遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『本所しぐれ町物語』   藤沢周平    新潮文庫

2024-12-19 21:58:56 | 藤沢周平
 本所しぐれ町という町名は存在しなかった。文庫本末尾に、「対談 藤沢文学の原風景」という著者と藤田昌司さんとの対談録が併載されている。その中で著者は「最初から場所はその辺を考えていたのですが、名前にはてこずりました」と語っている。「しぐれ町」って、すっと惹きつけられるうまいネーミングだと思う。
 本書は短編12編が収録され、短編連作集。本所しぐれ町の表通りの表店と通りを外れた裏店に住む町民の喜怒哀楽、悲喜こもごもの日常生活状況に焦点があてられていく。一つの町域に住み、日ごろから互いのことがわかっている人々の普段の生活の諸局面が織り交ぜられて、しぐれ町の情景が浮かびあがっていく。全体のトーンとしては、哀感という印象が強く残る。
 本作は「波」に連載された後、昭和62年(1987)3月に単行本が刊行され、平成2年(1990)9月の文庫化された。

 対談の中で著者は本作について次のように語っている。
「時代小説のいろいろな拵えからちょっと気持ちが離れて、なるべく普通の世の中で起こり得ることを書いてみたかったのです」(p312)
「あまり悪辣な人間を書くのが嫌になりました。若いときにはそうでもなかったのですが、やはり年をとりますと、なるべくあくどい人間を見たくない、そういう感じが今度の作品には、だいぶ反映していると思います」(p315)
「そういう弱さがあるからこそ、人間はいとおしくていいのではないでしょうか。みんな清く正しくでは、これは困りものです」(p315)
「今でもそういう子供は案外いそうな気がして、そのまま突きはなすのはかわいそうな気がします。ですから、さっき言いましたように、いろんな意味でこの小説には、年齢的なものかなり反映されています」(p316)  付記:ここでの子供とは<おきち>をさす。
 ここでいう「普通の世の中に起こり得ること」という表現は、江戸時代の本所の町民の物語でありながら、どこの町でもあり得ることであり、形を変えて同様事象の問題が現代社会の庶民の日常生活にも再起しているのではないかととらえることもできるということだと思う。

以下、本書に収録された短編のご紹介と読後印象をごく簡単にまとめてみたい。

< 鼬(イタチ)の道 >
三丁目の菊田屋新蔵の弟がふいに上方から戻ってくる。兄嫁の心理と兄が弟の半次に抱く心理の葛藤が描かれる。そこに人別の届や金銭問題が絡んでいく。
 「鼬の道切り」という言葉が最後に出てくる。新蔵の本音を感じ取れる。
 
< 猫 >
二丁目の小間物屋紅屋の息子、栄之助の浮気。怒った女房が実家に帰っているのに、眼をつけていたおもんという女に手を出す。おもんの飼う猫・たまを栄之助が利用する。新たな浮気の始まりの一コマを描く。男の馬鹿さがこっけいである。

< 朧夜 >
 古手問屋萬屋の隠居佐兵衛は「福助」で酒を飲み過ぎた帰路の途中道端で眠ってしまう。「福助」の女中おときが帰路に佐兵衛を見つけて介抱したことがきっかけで、おときは佐兵衛の隠居所に出入りするように。萬屋の主人亀次郎・おくに夫妻の心配と佐兵衛の心境が描きこまれる。立場の違いでお金の意味づけが大きく変わる。

< ふたたび猫 >
 ひとの妾であるおもんに紅屋の栄之助が知り合って三月ほどたち、浮気が一歩深まった時点の栄之助の身辺状況話。栄之助と猫のたまとの関わり具合が変化を示す。栄之助がどうなって行くか。栄之助の心境を想像するとおもしろい。

< 日盛り >
 同い齢十の新吉と長太、一つ年上のおいとたちの身辺話。子供心がよくわかる。
 本所近辺で夜盗が横行しているという世相と長太の家の家庭内問題に焦点が移っていく。どこにでもありそうな日常生活の断片が切り出されている。

< 秋 >
 ささいなことで夫婦喧嘩をした翌朝、政右衛門が早朝の散歩に出かける。政右衛門の視点から、しぐれ町の現状を見つめて考える様子が描き込まれる。油を商う佐野屋の帳場にいた政右衛門は、裏店に住むおきちという娘が種油を買いに来たので直に応対するエピソードや、政右衛門は幼ななじみだったおふさにふと会いたくなる思いと実行話が織り込まれていく。夫婦喧嘩をしながらも、このまま行くのが己の人生という点に落ち着くところが現実的である。その現実感は共感を生み出す。

< 約束 >
 おきちの父親熊平は酒飲みだった。その父親が借金を抱えて死んだ。十歳のおきちには、与吉とおけいという弟と妹がいる。己が親の借金のけじめをつけると気丈にも判断しそのための行動をとる。借金の約束をおきちが己の身で償う顛末譚。
 気丈にふるまうおきちが最後に見せる「やっと十の子供にもどった」瞬間に哀感をいだかざるを得ない。

