遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『引火点 組織犯罪対策部マネロン室』  笹本稜平  幻冬舎文庫

2024-07-15 17:49:13 | 笹本稜平
 マネロン室シリーズは、『突破口』に引き続く第2弾。平成30年(2018)3月に単行本が刊行され、令和2年(2020)10月に文庫化された。2021年11月著者逝去により、このシリーズはこの二作にとどまる。

 マネロン室とは、警視庁組織犯罪対策部総務課マネー・ロンダリング対策室の略称。犯罪収益解明捜査一係から四係までで構成されている。その四係に所属する樫村恭祐警部補と上岡章巡査部長が四係捜査班の中核人物になっていく。
 樫村と上岡は、仮想通貨ビットコインの取引所の一つであるビットスポットという企業がマネーロンダリングの窓口として使われているのではないかという疑念を抱き捜査をしていた。ストーリーは、ビットスポットのCEO(最高経営責任者)で気鋭の女性ベンチャー企業家である村松祐子に樫村が接触して、任意の事情聴取として面談の機会を作る場面から始まる。この面談シーンでは、話材に現実に起こったマウントゴックス事件が取り上げられていて、冒頭からリアル感が巧みに織り込まれている。
 樫村が軽く村松に接触を試みた後、今度は村松が樫村に相談事を持ち掛けてくる、会社宛で村松にレターパックが届き、中には血のついた小型ナイフと「村松、次はおまえだ」と書いた名刺大のカードが入っていた。一方で、ここ1ヵ月ほど、村松の個人アドレスに不審なメールが届くようになったという。樫村の助言で、村松は会社のスタッフに指示して、オフィス所在地を管轄する愛宕警察署に被害届を提出する。それにより村松を公に保護対象者として扱う契機が生まれる、レターパックや脅迫メールのデータの提供を受けたことで、樫村は捜査の端緒を得る。
 そんな矢先に、世田谷にある村松の自宅が火災に遭う。それも放火と判明する。村松は樫村に相談を持ちかけた時点から、ホテル生活に切り替えていたので、火災に巻き込まれることは回避できた。世田谷署は放火事件として捜査を開始する。
 樫村の携帯にメールが着信する。「警察は手を出すな」という一行メール。発信者欄には<フロッグ>とある。その発信者名は、村松への脅迫メールと同じ。樫村は衝撃を受ける。村松に関係する周辺の問題事象は悪化の方向にステップアップする。

 村松は樫村に相談した後、愛宕署から数百メートルのところにあり、会社にも近い位置の著名なホテルに生活拠点を移した。ところが、愛宕署ではロビーに捜査員が張り付いて警護にあたっていたのだが、無断で行方をくらましたのだ。失踪するという事態の発生は何を意味するのか。
 村松のこれまでの行動と自宅の火災は、一連の狂言、自作自演なのか。疑問が付きまとっていく。

 マネロン室の捜査のターゲットは、ビットスポットを中継にして資金洗浄が行われている事実を掴むことである。ここで、上岡が、違法サイトでの薬物購入とビットコインを使っての決済、資金の移動状況を解明するおとり捜査のアイデアを出す。薬物や銃器等に関してはおとり捜査を適法とする最高裁判例があるのだ。
 組対部五課の薬物捜査第三係の三宅係長、公安部のサイバー攻撃対策センター第四係の相田係長とマネロン室第四係の須田係長、樫村らが、草加マネロン室長の下で、チームを組むことになる。違法サイトでの薬物購入は上岡が担当し、薬物捜査係のメンバーが購入薬物の発注・受取人になる。ビットコイン決済での資金の移動・移転の解明はサイバー攻撃対策センターが担当するという協力態勢である。
 このおとり捜査がどのように進展していくか。その中で、ビットスポットがどのように関わるのかがメイン・ストーリーといえる。

 ここに村松の相談事と失踪という側面がパラレルに織り込まれていく。当初、村松はビットスポットが小規模の組織であり、顧客とは厳正な手続きで対応し、役員を含めて意思疎通は緊密であり、一丸となって運営に当たっていると強調していた。しかし、村松の失踪を契機に、樫村はCOO(最高執行責任者)の肩書を持つ谷本と村松の秘書である西田と接触するようになる。その結果、西田を介して、村松とナンバーツーの谷本との関係が緊密とは言えない状況であることが明らかになっていく。ビットスポットでの主導権争いが行われていたのだ。これに村松の失踪がどのような関係しているのか・・・・。
 さらには、樫村たちがターゲットとしている捜査とビットスポットの内部事情との間には、関わりがあるのかどうか。それは別次元の問題なのか。
 
 村松の自宅の火災事件は、世田谷署が担当する放火犯の追跡捜査としてパラレルに進展していく。この事件がどのように絡んでいるのか。そこにも謎が含まれる。地道な捜査が積み重ねられていく。そして遂に・・・・・。

