遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『まいまいつぶろ』   村木嵐    幻冬舎

2024-06-13 23:09:22 | 諸作家作品
 本書を読んで、「まいまいつぶろ」がカタツムリの異称だと知った。本書を読む動機は新聞広告で目にしたこのタイトル。意味不明でおもしろい語感に興味をいだいた。著者の名もこの新聞広告で初めて意識した。
 本書は書き下ろしの歴史時代小説で、2023年5月に単行本が刊行された。2023年下半期・第170回直木賞の候補作となった。

 改めて手元の辞書を引くと、「まいまいつぶろ」は「まいまいつぶり」の項に付記されていて、「まいまい」の子見出しとして載っている(大辞林)。共にカタツムリの異称と記す。また、まいまい(まいまいつぶろ)は、神奈川・静岡・岐阜、岡山・広島・福岡方言だと言う(新明解国語辞典)

 本作は德川家重と彼に仕えた大岡兵庫(後に忠光に改称)、二人の生涯の関わりを描き出していく。本作を読むまで、德川家重(1711~1761)は全く意識外の存在だった。彼は德川吉宗の長男として生まれ、最終的には9代将軍(在位:1745~1760)となった。
 手元の国語辞典では、生没年と在位期間の他に、「虚弱体質で言語障害があり、側用人大岡忠光が権勢を掌握」(日本語大辞典)、「幼名長福。身体虚弱で酒食に溺れたという」(大辞林)と記す。また、「德川九代将軍。吉宗の長子。延享二年将軍。性惰弱、酒食に耽り政治を顧みなかった。宝暦十年、将軍職を家治に譲り、翌十一年没。諡は惇信院(1711~1761)」(広辞苑初版)とも記されている。

 読後に確認したこれら国語辞典のごく簡略な説明は、德川家重と大岡忠光について、1つのイメージを喚起する。だが、私にとって本作の読後印象は、そのイメージとは対極にありそうな二人の人物像のイメージが余韻として残っている。このストーリーの世界に感情移入していくと、最後の主従の別れの場面は涙せずにはいられない。家重と忠光の主従を越えた人間的な強い絆の形成・確立がこのストーリーのテーマになっている。
 最後に家重が忠光に言う。「さらばだ、忠光。まいまいつぶろじゃと指をさされ、口がきけずに幸いであった。そのかげで、私はそなたと会うことができた。もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光に会えるのならば」(p320-321)

 本作は、江戸奉行、大岡越前守忠相が、大奥の上臈御年寄の滝乃井に呼び出される場面から始まる。滝乃井はかつて吉宗の嫡男・長福丸(家重)の乳母を務めた。滝乃井は忠相に家重の言葉を聞き取る者が現れたと告げ、兵庫と称する少年が忠相の遠縁に当たると言う。滝乃井は、忠相に兵庫に対して御城へ上がる心得を説いてほしいと依頼する。忠相自身が縁戚として知らなかった者だった。調べてみると、兵庫の父・大岡忠利は、忠相と「はとこ」の関係にあたるのだ。
 同日の夜、若年寄の要職にある松平能登守乗賢が忠相の役宅を訪れる。乗賢は長福丸様が小禄の旗本の子弟とお目見得を行う儀式で奏者番を務めた折の経緯について、困惑をしつつ忠相に語った。忠相は兵庫が見出された顛末を乗賢から聞かされる。忠相はもはや後へは退けぬことを知る。
 
 長福丸は吉宗が8代将軍になる前に、赤坂の紀州藩邸で生まれた。あわや死産という寸前で命をとりとめた。しかし、長福丸の発する声を誰も聞き取れない。普通に口がきけるようにはならなかった。麻痺で片頬が引き攣れている。手に麻痺があり、仮名ですら書けない。尿を始終漏らすので、座った跡がまいまいのように濡れて臭うとまで言われていた。ひどい癇癪持ちで、怒り出すと手が付けられない。
 そこに、長福丸の言葉を聞き取れる少年が現れたというのだ。長福丸のことを案じてきた人々にとり、これほどうれしいことはない。

 だが、ここで一筋縄ではいかない問題が生まれてくる。将軍職の継承と幕府の政事という次元が長福丸の人生に絡むのだ。将軍職は原則長子継承である。長福丸を心身虚弱として廃嫡することは、まずこの原則から外れる。

 さらに厄介な問題が生まれる。兵庫を長福丸の小姓に取り立てると、「長福丸の言葉には幕閣の誰一人、老中でさえ逆らうことはできないのだ。それがある日を境に、兵庫の言葉に取って代わらぬと言い切れるだろうか。兵庫が長福丸の言葉だと偽って、己を利する言葉を吐くようにならないだろうか。 それなら兵庫がわずかばかり利口だということは、むしろ悪を企む危うさのほうが大きい」(p22)という懸念である。

 5代将軍綱吉が御側用人制を創った。これを吉宗は廃止し、幕政改革を推進してきた。長福丸に一人だけ言葉が分かる小姓が侍ることは、側用人制の復活につながらないかという懸念である。吉宗が長子継承の原則を捨て、長福丸を速やかに廃嫡すれば問題にはならない。だが、吉宗は廃嫡論を自らは語らない。棚上げ状態が続く。