< 春の雲 >
 桶芳の住み込み奉公人千吉十五歳が藪入りの日の一日をどのように過ごすかから始まる。桶芳に臨時の職人左之助が来たことがきたことから、一膳めし屋・亀屋で働くおつぎちゃんにからむ展開となる。千吉がおつぎに寄せるほのかな思いの揺らめきと行動がいじらしい。千吉が一歩ステップアップするところを楽しめる。

< みたび猫 >
 紅屋の若旦那栄之助が再々登場。おもんとの浮気の続き話。

 この「猫」の登場について、著者は上記の対談の中で、おもしろいことを語っている。引用する。本書の短編は当初「波」に「非常に自由な形の連載」として載り、これは著者の初経験となったという。「どういう話にしようかは、毎回苦しんだわけです。どうにも考えつかないときには、『ふたたび猫』とか『みたび猫』とかいうように、前の話を持ってきてまたいじってみたり。最初からのプロットは何もなかったんですよ」「次のプロットが思いつかないときに、ちょっと一服しようと、緩衝剤みたいな意味もかなりありました」(p314)と。
 この裏話を読むと、この「猫」シリーズの登場をなるほどと思う。

< 乳房 >
 裏店に住むおさよと信助という若い夫婦の物語。めずらしく仕事が早く終わって、おさよが帰宅し、夫と同じ裏店の後家のおせんとの浮気の現場を目撃する。裸足で家を飛び出したおさよのそれからの心中の葛藤と行動が綴られていく。動揺するおさよに、言葉巧みに与次郎がすり寄ってくる。後に与次郎は女衒を本職とするらしいと人伝に知る。
 亭主に裏切られたショック、女心の変転が鮮やかに描きこまれていく。

< おしまいの猫 >
 栄之助の嫁が紅屋に戻ってきて、二人目が出来たとわかる頃、栄之助がやっと家業に身を入れ出す。己なりに商い品の内容も変えていこうと構想する。そんな最中に、おもんの旦那に浮気がばれる羽目に・・・・。おもんの旦那はけじめの条件を出す。
 「いやとは言わせませんぜ、若旦那」というエンディングは因果応報のオチになる。
 さて、栄之助どうする? 読者に物語の続きをを考えさせる終わり方がおもしろい。

< 秋色しぐれ町 >
 秋色に染まるしぐれ町の中だけでも、様々な人生模様が営まれていることを点描する小品。政右衛門は油商仲間の会合の後で、おきちが料理茶屋菊本で働くようになったことを知る。草履問屋山口屋を狙う泥棒と探索する島七たち。山口屋夫婦の内輪揉め。一膳めしの亀屋寅太の妹おまつを孕ませたのは誰かの相手探しの顛末譚。櫛引き職人重助とおはつのことなど。悲喜こもごもの日常が続いている。そこに生きている証があるというように・・・・。
 
 どこにでもありそうな、喜怒哀楽に突き動かされている人間模様が淡々と描き出されている。そこに哀感が漂っていると感じる。

ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『天保悪党伝』    角川文庫
『早春 その他』  文春文庫
『秘太刀馬の骨』  文春文庫
『花のあと』    文春文庫
『夜消える』    文春文庫
『日暮れ竹河岸』  文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
                       2022年12月現在 12冊
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『天保悪党伝』  藤沢周平   角川文庫

2024-07-07 23:02:38 | 藤沢周平
 ゆっくりとしたペースで、藤沢周平さんの作品を読み継いでいる。
 本書は平成4年(1992)3月に単行本が刊行され、平成5年11月に文庫化された。上掲の文庫カバーは初版発行の時の表紙である。
  
こちらは後継の表紙で、右側は新装版の表紙。

 本作は短編連作による時代小説。短編が6つ収録されている。それぞれ一人の人物に焦点を当てて主人公にした短編作品なのだが、それぞれの相互に人間関係が生まれ、それが網の目のように絡み合っていき、全体で天保時代の悪党伝にもなっている。
 登場する人物名をまず挙げてみよう。片岡直次郞(直侍)、金子市之丞、森田屋清蔵、くらやみの丑松、三千歳、河内山宗俊の6人。

 各短編にはタイトルに続いて、「天保六花撰ノ内・○○」という副題が付いている。その○○に該当するのが、上記の直侍・金子市・森田屋・くらやみの丑松・三千歳・河内山宗俊である。
 「天保六花撰」と「河内山宗俊」いう言葉が頭にひっかかり少し調べてみて、なるほどと思った。講談という芸能分野で、明治初年に二代目松林伯圓が、実録本『河内山実伝』をネタ本にして、六歌仙にちなみ6人の悪党が活躍する世話講談を『天保六花撰』と題して創作したという。この世話講談を明治14年(1881)に河竹黙阿弥が歌舞伎世話物に脚色し、「天衣紛上野初花(クモニマゴウウエノハツハナ)」という演目にした。こういう背景があったのだ。『河内山実伝:今古実録巻』という本が、国立国会図書館のサイトで閲覧できる。