 個別の事件捜査の担当の壁を越えた情報の共有化が事件解明への大きな梃子となっていく。この局面が一つの読ませどころに繋がっていく。

 このストーリーの根底に、著者が仮想通貨とはどういう世界かを描こうとした意図があると思う。そこにはリアル通貨とは全く違うフェーズに切り替わって行く危うさが現れる。
*ビットコインは、サトシ・ナカモトなる謎の人物の論文をもとに2009年に運用が開始された。 (p15)
*(運用とは)ナカモト論文をもとに有志のプログラマーが結集してつくったオープンソースのプログラムをせかいの人々が利用するようになったという意味であり、そのこと自体、歴史的にも画期的な出来事だった。 (p15)
*仮想通貨はたしかに便利なものかもしれないが、そこには国境の概念がなく、金融当局のコントロールも利かない。おれたちがいま乗り出している国際的なマネーロンダリングの規制も、その領域では絵に描いた餅になりかねない。 (p430)
*ブロックサイズ(取引履歴をまとめたデータの集まり)がシステム上の上限に達しつつあることを原因とするビットコインの分裂の状況、その結果と新仮想通貨発行の状況描写
  (この項は要約表記、p455-457)
他にも各所に関連事項が書き込まれている。この世界が垣間見える。

 著者は、仮想通貨の世界における規模のメリットが悪用される可能性に着目しているようだ。村松の秘書西田と樫村との会話の中で、こんなことを語らせている。
「ビットコインの世界は、いま引火点に近づいていると、村松はよく言っていました。
 有害な勢力がそれを利用することによって、ビットコインが歪められた方向に発展するターニングポイントを、CEOはそう呼んでいたようです。」(p437)
 タイトルの「引火点」はここに由来するようだ。

 このストーリーのおもしろさは意外な着地のさせ方にある。その意外性をお楽しみいただきたい、この落とし所、よく考えているなと思う。

 お読みいただきありがとうございます。


補遺
ビットコイン :「NRI」
BTC(ビットコイン)とは  :「ビットバンクプラス」
暗号資産(仮想通貨)って何?  :「全国銀行協会」
マウントゴックス事件とは? ビットコインが消失した事件の全貌を知る:「DMMBitcoin」
マウントゴックス、10年越しに債権者へのビットコイン返済  :「COINPOST」
Torブラウザーとは?どういった経緯で産み出されたのか? :「サイバーセキュリティ情報局」(Canon)
史上最大の闇サイト「Silk Road」から、30億ドル超ものビットコインを盗んだ男の手口
         :「WIRED」
米司法省が押収したシルクロードのビットコイン20億ドル、新たなウォレットに移動
        :「COINTELEGRAPH コインテレグラフジャパン」
8・01ビットコインの分裂騒動とは何だったのか  :「東洋経済ONLINE」

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『特異家出人 警視庁捜査一課特殊犯捜査係堂園晶彦』 小学館文庫
『卑劣犯 素行調査官』   光文社文庫
『流転 越境捜査』   双葉社
「遊心逍遙記」に掲載した<笹本稜平>作品の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 29冊
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『天保悪党伝』  藤沢周平   角川文庫

2024-07-07 23:02:38 | 藤沢周平
 ゆっくりとしたペースで、藤沢周平さんの作品を読み継いでいる。
 本書は平成4年(1992)3月に単行本が刊行され、平成5年11月に文庫化された。上掲の文庫カバーは初版発行の時の表紙である。
  
こちらは後継の表紙で、右側は新装版の表紙。

 本作は短編連作による時代小説。短編が6つ収録されている。それぞれ一人の人物に焦点を当てて主人公にした短編作品なのだが、それぞれの相互に人間関係が生まれ、それが網の目のように絡み合っていき、全体で天保時代の悪党伝にもなっている。
 登場する人物名をまず挙げてみよう。片岡直次郞(直侍)、金子市之丞、森田屋清蔵、くらやみの丑松、三千歳、河内山宗俊の6人。

 各短編にはタイトルに続いて、「天保六花撰ノ内・○○」という副題が付いている。その○○に該当するのが、上記の直侍・金子市・森田屋・くらやみの丑松・三千歳・河内山宗俊である。
 「天保六花撰」と「河内山宗俊」いう言葉が頭にひっかかり少し調べてみて、なるほどと思った。講談という芸能分野で、明治初年に二代目松林伯圓が、実録本『河内山実伝』をネタ本にして、六歌仙にちなみ6人の悪党が活躍する世話講談を『天保六花撰』と題して創作したという。この世話講談を明治14年(1881)に河竹黙阿弥が歌舞伎世話物に脚色し、「天衣紛上野初花(クモニマゴウウエノハツハナ)」という演目にした。こういう背景があったのだ。『河内山実伝:今古実録巻』という本が、国立国会図書館のサイトで閲覧できる。

 つまり、本作『天保悪党伝』は、「天保六花撰」を題材にした藤沢流の翻案創作であり、和歌でいうなら本歌取りという形でのフィクションといえるだろう。
 余談だが、ウィキペディアを読むと、次の作家たちも「天保六花撰」を題材に作品を創作している。
『河内山宗俊』子母沢寛(1951年)/『すっ飛び駕』子母沢寛(1952年)
『河内山宗俊 ふところ思案』島田一男(1954年)/『天保六道銭』村上元三(1955年)
『闇の顔役』島田一男(1970年)/『河内山宗俊 御数寄屋太平記』広瀬仁紀(1994年)
『贋作天保六花撰』北原亞以子(1997年)

