ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

ぶんやんち(6) 二足のわらじ

2008-07-26 10:51:13 | ぶんやんち
「さんば」という看板を掲げて、岡本房子伝道師は二足のわらじを履くことになった。もちろん、「さんば」の仕事を始めたからといって、伝道師としての職務をいい加減にする女性ではなかった。むしろ、大議論の末での決断であり、伝道・牧会をおろそかにはできない。しかし、残念ながら、信徒数は少なく、牧師夫妻もおり、婦人伝道師はそれ程忙しくはなかった。むしろ、教会に「さんば」の看板を出したということで、評判になり、次々とお腹の大きな婦人たちが訪れるようになり、そちらの方は結構多忙であった。何しろ、妊婦との付き合いは出産を挟んで約1年間は毎月一度は自宅を訪問し、診察し、様子を伺うということになり、当然いろいろなことが話し合われることになる。これは、伝道師としてもまたとないチャンスであった。
当時、新京市は新しい街であり、若い夫婦が溢れていた。しかも、満州国は、日本人だけではなく、中国人、満洲人、蒙古人、朝鮮人、ロシア人と多民族国家である。若い夫婦が居れば、妊娠するのは当然で、それに比べて助産婦の数は限られている。というような事情で、岡本房子助産婦のクライエントは文字通り多民族で、五族協和を地でいくようなものである。岡本伝道師が中国語や朝鮮語をそれ程うまく話せたとは思えないが、妊婦の状態、出産という営み自体は、民族の枠を破り、人類共通の世界、いなむしろ動物の世界にも共通する営みである。言葉など不要である。することは、いかなる民族でも同じであり、生まれてくる新生児は言葉なんか喋られない。当たり前である。助産婦のしていることも、言葉など不要である。必要なものは信頼関係だけである。ここが、また面白い。
これは新しい開拓教会にとっては大変な武器となった。そういう状況を見て、初めは反対していた牧師も積極的に岡本伝道師をサポートするようになったし、教会の経済も豊かになっていった。
それを、ジッと見ていたのが文屋知之助兄である。五族協和・王道楽土の理想国家建設という夢を抱いて、渡満し、公務員になったものの、現実は理想とはかなりかけ離れている。特に、中国人や満洲人労務者に対する日本人の暴力や搾取は目に余るものがある。本性から平和主義者の文屋兄にとって、それはたまらない現実であった。五族協和というスローガンも空手形のようである。そのような状況において、岡本房子伝道師はいとも簡単に五族協和を実現している。文屋兄はただただ目を見張るだけであり、岡本房子伝道師のバイタリティに敬服するのみであった。早くいえば、文屋兄は岡本伝道師に圧倒されてしまった、というべきであろう。

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