 つまり、本作『天保悪党伝』は、「天保六花撰」を題材にした藤沢流の翻案創作であり、和歌でいうなら本歌取りという形でのフィクションといえるだろう。
 余談だが、ウィキペディアを読むと、次の作家たちも「天保六花撰」を題材に作品を創作している。
『河内山宗俊』子母沢寛(1951年)/『すっ飛び駕』子母沢寛(1952年)
『河内山宗俊 ふところ思案』島田一男(1954年)/『天保六道銭』村上元三(1955年)
『闇の顔役』島田一男(1970年)/『河内山宗俊 御数寄屋太平記』広瀬仁紀(1994年)
『贋作天保六花撰』北原亞以子(1997年)

 まず天保という時代を押さえておこう。天保元年は1830年。第11代将軍家斉の末期で、1837年に徳川家慶が第12代を継承する。1833年から1839年にかけては天保の大飢饉が発生し、将軍の代変わりの1837年には大坂で大塩平八郎の乱が起こっている。その少し前、1834年2月、江戸では大火が発生し、1838年4月にも再び江戸は大火に見舞われる。同年5月には江戸で奢侈禁令が発布され、1841年5月、天保の改革が始まる。天下泰平の世は爛熟に至り、一方飢饉や江戸大火で、世の歪みが大きくなってきている。そんな時代を背景とした時代小説である。

 悪党というのは、「悪人。[一人についても、おおぜいについても言う]」(新明解国語辞典・三省堂)と説明されている。ここでは6人出てくるのでおおぜいの意味での悪党になる。悪人という言葉の対語は善人になるのだろう。悪人とは? これにも悪辣非道な極悪人から、善人面した悪人、さらに世に言う義賊まで、悪人にも様々な幅がある。ここに出てくる天保の悪党はどうだろうか? その日の生活に明け暮れる江戸の一般庶民にとっては、悪党として怯える側面を感じるとしても、江戸の世間話の渦中にはいれば、その悪ぶりに喝采するという気分をも抱く存在なのではないか。そんな悪党列伝のように感じる。心底から憎むべき悪人と感じさせない生き様がここに登場する悪党のおもしろいところ。
 松林伯圓が創作した「天保六花撰」に登場する悪人自身の内容を知らないので、本作の悪党の所業との比較のしようがない。だが、この短編連作で構成されていく悪党たちはそれぞれに悪行の有り様が異なる。そのバリエーションが読み手を惹きつける。。一方で彼らの人間関係が繋がり、相互の関係が広がっていくところもおもしろい。

 各編毎に何を扱っているかと多少の読後印象をご紹介する。

<蚊喰鳥 天保六花撰ノ内・直侍>
 片岡直次郞は80俵取り御鳥見の御家人だが将軍家の御狩場巡視の勤めを放り出し、吉原の妓楼大口屋の花魁三千歳の許に通う金を稼ぎたいために博奕に耽っている。勿論、ままならない。大河内宗俊に協力し松江の18万石松平出雲守の屋敷に出向いて、一芝居打ち、一人の娘を救出するという顛末譚と、直侍が吉原から花魁三千歳を逃げ出させる挙に及びその後始末の顛末譚が中心となる、この後始末に森田屋が絡んでくることに。
 タイトルの蚊喰鳥とは、蝙蝠(コウモリ)のこと。子供たちが細い竹竿を振り回し蝙蝠を追う様子を見て、「いまおれは、追う方ではなく追われる蚊喰鳥の方だなと直次郞は思った」(p53)と著者は記す。状況に流されるプロセスでの直次郞の行為が悪なのだ。

<闇のつぶて 天保六花撰ノ内・金子市>
 金子市之丞は鳥越川の甚内橋を南に渡った猿屋町に貸し道場を借りて神道無念流の看板を掲げている。市之丞もまた、花魁三千歳の許に通う一人。そのための資金づくりに、辻斬り行為を行う悪党。その金子の行為を丑松は目撃する。そして金子に近づき、己の妹お玉を探し出す話に協力するように持ちかける。岡っ引で女郎屋を営み、裏では賭場の胴元をしている五斗米市兵衛が妹を何処へか売ったと丑松は言う。金子はこの一件に協力する。
 また、丑松が河内山から得たネタで遠州屋をゆする仕事に金子は加担する。それが献残屋を営む森田屋清蔵を知る機会となる。
 辻斬りをする金子も悪党だが、彼が関わる悪行の相手側もまた、悪党ばかりというところが、おもしろい。読み進めていると、悪党たちの相対化という視点と心理が動き出してしまう。悪とは何か?
 タイトル「闇のつぶて」は、森田屋が金子に告げた一言をさす。お楽しみに。

