ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 03/01 天皇陛下とローマ法王の脱原発発言

2015-03-04 08:14:11 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『原始キ教とアフリカ』を続読。ローマ帝国内におけるユダヤ人の勢力。整形外科。昼食後昼寝30分。読書。川崎事件だんだん真相に近づく。夜は「きらり九州」、「限界集落株式会社」「報ステ」を見て11時就寝、5時起床。体調、快調。チュン、チュン。

播 稔さん、北村 良輔さん、松井 貴志さん、他13人が「いいね!」と言っています。
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村田 多鶴子 おはようございます~♪ 冷たい雨の降る朝です。礼拝に集われる方たちの足が守られますように、礼拝が祝されますようにとお祈り致します。先生ご夫妻の今日の歩みが、守られ、祝されますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。礼拝にいきます。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 05:20:29


文屋 善明
3月1日 6:49 ·
今日の名言:RT @meigenbot:
もう一息、もう一息と言ふ処でくたばっては、何事もものにならない。もう一息、それにうちかってもう一息、それにも打ち克って、もう一息。もう一息、もうだめだ、それをもう一息、勝利は大へんだだがもう一息。 (武者小路実篤『もう一息』)
<一言>もう一息だ。もう3月だ、もう一月。

播 稔さん、上野 博志さん、北村 良輔さん、他17人が「いいね!」と言っています。

世良田 湧侍 他人より、あと10分耐えた者が勝利者だ。ある指導者のことば。
posted at 06:49:07

「今週のローズンゲン 2015/02/22~02/27」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/ee06838d6b87e0e7714d3dfb874abac…
posted at 08:39:49

「昨日のツイート 02/27 信教の自由から宗教の寛容性」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/6da47ea9ca218db96b52c756d77dc5d…
posted at 08:57:08


文屋 善明
3月1日 6:38 ·
お目覚めの花。「今日は主日、大斎節第2主日です。しかも今日から3月。何か良いことありそうな予感。あの時、天使はいいました。『ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に挙げられたイエスは、天に行かれるのをあなた方が見たのと同じ有り様で、またおいでになる』。今日は主日、教会に集い天を見あげましょう」。

竹本 耕造さん、播 稔さん、加藤 博子さん、他20人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
3月1日 6:24 · 編集済み ·
2015日々の聖句 03月01日(日)
主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。(詩36:6)
だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。(ロマ8:35)
私の黙想:
捻くれた私、「慈しみが天に、真実は大空に満ちている」という言葉を聞いた瞬間、それでは慈しみも真実も雲散霧消してしまうではないかと思ってしまう。博愛精神が愛でないように。慈しみにせよ、真実にせよ、特定の誰かに向かう時意味がある。同じように「神は愛である」と言った途端その愛は一種の自然になってしまう。
もちろん、これは理屈を言っているのではなく、賛美の言葉であるから、そのまま素直に「アーメン」と唱えるべきであろう。
それにしても、この詩人は厳しいというか鋭い感性をしている。「神に逆らう者に罪が語りかけるのがわたしの心の奥に聞こえる」(1節)。こんな言葉、誰が口にできるのだろうか。全く驚く。今まで、こんな言葉、聖書中で読んだことがないと思う。で、口語訳を開くと、「とがは悪しき者にむかい、その心のうちに言う」とある。成る程、そういうことか。何かボヤーッとして読み過ごしてしまう言葉である。要するに印象に残らない。参考に文語訳を見ると「悪しき者の咎は我が心のうちに語りて、その目のまえに神をおそるるの畏れあることなしと言う」。こうなるとかなり意味が違ってくる。
そうだ、本日の聖句は1節ではなく6節だ。これも口語訳では「主よ、あなたのいつくしみは天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶ」で、ここでは「満ちる」なんていう言葉は出てこない。意味が不明瞭なだけ読むものの想像力を刺激する。文語訳ではその点非常に明瞭である。「なんじの仁慈は天にあり、汝の真実(まこと)は雲にまでおよぶ」。ここでは仁慈と真実のありかを述べている」。これなら私の捻くれも出番がない。ちなみにフランシスコ会訳では「あなたの慈しみは天から降り、あなたのまことは雲にまで及びます」。この表現はなかなか味がある。神のが私たちの元に降ってきて昇っていく、神の往復運動である。新改訳が好きな方もおられるので参照すると「あなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます」。
信仰の「仰」とは見あげるといういみである。つまり信仰とは天を仰ぐことである。恵みは天から降ってくる。また、同時に私たちの真実は天に引き上げられる。まさに「上を向いて歩む」それが信仰生活である。

竹本 耕造さん、播 稔さん、北村 良輔さん、他25人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 「ひねくれたり」「屁理屈を言ったり」、お互いに歳ですね!それにしても、よくもまあ、同じ個所で同じように反応するものと思わず笑い出してしまいます。今日も、良き日となるでしょう。

植村 光郎 自らの心の中で、心の中にいる神に問いかけているとき、そして神様から愛されているとあるいは神様に感謝しているとき、神は愛と感じる。しかし、他人から「神は愛だ」といわれると何か白々しい。これは年寄りのひねくれか?


文屋 善明
3月1日 9:36 ·
とにかく、日本政府とその忠実な下僕マスコミはヒドイね。自分たちが隠せば日本人は知ることができなのだと思い込んでいる。

田中龍作ジャーナル | 天皇陛下とローマ法王の脱原発発言
バチカン。左側の肖像写真は、ローマ法王・ベネディクトゥス16世=昨年6月、写真:筆者撮影=

http://tanakaryusaku.jp/2012/03/0003879

金井 由嗣さん、小川 圭一さん、竹本 耕造さん、他34人が「いいね!」と言っています。
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植村 光郎 東電の汚染水流失隠しは、予想されたこととはいえあまりにも稚拙でひどい。そして今後も汚染水の貯蔵排出事故を装った大量流水を行うことは間違いないでしょう。

播 稔 最近の大雨では、汚染水タンクはキャパシティー100%、ならばどうするか、流すより方法はない。今に始まったことではない。

高林 生樹 · 共通の友達: 三浦 三千春さん、他2人
民を抑え込めば抑え込むほど、煩くなる。

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