 兵庫と対面した忠相は1つだけ兵庫に忠告する。「兵庫には心しておかねばならぬことがある。そなたは決して、長福丸様の目と耳になってはならぬ」(p37)
 「長福丸様は、目も耳もお持ちである。そなたはただ、長福丸様の御口代わりだけを務めねばならぬ」(p38)と。
 この忠相の忠告が、兵庫にとりその後の生涯にわたる原則となる一方、兵庫(忠光)が家重の側で己を律する上で苦悩の因にもなっていく。長福丸(家重)の口となり、鏡になったつもりで言葉を映すことは、相対的にたやすい。しかし、お側に仕える小姓として血の通った心で役立つには何ができるのか。その判断が難しくなる。

 家重と家重の口となる忠光との、いわば二人三脚が始まって行く。このストーリーは、常に、廃嫡問題が底流にありながら、長福丸が、若君と呼ばれる立場になる。さらに、京の都より、比宮(ナミノミヤ、増子)を正室として迎える段階に進展する。
 比宮は江戸城にて家重を見るなりショックを受ける。それを起点に、比宮の心理の変転が描き込まれていく。家重の外観への嫌悪から、家重の真心、真の姿を感得し、比宮が家重に寄り添って行こうとするプロセスが1つの読ませどころとなっていく。ここはこのストーリーの楽しいフェーズでもある。
 比宮は妊娠するが男子を死産する。その後、比宮は京から同行し侍女として仕えてきた幸に家重の御子を挙げよと遺言を残して没する。この幸が後に、家重の子、家治を産むことに進展する。だが、この二人の女性の差異が、直接的な描写のない部分に間接的に語られているように感じる。心の通いあい方の差異なのかもしれないとふと思った。
 やがて、幸の侍女として大奥に務めた千瀬が家重の側室になっていく。

 さて、吉宗は将軍に就いてからおよそ30年間の在位の時点で、遂に家重に将軍職を引き継ぐ旨を、まず近親者と老中を集めて宣言する。この場が次の大きな山場となっていく。ここで、老中の松平乗邑が懸念を露わに表明する。この場面をどのように決着させるか。実に微妙で興味深い場面が生み出されていく。家治が投じた一石が見事というほかはない。ここは読ませどころである。

 将軍に就いた家重は、父吉宗が築いた改革路線を推進していく立場である。老中の構成も大きく変化する。吉宗が始めた目安箱に投げ込まれた1つの訴状を契機に、美濃国郡上での積年の藩政の歪みが浮上する。それは一藩の問題事象ではなく、幕政に携わる人々を多く巻き込んだ事象だという事実が次々に判明していく。ここでは、家重の口となる忠光ではなく、家重の小姓になり栄進してきた田沼意次が重要な役割を担っていく。家重の裁断として実のある決着が導き出されていく。
 家重が将軍になった以降においても。家重の御口となる忠光が徐々に認められて岩槻二万石に栄進したことを例にし、忠光の働きと存在を貶めようとする老中がやはり存在する。忠光の生涯につきまとう批判中傷である。だがこれは、家重と忠光の二人三脚が、将軍家重の治世を推し進める原動力として機能していることを、理解しがたい人々がいることの例示になる。
 忠光よ、よくぞ家重の御口になるという立場と意味を貫いたなとエールを送りたくなる。

 この家重の治世を描くことは、これまでの江戸幕府の根底にある重農主義的政策による全国統治がもはや限界に来ていてる事実と、転換点としての兆しについても触れていることになる。それを家重の小姓として仕えることから始めた田沼意次に語らせているところがおもしろい。

 最後の「第八章 岩槻」で、岩槻藩主である忠光の息子・忠喜と十代将軍德川家治が岩槻城で語り合う場面を加えられている。二人の会話は、家重の言葉を忠光は真に聞き取って伝えていたのかというところに集約されていく。この二人の会話の終わり方が良い。その余韻を感じていただきたい。

 德川家重の生涯について、事実は何か? 全てがわかることはない。
 ここに描き出された1つのストーリー(-家重と忠光の絆-)は、史実の断片をロマンを秘めた想像でつなぎ、創作されているのだろう。そのロマンが生み出した世界が読者を感情移入させていく。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
德川家重   :ウィキペディア
第9代将軍/德川家重の生涯  :「名古屋刀剣博物館 名古屋刀剣ワールド」
八代吉宗、九代家重とその時代 :「德川記念財団」

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『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記』  朝井まかて  講談社文庫

2024-06-05 22:40:26 | 朝井まかて
 著者のデビュー作がこれだと知り、遅ればせながら読んだ。
 文庫本の解説の冒頭を読むと、本書が著者のデビュー作、しかも初めて書いた小説だったという。小説現代長編新人賞奨励賞を受賞した作品である。
 当初、2008年10月に『実さえ花さえ』の題で単行本が刊行された。それに加筆、改題して、2011年12月に文庫化されている。

 かなり前に、何の本だったか忘れたが、江戸時代に朝顔が園芸品種として盛んに栽培されその交配により様々な新種が生み出されたこと。園芸が一種の流行となっていて、下級武士層の内職仕事になっていた側面もあったこと。今では見られない品種も存在したことを読んだ記憶がある。また、染井吉野という桜は、江戸時代末期に、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種として作り出されたこと。それらが記憶の底にあった。

 そんなことから、本作が江戸時代、文化・文政期に、新次とおりんの夫婦が向嶋で営む「なずな屋」という植木屋が舞台になっていて、植木職人、花師である新次が主人公でおりんが甲斐甲斐しく新次を助けていくという設定が親しみやすかった。さらに花師という職人の世界を扱っていることに興味を抱いた。この分野の職人を扱う小説を読むのは初めてである。初物の楽しみ。