<赤い狐 天保六花撰ノ内・森田屋>
 森田屋清蔵が、人知れず付きまとう男を煙に巻こうとする行動の描写から始まる。森田屋は金子市之丞の道場に出向く。森田屋は本庄藩藩主の氏家志摩守にひと泡吹かせるために、金子の助力を頼みに来た。前金5両。成功報酬10両と言う。金子はこの依頼に乗る。
 森田屋は、本庄藩江戸家老の小保内に、元値3000両で、七梱(コリ)の抜け荷の取引を交渉した。この時、本庄藩は東叡山御普請お手伝いの費用を捻出する必要に迫られていた。森田屋はこの取引で十分に賄え、お釣りがくる位だと保証する。この取引を仕掛けた背景には、森田屋自身の過去に恨みの原因があった。タイトル「赤い狐」は原因に関係する。
 因果関係を考えると、悪党を生み出すのは何なのか、悪とは何か、に戻っていく。
 このループ、様々な事象に共通して存在している気がしてならない。

<泣き虫小僧 天保六花撰ノ内・くらやみの丑松>
 丑松が料理人であることがこの短編で初めてわかる。河内山の賭場で3両ちょっとすった丑松は、河内山の紹介を受け、花垣の料理場に勤め始める。花垣の内情がわかるにつれ、丑松はおかみさんは地獄の中に居ると感じるようになる。その原因は政次郎という客だった。本作は花垣の顛末譚である。丑松に頼まれて、金子市之丞が助っ人となる。助っ人料に対する二人の駆け引きとその推移が興味深い。
 悪党の丑松が、さらに上を行く悪党に対峙するストーリー。ここにも悪の相対化が見られる。
 読者としては、結末に、ほんの少し安堵する心が動くことだろう。着地点が良い。
 くらやみの丑松と通称されているのに、タイトルがなぜ「泣き虫小僧」なのか。それは読んでのお楽しみに・・・・・。

<三千歳たそがれ 天保六花撰ノ内・三千歳>
 ここまでの短編連作の中で、花魁三千歳が3つの短編の各主人公との関係で点描されてきている。だがここで、三千歳自身が悪党の一人に加わることになる。
 片岡直次郞と金子市之丞は、三千歳の許に通った。直次郞に連れられて吉原を逃げるということもした。その後、吉原に舞い戻るという経緯を経る。結果的に三千歳は直次郞に貢ぐ形の関係だった。直次郞が間夫的存在に過ぎなくなって行くとさすがに愛想をつかす。そして金子との関係が深まるが、こちらもやがて三千歳が貢ぐ形の関係になっていく。そこに三千歳の本性的な業があるのだろう。花魁としては損な性格である。異なるのは森田屋清蔵との関係だけ。
 ならば、なぜここで悪党に列するのか。それは三千歳が河内山からの依頼を引き受ける羽目になることによる。水戸藩で行われているという影富が事実かどうかの一端を客の一人である水戸藩の家臣、比企東左衛門から聞き出すという役割を三千歳が担ったことによる。私にはそれしか理由を読みとれない。
 この短編、悪党伝の中では、少し異色。一番哀しいストーリー。三千歳あわれ・・・・。

<悪党の秋 天保六花撰ノ内・河内山宗俊>
 河内山宗俊は、御三家の一つ水戸藩が小石川屋敷で行っている影富の証拠をつかみ、それをもとにゆすりの計画を立てる。江戸を離れていた森田屋清蔵が、己の思惑と違う局面が生まれていたので、戻ってきていた。河内山宗俊のゆすりの計画に加担する。
 本作はこの水戸藩の影富についてのゆすりの顛末譚が主題になっている。
 それとパラレルに、森田屋清蔵が己に課した後始末の人助け譚が描かれる。そこに金子が登場するところが妙味である。
 河内山宗俊の水戸藩ゆすりには形として成功する。だが、思わぬオチが待ち受けている。このオチは「悪」という視点ではどう考えればよいのだろうか。著者は興味深い投げかけをしているような気がするのだが・・・・。ここにも、悪の相対化という視点が蠢いているように私は思う。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
天保六花撰  :「コトバンク」
天保六花撰  :ウィキペディア
河内山実伝:今古実録巻1,2 栄泉社 :「国立国会図書館」
河内山宗春   :ウィキペディア
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『早春 その他』  藤沢周平  文春文庫

2024-02-26 20:51:10 | 藤沢周平
 スローなペースで読み継いでいる作家の一人。「オール讀物」「文學界」ほかに発表された短編3作、それに随筆など4つが収録されている。手許にあるのは2002年2月第1刷の文庫本。はや20年余前の出版となる。
 文庫のタイトルは収録短編の3番目のタイトルに由来する。あれっと思ったのは、この「早春」が現代小説であること。本書で著者の現代小説を初めて読むことになったと思う。最初の2作は時代小説である。

