ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/30 水巻町「十字架の塔」墓参

2015-11-01 09:38:10 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。整形外科から散髪に回る。『日本の知識人』続読。「喋る論理」、「書く論理」、「印刷する論理」、西洋受容の3類型。釣川堤防散策。夜、「科捜研の女」「遺産争族」を見て10時に就寝。6時起床。体調・快調。チュン、チュン。
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村田 多鶴子 おはようございます~♪ 随分寒くなって来ました。風邪を引かない様お気を付け下さいませ。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

藤木 冨士子 おはようございます。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。


文屋 善明さんが新しい写真2枚を追加しました
10月30日 6:13 ·
お目覚めの花。「あなたの頭に生えているのは何ですか」「あなたは何に見えますか」「そうですね、ネジですか」「いいえ、十字架です。黄色の十字架」。
文屋 善明さんの写真

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文屋 善明
10月30日 7:49 ·
2015日々の聖句 10月30日(金)
わたしたちの神、主よ、(主は先祖と共にいてくださった。またわたしたちと共にいてくださるように。)わたしたちを見捨てることも、見放すこともなさらないように。(列王記上8:57)
実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。(使徒言行録17:27)
私の黙想:
今日の聖句は神殿が完成し、そこに神の筺を設置する式、いわば入魂式において、ソロモンは民を代表してヤハウェにこれまでの感謝とこれからの繁栄を願う祈りを捧げた(12~53)。それに続いて、ソロモン王は後民衆に向かって演説をした。今日の聖句はその中の言葉である。神殿の完成を記念する「王の談話」である。いわばソロモン王は「過去」と「将来」との間に立って演説をしている。その意味では、ローズンゲンが省略した括弧内が重要である。ヤハウェは「先祖と共にいてくださった」という事実(=経験)に基づいて、「わたしたちと共にいてくださるように」祈る。今日の聖句で取り上げられている、「見捨てることも、見放すこともなさらないように」という願望は、「共にいて下さい」という願望の内容(内訳)である。
主は確かに先祖と共にいて下さった。しかしその時の先祖の有り様は決して誉められるものではなかった。「にも拘わらず」主は共にいて下さった。この事実は事実である。今の私たちも決して誉められるものではない。しかし「敢えて願う」。現在の私たちを顧みるとき、「見捨てられて」、「見放されて」も当然である。「にも拘わらず」「敢えて願う」。当然の権利として願えるものではない。「にも拘わらず、敢えて願う」。これがイスラエルとヤハウェとの関係である。過去の歴史を無視したり、歪曲するとき、「現在の願望」も偽りとなる。ソロモンの演説には過去の歴史をしっかりと見る姿勢が整っている。
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播 稔 ソロモンは過去の歴史をしっかりと見る姿勢が整っている。なるほど。感謝。

藤木 冨士子 シェアします。


文屋 善明
10月30日 7:59 ·
今日の名言:@meigennavi
長い人生でここ一番というときにモノを言うのは、ファッションではなくて、言葉ではないのかな。
(向田邦子)
<一言>この言葉は難しい。小説家が「ファッション」と対比する「言葉」とは何か。よく分からない。よく分からないから「名言」に違いない。考える余地があるということは嬉しい。
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播 稔 立派な服を着たというより・・・・・・・。

文屋 善明 就活の面接の場面でなら、分かる。デモ、この作家のいうこと、そんなことではないだろう。


文屋 善明
10月30日 9:12 · 編集済み ·
今日の「折々のことば」。手元にある熊野純彦訳で出典を探したが見つからない。この言葉は「多様性の生起」について語っている。人間の多様性は何から生まれるのか。これは謎だ。私と私の弟、同じ両親から生まれ、同じ環境で育ちながら、何故こうも違うのか。これは私自身も分からない。ところが、それが私なのだ。ところがバラは何処でも咲いても、バラはバラだ。カメラで一つ一つ写しても、海の中道の赤いバラとグリーンパークの赤いバラは近づけば近づくほど同じバラになってしまう。しかし、人間は・・・。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=916016481809147&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

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清水 行雄 おはようございます。文脈から切りはなされて引用しても、難解でわからない言葉ですね(^_^)

文屋 善明 だから「文脈」を探ろうとしたのですが、不発でした。だから、私なりに考えました。ここで言う「多様性」とは私という「個別性」であるということだと思います。西田なら「多様性即個別性」とか言うんでしょうね。熊野純彦訳では「多産性」という言葉に置き換えられているようです。

清水 行雄 個別性における多様性ももちろん無視できませんが、個別の共存による多様性も見逃せないと、考えます。

播 稔 人はその「個別性」においてこそ輝く。 多様性ねー。

伊藤 利行 本当に、どのバラも同じバラなのでしょうか?


