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ぶんやさんの記録

昨日のツイート 02/28 アムネスティが日本批判 「国際人権基準から遠ざかった」

2015-03-02 08:18:57 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『原始キ教とアフリカ』を続読。アフリカとローマの言語事情。整形外科、銀行にいく。午後、家内を病院へエスコート。川崎事件に見る人間の残虐嗜好。まるで「拷問ゲーム」だ。夜は「こんな所に日本人が」、報ステを見て10時半就寝、6時起床。体調、快調。チュン、チュン。

Luke Etsuzou Nomahさん、東山 富昭さん、Kouko Egasiraさん、他24人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。コンサート本番です。頑張ります。良き日となりますように。お祈りします

村田 多鶴子 おはようございます~♪今日も、ご夫妻共々、お守りの内に、穏やかな愉しい時間をお過ごしになられますようにm(__)m


文屋 善明
2月28日 6:46 ·
今日の名言:RT @Jewish_proverb:
ヤギには前から近づかない。馬には後から近づかない。愚か者にはどの角度からも近づかない事だ。(ユダヤの格言)
<一言>そんなこと言っていたら、町の中を歩けないじゃないか。

小貫 ツマさん、篠崎 悟さん、北村 良輔さん、他41人が「いいね!」と言っています。
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清水 行雄 おはようございます。先生が愚か者なのですか、それとも周りの人たちが愚か者なのですか?(^o^)

村山 茂樹 万人はそれなりに何処かの側面で愚かであります。

文屋 善明 何故そういう決めつけ方をするんですか。そういう質問をされたら、人間は全て愚か者ですという定型解答しかなくなり、この格言の持つ深い意味がなくなってしまいます。そこがエリートと呼ばれる人間の問題点です。

清水 行雄 お言葉ですが、先生、いやしくもキリスト者なら、神の前では、すべての者は愚か者なのではないですか?

文屋 善明 そう答えているでしょう。

清水 行雄 そうはいっても、このユダヤの格言にたいする先生の一言は、とてもそう言っているとは、素直に読む限りそうは受けとれません。

清水 行雄 すみません。僕が読み違えていました。先生のユダヤの格言批判なんですね。今気づきました。(^^;

Satoshi Mizota お互い愚か者であることを知っているから、お互いにけん制しあって近づきあわないんでしょう。分かるところもあります。近すぎると傷つけあい、離れすぎると寒がるハリネズミのように適度な距離があるのかもしれません。

文屋 善明 そう言ってしまったら、この格言の真意は消えてしまいます。わたしの<一言>はこの格言に対するアイロニーなのであって、決して否定ではありません。むしろ、そうだなと思っているのです。それは人間の愚かさというような「哲学的問題意識」ではなく、現実に生きている中で、何も自分が賢いなどと思っていなくても、感じる「愚かな人間」が居るということです。相手がそういう人だと思ったら、近づかない方がいいよという「世間知」です。例えば、某大臣が「いくら説明しても分からない人にはわからない」と言って辞職するというような場合に、この格言が実践されているわけです。だから、私はアイロニーとしてこの格言が面白いと思っただけのことです。

Satoshi Mizota >いくら説明しても分からない人にはわからない
この大臣の言葉は私は案外「至言」だと思っていたりします(苦笑)。人間同士は本当にコミュニケーションなんかお互いに相手のことが分かっていて取っているんだろうかとか。その大臣も完全に「疑惑を説明し切る」ことが得策と思わなかったのでしょう。「自分の有罪を認めてしまう」、もしくは「自分が潔癖だという完全な証拠で世論を完全に打ち負かす」ことになるでしょうが、いずれにしても「選挙民は『納得する』ものの『生理的に嫌う』」ので、政治家そのものをやめざるを得ないと考えたのでしょう。

植村 光郎 格言はアイロニーの塊です。アイロニーを楽しみます。

文屋 善明 その通りです。

播 稔 世界一でなければダメなのでしょうか。(コンピュータは世界一でなければダメなのですが) 美人はやはり徳です。
posted at 06:46:09


「昨日のツイート 02/26 226事件」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/585a7f5d5abb340ba5e63a545753384…
posted at 08:30:15


文屋 善明さんが新しい写真4枚を追加しました
2月28日 6:38 ·
お目覚めの花。今朝は私の独り言。病院からの帰り道、「今年の冬は余裕がなくて梅を見に行けなかったね」と相棒と話しながら、遠賀川の堤防に向かって走っていると、突然、目の前の田んぼの中に数本の梅の木が現れました。思わず、車を止めてしばらく梅に見とれていました。これは私たちにとって神さまからの貴重な贈りものです。今まで、見たこともないような見事な梅でした。
文屋 善明さんの写真

西村 逸郎さん、柳沢 有紀夫さん、Richard Bakerさん、他70人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 梅の花の優しい芳香が届いて来そうです~♪(^^♪

