ゆっくりとしたペースで、藤沢周平さんの作品を読み継いでいる。
本書は平成4年(1992)3月に単行本が刊行され、平成5年11月に文庫化された。上掲の文庫カバーは初版発行の時の表紙である。
こちらは後継の表紙で、右側は新装版の表紙。
本作は短編連作による時代小説。短編が6つ収録されている。それぞれ一人の人物に焦点を当てて主人公にした短編作品なのだが、それぞれの相互に人間関係が生まれ、それが網の目のように絡み合っていき、全体で天保時代の悪党伝にもなっている。
登場する人物名をまず挙げてみよう。片岡直次郞(直侍)、金子市之丞、森田屋清蔵、くらやみの丑松、三千歳、河内山宗俊の6人。
各短編にはタイトルに続いて、「天保六花撰ノ内・○○」という副題が付いている。その○○に該当するのが、上記の直侍・金子市・森田屋・くらやみの丑松・三千歳・河内山宗俊である。
「天保六花撰」と「河内山宗俊」いう言葉が頭にひっかかり少し調べてみて、なるほどと思った。講談という芸能分野で、明治初年に二代目松林伯圓が、実録本『河内山実伝』をネタ本にして、六歌仙にちなみ6人の悪党が活躍する世話講談を『天保六花撰』と題して創作したという。この世話講談を明治14年(1881)に河竹黙阿弥が歌舞伎世話物に脚色し、「天衣紛上野初花(クモニマゴウウエノハツハナ)」という演目にした。こういう背景があったのだ。『河内山実伝:今古実録巻』という本が、国立国会図書館のサイトで閲覧できる。
つまり、本作『天保悪党伝』は、「天保六花撰」を題材にした藤沢流の翻案創作であり、和歌でいうなら本歌取りという形でのフィクションといえるだろう。
余談だが、ウィキペディアを読むと、次の作家たちも「天保六花撰」を題材に作品を創作している。
『河内山宗俊』子母沢寛(1951年)/『すっ飛び駕』子母沢寛(1952年)
『河内山宗俊 ふところ思案』島田一男(1954年)/『天保六道銭』村上元三(1955年)
『闇の顔役』島田一男(1970年)/『河内山宗俊 御数寄屋太平記』広瀬仁紀(1994年)
『贋作天保六花撰』北原亞以子(1997年)
まず天保という時代を押さえておこう。天保元年は1830年。第11代将軍家斉の末期で、1837年に徳川家慶が第12代を継承する。1833年から1839年にかけては天保の大飢饉が発生し、将軍の代変わりの1837年には大坂で大塩平八郎の乱が起こっている。その少し前、1834年2月、江戸では大火が発生し、1838年4月にも再び江戸は大火に見舞われる。同年5月には江戸で奢侈禁令が発布され、1841年5月、天保の改革が始まる。天下泰平の世は爛熟に至り、一方飢饉や江戸大火で、世の歪みが大きくなってきている。そんな時代を背景とした時代小説である。
悪党というのは、「悪人。[一人についても、おおぜいについても言う]」(新明解国語辞典・三省堂)と説明されている。ここでは6人出てくるのでおおぜいの意味での悪党になる。悪人という言葉の対語は善人になるのだろう。悪人とは? これにも悪辣非道な極悪人から、善人面した悪人、さらに世に言う義賊まで、悪人にも様々な幅がある。ここに出てくる天保の悪党はどうだろうか? その日の生活に明け暮れる江戸の一般庶民にとっては、悪党として怯える側面を感じるとしても、江戸の世間話の渦中にはいれば、その悪ぶりに喝采するという気分をも抱く存在なのではないか。そんな悪党列伝のように感じる。心底から憎むべき悪人と感じさせない生き様がここに登場する悪党のおもしろいところ。
松林伯圓が創作した「天保六花撰」に登場する悪人自身の内容を知らないので、本作の悪党の所業との比較のしようがない。だが、この短編連作で構成されていく悪党たちはそれぞれに悪行の有り様が異なる。そのバリエーションが読み手を惹きつける。。一方で彼らの人間関係が繋がり、相互の関係が広がっていくところもおもしろい。
