乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

苦手な人

2018-06-25 23:22:34 | 背後霊の不思議 M.H.テスター
我欲というのは恐ろしいものである。

不幸、病気、犯罪の根本原因はことごとくこの我欲にとらわれることである。

この事実に気づかぬ人こそ本当の意味での無知な人、愚かな人と言うべきであり、力こそ善なりと信じ、金こそ全てだと思い込んでいる人こそ真の愚か者というべきである。

悪意、憎悪、嫉妬、怒り等はたしかに一種の暴力である。

いわば精神的暴力である。

しかもその念はかならず自分のところに戻ってくるのである。

それもただ戻ってくるのではない。

はね返える時に勢いを増して戻ってくるというから恐ろしいのである。

では、もしあなたがそういう悪意の対象とされた場合はどうすべきか。

成り行きにまかせておけば、あなた自身の調子が乱されるばかりでなく、あなたがはね返す悪念で当人も傷ついていく。

自業自得だという考え方もできるが、これは神を知った人間の考えとしては落第である。

悪意には善意で返し、憎しみには愛で返してやるのが最高の心掛けである。

そんなわけにはいかない奴もいるョ、とおっしゃりたいのではなかろうか。

その気持ちもわかる。

たしかに愛せない人、好意を向けたくない人がいるものである。

が、そう思っているかぎり、あなたも相手と同じ次元から脱していないことになりはしないだろうか。

憎い相手を愛するのは、確かに難しい。

が、「成らぬ堪忍するが堪忍」という諺と同じで、その難しいことを何とか実践しょうと努力するところに、魂の成長もあるわけである。

相手も神の子である。

何か良いものをもっているはずである。

その良い面を認めて慈しみの心を向けてやることである。

悪意に満ちた人間をなぜ慈しむ必要があるかと思われるかも知れない。

が、よく考えていただきたい。

そういう人は悪感情にとらわれているのである。

自分という小さな心の世界に閉じこもり正常な判断力を失って、低級な悪念のとりこになってしまっているのである。

こういう人こそ気の毒な人であり、外部からその悪念のカベを破ってやらねばならないのである。

あなたが受けた憎しみをそのまま返していたら、また戻ってくる、また返す、また戻ってくる、というふうに、いつまでたっても悪循環は断ち切れない。

お互いの傷つけ合いがいつまでも続くことになる。

これは神を知る人の賢明なやり方とはいえまい。

送られてきた悪感情をそっくり受けとめ、代わりに愛と善意の念を送り返してやることこそ、神の道に叶った心掛けである。

あいつはつまらん人間だという評価を下すのは極めて容易であり、あなたの立場も一応は弁護される。

が、それでは次元が低すぎるといっているのである。

もう一歩高い次元から見つめて、相手も神の子だ、何か良い面を持っているはずだという見方で臨めば、あなたが一段と霊的に高められると同時に、相手も暗い牢獄から救われることになる。




職場に苦手な人がいる。
一歩高い次元から見つめるつもりが、なんだかんだと気にしてしまう。

いかんいかん。

低い、低すぎる。

もがきながらも、努力することが、今の私の必要なところ。

ぼちぼち頑張ります。


(ヒマラヤの青いケシ)

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