ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 09/09

2012-09-10 06:38:33 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。終日、廣松渉の認識論と取り組む。夕方GAでウオーキング。夜は7時からNHKのプロフェショナルで高倉健をたっぷり1時間半、「生き方がそのまま演技に現れる」、名言だ。続いて渡辺謙演じる吉田茂、作られすぎ。10時就寝、4時半起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 04:37:16

#losungenj 09.09(sun)
「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである」と主は言われる。(Jer39:18)
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。(Joh11:26)
posted at 04:50:57
#losungenj 私の黙想:
バビロン軍によってエルサレムが滅ぼされる残忍な状況が詳しく描かれている。王族はいち早く逃げ出した。その中での預言者エレミアに対する「主の言葉」である。この言葉をエレミアはどう聞いたのであろう。彼の生命は担保された。それを彼は喜んだのであろうか。そうではない。彼にとって彼の生命などはどうでもいい。重要なことは民族のサバイバルである。捕囚中の民族の運命は彼の双肩にかかっている。民族存続の鍵は「わたしを信頼したからである」という言葉にある。
今日は主日、危機に直面している「日本」のために祈ろう。
posted at 05:00:02

文屋 善明 門叶さんの解説によりますと、どうも、私は誤読したようだ。この言葉はエレミアへの言葉ではなく、エレミアを通してクシュ人メレクへの言葉でした。

文屋 知明 エレミヤのような「政治家」を望むのが「バカか!」(-"-)

文屋 善明 エレミヤのような政治家というのは「言葉の矛盾」で想像できませんが、エレミヤのような宗教家はあり得るでしょう。

今日の名言:RT @iQTQuotes:
毎朝私達は再び生まれる。今日する事こそが最も大事なのだ。(ブッダ)
<一言>人間は、毎朝「新しい自分」と出会い、向かい合う。 だから夜寝ることと朝起きることが重要なのだ。これは毎日繰り返される「死と復活」の経験なのだ。「夕べがあり朝があった」(創世記1章)。
posted at 05:26:25

門叶 国泰 目が覚めないことを、永遠の眠り、と言うのですね。

文屋 善明 そのような寂しいことは言わないこと。寝る時は明日の朝必ず目覚めると確信して寝る。起きた時、そこがまだこの世だったら、私にはまだ仕事があると思い、そこが天国だったらハレルヤと叫ぶ。

文屋 知明 そこが地獄だったら・・イヤミです・・すんません!

文屋 善明 私は天国はあるが地獄はないと思っています。

文屋 知明 一緒につれてって・・・!

文屋 善明 大丈夫、天国では音楽家不足だと聞いています。

文屋 知明 天使合唱団のために、作曲でもさせていただきましょう。もう、バッハ達がやり過ぎてるて~!「アチャッ!」

文屋 善明 そんなことより、こんなところでボヤボヤしないで、早く教会に行け。私は今日も自宅で聖書を読みます。もうそろそろ次の説教の準備を本格的に始めなくてはなりません。

文屋 善明 大丈夫、日本的な賛美歌はまだまだ需要があります。(前のポストと順序が逆になりました)。

文屋 知明 ハイハイ!10時40分に出ます。来週は、私が担当の「音楽礼拝」です。乞う祈り!

文屋 善明 あんたのとこの礼拝は何時から始まるねん。

文屋 知明 午前11時からです!

文屋 善明 そうか、それじゃわしも11時から聖書を読もう。

三浦 三千春 >今日する事こそが最も大事  と、今やってることに集中できたらいいですね。心がけてはいるのですが、ここ2,3ヶ月、欲が出てきたというか、邪念が出てきたというか、Aのことをやってる間にBもCも気になって気が散るようになってしまいました。ホントに目の前にことに没頭できたら、達人に近づける気がします。顔洗いにしても、靴そろえにしても何にせよ。

「昨日のツイート 09/08」をブログにアップしました。 http://t.co/DS9DQRyQ
posted at 06:23:52

FB『もしニーチェが短歌を詠んだら』6(170頁)
自らの血で格言を書く者は 暗唱されることを欲する
『ツァラトゥストラ・上』第1部(7)「読むことと書くことについて」第7節
原文を少々書き改めています。翻訳書ではこの部分を「血を持って箴言を書く者は、読まれることを求めない。暗唱されることを望む」とある。
(どんどん、コメントをお寄せください。みんなでこの短歌を味わいましょう。)


FB<閑暇閑話(かんかかんわ)>6

閑な老人の駄弁、昼寝からの目覚ましに、どうぞ。

本日取り上げる徒然草第123段は、現在から見るとかなり経済的配景にギャップを感じますが、600年ほど前の日本人の中にもそんなことを考えていた人もいたんだと思って苦笑してください。

以下は第123段の現代語訳全文です。断っておきますが、以下の文章の内容につきまして、ご迷惑をおかけすことがありましても、私には責任はありませんので悪しからずご了解ください。

無駄な時間を過ごすのは、馬鹿者とか勘違い人間と言うに値する。国のため、経営者のためと、やりたくない事をやる羽目になる時は結構ある。その結果として、自分の時間は情けないほど少なくなる。よく考えてみれば、人として生きていくために必要な事と言えば、一つ目は、食べ物、二つ目は、衣服、三つ目に住居ぐらいである。世間で大切と思われている事は、この三つ以外クソと同じだ。餓死せず、凍死せず、雨風しのいで、静かに過ごせるならそれで良いではないか。しかし、人間は誰でも病気になる。病に冒されると苦しくて仕方がない。そこで医療も忘れるわけにはいかない。衣食住に薬を加えて、四つのことがままならないのを貧乏という。四つが何とかなれば裕福という。四つ以外の物欲を満たすのを強欲という。この四つ、爪に火を灯して生きていけば、誰だって「満たされない」などと思うだろうか?(吉田兼好著・吾妻利秋訳)

磯道義典 衣食住は良くとも老人ともなれば病は目先にちらつく。これだけはなかなか避けられない。

文屋 善明 現職中に支払った健康保険料を取り戻している感じです。

磯道義典 一般人のそれはいいとして何百ばいももらっている人が無視できないぐらい多いんではないか。

文屋 善明 もし、日本の健康保健制度が破壊したら日本人の平均寿命はいっぺんに10歳ぐらい下がり、高齢者の人口も減るかも知れませんね。まさか、日本の権力者たちはそれを狙っている訳ではないでしょうが。

<補遺>今日も一日楽しかった。7,8年前に書いた「パン屑」をブログ「落ち穂拾い」から引き出し整理をしている。これは「暗唱するのに相応しい聖書の言葉」と題して週報の埋め草に書いた短い文章である。聖書のテキストは文語訳で統一し、その週の週報の空きスペースに合わせて書いたため、長短があるが、今から考えるとこれが私の理想とする「5分間説教」である。そのために、もう一度読み返し、エバーノートに保存している。全部で50編ほどあるのでかなり時間がかかりそうだ。





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