 さて、読後印象を作品ごとに書きとめてみたい。

<深い霧>
 冒頭は「原口慎蔵には、長く忘れていたあとで、ふと思い出すといった性質の、格別の記憶がひとつある」という一文。それは、2,3歳の頃に、見るべきではない情景を見てしまったようなおそれを感じた記憶である。その記憶は、母の弟で慎蔵にとっては叔父にあたる塚本権之丞に関わっていた。権之丞は他国で討たれ、塚本家は絶家となった。この件は藩内では語ることが避けられてきた。慎蔵には深い霧に包まれた謎だった。
 三人目の討手とうわさのあった人物が御奏者になるために江戸から国勤めになるということと、塚本の縁者は心配いらぬのかという会話を、慎蔵は道場の廊下を歩いていて耳にした。事件から18.9年が経っている。
 これがトリガーとなり、慎蔵は叔父の権之丞が討たれた事実の原因究明を密かに始める。藩内に存在する派閥争いの過去、封じ込まれていた秘事を暴くことになる。
 純粋に真相を知りたいという慎蔵の一途な行動が浄化につながるところが良い。
 慎蔵の心の隅にわだかまっていたものは霧散したことだろう。最後の一文がそれを象徴している。

<野菊守り>
 斎部五郎助は代代御兵具方を勤める家禄三十石の下級武士。若い頃に無外流を修得し、試合で五人抜きをしたことがある。それを記憶する中老の寺崎半左衛門が、五郎助を見込み、藩の揉め事に関連する事態について語り、菊という女子の護衛を密かに命じた。日常の勤めを平常通り行いつつ、護衛の任務につけと言う。いわば、証人を守るための、よもやと思わせる目くらましである。五郎助は従わざるを得ない。
 日常の勤めの傍ら、それ以外の時間、五郎助は寺崎の設けた隠れ家で菊の護衛を始める。側用人の与田さまが帰国されるまでの期間である。やはり危機は訪れる。
 一方、護衛の間に、五郎助は菊の人柄に接することにもなる。
 お家騒動に発展しそうな揉め事を、証人の保護という一点に絞り込んだ局面を描く。そこに、斎部家の本家と分家の問題を重ねていく。五郎助の心境の変化を捕らえた一編である。冒頭に記された五郎助が自覚し始めていた冷笑癖は、たぶんもう消滅したことだろう。後味がいいエンディングだ。

<早春>
 5年前に病気の妻を亡くし、職場では今や窓際族。建売り住宅のローン支払いは定年退職までには返済見込み。息子は地方の大学を出て、そのまま地元の企業に就職し結婚して、ほぼ音沙汰なし。24歳の一人娘華江は、妻子のいる男が離婚した後に、彼との結婚を決意している。娘は岡村の気持など考えていない。自宅には午前2時に繰り返し無言電話がかかってくる。そんな環境で生きる初老のサラリーマン、岡村が主人公。
 ごく普通の家庭的な味に飢えている岡村は和風スナック「きよ子」の常連客になっている。ママのきよ子との話の一時が大きな気晴らし。そのスナック「きよ子」もビルの建て替えで、立ち退き話が進んでいる。
 岡村の日常を成り立たせている様々な局面を織り上げて、岡村の人生の今を描き出す一編。
 孤老という悲哀。岡村のやるせなさがズシンと伝わってくる。ありそうな情景・・・・か。
 最後は、午前2時にかかってきた電話への岡村の応対で終わる。そこに岡村の思いが集約されていると感じる。

 この後、「随筆など」の見出しを中仕切りにして4つの文が収録されている。

<小説の中の事実 両者の微妙な関係について>
 著者が己の作品を事例にして、小説の中の事実とは何かについて書き込んでいる。
 小説の中での事実とは何かである。冒頭で「そのつき合方は多種多様で、事実というのは実に微妙なものだと嘆息することが多い」と記すことから始まる。
 著者は歌人長塚節について書いた小説「白い瓶」、「天保悪党伝」、「蝉しぐれ」「幻にあらず」「春秋山伏記」を題材にして、事実に関して微妙な関係を語る。
 文筆活動の舞台裏が垣間見えるという点でも興味深い。一読をお勧めしたい。

<遠くて近い人>
 「司馬さんにお会いしたのは、ただ一度だけである」という書きだしから始まる。わずか5ページの随筆である。著者が司馬さんの作品について、思いを語っているところが参考になるとともに、両者の距離感がいささか感じられて興味深い。

<たった一度のアーサー・ケネディ>
 アーサー・ケネディがどのような俳優か知らないので、読んでいてもイメージできなかった。だが、主役とわき役との関係を、この人を例にして論じている内容そのものはなるほどである。俳優のもつ存在感。

