるような答えを出せと迫る。これはある意味で無理もない要求で、ただ「ノー」という答えでは報告のしようがない。それでヨハネは預言者イザヤの言葉を引用して(イザヤ40:3)、わたしは「荒野で呼ばわる者の声」だと答えた。つまり「何者か」という問いに対して「彼自身の任務」で答えたのである。自分が何者であるのかという「ペルソナ(人格)」の問題は神の判断に委ねるべき事柄であって自分で決めることではない。自分自身として言えることは「自分自身が明確に知っていること」であって、それは「自分が派遣された使命・任務」だけである。質問する者は彼の答えによって判断すればいいのである。

25節
しかしなお問題は残っている。「声」にすぎないなら、何故キリストの到来と悔い改めを勧めることで満足しないで、人々に洗礼を施すのか。これまでの預言者たちは、叫び、教えるだけで、そのようなことは行なわなかった。それだけではない。パリサイ派の人々がヨハネの洗礼を認めることができないのは、彼の宣べ伝えるその内容にあった。つまりパリサイ派の人々は、日々に祈祷を捧げ、律法を守ることによって神の前に潔き民であることを自任していたので、ヨハネがパリサイ派の人々を一般庶民や取税人等普通の人々と区別することなく、悔い改めと洗礼の必要を説いたからである。これは、つきつめて考えると、パリサイ派の人々の生き方だけでなく、律法による義それ自体を古いものとして無意味・無価値であるし、これを廃棄する宣言に等しいと考えたのである。彼に何処からこのような権威が授けられたというのか。根拠なき越権は許しがたいとして詰め寄ったわけである。「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」と。
 
26節
ヨハネはその問いに坦々と自明の事柄として答える。ここでもヨハネ福音書の著者は共観福音書の存在を前提にしている。ヨハネのバプテスマは、水のバプテスマであるが、彼が証しする後に来る者(キリスト)は霊によるバプテスマを施す。霊のバプテスマがあるからこそ、そのしるしとしての水のバプテスマがある。霊のバプテスマを認めこれを受け入れる者は、また水のそれを承認する筈であるというのである。ヨハネは単にキリストの到来を預言しているのではない。それは彼以前に既に旧約の預言者たちによって古くから預言されていた事柄である。彼の証し、彼の声は旧約聖書においてその到来が預言されていたキリストが到来した、到来しつつあるということを告げることにある。既に、「あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。言い換えれば、ヨハネの仕事、その任務は、彼がその仕事を始めるや否や終わるべきことなのである。「くつのひもを解く」というような小さなことさえもわたしには許されていない。両者の仕事には質的な差異がある。それが水と霊との差である。ヨハネの業と彼の権威はこの人の出現に基づいている。これが洗礼者ヨハネの証しであった。

28節
「これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである」と著者は解説する。29節、43節と合わせて考えると、そこはガリラヤに近い地方であったと思われる。つまりここでいう「ベタニア」とはエルサレムの近くのベタニヤ(ヨハネ11:18)とは別な場所であろう。地名・人名等について、必要に応じて解説するのがこの福音書の特色の一つである。

(2)弟子たちに対するヨハネの証し (29~37)

「その翌日」という単語が、29節、35節、さらに43節に繰り返されているが、これらは必ずしも前段の事件の翌日ということではないであろう。著者はこの言葉によって証しの進展、神の子の啓示の進み行く状況を示そうとしていると思う。ヨハネ黙示録の著者は数に特定の意味を含ませて用いているが、福音書の著者が同一人物ではないとしても、古代社会において「数の神秘」はしばしば見られる現象であることを考慮すれば、同じ単語が何回か繰り返されて、ある数字に達したとき、何らかの意味を持つものと考えていた想像することもできる。ともあれ、洗礼者ヨハネの証言は今度は特に彼の弟子たちに向かってなされた。「自分の方にこられる」イエスを見て、これを弟子たちに指示して言う。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と。イエスがヨハネから受洗したことを前提にしてもいいであろう。またイザヤ書53章に描かれている「主の僕」を指す「小羊」の姿も、既に読者によく知られていたに違いない。エルサレムの神殿では依然として1日に2回、民のまた世の罪を贖うために羊が祭壇に捧げられ続けている。
しかし受肉した神の子イエスが、ひとたび自分自身を十字架につけられたことによって、この犠牲は既に意味を失った、というのが初代教会の信仰であった。洗礼者ヨハネが果たしてナザレのイエスを来たるべきキリストであると確信していたかどうかは歴史的に見れば疑問である。しかし著者は歴史的な事実をありのままに記そうとしているのではなくその意味を明確にしようとしているのであろう。そのために歴史が作られる。
 
