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「王なるキリスト」についての断想

2015-11-22 08:27:56 | 説教
聖霊降臨後最終主日・キリストによる回復(降臨節前主日)

「王なるキリスト」についての断想 マルコ11:1-11

1. 「降臨節前主日」ついて
降臨節前主日(特定29)、伝統的には「王なるキリスト」の主日と呼ばれている。現在でもカトリック教会はそう呼ばれている。前の祈祷遺書ではそうではなかったが、新しい祈祷書ではその路線に従って改定作業が行われたらしい。編集者の一人であった、森紀旦主教は著書の中でそのことを縷々説明している(『主日の御言葉──教会暦・聖餐式聖書日課・特祷──』152,153頁)。しかしそれはあくまでも非公式なことであった。
京都教区では2006年の第56(定期)教区会において、主教会提案の「祈祷書中の教会暦の一部を読み替え、その試用を認める件」が可決され、降臨節前主日(特定29)を「聖霊降臨後最終主日・キリストによる回復(降臨節前主日)」と改めることになった。その意図は、この日の特祷を重視し、「あなたのみ旨は、王の王、主の主である御子にあって、あらゆるものを回復されることにあります」を活かし、一年を総括する主日として、すべてのものがキリストのうちに集められ、解放されることを祈り求め、わたしたちの心を新しい年へと向かわせることにあった。つまり伝統的な「王であるキリスト」を背景として、その意味付けとして「キリストによる回復」ということが本日の主題である。

2.王なるキリスト
そこで、まず新約聖書における「王なるキリスト」というイメージについて確認しておきたい。「王なるキリスト」というイメージが原始教団内部にあったことは確かであり、最も明確な証拠はヨハネ黙示録17:14と同19:16である。そこでは黙示文学特有の表現において、キリストが「王の王、主の主」であると語られている。パウロ的文書においては「王の王、主の主」という言葉は、Ⅰテモテ6:15にのみ用いられているが、これは明白に神自身を指し示している。それ以外に、「王の王、主の主」という言葉は見られない。従って問題は「王なるキリスト」という言葉が黙示文学にのみ登場しているということである。パウロ文書においては「王なるキリスト」というイメージはないが、確かにこれに近い思想は見られる。たとえばコロサイ書等いわゆる獄中書簡には、「キリストによる万物の支配」(コロサイ1:15-18)という表現がある。しかし、この言葉は論理的展開の中で用いられているというよりも、祈りとか賛美という詩的表現の中に顕著に用いられている。従って原始教団内部には確かに「キリストによる万物の支配」という思想は存在し、それの民衆的表現として、キリストを「王」とする信仰はあったのだろう。そのような信仰が福音書に見られるようなキリストを王とする伝承の地盤を形成したものと思われる。
原始教団においてはパウロに見られるような「キリストによる万物の支配」というギリシア思想に対応する思想的展開とは別にキリストないしはイエスを「王」とするローカルな民間伝承も存在したと思われる。福音書におけるエルサレム入城物語はむしろそちらの方の流れに属しているものと思われる。従ってエルサレム入城における民衆の大歓迎という出来事は歴史的事実であるかどうかというよりも、そういう伝承がかなり広い範囲に語り継がれていたということが重要であろう。