<碑が建つ話>
 文学碑というものの意味合いについて、著者の思いが綴られている。「物を書く人間にとっては書いたものがすべてで、余計なものはいらない」(p188)という己の思いと、碑を建てようと思う人々の思い、「説明のつけがたいある感情を実現するため」(p188)の行為。その両面を見つめていく一文である。末尾を、藤沢周平の碑が建つらしいということに対して、「時には私ほどしああせな者はいまいと思ったり、複雑な気持で眺めているところである」(p190)としめくくている。
 ここまで書いて、調べてみると、「藤沢周平先生記念碑」というのが湯田川小学校に建立されていることを知った。他にも碑等が設けられていることも知った。


 ご一読ありがとうございます。


補遺
藤沢周平先生記念碑  :「やまがたへの旅」
藤沢周平生誕の地碑  :「じゃらん」
藤沢周平 その作品とゆかりの地 案内板  :「つるおか観光ナビ」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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『秘太刀馬の骨』  藤沢周平  文春文庫

2023-12-05 21:19:45 | 藤沢周平
 ゆっくりとしたペースで、藤沢作品を読み継いでいる。本書は1992年12月に単行本が刊行され、1995年11月に文庫化されている。31年前の作品だが色褪せてはいない。
 ネット検索してみると、2005年にNHKでテレビドラマ化されている。DVD化もされている。

 この作品のメインストーリーの建前は、秘太刀「馬の骨」の使い手が誰かを探索し究明するという時代推理小説である。本音はなぜ執拗にその使い手を探さねばならないかという疑問が背後に控えている。その推理に突き進んでいくという二重構造になっている。

 さて「馬の骨」である。北国の藩で、6年前に筆頭家老望月四郎右衛門隆安の暗殺事件が起きた。派閥の長であり、対立する派閥杉原派を圧倒する勢いを示している最中でのことだった。その死体の傷口を大目付の笠松六左衛門が検分して、「馬の骨」とつぶやいたという。望月家は藩草創以来の名門だったが、三ヵ条の理由を挙げて取り潰しとなった。
 その大派閥望月派を継いで家老の小出帯刀が頭領となっている。前筆頭家老、杉原は大病を患い、一旦引き下がり派閥が一時衰えていた。だが病気が快方に向かい、杉原派が再び力を取り戻しつつある状況となってきた。あれから6年、状況が動き出している。
 小出派に属し、帯刀の引きで、万年御書院目付だった浅沼家から浅沼半十郎は去年、近習頭取に取り立てられていた。半十郎は若い頃に鍛錬し剣術の腕が立つ。半十郎は家老屋敷に呼び出された。帯刀は近頃望月を暗殺したのは小出帯刀ではないかとの噂が出ていると言う。それで「馬の骨」の使い手の究明をしたいのだと。その探索を半十郎に手伝えと言う。半十郎は一、二度、「馬の骨」ということを耳にしたことがあった。「馬の骨」は御馬乗り役の矢野家に伝わる秘太刀と言われていること。矢野家には稽古所があり、剣術の指南もしていることを。
 帯刀は、江戸から甥の石橋銀治郎を呼び寄せていて、銀治郎に秘太刀の使い手を探させる。銀治郎の探索の案内と世話をしながら、探索の成り行きを見守って欲しいという指示を半十郎にしたのだった。
 ここからストーリーが始まっていく。
 
 秘太刀「馬の骨」の使い手を探索究明するというプロセスはまさに推理小説と同じアプローチになる。ただし、推理を押し進めていくプロセスで大きく異なるところがある。
 秘太刀の使い手を絞り込み対象者を推理するのは当然のことだが、本当に使い手であるかどうかを知るために、銀治郎が対象者に木刀での試合を申込み、試合の場に相手を引き出し、勝負をした上で、真に使い手であるかどうか判断するという方法をとる。
 半十郎は、試合の対象者となる藩士との最初の折衝役並びに試合での立会人になることで、この探索に関わって行く。銀治郎と試合結果の判断を共有しながらも、一方でこの秘太刀「馬の骨」を執拗に究明することに疑問を抱く。そして一歩突っ込んで小出帯刀の真意は何かに関心を深めていく。その解明のプロセスが半十郎の生き様に関わっていくことになる。銀治郎の世話をすることが、半十郎には徐々に疎ましくなっていく・・・・。

 このストーリー、銀治郎が対象者と試合を重ねて、剣術の腕を判断していくプロセスの積み上げとなる。如何にして試合を承諾させるか、銀治郎の行うの手練手管が興味深い。一試合で、一つの章が一区切りとなる構成が主体になるので、いわば、文庫本で306ページという長編小説は、筋を通しながら短編小説を巧みに数珠つなぎにリンクさせていく形になっている。おもしろい試みと思う。
 
