ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 05/30

2012-05-31 06:44:54 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日は一日ゆっくりと読書。松村先生の『イエス』(昭和23年発行)を読み直す。あの頃は「奇跡」についての議論が盛んであったようだ。驚くべきことにこの書で既に「様式史的方法」について触れている。10時に就寝。今朝は6時に起床。体調快調。チュン、チュン
posted at 06:08:36

#losungenj 05.30(wed) ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。(Gen28:17)
神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。(1Tim3:15)
posted at 06:15:36
私の黙想: 生家(アブラハムの家)を追い出されたヤコブが経験する「神の家」。アブラハムの家を追い出されたキリスト者たちが霊の働きを経験した場所が「神の家=教会」だ。何か深い符号がある。教会とは安住の地を追放された人間が新しい生き方を経験する場所である。
posted at 06:24:14

今日の名言:RT @meigenkakugen: 一日延ばしは時の盗人。(上田敏) <一言>やはり、このことについてズバリと言った詩人がいるのだ。多くの人が「一日延ばし」で人生における大切なものを失っている。
posted at 06:32:48

江見 卓司 時間は帰ってこないというのに、どうして多くの人は「一日延ばし」ができるのか、時々疑問を抱きます。

磯村 マサオ 江見さん「一日延ばし」が得意なわたしです(笑)。確かに失っているかもしれませんが........。

江見 卓司 ‎( ´∀`)ほほほ

門叶 国泰 延ばしている内に誰かが片付けてくれる可能性のあることは、出来るだけ延ばしておく、ことを心がけていました。延ばしていても、結局は自分でしなければならないことは、直ぐ片付ける、ということは、最近は手を貸してくれる人は誰もいないので毎日結構忙しい。特に教会は、言い出したら、その意見が建設的であればある程、その人がする。

「昨日のツイート 05/29」をブログにアップしました。 http://t.co/jmWxFuEA
posted at 07:02:47
今日はリハビリのため大牟田まで出かけ、大牟田聖マリア教会の今を見て来ました。先日、落雷のため消失した鐘楼と聖堂は既に撤去され、牧師館、教会ホール、納骨堂が主を失った家来のように佇んでいました。その後、あじさい寺と呼ばれている定林寺に出かけましたが残念ながら少し早すぎた様でした。
posted at 17:09:43
私もここに書かれている「理由」に賛成ですし、それを実践している積もりです。おまけに、記録として保存し、それを検索して引き出すことが簡単です。RT @rucat501: めっちゃ共感。ブログ始めたいな。 なぜブログを書くべきなのか。
posted at 19:10:41

<補遺>大牟田聖マリア教会の現状を憂う。この憂いは当該教会だけのことではなく、ここに教会が置かれた場所から撤退する一つの実例であるからだ。今後このような教会が次々と出てくるだろう。必ずしも「落雷」が原因ではない。同じことが教区レベルでも起こっている。主教選挙に候補者が推薦されない事態の深刻さ。それは選挙制度の問題ではなく、わずか10数人の司祭の中から主教を選出するということが無理なことである。例えば、司祭が12人の教区の場合、同僚の司祭の中に4人の司祭が賛同しなければ主教は選出されない。司祭団と言えでも人間の集団であり、長い教会活動の中で積極的かつ個性的な人物には4人ぐらいの気に入らない人間はいる者だ。そうでなければ、無難な「八方美人的な人物」が主教に選出される比率は高い。事実、教区会レベルで教区内の司祭が主教に選出される比率は非常に少なくなっている。その意味で100人レベルの司祭団の中から一人の主教を選ぶということとは問題が異なる。




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