30節
著者は証人としてのヨハネを使徒たちと同じキリストの使徒として語る。「わたしのあとに来るかた」が、つまりナザレのイエスがキリストであることを知るためには天よりの啓示が必要であった。キリストが何処から来るかを知っている者はいない(ヨハネ7:27)。ヨハネもまた、この示しを受けるまではそのことを知らなかった。「わたしはこのかたを知らなかった」。しかし彼が来ること、いや来つつあることを知っているので、キリストが間もなく来るので、その時を目指し、その日に備えて「水によるバプテスマを施している」のであった。彼の水によるバプテスマとは証しの行為であった。だから共観福音書記者は「バプテスマを宣べ伝えていた」(マルコ1:4)という奇妙な表現を用いている。ヨハネにこの役割をさせている者の啓示によってのみ、ヨハネはキリストを認知することが出来る。「天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった」のは、マルコ福音書によればイエス自身の経験であった(マルコ1:10)。この伝承は、語りつがれて行くうちに次第に他の人が見た経験、客観的な事実として伝承され、とうとうヨハネ福音書においては洗礼者ヨハネの経験に移行したのである。歴史的には無理な移行であると思われるが、しかしこの移行は一種の論理に支えられている。信仰の論理である。使徒ヨハネは、洗礼者ヨハネの弟子からイエスの弟子へと移行した人々の一人である。イエスに聞いた彼の体験が先の先生のそれにと移されることは不自然ではない。この記事は共観福音書におけるイエスの変貌の記事と対応するものであり、その代わりである。
キリストであることを知らなかった者が、いま天よりの啓示を受けてこれを知る。この喜びの感情が「わたしはそれを見た」という言葉に響いている。洗礼者ヨハネは、憂いではなく、喜んで、彼の弟子たちがイエスに従って去って行くのを見守っている。この公正さと謙遜さに証人としての面目がある。イエスの弟子として証人たるの使命に生きる著者はこの心を洗礼者ヨハネに移しイエスの経験をヨハネの経験のそれにと移したのであろう。

(3)最初の弟子たちとその証し  (38~51)

38節
証言とは、自分自身が経験したことをありのままに語ることにほかならない。洗礼者ヨハネがイエスを証しする姿勢は、同時にこの福音書の著者自身の証しと重なっている。従って、ここでは著者自身の経験が洗礼者ヨハネへと反映されている。ここから、著者ヨハネ自身の証しが始まる。しかしその証しは自分自身を背後に隠して、彼の仲間の証しとして間接的に行なわれる。洗礼者ヨハネに語らせたのと同じように彼と一緒にいる仲間の経験と証言を通してなされる。
洗礼者ヨハネのもとからイエスに従って行った2人の弟子のうちの1人はアンデレであるが、他の1人を著者ヨハネと想像することは恐らく誤ってはいないであろう。
「振り向き」声をかけるイエスの言葉は簡単明瞭に中心をついている。「何か願いがあるのか」。要点だけを書いて余計なことを書かないのがヨハネ福音書独特の書き方である。背景を描かないこの書き方はそれだけにかえって事柄の輪郭がぼけて、物語をぼかしているという印象を与える。問いかけられて2人はすぐに応答出来ない。何を求めるかを改めて自分自身の心に問い直さなければならなかった。巡回教師としてのイエスであって見れば、宿る所を確かめておけば、後で自分自身の願いを明白にしてから、改めて出かけることもできるであろう。「どこにおとまりなのですか」という反応はこのつなぎの役割を果たしている。人々はしばしば好奇心をもってイエスの追いかけ、逆に質問されて応答ができないで慌てる。その態度を見て、イエスは短いながら力強い言葉をかける。「きてごらんなさい」。日を改めて、都合がついたらいらっしゃい、ではない。今すぐ来なさい。「そうしたらわかるだろう」。そこに行って、一体何を見るつもりなのか。自分自身でもはっきり分からない。要求が分かれば、自分自身の真の姿を見ることができるという意味であろう。「彼らはついて行って」、いきなり「イエスのところに泊まった」という。イエスと共に、たとえ短い時間であれ、出会ったということ、このことが彼らの眼を開き、彼らの運命を決定した。この忘れることができない時刻を著者は「午後4時頃」と記録している。

41節
イエスに出会い、イエスと共に何時間かを共に過ごした人はイエスの人格の特異な力に深い印象を受けないはずがない。アンデレはその兄弟シモンにこの不思議な人物のことを語り、無理矢理にイエスのもとに連れて来ようとする。「わたしたちはキリストにいま出会った」。この言葉は当然十分に理解して語っているわけではない。しかし、人々はしばしばこういう言い方をする。かすかに認められる兆し・予感・憧れ・夢をあたかも現実であるかのように、仮想法を直接法に直して語る。しかし、そこに創造の世界が開かれる。歴史の歩みが人間だけに許される理由である。イエスはアンデレに伴われて来たシモンをじっと見つめた。この目は忘れることの出来ない目である。人の内面を見通す目である。「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパと呼ぶことにする」。それはイエスによって付けられたあだ名である。あだ名はしばしばその人の本性・特色を端的に示している。この名前が不思議なことに後になって、彼のつとめを示す名前となった。イエスは12弟子を選ぶために徹夜で祈り、準備したと伝えられている(ルカ6:12,13)。父なる神の意志を常に問いながら生きたイエスは、同時に常によく人を見、物を見た人であった。このことなしにはその祈りもまた内容の充実したものとはならないであろう。

