ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

偶像に供えられた肉

2009-01-27 15:34:32 | ときのまにまに
昨日から今日まで、ずっと次の日曜日の説教の仕上げにかかっていました。テキストの解釈から、意味の把握までは比較的簡単に進みましたが、最後の「それで、どうしたの」、「それで、何が言いたいの」という壁にぶっつかって、金縛り状態になってしまいました。
それで、夕方には頭を冷やすために散髪屋に行きました。散髪をしてもらっているとき、フッと突破口らしいものが見えてきました。
要するに、問題はこうです。神々に供えられた肉を食べてもいいのかどうか、という問題をめぐって、パウロは偶像によって象徴される神々など居ないのだから、偶像に供えられた肉は、市場で売られている肉と少しも違わない。だから、それを食べたからといって「罰が当たる」なんていうことはあり得ない。というような議論がコリントの信徒への第1の手紙に出てくる。こういう「偶像破壊」という強力なパワーによって、キリスト教はヨーロッパを支配するに至り、世界の「世俗化=成熟した社会」に貢献した。
「ところで、そういう知識を語ることが説教なの」。「そんなこと今更教会の礼拝で話をして、どうなるの」。しかし、現実を見るとキリスト教が「権威者・権力者」になって、新しいタブーを作り出し、新しい偶像になっているのではなかろうか。たとえば、この度のアメリカの大統領選出のプロセスにおいて見られた「同性結婚、人工妊娠中絶問題」等におけるキリスト教会の分裂状況。こういう諸問題に対するキリスト教会の関わりは、とうてい成熟した責任ある大人の対応とは思えない。
こういうことが、散髪をしてもらいながら、わたしの頭の中を駆け巡りました。そして、さっきやっと仕上がりました。要するに、昨日のブログが書けなかった言い訳です。

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