ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 12/08

2014-12-10 05:14:11 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。朝食は卵かけご飯。主日、午前中は聖書を読む。マルコ福音書における洗礼者ヨハネの位置付け。昼食は納豆ご飯。午後、病院へ。堀君が大阪から来訪。夕食は娘と一緒におでん。「軍師官兵衛」、「オモクリ監督」見て10時就寝、5時起床。体調、快調。チュン、チュン。

Hanna Bunyaさん、Luke Etsuzou Nomahさん、早乙女 実さん、他23人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。家族との交わりよかったですね。検査結果を聞きにいきます。良き日となりますように。お祈りします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
寒さの所為でしょうか、病院の診察順番取りにちょっとした異変が…(笑)7時半近くになっての出発だったので、「きっと、15番前後だわね~」等と言いながら渋滞の中病院へ。ところが、信じられないことに3番。予想外の嬉しい番狂わせでした~♪♪ そんな訳で、こんなに早く帰宅でき、さぁ~、これから洗濯に掃除です!
お守りと平安をお祈り致しますm(__)m

播 稔 玉子かけご飯用に、専用「醤油」が売られています。 どう違うのか、食べた感想は、玉子そのものがちがうのではないか、だから美味しかったのではと思います。バカバカしいほどいい値段の玉子かけごごはんでした。、
posted at 05:08:33


文屋 善明
今日の名言:RT @Indianteachings:
土地は先祖からの授かりものではなく、子供たちからの預かりもの。(ネイティブ・アメリカン、作者不詳)
<一言>人は「先祖伝来の土地」という。しかし、それは子孫たちからの預かり物だとは思わない。自然は一度破壊すると戻らない。

Hanna Bunyaさん、Luke Etsuzou Nomahさん、藤岡 秀興さん、他23人が「いいね!」と言っています。

播 稔 うーん。子供たちへの預かりもの、だと当たり前、子供たちへの預かりもの。少しニュアンスはちがうか、なー。
posted at 06:07:43

「昨日のツイート 12/06」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/08d414d66a5c7c647dbbc2b0659a816…
posted at 08:17:52


文屋 善明さんが写真2枚を追加しました。
お目覚めの花。「やぁ、今日は。誰かお見舞いですか」「うーん、一寸相棒がね」「それにしても、あなたはこんなに寒い日にも咲いているんですね」「いや〜、私は寒い日が好きなんですよ」。(昨日、病院の駐車場で見かけました)。
文屋 善明さんの写真

佐藤 清一さん、大野 泰男さん、柳沢 有紀夫さん、他37人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 山茶花が美しい季節ですね~♪(^^♪


文屋 善明 今の季節、山茶花だけですね。

播 稔 「相棒の回復」をともかくお祈りいたします。

眞鍋 千賀子 · 共通の友達: 奥田 知志さん、他4人
併せてお祈り申し上げます。


文屋 善明
2014日々の聖句 12月08日(月)
もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちに御自分を示してくださる。(2歴代誌15:2)
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(ルカ11:10)
私の黙想:
今日の聖句は文脈から見て、人間と神との一般論的な関係を取り上げていると見るべきであろう。イスラエル史におけるある特定の状況における「ユダとベニヤミン」と「ヤハウエ」との関係に重点を置いて考えるならば、この言葉よりもその一つ前の「あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる」の言葉の方がはるかにリアリティがある。今日の聖句は、このことを一般論化した言葉であると見るべきであろう。それを更に普遍化した言葉が今日の新約聖書の聖句である。
ところで一般論として「神を求める」とは一体どういう事態を意味しているのであろうか。このことに関して、ここでは面白いことが述べられている。「長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった」(3節)。つまり、神のことについての神学も哲学もなかった、という。その種のものが一切ないという状況。まさに「無神論」が支配しているという状況、それはイスラエル史においては考えられない状況であるが、仮にそういう状況であったとしても、「しかし彼らは、苦悩の中でイスラエルの神、主に立ち帰り、主を求めたので、主は彼らに御自分を示してくださった」(4節)。つまり人間は「苦しみの中で」神を求めるという。それはほとんど無意識に近い「つぶやき」である。
これはイスラエル史における特別な事柄ではなく、人間一般のこととして、神を求めるということは人間の力ではどうしようもない状況において「神」を求めるという。それはもはや「理念としての神」ではない。そういう状況において「姿を現す神」である。

Hanna Bunyaさん、Luke Etsuzou Nomahさん、東山 富昭さん、他24人が「いいね!」と言っています。

植村 光郎 なるほど!降臨節にふさわしい


文屋 善明
NHKこころ旅。今週は鹿児島県の巻。もっくんの丸池。城山公園(鹿島市)、コスモスが未だ咲いている。出水の米ノ津町、蒲生八幡神社の大楠、今週も楽しそう。今朝は娘がいたので投稿出来ました。

Hanna Bunyaさん、Luke Etsuzou Nomahさん、北村 良輔さん、他9人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 何かと気にかけ、温かい配慮をして下さる娘さんのご来訪、嬉しいでしょうし、心強いですね~

文屋 善明 娘は、家内のためというよりも、私のためにやって来たみたいです。家中を掃除してくれています。


文屋 善明さんが文屋 知明さんの写真をシェアしました。
続いて、リードオルガン演奏会の第2弾ですか。今度はカナダ製。成功を祈ります。
12月14日(日)午後2:30より午後4:00:大阪府南部の阪南市で「100年リードオルガン(カナダ製)」と共に、聴いて、触って、歌って…やすらぎのひととき~を開催します。
文屋 知明
12月14日(日)午後2:30より午後4:00:大阪府南部の阪南市で「100年リードオルガン(カナダ製)」と共に、聴いて、触って、歌って…やすらぎのひととき~を開催します。


増野 真美さん、大野 泰男さん、佐藤 静代さん、他13人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 ちょっと遠いのでよう行きませんが、シェアします。

文屋 知明 藤木さん、シェアありがとうございます。

播 稔 リード・オルガンはそれぞれ個性があって良いと思います。ただ音が小さいのが。それがいいのかも。

文屋 善明 音の小ささはマイクとスピーカの組み合わせでいくらでも原音に近い音質で拡張できるでしょう。

播 稔 わたしもそのように思います。わたしが東京で聴きに行った会場では、300名ぐらいの大きい会場で、スピーカーもなくそれこそ「小さな音」でした。かなり性能のよいレコダーを、黙ってもちこんだのですが、録音も小さい音しかはいりませんでした。

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