43節
場面は移って「その翌日」、「ガリラヤに行こうとされた」。ヨハネ福音書の筆はプラトンを思わせるものがある。さり気なく用いられている単語が実は遠く近くその前後にある語とあるいは強くあるいは弱く響き合っているのである。ガリラヤ行きの目的は次章の伏線である。ここではその途中でのことである。ピリポに出会う。今度はイエスの方から呼びかけられる。「わたしに従ってきなさい」。この言葉は共観福音書ではほとんど「弟子となれ」という呼び掛けとして用いられている。他人に導かれてイエスの元に来る者もあり、信頼する友人の誘いによって来る者もある。ピリポの場合はほとんど偶然の出会いでイエスから呼びかけられたのである。しかしピリポは全然無関係でイエスに出会い、その呼びかけを受けたのではなかった。両者を繋ぐ背景があった。このことはまたわたしたちが実際にしばしば経験する奇縁である。不思議ではあるが、不思議ではない。偶然と必然とが重なって、神に導かれる人の生の姿がここにはある。ピリポは「アンデレとペテロとの町なるベッサイダの人であった」という。この町はガリラヤ湖の北端に近いベッサイダ・ユリアスと区別される西岸の一町、カペナウムの南方にあったとする者があるが正確なことはわからない。この時アンデレとシモン(ペテロ)、ヨハネとおそらくはヤコブの4人はイエスに従っていたことが言外に匂わされている。

45節
イエスの呼びかけを受けてピリポは親しい友人たちに加わる決断をした。次に彼は彼の友人ナタナエルを訪ね、イエスに紹介した。ピリポはイエスに出会ったときの驚きと感銘とを語り、イエスこそあなたが求めていた人ではないかと言う。「モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人」とはキリストのことである。ナザレ人ヨセフの子イエスは、ひょっとするとこの人ではないだろうか。ピリポは彼自身の心に沸き上がってきた心のときめきを、日頃このことについて語り合ってきた友人に語り、一緒について行こうと誘った。しかしナタナエルの答えは冷ややかで、友の興奮を嘲笑しているように思われる。「ナザレから誰かまともな人間が出てくるはずがないではないか」。確かに、言われてみればその通りだとピリポは思った。人々はよく言うではないか。ナザレという村はいろいろと問題があり、人々はナザレの人と言うだけで、軽蔑と不信の目で見たのである。従ってナタナエルの反応は無理もない。ピリポはこれに反論することは出来なかった。ピリポ自身はイエスの場合は例外だと言いたかった。それで、彼の口から出て来た言葉は「きて見なさい」であった。ピリポにしてみれば、それが精一杯であった。流石のナタナエルも友人の誠実さに押されて、半信半疑の思いで、ただ友人の言うことを無碍に断ることも出来ず、立ち上がった。
「ナザレ」という言葉は当時の人々にとってそれ程ひどいものであった。だからイエスとその弟子たちのことを「ナザレの人」というとき、そういう軽蔑の意味が含まれている。福音書もこれを裏書きしているように思う。ルカはイエスが先ず最初に故郷の人々に説教をしたとき(ルカ4:16以下)、ナザレの人々はイエスの話を受け入れず、うるさがって殺そうとさえした(29節)という。イエスは彼らの不信に呆れかえって(マルコ6:6、マタイ13:58)、愛想をつかして根拠地を湖畔の町カペナウムに移した(マタイ4:13)という。