各編毎に何を扱っているかと多少の読後印象をご紹介する。
<蚊喰鳥 天保六花撰ノ内・直侍>
片岡直次郞は80俵取り御鳥見の御家人だが将軍家の御狩場巡視の勤めを放り出し、吉原の妓楼大口屋の花魁三千歳の許に通う金を稼ぎたいために博奕に耽っている。勿論、ままならない。大河内宗俊に協力し松江の18万石松平出雲守の屋敷に出向いて、一芝居打ち、一人の娘を救出するという顛末譚と、直侍が吉原から花魁三千歳を逃げ出させる挙に及びその後始末の顛末譚が中心となる、この後始末に森田屋が絡んでくることに。
タイトルの蚊喰鳥とは、蝙蝠(コウモリ)のこと。子供たちが細い竹竿を振り回し蝙蝠を追う様子を見て、「いまおれは、追う方ではなく追われる蚊喰鳥の方だなと直次郞は思った」(p53)と著者は記す。状況に流されるプロセスでの直次郞の行為が悪なのだ。
<闇のつぶて 天保六花撰ノ内・金子市>
金子市之丞は鳥越川の甚内橋を南に渡った猿屋町に貸し道場を借りて神道無念流の看板を掲げている。市之丞もまた、花魁三千歳の許に通う一人。そのための資金づくりに、辻斬り行為を行う悪党。その金子の行為を丑松は目撃する。そして金子に近づき、己の妹お玉を探し出す話に協力するように持ちかける。岡っ引で女郎屋を営み、裏では賭場の胴元をしている五斗米市兵衛が妹を何処へか売ったと丑松は言う。金子はこの一件に協力する。
また、丑松が河内山から得たネタで遠州屋をゆする仕事に金子は加担する。それが献残屋を営む森田屋清蔵を知る機会となる。
辻斬りをする金子も悪党だが、彼が関わる悪行の相手側もまた、悪党ばかりというところが、おもしろい。読み進めていると、悪党たちの相対化という視点と心理が動き出してしまう。悪とは何か?
タイトル「闇のつぶて」は、森田屋が金子に告げた一言をさす。お楽しみに。
<赤い狐 天保六花撰ノ内・森田屋>
森田屋清蔵が、人知れず付きまとう男を煙に巻こうとする行動の描写から始まる。森田屋は金子市之丞の道場に出向く。森田屋は本庄藩藩主の氏家志摩守にひと泡吹かせるために、金子の助力を頼みに来た。前金5両。成功報酬10両と言う。金子はこの依頼に乗る。
森田屋は、本庄藩江戸家老の小保内に、元値3000両で、七梱(コリ)の抜け荷の取引を交渉した。この時、本庄藩は東叡山御普請お手伝いの費用を捻出する必要に迫られていた。森田屋はこの取引で十分に賄え、お釣りがくる位だと保証する。この取引を仕掛けた背景には、森田屋自身の過去に恨みの原因があった。タイトル「赤い狐」は原因に関係する。
因果関係を考えると、悪党を生み出すのは何なのか、悪とは何か、に戻っていく。
このループ、様々な事象に共通して存在している気がしてならない。
<泣き虫小僧 天保六花撰ノ内・くらやみの丑松>
丑松が料理人であることがこの短編で初めてわかる。河内山の賭場で3両ちょっとすった丑松は、河内山の紹介を受け、花垣の料理場に勤め始める。花垣の内情がわかるにつれ、丑松はおかみさんは地獄の中に居ると感じるようになる。その原因は政次郎という客だった。本作は花垣の顛末譚である。丑松に頼まれて、金子市之丞が助っ人となる。助っ人料に対する二人の駆け引きとその推移が興味深い。
悪党の丑松が、さらに上を行く悪党に対峙するストーリー。ここにも悪の相対化が見られる。
読者としては、結末に、ほんの少し安堵する心が動くことだろう。着地点が良い。
くらやみの丑松と通称されているのに、タイトルがなぜ「泣き虫小僧」なのか。それは読んでのお楽しみに・・・・・。
<三千歳たそがれ 天保六花撰ノ内・三千歳>
ここまでの短編連作の中で、花魁三千歳が3つの短編の各主人公との関係で点描されてきている。だがここで、三千歳自身が悪党の一人に加わることになる。
