ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 05/05 ベネズエラの若き天才指揮者が世界を魅了

2014-06-07 09:15:59 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。ネグリ『叛乱』続読。現代は「監視し、監視される社会」。「例外状態においては法の支配や、人びとの連合から生じる伝統的な習慣および紐帯の通常の機能は、包括的な権力によって一時的に停止される。例外状態とは戦争状態のことである」。久留米の千光寺に行く。「TEAM」「花咲舞は」を見て11時就寝、5時起床。体調・快調、チュン、チュン。

Su Suさん、くわ なぎささん、舟田 譲二さん、他18人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます。今日も終日、お元気でお過ごしになられますように!m(__)m

文屋 善明 ちょっと補うと、「現代は『監視する者が同時に監視される者である』という社会」、つまり囚人が同時に看守である。

播 稔 花咲舞は、他行のことだが、面白かった。
posted at 05:07:27

文屋 善明
今日の名言:RT @wareomouyueni:
あらゆるものは自明である。(デカルト)
<一言>そりゃそうでしょうよ。あんたは自明なものしか見ていないですから。

くわ なぎささん、富山 信さん、金丸 勝彦さん、他23人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 先生、そうでしょうか?それほど単純な話とは思いませんが(^^)

文屋 善明 それほど単純な話ではありません。そんなこと当たり前でしょう。しかしデカルト自身が問題を単純化して「あらゆるものは自明である」と言っているのですから、単純な言葉でやり返しただけです。しかし主観客観の構造から認識論を建てるということは物事を単純化したということでしょう。

清水 行雄 認識論を立てたのは、いわゆるカルテジアンの学者であって、デカルト自身とは異なりませんか?

文屋 善明 細かいことはいいんです。要するに「あらゆるもの」を「我思う」の中に吸収してしまって、思っていないものは存在しない。そこで後進国ドイツからカントが出てきて、思っていないものでも存在するじゃないかと言って「それ自体」を措定した、とまぁそんなことです。西田になると、主観と客観に分離する前の「直接的経験」の分析から哲学を始めた。

清水 行雄 デカルトの神については、僕なりの理解がありますが、聖書に出てくる神とは、異なるようなので、これ以上の追求は控えます(^^)

川井 勝太郎 あらゆるものは自明である。自明でないもの以外は。
posted at 06:21:20

文屋 善明
NHKこころ旅。直江津駅から。今日の目的地は「谷根川の道祖神」。今日は駅弁、青海川駅まで「米山さん」を見ながら輪行。雨の中を走る。深い谷底を覗く。谷根バス停、着く前に弁当を食べよう。弁当を食べる場所探し。手をつないだお地蔵さん。

北村 良輔さん、金丸 勝彦さん、早乙女 実さん、他6人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:27

「昨日のツイート 06/03 日本は、民主政治ではなく、親戚政治。」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/0675da51c6faf4dcce702923a5b7e27…
posted at 15:16:22

文屋 善明
お目覚めの花。「あなたは? 紫陽花ですか?」「さぁ、人間が私をどう分類しているのかわかりません」「紫陽花のようでもあるし、紫陽花でないようにも見える」「まぁ、分類なんか、いいじゃないですか」「そうですね。何か非常に神秘的です」。
写真: お目覚めの花。「あなたは? 紫陽花ですか?」「さぁ、人間が私をどう分類しているのかわかりません」「紫陽花のようでもあるし、紫陽花でないようにも見える」「まぁ、分類なんか、いいじゃないですか」「そうですね。何か非常に神秘的です」。

Su Suさん、細谷 民子さん、Yoshiyuki Sakaeさん、他45人が「いいね!」と言っています。

竹花 京子 なんて可憐で愛らしいお花なんでしょう!