47節
ナタナエルはカナの人で(マタイ21:2)、共観福音書に出てくるバルトロマイと同一人物であろうと考えられている。おそらく「トロマイの子(「バル」という言葉は「~の子」)とは通称であろう。共観福音書は常にピリポの次に彼の名前が出てくる(マタイ10:3、ルカ6:14)し、ヨハネがここに挙げている人々は何れも使徒であるところからしてもこの推察は認められてよいと思う。ナタナエルはピリポの言葉を否定しつつも、「メシヤに出会った」という言葉は無視できず、見に行かねばならないと思ったのであろう。近ずいて来るナタナエルを指さして、彼を迎えるかのようにイエスは従って来ている人たちに言った。「見よ、あの人こそ、本当のイスラエル人である。その心には偽りがない」。
ヨハネ福音書では「ユダヤ人」という言葉は常に福音を拒否するイエスの敵として悪い意味に用いられているが、反対に「イスラエル」という言葉は良い意味に用いられている。これは初代教会での概念を反映しているので、イエス自身の口から出たとは思われない。ユダヤ人はアブラハムの血統をひく子孫であるが、これは大部分不信の民であり神の子を受け入れない。このことは旧約時代の歴史が既に示している。イスラエル・ユダヤの歴史は神の契約と恵みとに歩んだ歴史というよりは、むしろ不信と反逆の歴史であったと言える。ただ常にその中の「少数の民」が真のイスラエルとして当時の信仰と苦難を貫いて守って来た。初代教会はこの「少数の残れる民」を受け継ぐ者だという自覚に生きていた。「イスラエル」というのは族長ヤコブの第2の名前である。彼は父イサクを騙し、兄エサウの家督の権を奪った狡猾な人間であった。そのために兄のうらみを買い、遠く母方の里に身を隠さなければならなくなった。その逃亡の旅の途中ではからずも、夢の中でその頂点が天に達する梯子があらわれ、そこを神の使いが上り下りするのを見て、そこで神の祝福と約束とが与えられた(創世記28章)。数年後、兄エサウと和解するための品物を携えて帰郷する途中で、「ヤボクの渡り」という場所で、神の使と出会い、ヤコブは祝福を強要し、これと相撲をとることになり、最後に腿のつがいがはずされて不具者となったが、何とか神の祝福を得た(創世記32章)。この時、神はヤコブに「イスラエル」という新しい名前を与えた。イエスがナタナエルを指して彼は「本当のイスラエル人」であると呼んだのは、彼がエサウを騙したヤコブの子孫(ユダヤ人)ではなく、神に打ち勝たれて新しい人となったイスラエルの子孫だという意味である。イエスが「ナザレ人」だと聞いて軽蔑し何の期待もしなかったナタナエルではあるが、彼が待望しているキリストの姿は栄光のうちに地上に下り来る者であり、そこに居るイエスとはかけ離れたものであったが、キリストを待つ心は純粋であった。イエスは彼の態度にその心を感じ取った。真実とは時に疑い、問い、そして悩む。まことの信仰は軽信とはちがう。真実な魂は必ずいつか信仰にと導かれる。 真実とは良心である。良心なしには信仰に生きることが出来ない。だからパウロもまた信仰を異にする人々の良心を重んじるべきことを教えた(1コリント10:29)。それはイエスの心でもあった。イエスは簡単に彼を信じ近付いてくる人々を信用しなかった(ヨハネ2:24)。

48節
ナタナエルはイエスと語り合う前に、この言葉を耳にして心が揺さぶられた。「どうしてわたしをご存じなのですか」。それは思わず知人に出会った感激と喜びとからほとばしり出た言葉である。イエスはこれに答えて「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたがいちじくの木の下にいるのを見た」と言う。イエスはピリポから彼のことを聞き興味と関心とを感じたに違いない。彼を連れて来ると言ったピリポの言葉に同意し、彼が来るのを待っていたのであろう。「いちじく木の下にいる」彼を見たというのは、彼の生活の一齣であろうが、そのスナップはしばしばその人の性格と存在の特徴とを正確につかむ。
彼は自分自身の心の中でいろいろ願望や疑惑に悩んでいたにちがいない。彼は常識的な当時の宗教の在り方とどうしても調和出来なかった。「その心には偽りがない」というイエスの言葉のうちには悲痛な響きがある。イエスもまた彼の悩みと痛みとを共有していた。このような真実で敬虔な魂を当時の宗教家・指導者たちは、伝統と外面的な敬虔の衣をかぶせて抑え、苦しめ悩ましていたのである。イエスは間違った思想のもとで悩み、苦しむ真の信仰をに飢え渇いている魂を呼び集めようとしている。
 
49節
イエスの一言は、さらに彼の心をついた。この人は自分自身でも表現できないような心の深いところまで、すべてを知っている。ただの教師ではない。「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。この叫びはナタナエルの告白である。ピリポがキリストに出会ったと言った言葉は嘘ではなかった。イエスが果たしてキリストであるかどうかは知らない。しかしキリストが今来たということが本当だとすると、この人こそそれであるに違いない。ナタナエルはこう告白することによって、イエスに従う決心をした。イエスはさらに彼の告白を柔らかく包んで彼の信仰を養おうとされる。