 まず天保という時代を押さえておこう。天保元年は1830年。第11代将軍家斉の末期で、1837年に徳川家慶が第12代を継承する。1833年から1839年にかけては天保の大飢饉が発生し、将軍の代変わりの1837年には大坂で大塩平八郎の乱が起こっている。その少し前、1834年2月、江戸では大火が発生し、1838年4月にも再び江戸は大火に見舞われる。同年5月には江戸で奢侈禁令が発布され、1841年5月、天保の改革が始まる。天下泰平の世は爛熟に至り、一方飢饉や江戸大火で、世の歪みが大きくなってきている。そんな時代を背景とした時代小説である。

 悪党というのは、「悪人。[一人についても、おおぜいについても言う]」(新明解国語辞典・三省堂)と説明されている。ここでは6人出てくるのでおおぜいの意味での悪党になる。悪人という言葉の対語は善人になるのだろう。悪人とは? これにも悪辣非道な極悪人から、善人面した悪人、さらに世に言う義賊まで、悪人にも様々な幅がある。ここに出てくる天保の悪党はどうだろうか? その日の生活に明け暮れる江戸の一般庶民にとっては、悪党として怯える側面を感じるとしても、江戸の世間話の渦中にはいれば、その悪ぶりに喝采するという気分をも抱く存在なのではないか。そんな悪党列伝のように感じる。心底から憎むべき悪人と感じさせない生き様がここに登場する悪党のおもしろいところ。
 松林伯圓が創作した「天保六花撰」に登場する悪人自身の内容を知らないので、本作の悪党の所業との比較のしようがない。だが、この短編連作で構成されていく悪党たちはそれぞれに悪行の有り様が異なる。そのバリエーションが読み手を惹きつける。。一方で彼らの人間関係が繋がり、相互の関係が広がっていくところもおもしろい。

 各編毎に何を扱っているかと多少の読後印象をご紹介する。

<蚊喰鳥 天保六花撰ノ内・直侍>
 片岡直次郞は80俵取り御鳥見の御家人だが将軍家の御狩場巡視の勤めを放り出し、吉原の妓楼大口屋の花魁三千歳の許に通う金を稼ぎたいために博奕に耽っている。勿論、ままならない。大河内宗俊に協力し松江の18万石松平出雲守の屋敷に出向いて、一芝居打ち、一人の娘を救出するという顛末譚と、直侍が吉原から花魁三千歳を逃げ出させる挙に及びその後始末の顛末譚が中心となる、この後始末に森田屋が絡んでくることに。
 タイトルの蚊喰鳥とは、蝙蝠(コウモリ)のこと。子供たちが細い竹竿を振り回し蝙蝠を追う様子を見て、「いまおれは、追う方ではなく追われる蚊喰鳥の方だなと直次郞は思った」(p53)と著者は記す。状況に流されるプロセスでの直次郞の行為が悪なのだ。

<闇のつぶて 天保六花撰ノ内・金子市>
 金子市之丞は鳥越川の甚内橋を南に渡った猿屋町に貸し道場を借りて神道無念流の看板を掲げている。市之丞もまた、花魁三千歳の許に通う一人。そのための資金づくりに、辻斬り行為を行う悪党。その金子の行為を丑松は目撃する。そして金子に近づき、己の妹お玉を探し出す話に協力するように持ちかける。岡っ引で女郎屋を営み、裏では賭場の胴元をしている五斗米市兵衛が妹を何処へか売ったと丑松は言う。金子はこの一件に協力する。
 また、丑松が河内山から得たネタで遠州屋をゆする仕事に金子は加担する。それが献残屋を営む森田屋清蔵を知る機会となる。
 辻斬りをする金子も悪党だが、彼が関わる悪行の相手側もまた、悪党ばかりというところが、おもしろい。読み進めていると、悪党たちの相対化という視点と心理が動き出してしまう。悪とは何か?
 タイトル「闇のつぶて」は、森田屋が金子に告げた一言をさす。お楽しみに。

<赤い狐 天保六花撰ノ内・森田屋>
 森田屋清蔵が、人知れず付きまとう男を煙に巻こうとする行動の描写から始まる。森田屋は金子市之丞の道場に出向く。森田屋は本庄藩藩主の氏家志摩守にひと泡吹かせるために、金子の助力を頼みに来た。前金5両。成功報酬10両と言う。金子はこの依頼に乗る。
 森田屋は、本庄藩江戸家老の小保内に、元値3000両で、七梱(コリ)の抜け荷の取引を交渉した。この時、本庄藩は東叡山御普請お手伝いの費用を捻出する必要に迫られていた。森田屋はこの取引で十分に賄え、お釣りがくる位だと保証する。この取引を仕掛けた背景には、森田屋自身の過去に恨みの原因があった。タイトル「赤い狐」は原因に関係する。
 因果関係を考えると、悪党を生み出すのは何なのか、悪とは何か、に戻っていく。
 このループ、様々な事象に共通して存在している気がしてならない。