矢野 寛子 葉っぱは紫陽花ですね。

文屋 善明
2014日々の聖句 06月05日(木)
東が西から遠い程、わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。(詩103:12)
神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。(2コリント5:19)
私の黙想:
「背きの罪」とは、面白い訳語である新共同訳では7回用いられている(詩19:14,51:3、103:12,イザヤ43:43:25,57:4、59:12で2回)口語訳では見られなかった。新改訳では「そむきの罪」、岩波訳では「不義」である。この言葉が動詞刑になると「背く」という意味になる。従って「背きの罪」で間違いないが、むしろ「背くこと」でそれは罪を意味すると考えた方が適当であろう。
背くことの本質は「離反」であり「叛逆」、方向性として遠ざかる方向を示す罪である。神から遠ざかるということは神以外の何者かの方向に行くということを意味している。具体的にはイエスラエルの民がヤハウェを離れてヤハウェ以外の神々に近づくことであるし、ダビデの個人的なケースではヤハウェに向かうべき「関心」がバト・シェバの方に向かうということである。早い話が、要するに「浮気の罪」である。
そう理解すると、今日の聖句は非常に面白い。神に対して「浮気の罪」を犯した者を神は赦し、両者の間を遠ざける。しかもその遠ざけ方も徹底しており、もう二度とその相手に出会うことのないような仕方で遠ざける。「東と西」とは厳密に言うと「(太陽の)登り口と(太陽の)沈み口」を意味する言葉で、絶対に出会うことがない関係を意味する。つまり、ヤハウェは嫉妬深いのである。

Minsoo Rheeさん、くわ なぎささん、金丸 勝彦さん、他20人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 先生、おはようございます。恐縮ながら、詩篇103を読んでも、僕には嫉妬深い神とは思えません^_^

文屋 善明 嫉妬なんかそう簡単に見えませんよ。詩103の神は赦しの神ですから。でも「赦される」っていうことは、実は非常に恐ろしいことなんですよね。罪を犯す前のナイーブ(素朴・幼稚・無辜)な関係は、罪と赦しとを経験した後には二度と戻ってきません。エデンの園は遠い彼方の夢物語のようなものです。

門叶 国泰 今日も同じ所で!

文屋 善明さんがBlood of the Warriorさんの写真をシェアしました。
ここなんだよ。生きるっていうことは。これは、一体誰の言葉でしょう。

写真: C.I.
https://www.facebook.com/453682311389291/photos/a.453688651388657.1073741826.453682311389291/631310893626431/?type=1&theater

東山 富昭さん、糸原 由美子さん、Yasuo Hiroseさん、他5人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんが本田 宏さんの写真をシェアしました。
よく出来た絵ですね。
写真
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=721037184620221&set=a.174040322653246.43299.100001418371917&type=1&theater

Su Suさん、涌井 幸子さん、玉城 豊さん、他17人が「いいね!」と言っています。

矢野 寛子 アホらしい。(゜〇゜;)?????

文屋 善明
宮地嶽の菖蒲祭り (写真75枚)
昨日、宮地嶽で菖蒲祭りの神事があったということで、今日は急いで宮地嶽に行ってきました。最後の4枚はお土産です。ねずみの土鈴は私のため、名前入りです。
文屋 善明さんの写真

塩澤 紀子さん、Yoshiyuki Sakaeさん、こーる のりこさん、他29人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんがHuffPost Japanさんのリンクをシェアしました。
これはまさに「音を楽しむ会」だ。真面目な顔をしてプロの演奏者が「乱れている」のも見ものだ。10分ほど仕事を忘れて、音を楽しんでください。

ベネズエラの若き天才指揮者が世界を魅了「なんてロックなオーケストラ!」【動画】
www.huffingtonpost.jp

観客が手拍子を打つ。演奏家が踊りだす。みんなで一緒に「マンボ!」

玉城 豊さん、東山 富昭さん、丸山 順子さん、他7人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 ♪~♪♪\(^O^)/♪♪~♪

文屋 知明 ベネズエラの若き指揮者ドウダメルが生み出す「これぞ、自由な音楽!多様な感性と自由な音楽性」を「マンボ」の他の動画(音楽)もご覧ください!

丸山 順子 これは楽しいっ♪ いくつでも「いいね!」を押したくなります!

玉城 豊 シェアさせてください。

Yasuo Hirose こんな風に音楽を楽しみたい、我が団の今年の定演は11月28日は富山オーバードホールです。

最新の画像もっと見る