50節
信仰は決して究極的な事柄を知らない。これが絶対だという信仰はもはや生きた信仰ではない。生きた信仰とは、絶えず己れを投げかけて、将来を待つという告白という形でのみ働く。「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか」。イエスはナタナエルの告白を受け止め、さらにそこから成長していくことを期待する。イエスと共に歩むことによって、「これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。信じるとは単にイエスの存在と本性とを確認することだけではない。それは出口のない生産性を期待しない信仰である。正統主義とか純福音とか言われるものがしばしばその主張と裏腹に発展のない信仰生活に人々を閉じ込める理由をわたしたちは聖書によく学ぶ必要がある。信仰とはイエスと共に歩むことである。信じて彼と共に人生を歩むことによって、さらに大きなことを経験し驚くと共に、その信仰は益々強く、広く、深く、大きく動く堅固なものとなる。「天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。前述した族長ヤコブのベテルにおける物語(創世記28章)に読者の注意を向ける。イエスと共に歩む信仰によって信仰者は益々深くイエスその人を知る。彼と父との交わりがいかに親密なものであるかを。ヤコブはわずか一晩の夢で、天が開けて、神の使いたちが自分自身に降ってくるのを見ただけである。しかし人の子イエスの上には天は開けっぱなしで父と子とが自由に霊の交わっているのを見ることが出来る。イエスを信じ彼と共に歩む者は聖霊を与えられて父と子との交わりを見ることが出来る。同時にとそれを支点として同じ霊によってイエスの父がわたしの父となり、目には見えないが天の神との交わりにと深められ育てられて行く。天と地とを結ぶ道、その門こそ人の子の使命である。
「よくよくあなたがたに言っておく」という言葉はヨハネ福音書にしばしば出てくる特殊な用語であるが、それはイエスが特に重要な事柄を語ろうとする時に人々の注意を促す語である。
「あなたがたに」と言われているのは、これらの言葉がナタナエルだけに語られたのではなく、すべての人々に、少なくともそこにいる弟子たちを込めて語られたものであることを示している。
なお「人の子」とは福音書を通じてイエスの自称として用いられているものであるが、その由来は旧約聖書に求められる。大体3つの異なる用法がある。第1は、一般的に「人」という意味である。しいて言えば「人間」というものを指す言葉で詩編にこの用法は多い(例えば、詩編8:4~8,17、144:3、146:3)。第2は、預言者が神から呼びかけられる場合に用いられている。意味は第1の場合とほとんど同じで「人」という意味である(エゼキエル2:1,3,6,8、3:1,4)。第3は、ダニエル7:13,14に出てくる特殊な用法で、キリストは「人の子のような者」で天から雲に乗って降るとあり、幻の内容として語られている。イエスがこれを自称として用いられたのにはこれが「神の子」と区別されつつ、しかも「神の子キリスト」の自意識をそこに垣間見させる微妙な響きを含んでいるからであろう。この語が一般にイエスの当時キリストを意味するものとして通用していたかどうかは疑問で、おそらくそうではなかったであろう。だからこそイエスはこれを見る目、聞く耳ある者にのみそれと知られるような隠語として、自分自身を指す言葉として用いられたのであろう。この言葉がイエス自身から出たのではなくエルサレムの原始教団から始まったという主張もあるが、賛成しかねる。

第2章

この章には2つの物語が記録されている。前半はガリラヤのカナにおける宴婚の席での出来事で、ここで水をワインに変えるという最初の奇跡が行われた。後半は、過越祭の時にイエスがエルサレムの神殿を潔めたという物語である。この2つの出来事は、いずれも「しるし」として語られている。奇跡の有無にかかわらずいずれも神のひとり子の栄光と権威とを示すものであって、それによって、信じる人々の数は増し、最初の弟子たちの信仰は固くされる。過越祭はユダヤ人の最大の祭であり、婚宴は家庭における最大の祝祭である。ヨハネ福音書では祭はいつでもイエスの栄光が示される機会であり、大いなる出来事が行なわれることになっている。洗礼者ヨハネに始まった神の子イエスについての証しはその弟子たちの証しとなり、更にこの章では近親者の間に拡げられ、さらに広くユダヤ人全体に及ぶイエス自身の働きによるものとして描かれている。

カナでの婚宴、第1の徴(2:1-11)

