ぶんやさんち

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ぶんやんち(5) お産事情

2008-07-25 09:19:04 | ぶんやんち
出産という人間の行為の中でも最高位に価値づけられる営みに奉仕をする職業が「さんば」である。漢字で書くと「産婆」で、この言葉の中に「婆」という字が入っているために差別語だとされ、第2次世界大戦後、GHQの指導の下に「助産婦」と改称された。さらに、2002年3月1日、保健婦助産婦看護婦法の改定により、「助産師」と改められた。助産師の歴史変遷についてはその筋の専門家に任せておいて、少なくともお袋は死ぬまで「さんば」という言葉が好きだったようである。従って、ここでは文脈に合わせて「さんば」とか「助産婦」という言葉を用いる。ただし、「さんば」という場合にはカギ括弧に入れる。
そのことは、ともかくとして、ここで少し「お産事情」について説明をしておく必要があると思う。戦前から今日に至るまでの100年足らずの間に、日本における「お産事情」はかなり変化してきた。現在では、ほとんどの「お産」は病院あるいは産院でなされる。しかし、ここ40年ほど前までは事情が違っていた。良くなったか、悪くなったかということについては、自由に議論したらいいが、ともかく根本的に変わってしまった。その最大の変化は、出産という厳粛な家庭内の出来事が病院に移ってしまったことである。これは、出産に限らず死亡というこれまた人生のおける厳粛な出来事も同様に病院に移された。お産と死亡とが家庭から離れ病院に移ってしまったことによって家庭はその重要な本質を失ってしまった。
わたしの知る限りでは、わたしの長女が「家での出産」(昭和40年頃)の最後頃ではないかと思っている。実は、この「お産」がお袋の最後のご奉仕であった。その1年後の息子の出産は近くの産院でなされた。
「家でのお産」と「病院での出産」とが決定的に異なる点は、妊婦が動くか助産婦が動くかという違いである。出産は通常陣痛によって始まる。陣痛が始まると、本人または家族の者が助産婦に「陣痛が始まった」と連絡する。すると、助産婦は「何分おきか」と尋ね、それによって出産の時間を推測し、自宅で待機する。その間、次々と妊婦から陣痛の強さや間隔時間について連絡があり、ここと思うときに助産婦は出産道具一式を整えて出かける。この陣痛の時間はかなり個人差があり、あまりにも早く行きすぎると、その家庭に迷惑となり、あまり直前だと妊婦も家族も不安になる。この辺のタイミングの取り方で経験がものをいう。
さて、妊婦にとって助産婦選択の第1の条件は、「昼でも、夜でも走って来てもらえる範囲」ということになる。もちろん走るのは助産婦である。「ラッシュに巻き込まれました」とか、「自転車がパンクしていました」とかの言い訳は一切通じない。従って、「さんば」の看板を掲げさえすれば、そこに人間が住んでいる限り、クライアントの心配はない。
第2の条件は、助産婦が家の中に入り、その家の最も秘部に触れるわけであるから、信頼関係が重要である。「お産」というその家にとっての大事件では、その家庭のいろいろな問題がほとんどすべて「お見通し」ということになる。特に、夫婦関係とか、嫁姑関係とか、経済事情などあまり外部の人間には知られたくないような問題が、すべて明らかになる。逆に、それだからこそ、いろいろなことが相談され、その家庭にとっては「親戚付き合い」のようになる。あるいは、「取り上げた子」に対して助産婦は「わたしがあなたの臍の緒を切ったのよ」ということになり、第2の母のような関係が生まれることもある。従って、助産婦に求められるものは、確かな技術の他に、明るく、話しやすく、世話好きであるという性格と、「口が堅い」という知性である。その意味では、お袋は助産婦に打って付けの性格であり、リピーターは多かった。

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