ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 10/08 阿蘇大爆発

2016-10-11 08:33:45 | ツイッター
お早うございます。主の平和。二人で整骨院へ。昼食後、1時間昼寝。『黄沙の楽土』を読む。石原の対立軸になる人物を取り上げ、石原の問題点を浮き彫りにする。内村鑑三も登場する。夕食後、BS朝日で「遺留捜査」、松本清張の「10万分の1」を見て、11時に就寝。6時起床。体温:36.5、血圧(140,76:76)・体調・快調、チュンチュン。

28 藤井 衞さん、東山 富昭さん、他26人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪阿蘇山噴火のニュースで、火山灰が姫路まで…と聞いてわが耳を疑いました。自然の猛威を想う朝です。阿蘇山近くの方たちが守られます様にと祈ります。
先生ご夫妻が、守られて、穏やかなよい一日をお過ごしになられます様にm(__)m

文屋 善明 これを書いている時はまだ阿蘇山爆発のニュースを聞いていませんでした。

藤木 冨士子 こんばんは。


文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
10月8日 6:21 ·

お目覚めの花。「今朝は京都御所の曼珠沙華。サービスで2枚」「何か非常に高貴な香りがする(ような感じ)」。
文屋 善明さんの写真

49 藤木 冨士子さん、西村 逸郎さん、他47人
コメント

鎌野 健一 昔は家に持ち込むと火事になるといわれていましたが、田舎から離れると懐かしいです。田舎から球根を持ち帰り裏庭に植えようと準備中です。

文屋 善明 毒があるとも言われてきました。それで土竜よけのために田圃の周りに植え始めたと聞いています。

糸原 由美子 根っこは毒ですが、すりおろしてトウゴマとまぜ、足の裏に貼るとむくみがとれます。父の腹水がひいたのを思い出します。


文屋 善明
10月8日 6:53 ·

016 日々の聖句 10月08日(土)
御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。(詩119:130)
かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。(ロマ15:4)
私の黙想:
この「理解」は御言葉に対する理解だけではなく、生きるために必要な知識への理解を示すと読みたいし、私の場合はそうである。その意味では、聖書のことばは人生に必要な事柄へのtranslation機能を果たしてくれている。「無知な者」を口語訳は「無学な者」、フランシスコ会訳では「純朴な者」、新改訳は「わきまえのない者」、岩波訳では「未熟な者」と訳している。まぁ、これについてはどう訳そうと私自身のことだから全部当てはまると言っておこう。それよりも、やはり文語訳の「聖言(みことば)うち披(ひら)くれば光を放ちて、愚かなる者を慧(さと)からしむ」がピンとくる。ここでの強調点は「うち披くれば」で、こちらが無理に「こじ開ける」のではない。向こう側から開いてくるのである。その点ではフランシスコ会訳の「「言葉は現れて光を与え」や、「戸が開くと、光が差し込み」や、口語訳の「み言葉が開けると光を放って」も言葉足らずの感がする。岩波訳では「ことばの戸が輝き」と訳している。この言葉からイメージすると、結婚披露宴などで新郎新婦が登場する前に扉に照明が当てられ輝くと同時に向こうから扉が開かれ、そこに新郎新婦が立っている光景を思い起こす。その意味では、御言葉の扉に光を当てるのはこちら側である。そして向こう側から扉が開けられ、さらに強い光が輝く。文語訳の「うち披くれば」という言葉にはそうのような響きが感じられる。

22 藤木 冨士子さん、藤井 衞さん、他20人


文屋 善明
10月8日 7:00 ·

今日の名言:@C_G_Jung_jp
聖トマスにおけるアリストテレス哲学の主知主義の学徒たちは皆、何か彼らが授けられてきておらずそれについて実際には何も知らないようなものを、論理のトリックによって強いて顕わにしようと望んでいる。彼らは自らに信仰を証明したいと望んでいる。しかしそれは、現実には経験の問題なのだ。(C.G.ユング、『自伝』)
<一言>なんというややこしい言い方であろう。要するに、他人の哲学を自分の考えに無理矢理当て嵌めようとする愚かさを嗤った言葉である。まぁ、動機は悪くはないが、という言葉を添えている。

22 藤木 冨士子さん、藤井 衞さん、他20人


文屋 善明
10月8日 7:01 ·

イミタチオ・クリスチ(269):
神は何時、どのようにしてあなたを助けるべきかをご存じである。だから、安心してすべてを神に委ねるといい。2:2:5

22 藤木 冨士子さん、Nozomi Moriwakeさん、他20人


文屋 善明
10月8日 8:30 ·

「昨日のFB 10/06」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

13 藤木 冨士子さん、播 稔さん、他11人


文屋 善明
10月8日 9:03 ·

「断想:聖霊降臨後第21主日(T23)の福音書」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

14 吉岡 卓さん、藤木 冨士子さん、他12人
コメント

橘 智 ルカでは「立ち戻る」がキーワードになる箇所が多いですよね。
示唆をありがとうございました!