1節
「三日目に」というのは前の事件から3日目で、最初のとき、つまりヨハネの証しの日から3日目というのではないだろう。29節、35節、43節の「その翌日」とあわせて数えるとヨハネの証しの日からは7日目となる。イエスに関する人々の証しは7日目に至ってイエス自身による栄光の証しとして、徴となって現われた。イエスの生涯を印象づけるこの最初の証しの1週間は、その最後の1週間と対応する。その何れにおいても7日目は時満ちた日としてイエスの栄光を現す日となっている。「カナ」はナザレに近くその北方に当たる町である。
婚礼は人生一度の大切な日であって、どこでも盛大に行なわれるものであるが、ユダヤではその祝宴は普通1週間にわたって続けられたという。「イエスの母」は既にそこに来て居り、親戚か親しい関係にある家らしく、祝宴について種々の配慮をしているようである。「イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれ」て宴の途中からここに来たらしい。万端の準備は整えられていても、予想通りには行かず、手違いということもよくある。宴の途中でワインが足らなくなったということは台所を預かる者にとって大問題である。母は信頼する息子にこのことを秘かに訴える。「ワインが足りなくなりそいよ」。そうすればイエスに何らかの策があるかも知れないと期待したのかもしれない。それとも心して飲めとの注意であるかは何れともはっきりしない。イエスの返答は一見無情に見える。しかし「婦人よ」との呼びかけは必ずしもよそよそしい響きを持つものではない。が「お母さん」と言わなかったことについては、特殊な雰囲気が感じられる。それは次の言葉によってより明瞭になる。「わたしとどんなかかわりがあるのです」という表現は、ヘブル的な慣用句で、「わたしに面倒をかけないでください」とか、「放っておいてください」とか、「わたしの知ったことじゃない」等々の響きをもつ拒否の言葉である(マルコ1:24)。既に公生涯に立って使命の遂行に専心している彼にとって、肉親の絆をもって近付かれる要求には何としてもそのままこれを受容するわけにはいかない。今の彼にとっては母また兄弟とは、神の言葉を聴いてこれを行なう同志の他にはない(ルカ8:21、マルコ3:35)。母の訴えが奇跡を求めてのことであるとするならば、ことさらにこの拒否の意志は強くなる。奇跡は求めて行われる事柄ではなく、つねに信仰において神を待ち望む心、待機の祈りにおいて、神の特別な憐れみの応答として行なわれたのであった。「わたしの時はまだ来ていません」。イエスに奇跡を行なう能力のあるなしということではなく、彼はただ時を待ち父なる神がなさる業、させようとしておられることを行うことができるだけである(5:19)。
父なき後、一家の大黒柱として母に仕えてきたイエスではあるが、今はもはや母の権威の下に動くわけには行かない。その時はもう過ぎた。彼は新しい時を待ち望んで生きている。母親は子どもを失わねばならない時がある(ルカ2:35)。むしろ彼の時を待つことを学ばねばならない。実際にはイエスは母親の期待を虚しくはしなかったが、むしろこの時に母親の目を新しい時に向かわせることが重要であったのだろう。彼女の信仰・期待をこわしてはならないが、これを潔め高めなくてはならない。このイエスの心は母に通じたものと思われる。母は自らの心に言い聴かせるかのように召使いたちに、「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言い、イエスの時を信頼し待つ。

6節
どれほど時間が経過したのか明白ではないが状況は一転する。「ユダヤ人のきよめのならわしに従って」、そこにはそれぞれ4、5斗も入りそうな石甕が、6つも置いてあったという。これは来客が家に入り食事の席につく前に手や足を洗い清めるためのものであった。ということは既に宴が始まったら人々の意識から完全に抜けてしまうような存在である。イエスは誰からも無視されている水甕に近づき、僕たちに「甕に水をいっぱい入れなさい」と言う。僕たちは言われた通りにした。すると今度はその水を料理頭のところに持って行きなさいという。僕たちはイエスの母親から言われたことでもあり、その通りにした。すると、どうだろう料理頭を驚かすような不思議な出来事が起こった。料理頭が運ばれてきたワインの味見をすると、今までのワインよりはるかに美味しいではないか。このようにして祝宴の喜びは一段と高められた。
イエスが共にいるところ、イエスに従って彼の言うとおりに振る舞う時、予想外のことが起こり、祝福が与えられることを弟子たちはしばしば経験してきた。この物語はこのような一般的な経験を土台にして、将来、弟子たちがイエスに対する服従とそれに伴う祝福とをあらかじめ教えようとしておられるようである。イエスがもたらす祝福とは何か。それは困ったときに助けられる恵みである。
イエスはカナの婚礼を第1のしるしとして行い、その栄光を現した。彼の与える新生・再生(ヨハネ3:3,5)の喜びは自然的生を前提とし、これなしには不可能である。このことは結婚によってもたらされる。彼は禁欲主義ではない(マタイ1:19)。イエスの祈りによって単なる水、自然の断片としての水が喜びの水、再生の水となる。律法の命じる清めの道具としての水は宗教における重荷の側面しか示さない。しかしイエスはあえてこれを取り上げて、人々を真に清める血の象徴としてのワインをここに準備した。洗礼の水、聖餐のワインへの連想が著者の心にあることはほとんど疑う余地がない。
「しるし」とは一体何の兆であろうか。イエスと父(神)との間の深い交わり、共同が知らされる場所、その出来事こそが「しるし」の本当の意味である。従ってこの物語によって知らされる出来事は、彼と弟子たちとの関係にとって重要な意味を持つ。「弟子たちはイエスを信じた」と改めて述べている。しかし著者はここではそれ以上に立ち入ってこの出来事の意味を説明しない。
さて、この物語は単に霊的真理を語るための譬え話ではない。ここに示された「イエスの栄光」とは単に「神の子」の権能を示すことではなく、より深いイエスの謙遜と従順とを示すことである。前者がわたしたちを信仰に導くのではなく、つまり奇跡を見て信ずる信仰をイエスは未だ真の信仰としては認めていない。むしろイエスの謙遜、父なる神への従順こそがわたしたちを信仰へと招き、また信じる者の信仰を固くする。