3.エルサレム入城
本日の福音書テキストに選ばれているエルサレム入城の出来事は4つの福音書が取り上げている。それぞれ、その取り扱い方に特徴があり、興味深い。例によって順序としてはマルコから始めるべきであろうが、この記事に関する限りマタイから始めるのが適当である。なぜならマタイがこの物語については最も丁寧に扱っているからである。
マタイはまずイエス自身がエルサレム入城のために弟子たちに命じて子ろばの調達をさせたことを語る。そのことについて、「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」(21:5)という預言者ゼカリアの言葉を引用して(ゼカリア9:9)、このことは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった(21:4)、と説明している。この説明の言葉はイエスの言葉というよりも編集者の言葉である。つまりマタイはこの出来事を「王なるイエス」の姿を描くものとして語っている。
ルカは、預言者ゼカリアの言葉を引用していない。イエス一行は子ろばを調達した後、ただちにエルサレムに向かう。「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。『主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光』」(19:37-38)と記されている。要するに、イエスに従ってきた「弟子たちの群れ」が賛美をしながらエルサレムに向かって行進したという設定である。そして、その賛美の言葉も、マタイやマルコと異なり、イエス誕生の時の天使の賛美(ルカ2:14)の言葉を基本にして、それに「王に」という言葉を挿入したものである。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」(19:38)。そして、エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスは涙を流して、「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」(19:41-44)と言われた。ルカ福音書における特異な点は、「弟子たちの群れ」が大騒ぎをしたのはエルサレムの町に入る際ではなく、その途上の出来事として設定している点である。弟子たちがあまりにも騒ぐので、ファリサイ派の人々が来て、イエスに「弟子たちを少し静かにさせなさい」と忠告している。こういうやりとりは、エルサレムの群衆がイエスを大歓迎して大騒ぎをしたというよりも、イエスが押さえれば押さえられる程度の規模のものであったことを示している。
ヨハネでは群衆はあらかじめイエス一行がエルサレムに来るという噂を聞いていて、大歓迎をしたという設定になっており、群衆の賛美の言葉もほとんどマルコと同じであるが、ただ最後の部分に「イスラエルの王に」という言葉を用いている。ろばに乗るということについても、何か取って付けたような印象で預言者ゼカリアの言葉もなにか不自然である。
ところが、マルコでは預言者ゼカリアの言葉も引用されていないし、この場面で「王」という言葉は一切用いられていない。ただイエスは「ろばに乗って」エルサレムに到着し、人々がイエスを「王であるかのように」歓迎した、ということが述べられているだけである。何か「舌足らず」の印象であり、マタイやルカがマルコの文章を資料にして編集したというよりも、逆にマルコがもともとあった民間伝承を参照しつつ、注意深く「王なるイエス(あるいはキリスト)というイメージを削除したように思われる。マルコの思想からいうと、イエス自身が「王のように」行動することは受け入れられないことである。この記事の直前の部分でイエスは「この世の支配者」を徹底的に批判し、「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために」(10:45)来たと宣言している。そのイエスが、たとえ象徴的行為、あるいはジョークであるにせよ「王のような」振る舞いをする筈がない。
マルコの記事を注意深く読むと、イエスの一行はエルサレムに入ったその日には何も公の行動をしていない。むしろ、「イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った」と述べられている。要するに、スパイ活動である。そういう目的を持ってエルサレムに入ろうとしている人間が鉦や太鼓で大騒ぎして入るはずがない。
マタイの場合は、エルサレムの住民を驚かせるような仕方で入城し、そのまま神殿に入り、いわゆる宮きよめの出来事が続く。ルカの場合もほぼ同様である。ところが、マルコは夕方になると、エルサレムを離れてベタニア村で宿泊する。それ以後、毎日、朝ベタニアからエルサレムへ行き、各種各層の人々と論争をし、夕方にはベタニアに戻るという日が続く。決してイエスはエルサレムで宿泊しない。なぜイエスはエルサレムに泊まらないのか。その理由はよく分からない。マルコ福音書ではイエスがエルサレムで夜を過ごしたのは、逮捕後、裁判の日だけである。ここで重要なことはイエスがエルサレムに泊まったことがあったかなかったかということではなく、マルコがイエスの生き方、あるいは安住できる場所としてエルサレムという都市とベタニアという一寒村とを対比させたかったからであろう。

4.ベタニア村
ベタニア村はエルサレムから3キロ程離れたオリーブ山の東側斜面にある。ここにはイエスが愛したマルタとマリアとラザロの3人が住んでおり、イエスと弟子たちはしばしばここを訪れていたものと思われる。ヨハネによる福音書によると、死んで墓に収められていたラザロを甦らせたという噂が、エルサレムの住民の間で広まり、それがイエスのエルサレム入城の大歓迎に結びついたといわれている(ヨハネ12:17)。この出来事はベタニア村で起こったことである。
ベタニアという名前の由来は「悩む者の家」とか「貧しい者の家」という意味であり、ここには重い皮膚病におかされた人々が隔離された施設もあったようである。そのような施設の一つ「シモンの家」(マルコ14:3)において、マリアという女性がイエスの足に高価なナルドの香油を注ぐという出来事もあった(マタイ26:1-5、マルコ14:3-9、ヨハネ12:2-8)。これらの出来事を通して、イエスと弟子たちとがいかにベタニアにおいて穏やかに過ごしたかがうかがえる。それに対して、エルサレムではイエスはテロのターゲットとされていた。従ってマルコが執拗に夕方になると都を離れベタニアで宿泊するということを繰り返すのは、ただベタニア村で安心して休めるというだけではなく、ベタニア村とエルサレムの都とを鋭く対比させるレトリックである。ベタニア村は今や「強盗の巣」(11:17)とされたエルサレムに向かってのイエスの根拠地である。ルカによる福音書によると、不思議な文章に出会う。「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を挙げて祝福された」(ルカ24:50)。イエス昇天の記事であるが、イエスの昇天という出来事がエルサレムではなくベタニアであったということは注目すべきであろう。