<泣き虫小僧 天保六花撰ノ内・くらやみの丑松>
 丑松が料理人であることがこの短編で初めてわかる。河内山の賭場で3両ちょっとすった丑松は、河内山の紹介を受け、花垣の料理場に勤め始める。花垣の内情がわかるにつれ、丑松はおかみさんは地獄の中に居ると感じるようになる。その原因は政次郎という客だった。本作は花垣の顛末譚である。丑松に頼まれて、金子市之丞が助っ人となる。助っ人料に対する二人の駆け引きとその推移が興味深い。
 悪党の丑松が、さらに上を行く悪党に対峙するストーリー。ここにも悪の相対化が見られる。
 読者としては、結末に、ほんの少し安堵する心が動くことだろう。着地点が良い。
 くらやみの丑松と通称されているのに、タイトルがなぜ「泣き虫小僧」なのか。それは読んでのお楽しみに・・・・・。

<三千歳たそがれ 天保六花撰ノ内・三千歳>
 ここまでの短編連作の中で、花魁三千歳が3つの短編の各主人公との関係で点描されてきている。だがここで、三千歳自身が悪党の一人に加わることになる。
 片岡直次郞と金子市之丞は、三千歳の許に通った。直次郞に連れられて吉原を逃げるということもした。その後、吉原に舞い戻るという経緯を経る。結果的に三千歳は直次郞に貢ぐ形の関係だった。直次郞が間夫的存在に過ぎなくなって行くとさすがに愛想をつかす。そして金子との関係が深まるが、こちらもやがて三千歳が貢ぐ形の関係になっていく。そこに三千歳の本性的な業があるのだろう。花魁としては損な性格である。異なるのは森田屋清蔵との関係だけ。
 ならば、なぜここで悪党に列するのか。それは三千歳が河内山からの依頼を引き受ける羽目になることによる。水戸藩で行われているという影富が事実かどうかの一端を客の一人である水戸藩の家臣、比企東左衛門から聞き出すという役割を三千歳が担ったことによる。私にはそれしか理由を読みとれない。
 この短編、悪党伝の中では、少し異色。一番哀しいストーリー。三千歳あわれ・・・・。

<悪党の秋 天保六花撰ノ内・河内山宗俊>
 河内山宗俊は、御三家の一つ水戸藩が小石川屋敷で行っている影富の証拠をつかみ、それをもとにゆすりの計画を立てる。江戸を離れていた森田屋清蔵が、己の思惑と違う局面が生まれていたので、戻ってきていた。河内山宗俊のゆすりの計画に加担する。
 本作はこの水戸藩の影富についてのゆすりの顛末譚が主題になっている。
 それとパラレルに、森田屋清蔵が己に課した後始末の人助け譚が描かれる。そこに金子が登場するところが妙味である。
 河内山宗俊の水戸藩ゆすりには形として成功する。だが、思わぬオチが待ち受けている。このオチは「悪」という視点ではどう考えればよいのだろうか。著者は興味深い投げかけをしているような気がするのだが・・・・。ここにも、悪の相対化という視点が蠢いているように私は思う。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
天保六花撰  :「コトバンク」
天保六花撰  :ウィキペディア
河内山実伝:今古実録巻1,2 栄泉社 :「国立国会図書館」
河内山宗春   :ウィキペディア
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『秘太刀馬の骨』  文春文庫
『花のあと』    文春文庫
『夜消える』    文春文庫
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『遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』  今野敏   幻冬舎

2024-07-04 11:07:27 | 今野敏
 警視庁強行犯係・樋口顕シリーズの第8弾。これも愛読シリーズの1つ。「小説幻冬」(VOL.68~79)に連載された後、加筆、修正され、2023年8月に単行本が刊行された。
 
 このストーリー、氏家譲警部が現在関わっている事件のことについて、樋口が氏家と話をする場面から始まる。氏家は捜査第二課選挙係から、少年事件課・少年事件第九係の係長に異動したばかりである。氏家は少年係の経験が長かったので適任ともいえる。話題になったのは、未成年者略取誘拐の事案だった。この導入部を読み、未成年者略取誘拐事件とはどういうものか、初めて知った次第。これは親告罪とのことで、当事者双方が事件性を否定していても、未成年者の両親が訴えると言えば、法に則った処理をすることになるそうだ。
 さて、この氏家と樋口の会話が、後の殺人事件への伏線になる。樋口の発案で氏家は殺人事件の捜査に加わることになる。

