先月(10月)、『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』の読後印象をご紹介した。
その際、見過ごしていると触れた本書を読んだ。この『采女の怨霊』が小余綾(コユルギ)俊輔シリーズの第2弾。書下ろし作品として2021年11月に単行本が刊行され、2024年7月に文庫化された。
こちらは文庫の表紙カバー
年に数回、何十年と奈良国立博物館の特別展を鑑賞に出かけるたびに「采女神社」を横目に眺めながら、興福寺の境内を通り抜けて往来してきた。猿沢池の畔に、小規模な境内地の「采女神社」がある。猿沢池に背を向ける形で一間社流造の社殿が西面し鎮座する
池辺には、采女神社にまつわる伝承の案内板が設置されている。中秋の名月の夜に、猿沢池に身を投げて死んだ采女(女官)がいた。その霊を祀るのがこの采女神社という。私は見たことがないのだが、中秋の名月の夜に、「采女祭」という祭礼が連綿と行われている。采女神社は春日大社の境外末社の一つである。
この采女神社について主人公の加藤橙子が抱いた疑問がストーリーの核になる。
繰り返し采女神社を眺めてきているのに、私には橙子が抱いた疑問を発想したことがなかった。フィクションといえども、頭にガツンという感じ!! それゆえ、一層惹きつけられてこのストーリーをおもしろく読め、楽しめた。歴史研究者の学会という枠にとらわれない、学際的な視点と自由な発想で日本の古代史を眺め直すというひと時に導かれることになった。天智天皇、大友皇子、天武天皇に絡む壬申の乱の時代へと。
フリーの編集者である加藤橙子は、9月11日(木)、中秋の名月の日に、京都で歴史作家の三郷美波と打ち合わせを終えた後、三郷から古都の名月を眺めてから東京に帰えればと助言された。京都駅で、春日大社の社殿と「采女祭」のPRポスターを目にとめ、橙子は奈良の猿沢池に行くことを決めた。奈良への移動中に、車中で予備知識として関連事項を調べなっがらいく。猿沢池傍の采女神社をまず拝観し、軽く食事を済ませた後、華やかさを見せる「花扇奉納行列」、采女神社での「花扇奉納神事」、最後に須沢池に浮かべた龍頭鷁首の船に花扇を載せて行われる「管弦船の儀」を見物する。橙子は采女祭の進行する途中から、何かがおかしいという、根源的な違和感を抱く。これがこのストーリーの発端となる。
9月12日(金)、その違和感を突き止めたいという動機から、小余綾助教授に連絡をとるのだが不在。母校・日枝山王大学図書館を利用して、大元の春日大社から始め采女へとリサーチを進める。疑問は解消しない。そこで、再度奈良に出向こうと決心する。
図書館からの帰路、橙子は偶然にも歴史学研究室の堀越誠也の姿を見かけて、声をかける。そこで橙子は、以前に小余綾先生から「春日大社は、本当に藤原氏を祀るためだけの神社なのだろうか」と言われたことと、橙子自身が壬申の乱について知りたいと堀越に告げる。堀越が明日から一泊二日の予定で奈良に行くことを聞き、橙子は日帰りで奈良に行くつもりだったと告げる。その結果、堀越に明日一日同行する形での奈良行が了解される。
読者にとっては、橙子の最初のリサーチ・プロセスが基礎的な情報をインプットする第一段階となる。
9月13日(土)、現地探訪、調査が始まっていく。
奈良へ行く道中で堀越と橙子は橙子の要望に絡んだ会話で時を過ごす。これは第二段階として壬申の乱についての知識準備となっていく。第三段階は、堀越と橙子が探訪する現地での情報となる。そのプロセスは、疑問が広がり、深まることにもなるのだが・・・。そこが、歴史好きの読者には、いい刺激になることと思う。
このストーリーはフィクションだが、堀越と橙子の会話には、文献学的な裏付けのある知識情報や研究者たちの見解、架設などが次々と出てくる。実に興味深い。古代史学習の一環にもなる。
13日は、興福寺まで同行した後、橙子は談山神社に向かう堀越とは別れる。この後、橙子は目的地を巡る。疑問は解けず、橙子は東京に帰る予定を変更して京都に宿泊する。堀越にコンタクトをとり、14日(日)も堀越に同行する許可を得る。
結果的にこの2日間の橙子の行動は、堀越に同行する箇所を含めて、奈良と滋賀の史跡巡りになる。別の視点で見れば、読者にとっては結構ディープな観光案内の知識を得ることにもなっていく。ガイドブック代わりにもなる小説である。
では、この2日間、どこを探訪し調査することになるのか。抽出してみよう。
奈良:采女神社、興福寺、春日大社、若宮神社、水谷九社、今三門町(説明版)
談山神社、
滋賀:石山寺、石山寺境内の若宮、三井寺、新羅善神堂、弘文天皇稜 長等山前稜
近江大津京錦織遺跡、
9月15日(月)、橙子と堀越は、四ツ谷駅から少し離れた裏通りにある台湾料理店で、小余綾俊輔と待ち合わせる。食事をしながら、橙子の疑問並びに堀越の問題意識からの疑問を小余綾に問いかける場となっていく。小余綾との会話の中で、次々に疑問が氷塊していくという次第。民俗学の分野で研究し、研究のためには学問領域の境界などは存在しないという研究スタンスの小余綾助教授は、二人の疑問を解く形で、己の仮説を語っていく。 最後に小余綾俊輔の私的講義が聞けるという次第。
日本の古代史は謎に満ちている!
