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ぶんやさんの記録

読書記録:中島祐介『もしニーチェが短歌を詠んだら』

2017-04-16 07:58:18 | 雑文
短歌で綴るニーチェの思想

中島祐介『もしニーチェが短歌を詠んだら』(角川学芸出版)から選び出された50句プラス1。

(1)善悪を問うのに口を噤(つぐ)むなよ 君の親でも間違うだろう?
(『曙光』序文第3部)p.11
(2)狂信や虚栄心でも道徳に人間が従う理由になる
(『曙光』第2書第97節)p.21
(3)何事もうまくいかないからからといって世界に嫉妬するべきでない
(『曙光』第4書第304節)p.26
(4)平等を望む気持ちが他の人を自分の位置へ引きずり下ろす
(5)平等を望む気持ちが他の人を褒めて自分を良く見せたがる
(『曙光』第4章第304節)p.27
(6)ウソこそが親切の乳母 自らを偽装したって成長できる
(『曙光』第4書第248節)p.104
(7)親切や愛を他人にあげるには先ずは自分を知らねばならぬ
(『曙光』第4書第335節)p.72
(8)繊細な味も分からぬバンカーは胡椒を好みこの世を嫌う
(『曙光』第2書第203節)p.65
(9)学ばない、知ろうとしない、おしえない。孤独に耐えることを誰しも
(『曙光』第5書第443節)p.53
(10)忘れるな!なにかを照らす光すらどこかを暗くしてしまうこと 
(『曙光』第5書第543)p.32
(11)友人と自分自身に誠実を、敵には勇気をもってあたれよ 
(12)敗者には寛容であれ誰にでも、いつでも礼儀正しく生きよ
(『曙光』第5書第556節)p.69
(13)誤りが人に生ませた想像は、いずれやあやめの花を咲かせる
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第1章「最初の事物と最後の事物について」第29節)p.39
(14)好意こそ全てを包み成長させる心地よい光なり 
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第2章「道徳的感覚の歴史のために」第49節)p.74
(15)永遠の愛を誓えば永遠の愛だと見られるように生きよ
(16)感情は約束できないものだからせめて行為を約束しよう
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第2章「道徳的感覚の歴史のために」第58節)p.128
(17)おろかでも不公平でもあるのだがそれゆえ心地よいのだ愛は
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第3章「道徳的感覚の歴史のために」第69)p.126
(18)本当に独創的な人間は、面白い記憶でみたされている 
(19)本当に独創的な人間は、のんびりしてても何かを作る
(20)本当に独創的な人なのに、自信をなくし虚ろな目をする
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅰ』第4章「芸術家や著作家の魂から」第165節)p.48
(21)人々は力を得ようとするものに習慣として屈してしまう
(『人間的、あまりにも人間的Ⅰ』第5章「高級文化と低級文化の徴候」第260節)p.28
(22)学校の授業を聞いているだけで実は学びが始まっている 
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第5章「高級文化と低級文科の徴候」第266節)p.108
(22)迷惑をかけないための気配りは公正であり臆病でもある
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅰ』第6章「交わりの中の人間」第314節)p.73
(23)恋愛による結婚は誤りを父、必要を母としている
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第7章「女と子ども」第389節)p.130
(24)結婚の前に必ず考えよ「年老いてなお語り合えるか?」
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第7章「女と子ども」第406)p.135
(25)約束を守るためには記憶力、共感するには想像力が要る
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第2章「道徳的感覚の歴史のために」第59節)p.139
(26)もしかして友はわたしの秘めごとを知らないからこそ友かもしれず
(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』第6章「交わりの中の人間」第352) p.352
(27)焦らずに松は聞き入り樅は待つ、小さな人のことなど忘れ
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第2部「漂泊者とその影」第176節) p.46
(28)行動は理由をもとに起こされる そのときそこに良心はない
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第2部「漂泊者とその影」第52節)p.20
(29)標的を外れてもなお何かには当たったんだと自称プロが言う
(『人間的、あまりに人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第198節)p.31
(30)身につけた全てのものを発揮して生を生ききる旅人であれ
(『人間的、あまりに人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第228節)P.59
(31)計画を立てることなら簡単で、実行するのはつらくなるもの
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第70節、同第85節)p.68
(32)格言は時間の歯には固すぎる、食い尽くされることがない
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第168節)p.171
(33)簡単なことばは長く思索され熟成されたものでありうる
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第127節)p.172
(34)褒められて褒められすぎて研鑽をやめててしまうことだってある
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第370節)p.84
(35)若者は憧れている先輩と自分の比較ばかり気にする
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第277節)p.113
(36)付き合いの浅い人にはわたしのヒミツが秘密に見えては居ない
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第254)p.121
(37)上昇も下降もせずにいつだって澄んだ空気のように生きろよ
(『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第1部「さまざまな意見と箴言」第397節)p.147
(38)働いて結局からだを壊しても会社が一度褒めてくれるだけ
(『悦ばしき知識』第1書第21節)p.161
(39)「賢明な人がおらねば神は居得ず」賢明でない人間もまた
(『悦ばしき知識』第3書第129節)p.25
(40)道徳が導いてくる誠実が、潔癖だけが神を殺せる
(『悦ばしき知識』第5書「われら怖れを知らぬ者」第357筋)p.17
(41)純粋な子どもはすべてを忘却し、世界すべてをまた見つけ出す
(『ツァラトラストラ 上』第1部(1)「三つの変化について」) P.115
(42)君にとり敬意を払う相手こそ、誇れる敵でありうるものだ
(『ツァラトラストラ 上』第1部(10)「戦争と戦士たちとについて」)p.91
(43)友人は察知が上手く沈黙し秘密を厳守する者がいい
(『ツァラトラストラ 上』(第1部(14)「友人について」)P.119
(44)たくさんの短い愚行が愛であり長い愚行が結婚である
(『ツァラトゥストラ 上』第1部(21)「自由な死について」第22節) p.127
(45)深淵を覗き込んでるとき君は、深淵からも覗かれている
(『善悪の彼岸』第4章「箴言と間奏曲」第146節)p.34
(46)この世ではうまく生きえぬ者たちが「あの世」のことを考え出した
(『道徳の系譜』第1論文「(善と悪)(良いと悪い)第10節)p.22