 樋口が氏家の話を聞いてから3日後に事件が発生。天童管理官から樋口班に指示が出る。殺人事件現場は西多摩郡奥多摩町丹三郎。近所の住人で犬と散歩中の高齢者が発見し110番通報。現場は、ホテルなどで使われる業務用シーツに素裸の未成年の少女をくるんで、ここまで来て、車を停めて、放り出していくような感じで遺体を遺棄して行った様子だった。
 初動捜査で車の目撃者が現れ、黒っぽいハッチバッグの車が使われていたことがわかる。だがそこからの追跡調査が難航する。
 遺体の写真を見た渋谷署・少年係の梶田邦雄巡査部長から連絡があった。被害者は梅沢加奈、17歳、高校2年生と思われると。ネット通販などをてがけているファッション系のIT企業「ペイポリ」と連携し、女子高校生だけで運営される「ポム」と称する企画集団があり、梅沢加奈はその企画集団の一員だった。梶田はその企画集団が売春グループの隠れ蓑に使われているという疑いを抱き、ペアの中井塁巡査長と二人だけで内偵を進めていたのだ。現状では伝聞程度の証拠しかなく、西城係長は確証がなければ乗り気ではない状況という。
 樋口と氏家は、梶田の話を聞き、株式会社ペイポリの担当者を訪ねて、梅沢加奈と推定される被害者について、聞き込み捜査をする糸口を見出した。梶田を加えて身元捜査を実行する。ここから身元捜査の輪が少しずつ広がっていく。

 *西田加奈の身元捜査と事件当時の行動確認の追跡捜査
 *ペイポリとポムの関係はファッション関連での企画というビジネス上の連携だけなのか。ブラックな側面が潜むのか。
 *ポムという企画集団は売春グループの隠れ簔なのか。
 *ポムのリーダーが売春グループのリーダーなのか。
 *ポムのメンバーの一部が売春に関わり、梅沢加奈はその一人ということか。
 *黒っぽいハッチバックについての追跡捜査:聞き込み捜査と道路走行記録画像の捜査
 *業務用シーツの取扱会社の究明とそこから使用が推定されるホテルの究明捜査
など、様々な観点からの捜査が遂行されていく。青梅署に捜査本部が立ち、樋口は天童管理官を介して、渋谷署に待機できる場所を拠点として確保した。梶田と彼のペアの中井を樋口の捜査に専従として参加させる根回しも行った。

 殺人事件の捜査本部が立った中で、殺人犯人をストレートに追跡捜査する本流の動き。そこに売春グループの存在という観点から犯人を追跡する樋口班と協力者たち。天童管理官や捜査本部トップの了解のもとでの捜査活動とはいえ、捜査本部内のダイナミズムが軋轢を生み出す。樋口らの行動を白眼視する輩が出てくるのだ。そういう側面もまたリアルに織り込まれて行くところが興味深い。捜査とは何か。
 捜査方針とは何か。命令を受けた事項に取り組み刑事たちの思いはさまざま。そんなことを考えさせられることになる。
 捜査のプロセスで、何事にも慎重な樋口がある意味でトラップに陥りかける局面も織り込まれていて、おもしろい。

 この樋口顕シリーズでいつもおもしろいと思う所は、樋口が内心で思っている自己像と上司を含む周囲の刑事達が捕らえている樋口像との間にギャップがある点だ。この認識ギャップが事件の推進力になっていく側面もあっておもしろい。
 また、樋口には照美という一人娘が居る。娘が中学・高校の頃にはほとんど話をした事が無いという樋口自身の過去の思いが常に、未成年の少女たちの行動を考える上で、樋口の原点となる。娘と己の人間関係や心理を事件捜査の局面で幾度も内省的に振り返り、取り組んでいる事件について考えるという行為を繰り返す。その思考が捜査視点を顧みる推進力となっていく点がおもしろい。

 このストーリーの根っ子にあるのは、実に地道な捜査の積み上げである。奇をてらうことなく、着実に事実を積み上げて、樋口は思考と推理を重ねて行く。今回も。樋口のキャラクターを十分に楽しめる。読ませどころは、捜査方法の王道を踏むところにある。

 サイド・ストーリーとして、娘のリクエストに応えて、捜査の合間に時間を取る局面を織り込んでいく。秋葉議員と会って、女性の貧困というテーマで刑事の体験と意見を語ることを承諾する。これがちょっとおもしろいインターバルとなり、また取り扱っている事件を別の視点から眺める側面を樋口自身に生み出していく。
 樋口と娘の照美との数少ない会話は、樋口の家庭人としての側面を、読者が垣間見る機会となり1つの楽しみともなる。

 このストーリーの最後のシーンに樋口の真骨頂が現れている。梶田と樋口の会話である。一部抜き出しておこう。
 「どうしたら、樋口さんのようになれるでしょう」
 「俺のようになど、なっちゃだめだ」
 「いえ、自分は目指したいです」
 「ならば」「普通にしていることだ」
 「普通・・・・・?」
 「そう。普通の人が迷い、悩み、悲しみ、そして、感動し、笑うように・・・・。そんな
  警察官でいるのは、意外と難しい」
梶田はこのやり取りで、釈然としない顔をしているところで終わるのだ。おもしろい!