 「馬の骨」の使い手探索をメインストーリーの経糸とすれば、いくつかの緯糸が組み込まれていて、ストーリーに奥行きと広がりを加えている。
 1つは、小出帯刀派と、再び力を結集し擡頭の機会を狙う派閥・杉原派とのせめぎ合いを伏流として織り込んでいく。ここに、半十郎の妻杉江の兄であり、義兄にあたる谷村新兵衛の立ち位置と迷いが、いわば一つの事例となっていく。いずこにもどの時代にもありそうな話である。
 2つめは、浅沼半十郎の家庭内問題がサブ・ストーリーとして、パラレルに進行していく。半十郎と杉江は、男と女の2子を授かったのだが長男が急逝した。それが契機となり、杉江は心の病気に陥った。回復傾向を見せつつも、悩ましい状況が続いている。家に帰れば、半十郎は妻の杉江に対応しなければならない。義兄の新兵衛は時折、半十郎に妹の病気の状況を尋ねることを繰り返す。読者にとっては、全く次元の異なる内容が挟み込まれていくことで、半十郎という男に一層関心を抱くようになっていく。その成り行きに興味津々とならざるを得ない。
 3つめは、このような状況の中で、藩主が江戸から帰国するという時期が迫ってきている。半十郎にも藩主の考えに関わる断片的な噂も漏れ聞こえてくる。

 メインストーリーの結末は、結局一部の人間だけが事実を胸中奥深くにしまい込み、現象面での建前づくりは別として、真実は闇の中に閉じ込められてしまうのだろう。一方、半十郎の家庭内問題は読者をほっとさせるエンディングとなる。一気読みしてしまった。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
時代劇シリーズ 「秘太刀 馬の骨」 :「NHK」

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『花のあと』    文春文庫
『夜消える』    文春文庫
『日暮れ竹河岸』  文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
                       2022年12月現在 12冊
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『花のあと』  藤沢周平  文春文庫

2023-07-13 16:33:57 | 藤沢周平
 ゆっくりとしたペースで、藤沢周平作品を読み継いでいる。本書は8篇を収録した短篇集。昭和49~60年の期間に各種雑誌に発表され、昭和60年(1985)11月に単行本が刊行された。1989年3月に文庫化されている。
 本書の末尾に、「花のあと-以登女お物語」が収録されている。本書のタイトルはこの短篇に由来する。

 武士、商人、町人等様々な人々の日常生活、人生の一側面に著者の眼差しが注がれ、あざやかに人物が抽出され描き出されている。

 各篇を読後印象を交え、簡略にご紹介しよう。
<鬼ごっこ>
 盗っ人稼業を切り上げて10年ほどになる吉兵衛は、裏店のおやえの家を訪れようとして異変に気づく。話をかわした職人におやえが殺されたと聞く。その職人に質問され、祈祷師の南岳坊を訪ねて来たと誤魔化してその場を立ち去った。吉兵衛は19歳のおやえを身請けして裏店に住まわせたのだ。事件後に、南岳坊を訪ねて、さりげなくおやえの死について吉兵衛は聞き出した。吉兵衛はおやえを殺した犯人を独自に探索し報復するという顛末譚。吉兵衛の昔の稼業の勘と経験が活かされるところがミソである。過去の鬼が今の鬼を捕まえるという話。

<雪間草>
 尼寺鳳光院の尼僧松仙は、俗名を松江と言い、服部吉兵衛に嫁ぐ寸前に黒金藩藩主信濃野守勝統の側妾に召されてしまった。信濃守が内室と死別する頃に、松江は信濃守の寵をほしいいままにしていた。信濃守は18万石仙波藩から康姫を妻に迎え入れた。松江は仏門に入る。
 松仙の許に、勘定組谷村新左衛門が訪れ、服部吉兵衛が罪を得て国送りになって戻って来たことを告げる。松仙は大目付の寺井権十郎を訪ね、罪の理由を探る。その上で、江戸に赴き、吉兵衛の助命について、信濃守に直談判する行動に出る。その顛末譚である。
 松仙が、側室だった時代の憤懣を遂に爆発させ、彼女の強さを発揮する行動力がおもしろい。そこには、十数年前の黒金藩の禁令違反問題が絡んでいた。
 「足は疲れていたが、松仙の気持は軽かった」という末尾の一文に集約されていく。その余韻がいい。

<寒い灯>
 職人の清太と所帯をもったおせんは義母との関係が悪化し家を飛び出した。料理茶屋小松屋に勤めていて、清太から去り状を欲しいと思っている。だが、清太のいくじないほどのひとに対するやさしさに気持をひきつけられてもいる。
 逃げた女房のところに、清太は風邪を引き苦しむ母親の看病への助けを求めて来た。
 翌日、おせんは小松屋から一日の暇をもらい、義母の世話をしにでかけることに・・・・。その一日を描き出す。小松屋に戻る途中、喜三郎の顔を見つけたことで、おせんは思わぬ事態を知ることに・・・・。
 人を頼りにするという心、頼り頼られる人間関係に焦点が当てられていく。
 人生の岐路にたつと人の心は、様々な要因と思いが絡み合って総合され統合され、瞬間的に切り替わっていくのではないか・・・そんな思いを抱かせる短篇である。