 駒込染井にある霧島屋という江戸城にお出入りする植木商に植木職人として奉公し、六代当主、伊藤伊兵衛政澄みの一人娘、理世とも花師となるべく共に修業を積んでいた新次がこの小説の主人公である。新次は霧島屋を去り、文人墨客が好み大店の寮(別荘)や隠居所が点在する風雅で鄙びた向嶋になずな屋という植木屋をおりんとともに営んでいる。敷地の中心になずな屋の母屋がある。それは元豪農の隠居所だった家屋で三間きり。そこを新次とおりんは住居兼店としている。敷地の周囲を藪椿と櫟の混ぜ垣を低く結い回し、そぞろ歩きの人々も庭の風景が垣間見えるようにしてある。敷地の庭には新次が丹精込めて植木や花々を育成している。苗選びに訪れる客は敷地を巡り、縁側でおりんから番茶の接待を受けるという小体な店である。
 新次は「売り物といえども、むざむざ枯らされちゃ花が可哀想だ。それで花いじりが厭になっちまうお客にも気の毒だ。だから売り放しにはしねぇ、どんな相談にも乗るのが尋常だ」(P12)とおりんに言い暮らす職人肌の花師。一方、おりんは生家が浅草の小間物屋であるが、事情があり生家を出た後は深川の伯母の家で裁縫やお菜ごしらえを教わりながら過ごした後、手習いを教えるようになった。新次が名付けた新種の花の名の清書を頼まれたことがきっかけとなり、気がつけば、おりんは新次の女房になっていた。おりんは売り物の苗に「お手入れ指南」といういわばマニュアル文を添えることを考案し、墨書したものを添付するようになった。それが客から評判がいい。おりんのからりとした明るい性格と工夫心が実に良い。
 こんな夫婦の「なずな屋」物語。出だしからなかなか好い雰囲気・・・・・。引きこみかたが巧い。

 さて、ストーリーの第一幕は、向嶋の隠居所に住む日本橋駿河町の太物問屋、上総屋の隠居の六兵衛がなずな屋を訪れてきたことから始まる。お手入れ指南の片隅に三月に売り出す花の広目(宣伝)の書き入れをどこかで目にした六兵衛が頼み事にきたのである。
 新次の生み出した発売予定の新種の桜草を小鉢に仕立てたものを、快気祝いの引き出物にしたいという。配る相手は見舞いに訪れて励ましてくれた俳諧仲間なのだ。
 小鉢の選択は新次に任され、桜草30鉢の納入。鉢の代金を含め総額30両までは掛けようと言う。勿論、新次は有難く引き受ける。六兵衛が気に入った桜草は問題ない。それにマッチする小鉢をどうするか。そこからこの納品までの紆余曲折が始まっていく。

 このストーリーに、しばしば新次の幼馴染みである大工職人留吉一家が絡んでくる。女房のお袖との間に男の子二人がいるが、留吉とお袖の間ではいざこざが絶えない。その仲裁役を新次に振ってくるのだ。おりんがお袖のために去状を代筆することに発展する位である。勿論、お袖がそう簡単に離縁する訳ではないのだが・・・・・。この一家の関わりがいわば1つのサイド・ストーリーになっていき、楽しませてくれる。そこには江戸市井の庶民の感覚が溢れている。
 新次の悩みを手助けしておりんが桜草の納品に絡んで出したアイデアが、留吉を巻き込むことにもなる。この後も、留吉・お袖夫婦が幾度も登場してきて面白味を加える。

 もう1つ、サイド・ストーリーが織り込まれていく。それは六兵衛の孫でいずれ上総屋の跡取りとなる辰之助に関わる話である。最初、なずな屋まで六兵衛に奇妙な形で同行してきたときから始まる。凡人からみれば、辰之助の波乱含みの生き方が節々で描かれつつ、新次との関わりが深まっていく。その関わりが1つの読ませどころになっていく。

 さて、メイン・ストーリーの第二幕がタイトルの「花競べ」になる。
 桜草の小鉢もので縁ができた六兵衛が、その話を新次に持ち込んで来る。
 花の好事家の集まりである「是色連(コレシキレン)」により、3年に一度、重陽の節句の翌日の9月10日に「花競べ」が行われる。勝ち抜き式の評定(審査)は浅草寺の本堂で行われる。この花競べに新次に出品して欲しいと六兵衛が頼みに来るのだ。出品のお勧めではなく依頼という所に、この第二幕の眼目があった。六兵衛は是色連にも関係していた。
 六兵衛は新次に言う。「有り体に申しましょう。このままでは、霧島屋さんは大変なことになる」(P99)と。さらに、その内情については探りをいれている段階だともらす。
 霧島屋は新次が花師の修業をした花の世界では特別な家。霧島屋の一人娘の理世と切磋琢磨した場所でもあった。現在の当主は七代目伊藤伊兵衛治親。5年前に理世の婿養子となった。元500石取りの旗本の三男坊である。彼の野心と行動が問題となっていた。
 新次は六兵衛の依頼を受け、何を出品するかについて工夫を重ねていく。
 この頃、新次は日頃雀と呼んでいる子供を預かっていた。草花の棒手振(行商人)を生業とする栄助の子である。栄助は売り物にする苗の仕入れでなずな屋に出入りするようになり、栄助は育種について新次に教えを受けてもいた。栄助は商いで上州に旅をするのでしばらく預かって欲しいと、子を託して行ったのだ。そして、音沙汰を絶つ。
 子がいない新次・おりん夫婦にとって、雀は家族の一員のようにもなり、新次の弟子の立場にもなっていく。
 この雀は、新次が花競べに出品する作品の名付け親となるとともに、第二幕から始まるサイド・ストーリーの1つになっていくとだけ述べておこう。お楽しみに。
 9月10日、花競べの場で、新次は理世と再会する。新次と理世の微妙な関係性、この点もまたこのストーリーの読ませどころとなる側面である。この小説に織り込まれた秘やかな花物語と呼べるサイド・ストーリーかもしれない。