 樋口警部の立ち位置を楽しめるのがこのシリーズの醍醐味とも言える。

 ご一読ありがとうございます。

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『天を測る』       講談社
『署長シンドローム』   講談社
『白夜街道』       文春文庫
『トランパー 横浜みなとみらい署暴対係』   徳間書店
『審議官 隠蔽捜査9.5』   新潮社
『マル暴 ディーヴァ』   実業之日本社
『秋麗 東京湾臨海署安積班』   角川春樹事務所
『探花 隠蔽捜査9』  新潮社
「遊心逍遙記」に掲載した<今野敏>作品の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 97冊
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『童の神』  今村翔吾  ハルキ文庫

2024-06-26 23:21:25 | 今村翔吾
 本書は第10回角川春樹小説賞受賞作品で、第160回直木賞候補作にもなった。2018年10月に単行本が刊行された後、2020年6月に文庫化され、時代小説文庫の一冊となっている。余談だが、著者は2022年、『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞した。

 本作の核心になるのは「童」という一字である。大和葛城山は土蜘蛛の棲む地とされた。土蜘蛛の長である毬人(マリト)が桜暁丸(オウギマル)にこの一字の意味を次のように語る場面がある。
 京人は「童」を「わらは」と読むが、我らは「わらべ」と読むと。それは奴を意味する言葉なのだと語る。”童という字は「辛」「目」「重」に分けることが出来る。「辛」は入れ墨を施す針、「重」は重い袋を象った字で、つまり童は目の上に墨を入れられ、重荷を担ぐ奴婢という意味らしい。「元からその地に住まう者、あるいは貧しい者。それらも一纏めにして京人はそう呼ぶ。京人の驕り、蔑みの証とも言える字よ。小さいかも知れぬが、その一字さえ屠ってやりたくなる」”と。(p204)
 「童」という文字は、当初奴・奴婢、つまり奴隷という意味で使われていて、それが後に平安・鎌倉の頃から「子供」を意味する言葉に転じて行った。この「童」の使われ方の原義を知ったことと、酒呑童子の名を目にした瞬間に、この作品が脳裡に一気に流れ込んで来たと、著者は「受賞の言葉」の中で述べている。

 古代より中央の政権に纏ろはない、反抗的な人々・集団は蔑称で呼ばれてきた。『日本書紀』に出てくる九州の熊襲、隼人はその例であろう。本作に登場する土蜘蛛も同様である。『古事記』にも登場している。
 本作には、京人が付けた蔑称として、夷、滝夜叉、土蜘蛛、鬼、百足、犬神、赤足、鵺などが出てくる。彼らが童である。本書のタイトル「童の神」とは、「童」の諸集団を結束する総大将的な立場に押し上げられて行った桜暁丸をさす。桜暁丸は、己たちの生き方を中央の政権に認知させようと試みた。だがその思いは潰える。  本作は、藤原道長の治政下において、京周辺に棲み朝廷側に服従しない集団が、朝廷側の軍団に殲滅されていくプロセスを、桜暁丸の半生と絡めて描いていく。
 朝廷側の軍団とは、道長の側近である洛中随一の武官源満仲とその配下である。満仲の嫡男は源頼光。部下には渡辺綱、卜部季武、碓井貞光が居る。相模足柄山の「やまお」と呼ばれる民であり、京人に「山姥」と蔑称されてきたが、朝廷側に下って配下となる道を選択した坂田金時が加わっている。同様に、犬神と夜雀も朝廷側の配下になっていた。

 桜暁丸は、最後には京の帝から、大江山の酒呑童子と称されるようになる。

 「大江山絵巻(酒呑童子絵巻)」が史料として残されている。これは大江山の酒呑童子を頼光、渡辺綱らが退治する物語として描かれている。大江山の鬼退治という伝承は世に知られた話である。
 平安時代の朝廷側と政権に従わない人々との間の戦い、当時の社会構造などの史実を背景に踏まえながら、本作は、ダイナミックなフィクションの世界に読者を誘っていく。被抑圧者側のやるせない思いがひしひしと伝わる作品になっている。

 序章は皆既日食が始まった状況の描写である。当時の人々はこのとてつもない現象に驚愕したことだろう。
 安部清明はこの自然現象の到来を予期し、それを利用する。どのように利用したかが重要な要になる。その一方で、己は京の中枢に秘やかに沈潜し、己の拠点を維持していく。この設定がまずおもしろい。

 第1章にまず安部清明が登場する。「天の下では人に違いはない」という境地に達したと記されている。この一文が本作のテーマになっていると思う。
 清明は天暦2年(948)に皐月と出逢った。それが契機で、二人の間には子が生まれた。如月と名付けられる。皐月は、愛宕山に居を構え、配下は100人を越える群盗「滝夜叉」の女頭目である。皐月は自ら平将門の子だと清明に告げる。京人は平将門を東夷と罵った。
 歴史年表を読むと、「安和2年(969)3月、安和の変(藤原千晴ら流罪、源高明左遷)という一項が記されている。著者はこれは、左大臣源高明が緊急朝議を開き、天下和同という自説を展開しようとした。その源高明に、国栖率いる葛城山の土蜘蛛、虎節率いる大江山の鬼、皐月率いる愛宕山の滝夜叉らが加担したと描く。源満仲の裏切りにより、高明の企ては頓挫した。安和の変である。
 土蜘蛛、鬼、滝夜叉たちの苦難が再び始まっていく。滝夜叉は落ちのび、摂津竜王山に拠点を移すことに・・・・・。