神殿の浄め、第2の徴(2:12~22)

ユダヤ教の中心は律法と神殿とである。その良いところも悪いところもすべてここから出てくる。イエスはその悪いところを取り除き、人々をその束縛から解放し、真の宗教、神を霊と真とをもって礼拝することを(ヨハネ4:24)回復させようとしている。私たちは神を礼拝し、仕えると言いつつ、実はそれが出来ていない。私たちの礼拝はしばしば歪んだり、間違ったりしてしまう。共観福音書がイエスの公生涯の終わりに置いている宮潔め(マルコ11:15以下、マタイ21:12以下、ルカ19:45以下)の記事をヨハネ福音書はイエスの活動の初期に置いているのは、歴史的順序はともかくとしてそれだけの意味がある。
イエスは根拠地カペナウムを出てエルサレムにと向かう。「過越の祭が近づいた」からである。カペナウムはガリラヤ湖の西北の隅に位置する湖岸の町で、海面下700フィートの低地で、ペテロとアンデレとの出身地である。イエスにとっては第2の故郷である。兄弟たちもここに居を移していたのかも知れない。
6節、13節に「ユダヤ人の」と断り書きがあるのは、本書がギリシャ人を読者として想定しているための説明である。場面はエルサレムに移る。
「宮の庭」とあるのは神殿の境内を意味するが、ここでは外苑を指す。外苑は半ば潔い場所で従ってここでは神殿での礼拝と祭とに関係あるものの売買が許可されていた。犠牲の動物が販売され、外国からの巡礼者のための両替の店もある。国内、国外を問わずすべての男子ユダヤ人には一人につき半シケルの神殿税を納める義務があった。その神殿税はユダヤの貨幣で納付しなければならない(出エジブト30:13)。
イエスは宮の境内にこのような店が存在することが許せない。礼拝の場所、祈りの家が「強盗の巣」となっている(マルコ11:17)ということへの怒りが爆発し、狂ったように暴行を働く。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言う。かなりの暴行である。
宮の境内で行われている商売には実はカラクリがあった。祭司たちは民衆の利便さということを口実にその商売を特定業者に独占させ、礼拝する者はここで売られた鳩や羊の類を神殿に捧げることになっていた。実はその捧げ物は、祭司たちの手によって裏口からそのまま業者に返還される。要するに、同じ「捧げ物」が業者、礼拝者、祭司の間をぐるぐる回っているだけで、業者と祭司たちとはその利益を山分けするというシステムである。このような独占事業の裏にかくれたカラクリをイエスは見逃すことが出来ないのである。神を商売の道具(手段)にしているのは昔話ではない。おそらくイエスの言葉は、心中ではエレミヤ7:11、イザヤ56:7などがあったではあろうが、必ずしも旧約聖書からの引用ではない。

17節
これは著者による解説である。詩編69:9の句が後になって弟子たちの心に光を投じイエスのこの時の姿を理解させた。この句は元来は義人(信仰者)の悩みについて語られたものであるが、ここではイエスの激しさとそれがやがて身を亡ぼすに至るであろうことを暗示している。「わたしを食いつくす」という句の元々の意味は「疲れ果てる」ということで、この原義と転義とが両者を結んでいる。イエスのこの行為はキリストでなければ許されない行為であり(マラキ3:1~3)、これは単なる(政治的)改革者の行為ではない。「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」というユダヤ人の抗議・詰問は、イエスにキリストであることの証拠を見せろ、という意味である。イエスのこの行為そのものがその証拠なのであり、イエスの存在が既に神の国の来たりつつある徴であることを彼らは知らない。
「天からのしるし」(マタイ16:1)を求めるユダヤ人に対して、イエスは彼らが求めている意味での徴は決して与えられない、と明言した(マタイ12:39、16:4)。彼らは既に与えられている「徴」を見てもなお信じようとしない。ニネベの民はヨナの悔改めの説教をきいて悔改めた。洗礼者ヨハネに続いてイエスの宣教、しかもイエスの場合にはこれを裏付ける徴さえ存在する(マタイ11:4~6)。しかし彼らの眼ではそれが見えていない。その結果、彼らは亡びる他はないであろう。彼らが誇りにしている神殿さえ、彼ら自身の手によって壊すこととなったではないか(紀元70年のエルサレムの滅亡)。
イエスはユダヤ人たちに、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と答えた。この言葉は、当時の弟子たちにも理解出来ない謎のような言葉であった。しかし後に復活の経験を与えられた時、そこから照らし出される光の中ですべてが了解された。ユダヤ人はあくまで建物としての神殿に固執していたのに対して、イエスの眼には既に彼らの神殿は崩れ去っていた(マルコ13:2)。新しい神殿が建てられるためには、古い神殿は破壊されなければならない。新しい神殿がキリストを隅の首石(おやいし)とし、キリストに在って建て合せられる教会であるとの認識は後の理解である(1コリント3:16、12:27、エペソ1:23、2:20~22)。キリストの体としての教会という思想はキリスト教の奥義に属するが、弟子たちはこの思想がイエスに発することを疑わなかった(マタイ16:18)。