文屋 善明
10月30日 9:34 ·
「昨日のツイート 10/28 あしあ砂像展」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP
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10月30日 14:37 ·
今日は、諸聖徒日に先立ち、小林司祭、李司祭、八幡聖オーガスチン教会、宗像聖パウロ教会、戸畑聖アンデレ教会等の信徒たちと共に、福岡県水巻町の「十字架の塔」を訪れ、墓参の祈りを捧げてきました。
福岡県水巻町の「十字架の塔」
1941年太平洋戦争が始まり、日本軍は約30万人の連合軍兵士を捕虜にいたしました。この大勢の捕虜たちは全国各地に分散され、強制労働させられました。
その内、福岡県折尾の俘虜収容所には、アメリカ人70人、イギリス人250人、オランダ人800人が収容された。彼らは主に、インドネシアとシンガポールでの捕虜で、水巻町にあった「日炭高松炭鉱」で坑内作業に従事させられました。坑内での労働は厳しく、食事習慣の相違から病気で倒れる者、収容所での生活に耐えかねて脱走して処罰された者など、多くの方がこの地で命を奪われました。
1945年8月15日の敗戦の日、連合軍による戦犯調査委員が来訪することを聞き、炭鉱側は遺体処理に苦慮しました。それで、戦争責任を逃れるために、委員会到着前に、一晩中、突貫工事をして「十字架の墓標」を建てました。
その後、水巻町からは炭鉱の面影も消え、この地で戦争による痛ましい歴史があったことも忘れてられていました。十字架の塔は手入れするものもなく、荒れ果てていました。1985年7月オランダ兵捕虜として高松炭鉱に収容されていたドルフ・ウインクラー氏がこの町を訪れ、荒れ果てていた「十字架の塔」を発見し、地元の人や学校関係者たちに協力を呼びかけ、修復されました。
現在では、町のボランティアの方々のご奉仕により、美しく保たれており、この塔を中心にして、戦時中捕虜として働いた人や、亡くなられたオランダ兵の遺族の方が、町内の小中学校を訪れ生徒たちと交流会を持ったり、日本・オランダ両国の中学生がホームステイをしたりと国際平和交流が続けられています。
八幡聖オーガスチン教会ではこのことを知り、今では毎年、諸聖徒日には墓参の祈りを捧げています。 
文屋 善明さんの写真

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播 稔 クアイ川マーチはどこにでもあるのだなー。

竹花 京子 戦時下、異国の地で命果てた方々の悲しさや悔しさを思いました。いけませんね、戦争は。シェアさせてください。

加藤 治 紹介記事を投稿して下さり、ありがとうございます。世界に知られて嬉しいです。

松沢 直樹 水巻や折尾は長くいましたが、存じませんでした。先生、ありがとうございます。亡くなられた方を心より悼みます。

堀 俊子 日本人も悪いですね。戦争の罪

播 稔 戦争のルールでは、捕虜の虐待は全世界共通で禁じられていましたが。何せ戦争ですからねー。日本人も中国、ソ連にはひどいめにあっています。

小貫 ツマ 福岡にこのような異国の捕虜の慰霊の塔があることを知りませんでした。諸聖徒日を前にして礼拝をなさっていることも知り、感謝いたします。室蘭にも主に中国人のための慰霊碑がありましたが教会としてお祈りに行くことがなかったことを反省しています。異国の方々外国で苦しみのうちに亡くなられたことを覚えなければならないと反省させられました。

播 稔 室蘭のは確か(鎖ずか)ではなかったかと記憶しております。戦争は,銃剣、爆弾だけではないのだと思います。やすらかな眠りを、お祈りしたいと思います。アーメン

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