 第2章に桜暁丸が登場する。越後国蒲原郡の豪族で、先祖が朝廷に服属した故に、郡司を任命されている山家重房を父にして、天延3年(975)、皆既日食の日に生まれた。母は山口という浜に漂着した異人だった。その母は出産後、流行り病で死んだ。父は桜暁丸の姿形は母に似ているという。周辺の人々は、桜暁丸を禍の子と見なし、鬼若と密かに呼んでいた。
 桜暁丸は師となった老僧の蓮茂から学問と教練を学ぶ。1年後の寛和2年(986)に、暗雲が立ちこめる。この時国主は源満仲であり、重房が蒲原郡にある夷の村にも善政を行うやり方に対し、反対の立場を取り、重房を攻めてきた。攻めてきたのは、満仲の嫡男頼光、卜部季武、碓井貞光らである。このとき、蓮茂の素性が百足だと明らかになる。
 桜暁丸はこの時、父重房の説得と蓮茂の助力により、落ちて生き延びることになる。
 これが桜暁丸の波瀾万丈の人生の幕開けとなっていく。

 桜暁丸は京に上る。そして、花天狗と称される凶賊となる。夜回りする検非違使や武官しか狙わない。「金を返せ。返さぬとあらば抜け」金を差し出した者には危害を加えない。刀を抜いた者は斬り殺す。錯乱して素手で挑んだ者は殴り倒すという行動に出る。それが評判となる一方、追われる立場になる。
 花天狗の所業において、彼は渡辺綱、坂田金時らとの対決の出会いが生じてくるのは当然である。
 一方で、袴垂保輔との出会いが生まれ、保輔に助けられることから、その後の状況が大きく動いていく。まずは保輔の活動を手伝う事から始まって行く。義賊と称される保輔を身近で見聞し協力する。それが「童」と称される人々、集団との出会いへと広がって行く。
 民を騙すことに長けた中流貴族の藤原景斉の屋敷に盗賊に入ることを契機に、滝夜叉との連携が始まる。
 かつて保輔が助けた娘、穂鳥を再び保輔から託されて、大和葛城山の裾野を歩く途中で土蜘蛛との出会いが生まれる。土蜘蛛について、桜暁丸は蓮茂から教えられていた。
 土蜘蛛の頭領毬人との絆が、彼らの里である畝傍山での砦再構築を生むことになる。桜暁丸は、毬人の子である欽賀と星哉を同行し、この計画を為し遂げる。葛城山と畝傍山の二山の連携が始まる。
 この後、竜王山、大江山との連携を推進していくという展開になる。
 そして、桜暁丸がある経緯を経て大江山の鬼の頭領に推されることになるという次第。 ここに到る紆余曲折が、まず読ませどころになる。
 その先に、大江山、葛城山、竜王山を拠点にする童が京の朝廷側の軍と対峙していかざるを得ない推移がクライマックスへと読者を導いていく。

 「天の下では人に違いはない」という原理がなぜ実現しないのか。この不条理を鮮やかに描いている。

 酒呑童子と恐れられた桜暁丸が最後に麻佐利に告げる言葉、そこに彼の万感の思いが込められていると言えよう。
 「鬼に横道なきものを!!」
 
 ご一読ありがとうございます。

補遺
袴垂保輔  :「コトバンク」
藤原保輔  :ウィキペディア
源頼光の大江山酒呑童子退治  1089ブログ :「東京国立博物館」
作品解説 酒呑童子/大江山  :「兵庫県立歴史博物館」
大江山絵巻(酒呑童子絵巻)   :「徳川美術館」

土蜘蛛  :ウィキペディア
滝夜叉姫 :ウィキペディア
鬼とは何者? :「日本の鬼の交流博物館」
勇将・藤原秀郷(俵藤太)の伝承から見えてくる古代の製鉄民族と製銅民族との対立
                             :「歴史人」
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『千里眼 ミッドタウンタワーの迷宮』  松岡圭祐  角川文庫

2024-06-22 12:12:50 | 松岡圭祐
 遅ればせながら千里眼新シリーズを読み継いでいる。本作は新シリーズの第4弾書き下ろし。平成19年(2007)3月に文庫版が刊行された。
 2007年1月にこの新シリーズの最初の3作が同時刊行されて、その後奇数月にこのシリーズが順次作品化されると公表されていたようだ。

 岬美由紀の友達である高遠由愛香が、東京ミッドタウンタワーの地上150mにあるオフィスフロアから巨大望遠鏡で2人の中国人に監視されている場面から始まる。この監視活動が、このストーリーに敷かれた伏線となる。
 場面は一転する。美由紀は雪村藍を伴って、百里基地で行われる航空祭に出かける。藍のリクエストでもあったが、美由紀は航空祭での講演依頼を受けていた。基地内で美由紀は偶然にも元上官の坂村久蔵元三等空佐を見かけて話しかけた。美由紀は坂村との会話中に、彼の表情に嫌悪や警戒心を働いた兆候を読み取った。会話はわずかの間だったが、坂村は知られたくない隠し事を抱いているように美由紀は感じた。坂村との出会い、ここにも伏線が敷かれていく。