(47)宗教は傷の痛みを鎮めつつ同時に傷に毒を擦り込む
(『道徳の系譜』第3論文『禁欲主義的理想は何を意味するか」第15節)p.36

(48)夢想するばかりで無為にぼんやり衰えてゆく人のおろかさ
(『権力への意志・上』第2書「これまでの最高価値の批判」第335節)p.57

(49)大衆が欲するものは幻惑で、自身を照らす光を憎む
(『反時代的考察』第4編「バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー」第6節) p.37

(50)行く先の分からぬ道がきみだけに開かれている ひたすら歩め
(『反時代的考察』第3編「教育としてのショーペンハウアー」第1節)p.180

ああ、イエスさん死んじゃった。イエスさんが始めた神の国運動も、これで終わりやな。俺たちゃ、これからどうしたらいいんや。人間、死んだら終わりやな。

そこで天から声がする。イエスは死んだ。それであんたたちも死ぬのかい。あんたたちの今までの人生って、それでいいんかい。あんたたちの今までの人生ってそんなもんかい。
ところで、どうだいもう一度、初めっから全く同じ人生をやり直す気があるかい。

つまり、それがあんた自身の人生に対する、あんた自身による人生評価だ。イエスかノーか。
結局のところ、救いだとか、最後の審判だとか言っても、こういうことだろう。

これがあのニーチェが問うた「永劫回帰」の思想なのだ。

『もしニーチェが短歌を詠んだら』からの短歌を一つ。
(51)人生を、この人生をもう一度と、言い得るように悔いなく生きよ
(『悦ばしき知識』第4書「聖なる1月」第341節)p.62

これがあのニーチェが問うた「永劫回帰」の思想なのだ。

註:本書には約200編ほどの短歌が掲載されている。私自身は短歌という者がどういうものか、今まで読んだこともないし、もちろん作ったこともない。それで短歌とはどういうものなのか、この本を読んで学んだ。約200編の中から、成る程と思うものを50編ほど選んだのが「ニーチェ・短歌」シリーズである。最後の一句は番外として、ニーチェの思想の中で私が好きな思想を短歌にしたものである。

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