細谷 民子 いい、お話ですね。そんな事ってあるのですね。僭越ながら、穏やかな、愛あふれる、時間の流れを感じました。

植村 光郎 仕事帰りに「杏の里」の下を通ります。花芽はまだ硬いようです。開花を楽しみにしています。

文屋 善明 そうですか、杏の花もそろそろだと思っていました。

安永 玲子 心がふんわり暖かになりますね・


文屋 善明
2月28日 6:17 ·
2015日々の聖句 02月28日(土)
わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、あなたの教えを胸に刻みます。(詩40:9)
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。(1ヨハネ5:3)
私の黙想:
この詩は信仰における優等生の作であろう。ただ、13節だけがリアルに響く。「悪はわたしにからみつき、数えきれません。わたしは自分の罪に捕えられ何も見えなくなりました。その数は髪の毛よりも多くわたしは心挫けています」。ある意味で、いかなる聖人君子でも、いや聖人君子であればこそ、この種の悩みが深いのであろう。14節、15節はその聖人君子が心に抱く「報復の祈り」である。どんなに聖人君子でも、自分が受けたひどい仕打ちに対しては、心の中で「仕返しすること」を願っているのであろう。
川崎での事件のことを考えると、もし私の子どもや孫がこういう事件の被害者になったら、加害者たちに「目には目を、歯には歯を」という気持ちを抑えることが出来ないであろう。普段、どのように本日の聖句のようなことを願っていたとしても。これ以上、黙想を続けることはできない。

藤井 衞さん、小貫 ツマさん、Luke Etsuzou Nomahさん、他30人が「いいね!」と言っています。

安永 玲子 本当に、言葉がないです・・

植村 光郎 「神を愛するとは・・」言うはやすく、行うは難しです。いつも「なぜ!」と「お願い!」「どうすればよいの?」ばかりです。恨みばかりを訴えています。でも、詩篇はいい言葉があり、人臭さを感じます。


文屋 善明
2月28日 16:26 ·
日本政府は恥ずかしくないのでしょうか。恥を忘れた恥の文化。

アムネスティが日本批判 「国際人権基準から遠ざかった」
国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部・ロンドン)は25日、2014年の年次報告書を発表した。 ...

http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/25/japan-amnesty_n_6756216.html

川染 三郎さん、西川 芳昭さん、森内 幸春さん、他24人が「いいね!」と言っています。
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植村 光郎 政府の特に首相の行為は、国民に対する重罪だ。この国の人々がどのような反感を受け、不利益な立場におかれるか!不作為の作為による犯罪です。

石井 昭 シェアーします。


文屋 善明
2月28日 16:58 ·
林巌雄さんからのシェアです。
誤読ノート244  「後藤健二さんの祈り」
「もしも学校に行けたら アフガニスタンの少女・マリアムの物語」(後藤健二、2009年、汐文社)
後藤さんは少女のために本気で祈ります。「神さま、どうか彼女たちを導いてください」(p.82)。「指導してください」ではなく「ともに歩んでください」とぼくには聞こえます。
後藤さんは重ねて祈ります。「(神さま、どうぞ彼女を導いてあげてください!) わたしは、そう願って眼を閉じました」(p.122)。
後藤さんはキリスト教徒です。けれども、米軍の誤爆で殺された少女の兄の墓では、イスラム教のやり方で祈りを捧げました。
彼は取材で訪問する人びとを、自分の「対象」や「材料」にするのではなく、むしろ、その人びとを「主人公」として、自分は聴き手となります。少女の兄の死の様子を少女の母から聴き、何も言えず、ただ黙り込みます。長い沈黙のあと、かろうじて、「アイム ソーリー」とだけ言うのです。
後藤さんは、考えます。「彼は、死ぬ瞬間何を思ったのだろう? 家族のことだろうか? 仕事のことだろうか? それとも戦争への恨みや疑問だろうか?」(p.53)。
後藤さんは、考え続けます。「わたしは前の日に考えたことを、また思い出しました。(彼は、死ぬ瞬間何を思ったのだろう? 家族のことだろうか? 仕事のことだろうか? それとも戦争への恨みや疑問だろうか?)と。いくら考えても、やはり答えは見つかりませんでした」(p.56)。
答えは見つからなくても、問いは二度繰り返されます。読者も二度、問いかけられるのです。後藤さんの伝えたいことは、まさに、この問いでありましょう。
巻末で後藤さんは言います。「『対テロ戦争』『テロとの戦い』とわたしたちがまるで記号のように使う言葉の裏側で、こんなにたくさんの人たちの生活がズタズタに破壊されていることを、知らないでいたのです」(p.132)。
2001~2年の取材に基づいて、2009年の出版。この本は、2014~15年の後藤さん自身やご家族、世界の諸国の政権を占っていたようにも思えます。
けれども、占いではありません。この本が伝えていることは、後藤さんが取材で訪問した人びとと同じ人生を生きたということ、そして、後藤さんは今も生き続け、眼を開いて人びとの生活を見続け、眼を閉じて(神さま、どうか、この人びとを、わたしたちを導いてください)と祈りつづけていることに他なりません。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%97%E3…/…/ref=sr_1_1…
もしも学校に行けたら―アフガニスタンの少女・マリアムの物語

川染 三郎さん、佐藤 文俊さん、Minsoo Rheeさん、他38人が「いいね!」と言っています。

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