片岡直次郞と金子市之丞は、三千歳の許に通った。直次郞に連れられて吉原を逃げるということもした。その後、吉原に舞い戻るという経緯を経る。結果的に三千歳は直次郞に貢ぐ形の関係だった。直次郞が間夫的存在に過ぎなくなって行くとさすがに愛想をつかす。そして金子との関係が深まるが、こちらもやがて三千歳が貢ぐ形の関係になっていく。そこに三千歳の本性的な業があるのだろう。花魁としては損な性格である。異なるのは森田屋清蔵との関係だけ。
ならば、なぜここで悪党に列するのか。それは三千歳が河内山からの依頼を引き受ける羽目になることによる。水戸藩で行われているという影富が事実かどうかの一端を客の一人である水戸藩の家臣、比企東左衛門から聞き出すという役割を三千歳が担ったことによる。私にはそれしか理由を読みとれない。
この短編、悪党伝の中では、少し異色。一番哀しいストーリー。三千歳あわれ・・・・。
<悪党の秋 天保六花撰ノ内・河内山宗俊>
河内山宗俊は、御三家の一つ水戸藩が小石川屋敷で行っている影富の証拠をつかみ、それをもとにゆすりの計画を立てる。江戸を離れていた森田屋清蔵が、己の思惑と違う局面が生まれていたので、戻ってきていた。河内山宗俊のゆすりの計画に加担する。
本作はこの水戸藩の影富についてのゆすりの顛末譚が主題になっている。
それとパラレルに、森田屋清蔵が己に課した後始末の人助け譚が描かれる。そこに金子が登場するところが妙味である。
河内山宗俊の水戸藩ゆすりには形として成功する。だが、思わぬオチが待ち受けている。このオチは「悪」という視点ではどう考えればよいのだろうか。著者は興味深い投げかけをしているような気がするのだが・・・・。ここにも、悪の相対化という視点が蠢いているように私は思う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
天保六花撰 :「コトバンク」
天保六花撰 :ウィキペディア
河内山実伝:今古実録巻1,2 栄泉社 :「国立国会図書館」
河内山宗春 :ウィキペディア
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『早春 その他』 文春文庫
『秘太刀馬の骨』 文春文庫
『花のあと』 文春文庫
『夜消える』 文春文庫
『日暮れ竹河岸』 文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 12冊
本書は平成4年(1992)3月に単行本が刊行され、平成5年11月に文庫化された。上掲の文庫カバーは初版発行の時の表紙である。
こちらは後継の表紙で、右側は新装版の表紙。
本作は短編連作による時代小説。短編が6つ収録されている。それぞれ一人の人物に焦点を当てて主人公にした短編作品なのだが、それぞれの相互に人間関係が生まれ、それが網の目のように絡み合っていき、全体で天保時代の悪党伝にもなっている。
登場する人物名をまず挙げてみよう。片岡直次郞(直侍)、金子市之丞、森田屋清蔵、くらやみの丑松、三千歳、河内山宗俊の6人。
各短編にはタイトルに続いて、「天保六花撰ノ内・○○」という副題が付いている。その○○に該当するのが、上記の直侍・金子市・森田屋・くらやみの丑松・三千歳・河内山宗俊である。
「天保六花撰」と「河内山宗俊」いう言葉が頭にひっかかり少し調べてみて、なるほどと思った。講談という芸能分野で、明治初年に二代目松林伯圓が、実録本『河内山実伝』をネタ本にして、六歌仙にちなみ6人の悪党が活躍する世話講談を『天保六花撰』と題して創作したという。この世話講談を明治14年(1881)に河竹黙阿弥が歌舞伎世話物に脚色し、「天衣紛上野初花(クモニマゴウウエノハツハナ)」という演目にした。こういう背景があったのだ。『河内山実伝:今古実録巻』という本が、国立国会図書館のサイトで閲覧できる。
つまり、本作『天保悪党伝』は、「天保六花撰」を題材にした藤沢流の翻案創作であり、和歌でいうなら本歌取りという形でのフィクションといえるだろう。