 メイン・ストーリーには、第三幕がある。
 その翌年の半ばに、新次は駒込染井にある藤堂家の下屋敷から用命を受ける。
 用人の稲垣頼母からの要件は、毎年2月15日に大勢の客を招いて、殿が仲春の宴を催される。下屋敷の東庭が宴に使われる。野遊びの趣向で100坪の庭を仕立てよというのが新次に名指しで依頼されたのである。
 頼母は言う。「霧島屋になら遠慮は不要ぞ。主庭と北庭は霧島屋にすべて任せているが、東庭は宴にしか使わないものでな。腕利きの庭師や花師にも広く機会を与えてやるよう、殿の仁恵である。むろん、霧島屋には某から筋を通してあるゆえ、安心いたせ」(p166)
 新次はこの仕事に花師としての思いと手持ちの植物類を注ぎ込む。だが、この仕事の依頼には、用人の知らぬ次元で裏のカラクリが潜められていた。

 このストーリー、最後はそれぞれのサブ・ストーリーのエンディングが重ねられていく。メインである花師新次のストーリーは、吉野桜で締めくくられる。このエンディングへのプロセスが読ませどころといえる。
 この最終段階全体を第四幕というべきかも知れない。
 松平定信まで登場して来る。その定信が良い役割を担っているのだ。そこがおもしろい。 

 ご一読ありがとうございます。


補遺
第二章 独自の園芸の展開 :「NDLギャラリー」(国立国会図書館サーチ)
  描かれた動物・植物-江戸時代の博物誌-
草木に1億円!江戸の園芸ブームは数々の品種を生み出していた :「はな物語」
江戸のガーデニングブームはなぜ起きた?一番人気だった花とは :「AERAdot.」
展覧会 花開く 江戸の園芸 :「江戸東京博物館」
染井吉野   :「桜図鑑」
ソメイヨシノ :「庭木図鑑 植木ペディア」
ソメイヨシノと‘染井吉野’はちがう?!意外と知らない桜の真実  :「HONDA」

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 こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『悪玉伝』    角川文庫
『ボタニカ』   祥伝社
『朝星夜星』   PHP
「遊心逍遙記」に掲載した<朝日まかて>作品の読後印象記一覧 最終版
                 2022年12月現在  8冊


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『同志少女よ、敵を撃て』  逢坂冬馬  早川書房

2024-06-03 15:21:37 | 諸作家作品
 独ソ戦争は、1941年6月22日、ドイツ側の奇襲攻撃に始まり、1945年5月9日、ベルリン近郊カールスホルストにおいてドイツが無条件降伏文書に調印したことにより終わった。ソ連邦側は、この戦争を大祖国戦争と呼称し、ドイツ側は東部戦線と呼称した。

 本書は2021年8月に第11回アガサ・クリスティー賞を受賞。その後加筆修正されて、同年11月に単行本が刊行された。

 プロローグは、1940年5月に、16歳のセラフィマ・マルコヴナ・アルスカヤが、母親のエカチェリーナと鹿猟に出かける場面から始まる。一方、エピローグは、1976年のイワノフスカヤ村で生活するセラフィマの姿を描くところで終わる。本作は、独ソ戦争の全期間を題材に取り上げる。この戦争の戦史的側面が背景に織り込まれつつ、大祖国戦争の渦中で狙撃兵となり、戦場を駆け抜け、生き抜いたセラフィマの喜怒哀楽と信念、一人の同志少女の成長が描き込まれていく。

 第1章は、1942年2月7日、セラフィマが母親エカチェリーナと一緒に鹿の猟を行っているところから始まる。その途中で次の会話が親子の間で交わされる
「それなのに私は、大学へ行くなんて、本当にそれでいいのかな。私は銃を撃てるし、同い年のミーシカだって戦争へ行ったのに、戦わなくていいのかな」
「あなたは女の子でしょ」
「でも、リュドミラ・パヴィリチェンコだって女性なのにクリミア半島で戦っているのよ」
「ああいう人は特別でしょう、もうドイツ兵を200人も殺してるのよ、フィーマ、戦うといっても、あなたに人が殺せるの?」
「無理」
「それじゃだめよ、フィーマ。戦争は人殺しなのだから」(p22)

 鹿を仕留めて、二人がイワノフスカヤ村を見渡せる山道のカーブまで戻ると、村にはドイツ兵が出現していた。アントーノフおじさんの頭を指揮官らしき軍人が撃ち抜いた。「もう一度聞く、パルチザンの居場所を言え、言わなければ全員を処刑する!」それはドイツ兵側の建前だった。母は銃を構えたが、ドイツ兵側から狙撃を受けて屍と化した。
 フィーマはドイツ兵に捕らえられる。額に銃口を突きつけられ、危機一髪というところに、赤軍兵士たちが出現し、戦闘となる。フィーマは救助された。
 だが、村は壊滅。母の遺体も含め、殺された村人たちと村そのものが、赤軍の女性兵士の命令で焼却される事になる。
 女性兵士のイリーナ・エメリヤノヴナ・ストローガヤがセラフィマに問いかける。「戦いたいか、死にたいか」と。母と村人たちが虐殺されたことに茫然となっていたセラフィマは「死にたいです」と本音を返した。だが、イリーナの挑発的な言動に接し、最後は叫ぶ。「ドイツ軍も、あんたも殺す! 敵を皆殺しにして、敵を討つ!」と。
 この瞬間が、このストーリーの実質的な始まりとなる。