<疑惑>
 文政10年7月3日の夜、浅草阿部川町にある蝋燭商河内屋に賊が入る。主人の庄兵衛を刺殺。女房おるいを縛り上げ、賊は金を奪い、逃走した。翌日夕刻、もと河内屋の養子で3年前に勘当されていて、前科があり無職の鉄之助が犯人として捕らえられた。
 鉄之助は、開けておいてもらった裏木戸から入り、義母のおるいに金をもらっただけだと主張していた。
 定町廻り同心笠戸孫十郎は、鉄之助を犯人と決めつけることに疑念を抱く。
 先入観の怖さが描き出されていく。孫十郎は妻の保乃と交わした会話から犯人解明のヒントを得る。思考の盲点をうまく捕らえたストーリー展開が巧妙である。

<旅の誘い>
 歌川広重の「東海道五十三次」は保永堂から刊行された。この五十三次を広重が描き継いでいるときに、保永堂竹内孫八が別件の依頼で広重宅を訪れた。広重の家は八代洲河岸の定火消屋敷にある。
 保永堂は広重の絵描きの本質が、そこにある風景をそのまま写そうとする風景描きにあると捉えていた。この保永堂と広重の関わりが主題になっている。そして、保永堂は、広重に木曾街道の風景を描いてほしいと方向付けていく。
 浮世絵の版元と絵師の関係がやはり興味深い。ショート・アート・ストーリーである。アート・ストーリーに関心を寄せているので、本書で広重のストーリーと出会えて、楽しくかつ興味深く読んだ。

<冬の日>
 清次郎は、子供の頃、浅草の西仲町の裏店に母子二人で住まいをしていた。当時清次郎の母は但馬屋という雪駄問屋から内職仕事をもらって、清次郎と糊口を凌いでいた。子供の頃、清次郎は但馬屋での雑用を手伝ってもいた。清次郎の人生と但馬屋の一人娘おいしの人生。ふたりの人生は出会い、すれ違う。別々の人生はその後変転する。そして偶然の出会い。その出会いが因となり、幼き頃に清次郎の心に刻まれた記憶が新たな人生の一歩への契機になる。このストーリーは、偶然の出会いの場面描写から始まる。
 苦を乗り越えた後の穏やかな人生の始まりを予感させる印象を受けた。余韻がいい。

<悪癖>
 勘定方4人は、女鹿川改修工事の掛り費用報告書作成を短期集中で行うよう奉行から命じられた。4人はその仕事をやり遂げる。急がされたのは、15年前に行なわれた女鹿川改修工事の掛り費用報告書に不審点、不正がないかを調査する目的があったからだ。派閥がらみの不正の有無が報告書に潜んでいるか問われていた。この調べの結果は藩政を揺るがしかねない。
 奉行たち自身が調べたが不正の有無を見抜けない。そこで、勘定方4人の内の一人、渋谷平助が報告書の分析、不正の摘出を命じられることになる。平助は使命を完遂する。最後に彼の悪癖が出てくることが、この話のオチとなり、ユーモラスでおもしろい。悪癖が多分彼の出世の足を引っ張ることになる。
 この短篇の読後印象は、仕事の本筋でない側面が、人の出世を阻害する要因になるということも、世の中ありそうだなぁ・・・・というところ。

<花のあと-以登女(いとじょ)お物語- >
この短篇、4つのセクションで構成され。各セクションの初めには、まず語り部の女性が、祖母のことを語るという形になっていて、各導入部分が話言葉で記述されていく。その話の内容自体は地の文として続けられる。
 祖母とは以登(いと)をさす。50年前、以登が18歳のときのことから語られる。それは、お城の二の丸の門を入った、二の丸の濠ぞいの桜見物に絡んでいた。以登は当時、夕雲流の修練に凝っていた。堀端で羽賀道場の江口孫四郎に声を掛けられた。江口は過日以登が羽賀道場の面々に勝ったことに触れた。
 後日、以登は自宅の畑の一角に設けられた稽古場で、父の立ち合いのもと、江口と試合を行うことになる。以登は江口に負けた。父は子供同然にやられたと評した。以登は婿となる男が決まっていたので、江口には二度と会ってはならぬと厳命される。江口にも縁組話が進んでいると父が付け加えた。これが以登の生涯ただ一度の恋になる。
 以登は友人の津勢から、江口の縁組相手が加世であると知る。加世は300石の奏者の家柄の娘であったが、男関係の噂があった。
 2年後に、江口孫四郎は自裁した。以登はその原因究明をめざす。以登の許嫁である才助が協力するという展開になる。
 このストーリー、以登のただ一度の恋が、いわば江口の仇討ちという結果を生むのだからおもしろい。加えて、才助の人物像が最後に語られるというオチが付いている。
 この短篇、著者は楽しみながら執筆していたのではないだろうか。そんな気がする。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『夜消える』    文春文庫
『日暮れ竹河岸』  文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
                  2022年12月現在 12冊
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