余談だが、ウィキペディアを読むと、次の作家たちも「天保六花撰」を題材に作品を創作している。
『河内山宗俊』子母沢寛(1951年)/『すっ飛び駕』子母沢寛(1952年)
『河内山宗俊 ふところ思案』島田一男(1954年)/『天保六道銭』村上元三(1955年)
『闇の顔役』島田一男(1970年)/『河内山宗俊 御数寄屋太平記』広瀬仁紀(1994年)
『贋作天保六花撰』北原亞以子(1997年)
まず天保という時代を押さえておこう。天保元年は1830年。第11代将軍家斉の末期で、1837年に徳川家慶が第12代を継承する。1833年から1839年にかけては天保の大飢饉が発生し、将軍の代変わりの1837年には大坂で大塩平八郎の乱が起こっている。その少し前、1834年2月、江戸では大火が発生し、1838年4月にも再び江戸は大火に見舞われる。同年5月には江戸で奢侈禁令が発布され、1841年5月、天保の改革が始まる。天下泰平の世は爛熟に至り、一方飢饉や江戸大火で、世の歪みが大きくなってきている。そんな時代を背景とした時代小説である。
悪党というのは、「悪人。[一人についても、おおぜいについても言う]」(新明解国語辞典・三省堂)と説明されている。ここでは6人出てくるのでおおぜいの意味での悪党になる。悪人という言葉の対語は善人になるのだろう。悪人とは? これにも悪辣非道な極悪人から、善人面した悪人、さらに世に言う義賊まで、悪人にも様々な幅がある。ここに出てくる天保の悪党はどうだろうか? その日の生活に明け暮れる江戸の一般庶民にとっては、悪党として怯える側面を感じるとしても、江戸の世間話の渦中にはいれば、その悪ぶりに喝采するという気分をも抱く存在なのではないか。そんな悪党列伝のように感じる。心底から憎むべき悪人と感じさせない生き様がここに登場する悪党のおもしろいところ。
松林伯圓が創作した「天保六花撰」に登場する悪人自身の内容を知らないので、本作の悪党の所業との比較のしようがない。だが、この短編連作で構成されていく悪党たちはそれぞれに悪行の有り様が異なる。そのバリエーションが読み手を惹きつける。。一方で彼らの人間関係が繋がり、相互の関係が広がっていくところもおもしろい。
各編毎に何を扱っているかと多少の読後印象をご紹介する。
<蚊喰鳥 天保六花撰ノ内・直侍>
片岡直次郞は80俵取り御鳥見の御家人だが将軍家の御狩場巡視の勤めを放り出し、吉原の妓楼大口屋の花魁三千歳の許に通う金を稼ぎたいために博奕に耽っている。勿論、ままならない。大河内宗俊に協力し松江の18万石松平出雲守の屋敷に出向いて、一芝居打ち、一人の娘を救出するという顛末譚と、直侍が吉原から花魁三千歳を逃げ出させる挙に及びその後始末の顛末譚が中心となる、この後始末に森田屋が絡んでくることに。
タイトルの蚊喰鳥とは、蝙蝠(コウモリ)のこと。子供たちが細い竹竿を振り回し蝙蝠を追う様子を見て、「いまおれは、追う方ではなく追われる蚊喰鳥の方だなと直次郞は思った」(p53)と著者は記す。状況に流されるプロセスでの直次郞の行為が悪なのだ。
<闇のつぶて 天保六花撰ノ内・金子市>
金子市之丞は鳥越川の甚内橋を南に渡った猿屋町に貸し道場を借りて神道無念流の看板を掲げている。市之丞もまた、花魁三千歳の許に通う一人。そのための資金づくりに、辻斬り行為を行う悪党。その金子の行為を丑松は目撃する。そして金子に近づき、己の妹お玉を探し出す話に協力するように持ちかける。岡っ引で女郎屋を営み、裏では賭場の胴元をしている五斗米市兵衛が妹を何処へか売ったと丑松は言う。金子はこの一件に協力する。
また、丑松が河内山から得たネタで遠州屋をゆする仕事に金子は加担する。それが献残屋を営む森田屋清蔵を知る機会となる。
辻斬りをする金子も悪党だが、彼が関わる悪行の相手側もまた、悪党ばかりというところが、おもしろい。読み進めていると、悪党たちの相対化という視点と心理が動き出してしまう。悪とは何か?