 セラフィマは捕らえられた時の記憶を辿る。顔に傷があり、髭面でスコープ付きの銃を持ち、イェーガーと呼ばれていた男を。戦闘結果の死体の中に、その男に該当する死体はないと一人の兵士が答えた。いち早く逃亡したようである。
 イリーナはセラフイマに言う。「それがお前の母を撃った狙撃兵だ。お前が殺す相手さ」と。
 この日から、セラフィマはイリーナの教え子になる。イリーナは元狙撃兵だった。

 セラフィマはイリーナにより、中央女性狙撃兵訓練学校の分校に連れて行かれる。
 そこは、大祖国戦争が進行する最中、ポドリスクに女性狙撃兵の専門的な訓練学校を来年から本格的に開始するための先行実験を目的とする分校だった。元狙撃兵のイリーナが教官として、この分校で訓練指導をする。イリーナ自身が選んだ訓練生が集められたということになる。
 このストーリーは、セラフィマという狙撃兵の誕生と成長、狙撃兵としての活動の全プロセスを大祖国戦争の史実と経緯に織り込んで、戦争の実態を描き上げていく。そのプロセスで、セラフィマの戦争に対する心理が変化・変容していく。セラフィマの思い・信念が狙撃兵としての行動に直結して行く。
 戦いの渦中にあって、セラフィマの心は揺れる。例えば、次の一節が心中の思いとして誘発する。「女性を助ける。そのためにフリッツ(=ドイツ兵の意味)を殺す。自分の中で確定した原理が、どことなく胡乱に感じられた。今までは迷うことがんかったのだ。・・・・ 被害者と加害者。味方と敵。自分とフリッツ。ソ連とドイツ。それらは全て同じだと、セラフィマは疑うこともなく信じていた。
 だが、もしもこれらが揺らぎうるならば。
 もしもソ連兵士として戦うことと、女性を救うことが一致しないときが来たなら。
 ソ連軍兵士として戦い、女性を救うことを目標としている自分は、そのときどう行動すればよいのだろう」(p319)
 このストーリーの眼目は、大祖国戦争の渦中に投げ込まれたセラフィマの心の内部を描くことにあると感じる。そして、セラフィマ並びに彼女が所属した第39独立小隊(後に第39独立親衛小隊と改称)の各隊員達の心の内部を媒介にして、戦争とは何かを著者は読者に問いかけているように思う。

 ストーリーの大きな流れとしては、3つのステージがある。それぞれに山場が生まれていく。そして、問題意識も・・・・。
1. 中央女性狙撃兵訓練学校分校での訓練課程の描写。その結果、狙撃兵の精鋭が誕生。  
  イリーナが選抜した訓練生のバックボーンが徐々に明らかになっていく。それは、大祖国戦争という事態で結束しているソ連に内在する民族間問題、そこに含まれる蔑視、差別、支配・被支配、独立心などの諸要素を露わしていくことにもなる。ソ連自体が大きな問題を内包しているという事実。
2. スターリングラードでの独ソ攻防戦。セラフィマたちはウラヌス(天王星)作戦の
もとでの実戦に投入される。彼女らは「最高司令部予備軍所属、狙撃兵旅団、第39独立小隊」と位置づけられる。5人の小隊にNKVD2人が付く狙撃兵小集団としての行動することに。
  激戦地となった工場「赤い十月」の西側、ヴォルガ川岸に面したアパートの一室を拠点とするマキシム隊長以下のたった4人の第12大隊に合流し、ここを拠点に市街戦での行動に加わる。

3. 1945年4月、要塞都市ケーニヒスベルクでの戦いが大詰めとなっていく。そこはナチス・ドイツに併合されたポーランドの北端に位置し、ドイツ語で「王の山」を意味する古都である。バルト諸国と西欧をつなぐ玄関口として重要な港を有する要塞都市。
  塹壕を拠点にして、要塞都市に立て籠もるドイツ側との戦いとなる。地上では戦車と火炎放射器が投入され、空には戦闘機、攻撃機が飛来する。最後の戦闘となっていく。
  この都市で、セラフィマは、狙撃兵イェーガと対峙することになる。

 このストーリー、ミステリという視点から捕らえると、セラフィマが破壊されるイワノフスカヤ村でのイリーナとの出会いを起点として、セラフィマがイリーナの心中の基底に厳然とある思いは何なのかを推理し探求し続けるという文脈が内在すると思う。
 元狙撃兵のイリーナが、最終的に少人数の狙撃兵の精鋭を育成し、戦闘の場で行動を共にしていく。イリーナの思いは何なのか。その心を見極めるために、セラフィマはイリーナとの関係を通して、イリーナの心を推理し探求しつづける。この点も、読ませどころの1つになっている。