文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
10月8日 15:17 ·

今朝の朝日の(社説)白紙の領収書 これが大臣の「常識」か(2016年10月8日)
これが自民党の、また閣僚の常識なのか。6日の参院予算委員会での答弁に驚いた。
稲田防衛相と菅官房長官が、ほかの国会議員の政治資金パーティーに出席した際に白紙の領収書を受けとり、支払った金額などを自らの事務所で記入していたことを認めた。共産党の小池晃書記局長が指摘した。
小池氏によると、稲田氏のログイン前の続き団体あてで、同一人物が書いたとみられる領収書は2012年からの3年間で約260枚、約520万円分、菅氏の団体あては約270枚、約1875万円分見つかったという。
稲田、菅両氏は、パーティーで主催者側が1人ずつ金額を確認すれば対応に時間がかかることを理由にあげ、「主催者のいわば『委託』を受けて正確に書き込んだ。何ら問題ない」(稲田氏)などと答弁した。
常識外の発言である。
07年に改正された政治資金規正法は国会議員や関係政治団体に対し、人件費を除くすべての支出について領収書の公開を義務づけた。政治資金の流れを透明化するためだ。
だが、いくら公開して透明性を高めようとしても、白紙の領収書が許されるなら虚偽の金額を書き入れることも可能だ。支払額を水増しし、差額を裏金にしたとしても分からない。
公開された情報が正しいのかどうかが疑われ、制度そのものの信頼性が損なわれる。
両氏以上に驚かされたのは、政治資金規正法を所管する高市総務相が委員会で白紙領収書を問題ないと認めたことだ。
高市氏は「発行側の(領収書)作成方法には規定がない。国会議員は双方の事務所で入出金額が記録されており、事実と異なる記入というのはまず発生しない」と語った。
直ちに法違反にはならないかもしれない。だが、そもそも領収書とは、お金を受け取った側がいつ、いくら受け取ったかを払った側に証明するものだ。自ら手書きした領収書は、領収書の意味をなさない。その当たり前の常識が通じないなら、法を改正して明記すべきだ。
高市氏はきのうの記者会見で「国民に疑念を持たれないよう、各政党で改善していただきたい」と軌道修正したが、国会の場で白紙の領収書を認めるようでは、所管大臣としての資質が疑われる。
共産党を除き、要件を満たした各党が政党交付金を受けとっている以上、多くの政治家の政治資金には国民の税金が入っている。その使途の正当性が問われていることを自覚すべきだ。(以上)
ここでは政党間における政治パーティの会費が問題になっている。果たして白紙領収書の問題はパーティの会費にだけ関わっている問題なのだろうか。
また、パーティの出席者が、お金を封筒に入れて差し出すので、その場で開いて金額を確認すると事務が煩雑になるというような説明もなされていたが、そもそも、パーティの会費を封筒に入れて封をして出すものなのか。それは御祝儀とか寄付とか献金、あるいは贈呈であって、受け取った方が領収書を出す種類のものではない。出す方も私的な気持ちであり、政治資金には当て嵌まらないものである。パーティなら会費が明白になっており、領収書そのものは大量に作っておいて、それを渡せば済むことである。会費なら会費として領収書が絶対必要だし、金額は主催者側で確認して書き入れるべきであろう。そのことを抜きにして議論するから、主催者の領収書の書き方に何等の規定もないというから、矛盾が出てくる。ごく普通にすれば事足りることである。もし、白紙の領収書の場合、パーティ参加者の人数等、「但し書き」でいくらでも自由に金額を書き込むことができる。これはもう完全に犯罪である。
文屋 善明さんの写真

34 北村 良輔さん、亀山 宏さん、他32人
コメント

文屋 善明 それに加えて、自民党において、パーティが開催される度に大量の政治資金が動き、それがクリーニングされ、使用目的自由なそれこそ「領収書不要」の金として動くと言うことにもメスを入れるべきであろう。

矢野 寛子 今までの政権なら辞めさせられて当然なのに、安倍は辞めさせない。それにメディアも黙認。腐敗しきった日本の政治家!に怒り心頭。

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