20節
古い宗教は新しい宗教に場所を譲らねばならない。イエスが言いたいことはそれに尽きる。彼らが誇りにしている目の前の神殿、それは第3のものであって、ヘロデ大王(アンテパス)によって紀元前19年か20年頃に着工されて「46年もかかって」いるという。とすると、この時は紀元26年乃至27年ということになる。この神殿は63年に完成されて(つまり着工から完成まで83年かかったことになる)、70年には跡形もなく破壊されてしまった。なお「3日のうちに」とは、間もなく、直ちにの意味であって、ここにイエスの復活の預言を見ようとするのは無理であろう。預言といえば、むしろここでは神殿と共にそれと不可欠に結び付いている動物犠牲の廃棄が預言されていると見るべきである。

22節
「聖書とイエスのこの言葉とを信じた」における「信じた」は、ここでは了解した、理解したの意味であろう。信じる、知る、見るの3語はヨハネ福音書では相通じる言葉である。

人々の信仰とイエスの不信任(2:23~25)

イエスは過越の祭の間エルサレムに滞在しておられた。群衆の中の「多くの人々は、その行われたしるしを見て、イエスの名を信じた」。「その行われたしるし」とは前段の神殿粛正の出来事だけを指すのではないであろう。ヨハネ福音書の著者は共観福音書の存在を知っており、読者がこれを知っていることを前提にしている。従ってここでは共観福音書が語っているいろいろな病気治療の活動が含まれていると考えるのが自然であろう。
ヨハネ福音書の著者は、人々のイエスに対する態度をいろいろに描いている。多くの人々がイエスを信じた(8:30)が、その信仰は皮相的でやがて枯れてしまうものが少なくない。一口に信仰というが、その内容も信じ方も一様ではない。信仰へと招かれて一応信じる者は多いが、選ばれて真の信仰に至る者、彼と共に生きる交わりのうちに永遠の生命の経験を得る者は少ない(マタイ22:14)。このことは昔も今も変わらない。イエスがなされる業は彼がただの人ではないことを示している。徴は人々の眼を驚かせた。がそれは徴の外的な姿に留まっている。徴の意味は既に述べたように、なされた行為によってこれを越えた目に見えない事実へと人々の心を向け、内なる眼をそれに向かって開くことにある。それが信仰の眼である(9:25)。しかし事柄の外面しか見ることの出来ない人々は外形だけの信仰しか持つことができない。時が移り状況が変わって別な事態に直面するとその人の思いは変わり信仰も移る。「イエスの名を信じた」と言っても、その名とは、各自が自分自身の心の中で「そうあってほしい」という願望であって真理そのものではない。だからイエスはそのような人々に「彼らを信用せず」、彼らの信仰を信じない。このことは一見冷酷な心のように見えるが、この厳しさこそ前段の宮清めの記事の主旨ではなかっただろうか。叩かれることなしに信仰は本物とはならない。人間の本性——「人間の心の中」——はそんなに甘いものではないことをイエスはよく知っている。彼を信じることは彼のために苦しむことと表裏の関係にある(ピリピ1:29)。次段に登場するラビ・ニコデモもまたイエスの行なうしるしによって心動かされ、彼に関心を抱き、近づいてきた人物である。いわゆる「イエスの名を信じた人々」の一人であり、その代表的人物である。イエスは彼の信仰を叩いて神の国の秘儀、その信仰へと彼の心を開こうとする。
イエスの洞察力、人を知る明晰さ、その心の中を見抜く力については既に1:42、47でも述べている。真理の神を信じこれを父としてその交わりの中に生きる者は人に欺かれない。欺きということは他者を欺く場合でも、あるいは他者から欺かれる場合でも、慾に基づくいていることが多い。生ける信仰とは眼が開かれることである。本物を見分ける眼を与えられることである。信仰者の眼が曇っていてどうして他人を導き、その眼をイエスに向かって開かせる証人となることが出来ようか。 

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