 印象的な文章をいくつか引用しておこう。⇒以下は私的な補注である。
*新聞に載る言葉は自分のものではなく、常に、自分の言葉を聞いた新聞記者のものだ。
 ⇒狙撃兵として有名になったセラフィマがインタビューを受ける場面での思い p330
*エレンブルグが重宝されたのは、結局兵士の戦意を煽るのに有効な言葉を使ったからだよ。彼が去ってもその言葉は生きている。  p354
 ⇒ドイツ人をぶっ殺せというエレンブルグの論法 ソ連での防衛戦では重宝された
  「ドイツ人」と「敵兵士」を同列視して成り立つ論法は、戦争終結後には禍根を
  残すことになる危険なもの
*いずれにせよ、確かめようがなかった。死者の考えを推し量り、言葉の意味を考えることは生者の特権であり、何を選ぼうと、死者がその正否を答えることはない。
 オリガは死に、自分は彼女を偽装に用いて、生きている。それが全てだった。p437
*「ターニャ、あなたは敵味方の区別なく治療するの」
 「ああ。というよりも、治療するための技術と治療をするという意志があたしにはあり、その前には人類がいる。敵も味方もありはしない。たとえヒトラーであっても治療するさ」 p452
 ⇒ターニャは第39独立親衛小隊の一員で看護師。セラフィマが問う。
*殺される心配をせず、殺す計画を立てず、命令一下無心に殺戮に明け暮れることもない、困難な「日常」という生き方へ戻る過程で、多くの者が心に失調をきたした。 p467
*ソ連でもドイツでも、戦時性犯罪の被害者たちは、口をつぐんだ。
 それは女性たちの被った多大な精神的苦痛と、性犯罪の被害者が被害のありようを語ることに嫌悪を覚える、それぞれ社会の要請が合成された結果であった。 p475
*失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。  p477

 本作には、次の記述がある。
”「国家」という指標で語られる勝利と敗北。
 4年に満たないその戦いにより、ドイツは900万人、ソ連は2000万人以上の人命をを失った。
 ソ連の戦いはここで終わらず、余勢を駆るようにして残る枢軸、日本へ8月に戦線布告した。”
ここに記された犠牲者数、調べてみると、犠牲者数に諸説があるようである。しかし、その犠牲者数の多さに驚く。一方、この犠牲者数について、本作を読み初めて認識した次第。歴史の一事実としては学んだ記憶がある。だが、ほんの表層だけを知っていたたにすぎない己の不敏さに気づかされた。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
独ソ戦争  :「ジャパンナレッジ」
数字で見る「独ソ戦」 映像の世紀バタフリエフェクト :「NHK」
独ソ戦の開始と太平洋戦争の勃発  :「学校間総合ネット」
独ソ戦  :ウィキペディア
人類史上最悪・・・犠牲者3000万人「独ソ戦」で出現した、この世の地獄:「現代ビジネス」
リュドミラ・パヴリチェンコ  :ウィキペディア
ケーニヒスベルグ(プロイセン) :ウィキペディア

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『浄瑠璃寺の365日』  佐伯功勝  西日本出版社

2024-05-27 14:40:56 | 宗教・仏像
 奥書のタイトル表記は標題の通りであるが、表紙と背表紙には、「石仏の里に佇む静寂の寺」という冠語句が記されている。浄瑠璃寺は探訪したことがある。まさにそんなお寺だなと思う。浄瑠璃寺という寺名をご存知ない人には、「石仏の里」という言葉が魅力を加えることになるだろう。
 池の西側に横長の本堂が見え、そこに九体の阿弥陀如来坐像が祀られているお寺。九体阿弥陀堂は平安時代に幾つも建立された歴史があるが、現存するのはここ浄瑠璃寺の本堂だけという。ひょっとすると、九体の阿弥陀仏よりも、年に3回、厨子の開扉期間にのみ拝見できる秘仏・吉祥天女像の方がよく知られているかもしれない。

 本書はお寺の365日シリーズの一冊として2023年7月に刊行された。
 カバーの裏の折り込み部分には、興福寺、金峯山寺、大安寺という3寺の先行本が紹介されている。

 本書は浄瑠璃寺の現住職が、浄瑠璃寺について語ったエッセイ集である。
 ここには浄瑠璃寺の365日の日々の営み、浄瑠璃寺の沿革、浄瑠璃寺の立地、現在のお寺の伽藍や池、境内で眺められる季節の花々、境内で一番広い面積を占めている池について、浄瑠璃寺とこの石仏の里周辺のお寺について、また諸寺との関係について、著者の子供時代の心象風景、お寺という存在について・・・等が、静寂の寺と照応するかのように、淡々とした平静な筆致で綴られていく。難解な語句はほとんど出てこない。平易な文で語られている。祖父から三代目のお寺の子としての思い出も含め、浄瑠璃寺について、いろんな視点から見つめた本である。

 目次の続きに、池越しの本堂全景、三重塔の正面全景、池三景と浄瑠璃寺伽藍(案内図)がまず載っている。そのあと、エッセイの内容に照応する形で、適宜、写真が併載されていく。境内の四季の変化、境内の四季の花々、秘仏として扱われている、大日如来像・薬師如来坐像・厨子入義明上人像・厨子入弁財天像・地蔵菩薩立像・役行者三尊像・厨子入吉祥天女像の諸像、また、九体阿弥陀如来坐像、延命地蔵菩薩立像、四天王像、子安地蔵菩薩像、不動明王三尊像、馬頭観音立像が載っている。
 「当尾の里の石仏」と題して、石仏の里に佇む石仏たちも紹介されている。
 巻末には、「浄瑠璃寺花ごよみ」と「浄瑠璃寺略年表」が併載されている。
 結果的に総合的な浄瑠璃寺ガイドになっている。
 