タイトル「闇のつぶて」は、森田屋が金子に告げた一言をさす。お楽しみに。
<赤い狐 天保六花撰ノ内・森田屋>
森田屋清蔵が、人知れず付きまとう男を煙に巻こうとする行動の描写から始まる。森田屋は金子市之丞の道場に出向く。森田屋は本庄藩藩主の氏家志摩守にひと泡吹かせるために、金子の助力を頼みに来た。前金5両。成功報酬10両と言う。金子はこの依頼に乗る。
森田屋は、本庄藩江戸家老の小保内に、元値3000両で、七梱(コリ)の抜け荷の取引を交渉した。この時、本庄藩は東叡山御普請お手伝いの費用を捻出する必要に迫られていた。森田屋はこの取引で十分に賄え、お釣りがくる位だと保証する。この取引を仕掛けた背景には、森田屋自身の過去に恨みの原因があった。タイトル「赤い狐」は原因に関係する。
因果関係を考えると、悪党を生み出すのは何なのか、悪とは何か、に戻っていく。
このループ、様々な事象に共通して存在している気がしてならない。
<泣き虫小僧 天保六花撰ノ内・くらやみの丑松>
丑松が料理人であることがこの短編で初めてわかる。河内山の賭場で3両ちょっとすった丑松は、河内山の紹介を受け、花垣の料理場に勤め始める。花垣の内情がわかるにつれ、丑松はおかみさんは地獄の中に居ると感じるようになる。その原因は政次郎という客だった。本作は花垣の顛末譚である。丑松に頼まれて、金子市之丞が助っ人となる。助っ人料に対する二人の駆け引きとその推移が興味深い。
悪党の丑松が、さらに上を行く悪党に対峙するストーリー。ここにも悪の相対化が見られる。
読者としては、結末に、ほんの少し安堵する心が動くことだろう。着地点が良い。
くらやみの丑松と通称されているのに、タイトルがなぜ「泣き虫小僧」なのか。それは読んでのお楽しみに・・・・・。
<三千歳たそがれ 天保六花撰ノ内・三千歳>
ここまでの短編連作の中で、花魁三千歳が3つの短編の各主人公との関係で点描されてきている。だがここで、三千歳自身が悪党の一人に加わることになる。
片岡直次郞と金子市之丞は、三千歳の許に通った。直次郞に連れられて吉原を逃げるということもした。その後、吉原に舞い戻るという経緯を経る。結果的に三千歳は直次郞に貢ぐ形の関係だった。直次郞が間夫的存在に過ぎなくなって行くとさすがに愛想をつかす。そして金子との関係が深まるが、こちらもやがて三千歳が貢ぐ形の関係になっていく。そこに三千歳の本性的な業があるのだろう。花魁としては損な性格である。異なるのは森田屋清蔵との関係だけ。
ならば、なぜここで悪党に列するのか。それは三千歳が河内山からの依頼を引き受ける羽目になることによる。水戸藩で行われているという影富が事実かどうかの一端を客の一人である水戸藩の家臣、比企東左衛門から聞き出すという役割を三千歳が担ったことによる。私にはそれしか理由を読みとれない。
この短編、悪党伝の中では、少し異色。一番哀しいストーリー。三千歳あわれ・・・・。
<悪党の秋 天保六花撰ノ内・河内山宗俊>
河内山宗俊は、御三家の一つ水戸藩が小石川屋敷で行っている影富の証拠をつかみ、それをもとにゆすりの計画を立てる。江戸を離れていた森田屋清蔵が、己の思惑と違う局面が生まれていたので、戻ってきていた。河内山宗俊のゆすりの計画に加担する。
本作はこの水戸藩の影富についてのゆすりの顛末譚が主題になっている。
それとパラレルに、森田屋清蔵が己に課した後始末の人助け譚が描かれる。そこに金子が登場するところが妙味である。
河内山宗俊の水戸藩ゆすりには形として成功する。だが、思わぬオチが待ち受けている。このオチは「悪」という視点ではどう考えればよいのだろうか。著者は興味深い投げかけをしているような気がするのだが・・・・。ここにも、悪の相対化という視点が蠢いているように私は思う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
天保六花撰 :「コトバンク」
天保六花撰 :ウィキペディア
河内山実伝:今古実録巻1,2 栄泉社 :「国立国会図書館」
河内山宗春 :ウィキペディア
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
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その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『早春 その他』 文春文庫
『秘太刀馬の骨』 文春文庫
『花のあと』 文春文庫
『夜消える』 文春文庫
『日暮れ竹河岸』 文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 12冊