 青空ではブルーインパルスのアクロバット飛行が行われ、航空祭の会場となった基地内には、無数の自衛隊機の展示とともに、ミグ25フォックスパットがデモンストレーション飛行のために待機していた。そこに、突然に警報ととも緊急事態発生の報せが伝わる。勿論、美由紀は条件反射的に指定場所に駆けつける。そこで見たのは段ボールの小箱に横たわる物体。外観は「パキスタン製小型戦略核爆弾、ヒジュラX5」。液晶タイマーが作動していて、7分後に爆発と分かる。容器は溶接されていて壊せない。本物かどうか、悠長な論議をしている暇はない。即決行動が要求されるのだ。この小型戦略核爆弾にどう対応するか? 集まった幹部自衛官らが戸惑う中で、美由紀が決然と行動に出る。その後を伊吹が追いかける。これがこのストーリーの最初の山場となる。のっけから読者をぎゅっと惹きつける展開。007シリーズで、最初に1つの見せ場が急速に進展して観客を惹きつけるアプローチに似ている。まずは読者があっけに取られる対処を美由紀が決断し実行するというダイナミックなプロセスが描き出されていく。
 その間に、地上では思わぬことが発生していた。フランス空軍がつい最近開発した通称カウアディス攻撃ヘリのプロトタイプが一機、航空祭で展示されていたのだが、それが核爆弾騒ぎの中で消えていた。坂村元三等空佐がその攻撃ヘリに乗り込み、発進させたという複数の証言があると菅谷三佐が語った。なぜ、彼が? これもまた布石となる。

 さて、メイン・ストーリーは? 東京ミッドタウンのガーデンテラス内に、由愛香が都内15番目の店、フランス料理の専門店「マルジョレーヌ」を開店する直前からストーリーが始まる。この店の開店準備と並行して、由愛香は賭博行為に手を染めていた。由愛香は元麻布に所在する中国大使館内で開かれるカジノに招待され、そこで賭博をしていた。その結果、破滅の瀬戸際まで来ていたのだ。
 ある日、美由紀は白金にある由愛香の店を訪れて、その店が閉店となっていることを知る。心配し、由愛香に会って事情を尋ねた美由紀は、由愛香が賭博行為に嵌まり、破産の瀬戸際に居ることを知る。
 美由紀は由愛香に同行し、このカジノでの賭博のカラクリを暴き、由愛香を破産から救出しようと決断する。そのために美由紀はそのカジノでの賭博資金として、己の預金を全額資金として持参する挙に出る。
 メイン・ストーリーのテーマは、友人由愛香を賭博癖と破産の苦境から立ち直らせることである。そこに構想の一ひねりが加わって行くところが楽しみどころなのだ。

 美由紀が由愛香に同行し、大使館内のカジノに行くには、前段のサブ・ストーリーがあった。
 東京ミッドタウン・メディカルセンターで、同僚の臨床心理士徳永良彦が担当しているクライアント又吉光春のカウンセリングに美由紀が関わることになる。それに起因する。徳永に又吉のカウンセリングを依頼しているのは、国税局査察部の小平隆だった。又吉の携わる仕事と彼の金の使い方、日常行動との間に大きなギャップがあり、その収入源について、マルサが疑問を抱いていたのだ。美由紀は又吉と対話し、彼の話を聞く中で又吉が嘘を語っていないと判断する。しかし、その話の内容自体は実に奇妙なのだ。そこで美由紀は独自の調査行動をとる。又吉に案内されて東京ミッドタウンタワーの31階オフィスフロアーを見てみる。そこであることに気づく。美由紀は警視庁捜査一課の岩国警部補とコンタクトをとる。その結果、1つの解釈に確信を持つ。それが由愛香の陥っている問題事象にリンクしていく。この謎解きが読者にとっては楽しみとなる。

 このストーリーのおもしろいところは、由愛香を賭博依存と破産の泥沼から救い出すつもりが、思わぬ裏切りから、状況が悪化し、美由紀が、大切な人の命と国家機密を賭けたカードゲームを行わねばならない苦境に突き進んでいくという進展にある。そこにはある罠が仕掛けられていた・・・・・。
 
 中国大使館内で、美由紀がリベンジのカードゲームを行うことと、美由紀の最後の闘いの場が、東京ミッドタウンタワーになることだけに触れておこう。

 最後に、本作の舞台になる東京ミッドタウンについて付記しておきたい。
 六本木交差点に程近く、かつては防衛庁の庁舎が存在していた場所。そこに緑豊かな複合施設が建設された。ミッドタウンタワーは高さ248m、地上54階、地下5階で、直線が主体の直方体の建物。東京ミッドタウンは、タワーを中心として複数のビルで構成されているという設定となっている。高級志向のエリアである。 p68~69
 
 さあ、この新シリーズ第4作をお楽しみいただきたい。
 
 ご一読ありがとうございます。


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