 このエッセイ集を読み、知ったこと、再認識したこと、並びに印象に残る一節をご紹介しておきたい。
 まず、知ったことと再認識したこと。
*浄瑠璃寺の境内にある池(外周約200m)の水は湧水であること。
*浄瑠璃寺の本寺(本山)は、中世より明治初頭までは奈良の興福寺(法相宗)で、それ以
 降は奈良の西大寺(真言律宗)になった。
*九体阿弥陀仏の中尊の光背は「千体光背・千仏光背」と呼ばれる。
 令和2年度の修理で、寛文8年(1668)の後補と判明。千仏個々には願主が存在した。
*平成期に飛び地境内に地蔵堂を建立した。 
*顕教四方仏の世界観
  東の薬師と西の阿弥陀は「相対的な時間軸」 太陽の運行、繰り返しの生死観
  南の釈迦と北の弥勒は「絶対的な時間軸」 過去の釈迦から未来に出現する弥勒
*寛文6年(1666)に本堂の屋根が桧皮葺きから瓦葺きに改変され、建物の構造変更の工事
 などもこの時に行われた。
*平成20年代に約10年がかりで庭園整備が行われ、その折に弁財天の祠の修理を実行
*発掘調査により、以前は本堂前に通路がなく水際が近くまであり、そこに州浜が造
 られていたことが判明した。現在の水際付近に州浜を復元する折衷案で整備された。
*鐘楼の鐘は昭和42年(1967)に再興 ⇒もとの鐘は戦時中に金属供出の対象に
*平成20年(2008)に三重塔内にアライグマが入り込み巣作りして被害を及ぼした。
*境内に咲く花の多くは「野生の」、またはそれに準ずる品種である。
   ⇒その花の多くは通路の脇、足元で咲くことが多いとか。

 エッセイ中の印象深い一節をいくつか引用する。
*参拝の方々に花に関わる話をする際には、こういった足元に咲く花にも目を向けてほしい、とよくお願いしている。花に限らず、目立つものや一番多いものを見て納得してしまうのでなく、頭上や足元、全方位を意識する広い視野が何ごとに対しても大事だと。p28

*いわゆる明治政府の発した神仏分離令は、それまでの日本の信仰のあり方に大きな歪を生み、それは現在にも続いている。一方を否定し、一方を礼賛することの不条理、危険姓を見ることができる例だと思われる。・・・・・お互いが尊重し合い、わかり合おうとする努力、それを続ける限り争いは起こらない。  p31

*顕教と密教、この2つの教えが重なって、浄瑠璃寺全体の世界観となっている。p146
  ⇒ 東の三重塔内に秘仏薬師如来、西の本堂に九体阿弥陀如来
    飛び地境内に地蔵堂。将来は更にその北側に弥勒菩薩を祀るお堂の建立構想
    境内北の灌頂堂には密教(真言系)の大日如来

*正直自分の寺の宗派以外と接する機会が少なく、わかっていないことも多い(自分の宗はですら心許ないが)
 宗教に限った話ではないが、全体の姿と、今自分がいる位置を俯瞰的に見る習慣を持つことはとても大切だと感じている。偏りすぎず、こだわりすぎず、広い視野と気持ちの余裕を持って。  p147

 エッセイを通して、読者が浄瑠璃寺に親しみをもてる内容に仕上がっていると思う。
 本書を読んでから浄瑠璃寺を訪れれば、市販観光ガイドブックとは一味違う浄瑠璃寺に触れられるのではないだろうか。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
浄瑠璃寺(木津川市) :「京都やましろ観光」
浄瑠璃寺  :「木津川市」
浄瑠璃寺について  :「京都南山城古寺の会」
浄瑠璃寺  :ウィキペディア
九体阿弥陀仏に込められた人々の願い  1089ブログ :「東京国立博物館」
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀)  :「TSUMUGU Gallery」
秘仏 吉祥天女立像(秋季)(浄瑠璃寺)  :「祈りの回廊」

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もう1つの拙ブログ「遊心六中記」で浄瑠璃寺の探訪をまとめている。
こちらもご覧いただけるとうれしいです。
歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -1 まず常念寺へ
  6回のシリーズとして探訪記をまとめた。
  その中で、
  歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -5 浄瑠璃寺  を記している。

  
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『千里眼の水晶体』  松岡圭祐  角川文庫

2024-05-25 21:21:38 | 松岡圭祐
 千里眼新シリーズが始まった時、この第3弾までの3冊が一挙に刊行された。つまり、本書もまた平成19年(2007)1月の刊行である。

 今年、78歳になるジェフリー・E・マクガイアが回想する。それは終戦直後の1945年8月20日に、日本国内の夏場でも涼しげな気候の山村で行った軍事行動の記憶。日本軍が開発した生物兵器”冠摩”を秘匿する建物と兵器を確保せよという命令だった。冠摩は日本軍がインドネシアの蚊から抽出したウィルスを培養させたもので、このウィルスは亜熱帯性の気候と気温のなかでなければ生きられないという。
 実際の軍事行動は、呆れるほど小さな木造の小屋から、ミルクのビンくらいのサイズ、コルクの蓋で液体が入っていったビンを確保するだけで終わった。小屋の番人だった一人の日本兵は、ライフル銃と拳銃を乱射した後、日本刀で自決した。何とも不可解な記憶なのだ。この回想がいわばプロローグ。読者にはこれがどのように繋がるネタなのか予想もつかない。