5.ユダヤ人の王とて
イエスが十字架刑に処せられた公式の罪状は、イエスが自らのことを「ユダヤ人の王」と称したということになっている。もちろんこれは冤罪であるが、イエスはこの最高裁判決に反論することもなく、黙々と処刑された。その裁判の風景は4つの福音書を通して明白である。
ヨハネ福音書には丁寧に、イエスの十字架には「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」とヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれた罪状書が貼り付けられていた(ヨハネ19:19)と記している。4つの福音書ともほぼ同じことを記しているので、これはほぼ歴史的事実と考えて間違いがないだろう。このことについて、面白い議論が記録されている。この罪状書に疑義を唱えたのはイエスではなく、ユダヤ人の祭司長たちでピラトに「この男は『ユダヤ人の王』と自称した」と書くように願い出たところ、ピラトはその要請を門前払いして、「書いたままにしておけ」と言ったという。このエピソードは面白い。イエスの罪状はユダヤ人の王と自称したということであるがそれは事実に反する。イエスはそのように自称したことは一度もない。従ってピラトがユダヤ人の祭司長たちの願いを拒否したことは正しい。つまりイエスは公式には「ユダヤ人の王」として処刑されたことになる。
この罪状書を見て、多くの人たちがイエスを罵り、嘲り、笑いものにした。しかし今から考えると、この罪状書は人類史上最大のジョークである。ところがキリスト教は、特にその中でもキリスト教の民衆たちは、このジョークを大逆転させ、キリストは「ユダヤ人の王どころか世界の王である」と言い始めた。このしたたかさは高邁の哲学ではなく民衆神学であり伝説である。こういう伝承がエルサレム以外のローカルのキリスト教の中で形成された。マルコはそのような民衆の中で形成された「王なるキリスト像」を消そうとしている。しかし完全に消し去ることはできなかった。マルコ以後、マタイやルカ、さらにはヨハネにおいてはその伝承はさらに完成度を高めながら取り上げられた。マタイはイエスの誕生物語において「ユダヤ人の王としてお生まれになった」(マタイ2:2)を拝む「東の国の占星術の学者」伝説を生み出した。そして本日のテキストのもととなるエルサレム入城の伝説を生み出した。
この民衆の神学ともいうべき伝承の流れと、パウロによる宇宙論的支配者としてのキリスト像とが結合したところに「王の王、主の主」という黙示文学的表現が成立した。

6.「キリストによる回復」
日本聖公会によるこの主日の読み替えにおいて、「王」とか「支配」という言葉が避けられ、「回復」という言葉が用いられている点は注目に値する。この「回復」という言葉はこの主日の特祷に由来する。「永遠にいます全能の主よ、あなたのみ旨は、王の王、主の主であるみ子にあって、あらゆるものを回復されることにあります。どうかこの世の人々が、み恵みにより、み子の最も慈しみ深い支配のもとで、解放され、また、ともに集められますように」。この特祷において注目すべき点は「あらゆるものの回復」ということが神の最終的目的であり、その具体相として「キリストの支配のもとでの解放と結集」ということを祈り求めている。
「回復」という概念は、本来あるべき正常な状況が破壊されている現実が、正常な状況に戻ることを意味している。現在の世界の状況、人間の姿が正常だとは思えない。自分自身の有様だって決して、これが正常であるとは誰も言えないだろう。常に何かに捕らわれ、ものごとを正常に見ることさえできない状況に置かれている。この状況は、まさにルカ福音書第15章が語る放蕩息子が置かれている状況に似ている。

7.回復への道(放蕩息子のたとえ)
あの弟息子は自分のものでもない財産を自分のものと思いこんで、父親から奪い取るようにして手に入れ、父の家を飛び出した。弟息子の悲惨な状況はここから始まる。行く付く先はハッキリしている。何もかも失い、私自身の力で生きることもできなくなった。本来私自身のものではない財産はいつの間にか必ず失われる。その時、始めて本来の私自身とは何者かということに気が付く。本来の私は父の元にあっての、父との関係の中での私である。父から離れた現在の私は本来の私ではない。本来あるべき関係をすべて絶たれた孤独な、裸の私である。
あの時、私のものでもない財産を私自身のものと思いこんだとき、本来の私自身は失われた。本来の私自身は、遠い故郷の父の元にある。いや、その父の元にももう私自身はないかも知れない。もはや息子と呼ばれる資格はない。しかし、この父の元に帰る以外に私自身を回復することはできない。息子と呼ばれなくてもいい。父の元で「雇い人のひとり」としてでも、いいからそこに帰ろう。これが今のこの悲惨な状況からの解放の祈りである。まずここから解放されなければ回復はない。放蕩息子は本来の自分自身を取り戻すために父の元に向かう。
父の元には、本来の私自身が残されていた。父の元にたどり着いたとき、すべての関係は回復された。そして私自身を取り戻した私には新しいドラマが始まる。

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