 ストーリーは、国土交通省航空局の職員で羽田空港事務所に勤務する米本亮が、臨床心理士会事務局を訪れるところから始まる。着陸した飛行機から外に出たがらない乗客に対応するために臨床心理士に臨場を要請する依頼だった。応対した舎利弗浩輔は岬美由紀を推薦した。同僚と喫茶店に居て、山形県での大規模な山火事のニュース映像を見ていた岬美由紀は舎利弗から電話連絡を受け、羽田空港に急行する。
 美由紀は篠山里佳子という極端な不潔恐怖症の女性に対処し、飛行機から空港近くのホテルへの移動を納得させる。だが、部屋に入るなり、バスルームに駆け込み、シャワーを使いつづけるという状況。夫の篠山正平は、山形を本社とする古美術品買い取り業の会社の課長で、東京支社設立により転勤となり、妻と一緒に、東京で住む場所を探しに来たという。
 その状況の中に、山形県警の葦藻祐樹警部補が現れる。その葦藻の風姿は里佳子からすれば真っ先に不潔なイメージを誘発させるものだった。ここらあたり、読者を楽しませる設定になっている。葦藻は山形県の山火事は放火であり、実行犯と見られる容疑者は既に身柄を拘束されていて、その犯行に篠山里佳子の関わりがあるとみられている言う。
 篠山夫妻を観察している美由紀には、彼らが嘘をついていないと分かっている。葦藻は篠山里佳子を現地に同行し、任意で事情を聞きたいと主張する。美由紀は現状で里佳子を現地に同行することは土台無理な話と判断し、里佳子の話を聞いておき、美由紀が現地に代行として行こうと主張する。それが契機となり、美由紀は山形県の山火事事件の捜査に巻き込まれて行く。
 葦藻は目撃証言と入手証拠をもとに、里佳子の関与を裏付けようと試みていくが、美由紀が次々に反論を繰り出していく。さらに、放火の容疑者に美由紀は会わせてもらうことで、容疑者の竹原塗士の自白が嘘であると見抜く。このストーリーで、まずこの反論プロセスが読ませどころとなる。おもしろい。

 美由紀が山形県に居る間に、東京では緊急事態が発生していた。美由紀と篠山正平は、警視庁のヘリで来た米本に言われ、急遽東京に引き返す。千代田区立赤十字医療センターに直行する。美由紀たちは血液検査の後、予防接種をした上で、化学防護服を着こむという手順を踏まされる。篠山里佳子は顔中に赤い斑点を発症させていた。息はあるが、意識はほとんど不明という状態に陥っていたのだ。
 何と、その総合病院に、美由紀の友人雪村藍が緊急搬送されてきた。由愛香が付き添って来ていた。雪村藍の症状は里佳子の症状とうりふたつだった。

 千代田区立赤十字医療センターの20階の大会議室で防衛省の関係者と美由紀は会うことになる。そこで、防衛大学の授業でも触れられていた冠摩というウィルス兵器について極秘事項として聞かされた。現在の緊急事態がその冠摩を原因とする感染だという。
 不潔恐怖症の悩みをもつ人々が真っ先に感染する状況が急激に進行していた。
 山形県内でも同種の症状が続出しているという。葦藻が美由紀にその後の竹原の自供内容を連絡してきた。その時にこの症状に触れた。さらに竹原は西之原夕子という女のことを自供したという。その女がこの症状のことを口にしていたことも。

 これは生物兵器”冠摩”の成り立ちや効果を知る者の計画的犯行なのか。そうだとすれば犯人は? 冠摩の開発段階で症状を中和するワクチンの研究はなされていたのか? 
 葦藻が伝えてきた情報をきっかけに、美由紀の行動が始まっていく。
 そして、すべての事象が連関して行く事に・・・・。意外な事実が根源にあった。
 本作の読ませどころは、一筋の糸口が確かな解明への道筋に転換していくプロセスにある。次々に意外な連関が明らかになっていく。
 美由紀が戦闘機を自ら操縦し、手がかりを求めてハワイ・オハフ島に飛ぶことに!!
 冠摩を原因とする感染を阻止する治療法を解明するためのプロセスが読ませどころである。読者を一気読みへと突き進ませる。

 このストーリーの興味深い点は、美由紀が直面させられる
「本心を見抜けなかったわけではない。見抜いていたから真実に気づけなかったのだ」(p183)
という思いにある。

 この美由紀の思いの直前に、美由紀に投げつけられた揶揄がある。
「・・・・なんにも気づいていなかったの? ・・・・千里眼が本心を見抜けないなんて、どうなってんの? いっぺん眼科に診てもらえば? 角膜に異常がなければ、水晶体がおかしくなってるのかもよ」(p183)
タイトル「千里眼の水晶体」はこの揶揄に由来すると言える。

 読了後に振り返り、読者の思考を右往左往させるプロットの組み立て方が実に巧妙だと感じた次第。楽しめる作品である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『千里眼 ファントム・クォーター』  角川文庫
『千里眼 The Start』 角川文庫
『千里眼 背徳のシンデレラ 完全版』 上・下  角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅸ 人の死なないミステリ』 角川文庫
『千里眼 ブラッドタイプ 完全版』   角川文庫
『千里眼とニアージュ 完全版』 上・下  角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅷ 太宰治にグッド・バイ』  角川文庫
『探偵の探偵 桐嶋颯太の鍵』    角川文庫
『千里眼 トオランス・オブ・ウォー完全版』上・下   角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅵ 見立て殺人は芥川』   角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅶ レッド・ヘリング』  角川文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<松岡圭祐>作品の読後印象記一覧 最終版
                    2022年末現在 53冊
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