小余綾による『日本書紀』等の資料の分析と解釈は、隠された謎の世界の扉を開けていく。学校の歴史の授業じゃ絶対に出てこない。興味津々、引き込まれていくことになる。
ご一読ありがとうございます。
補遺
猿沢池 :ウィキペディア
中秋の名月の例祭。采女祭/采女神社(春日大社末社):「奈良市観光協会」
采女神社(春日大社末社) :「なら旅ネット」
中秋の名月「采女祭」行事 YouTube 奈良観光協会
うねめの里「片平町」 伝説うねめ物語 :「郡山市」
采女神社(郡山市) :ウィキペディア
元興寺 ホームページ
ならまち情報サイト ホームページ
観光スポット
南門から若宮へ :「春日大社」
若宮十五社めぐり :「春日大社」
石山寺を歩く13-秘密だらけの若宮 :「あるがままの自分を取り戻す」
本朝四箇大寺 三井寺 ホームページ
閼伽井屋 三井寺 :「大津歴まち百科」
新羅善神堂 :「大津歴まち百科」
弘文天皇稜 :「滋賀・びわ湖 観光情報」
新近江名所圖会 第186回 悲運の皇子 大友皇子の陵墓 -弘文天皇長等山前陵-
:「ヨミモノ シガブンシガブン 滋賀県文化財保護協会」
天智天皇 大津の歴史事典 :「大津歴史博物館」
大友皇子 大津の歴史事典 :「大津歴史博物館」
天武天皇 :「奈良県歴史文化資源データベース いかす なら」
壬申の乱 :「関ヶ原町歴史民俗学習館」
壬申の乱と古代の伊賀・伊勢 :「歴史の情報」(三重県)
壬申の乱(現代語訳) この町の物語 :「久留倍官衙跡公園」(四日市市」
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』 新潮社
「遊心逍遙記」に掲載した<高田崇史>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 25冊掲載
その際、見過ごしていると触れた本書を読んだ。この『采女の怨霊』が小余綾(コユルギ)俊輔シリーズの第2弾。書下ろし作品として2021年11月に単行本が刊行され、2024年7月に文庫化された。
こちらは文庫の表紙カバー
年に数回、何十年と奈良国立博物館の特別展を鑑賞に出かけるたびに「采女神社」を横目に眺めながら、興福寺の境内を通り抜けて往来してきた。猿沢池の畔に、小規模な境内地の「采女神社」がある。猿沢池に背を向ける形で一間社流造の社殿が西面し鎮座する
池辺には、采女神社にまつわる伝承の案内板が設置されている。中秋の名月の夜に、猿沢池に身を投げて死んだ采女(女官)がいた。その霊を祀るのがこの采女神社という。私は見たことがないのだが、中秋の名月の夜に、「采女祭」という祭礼が連綿と行われている。采女神社は春日大社の境外末社の一つである。
この采女神社について主人公の加藤橙子が抱いた疑問がストーリーの核になる。
繰り返し采女神社を眺めてきているのに、私には橙子が抱いた疑問を発想したことがなかった。フィクションといえども、頭にガツンという感じ!! それゆえ、一層惹きつけられてこのストーリーをおもしろく読め、楽しめた。歴史研究者の学会という枠にとらわれない、学際的な視点と自由な発想で日本の古代史を眺め直すというひと時に導かれることになった。天智天皇、大友皇子、天武天皇に絡む壬申の乱の時代へと。
フリーの編集者である加藤橙子は、9月11日(木)、中秋の名月の日に、京都で歴史作家の三郷美波と打ち合わせを終えた後、三郷から古都の名月を眺めてから東京に帰えればと助言された。京都駅で、春日大社の社殿と「采女祭」のPRポスターを目にとめ、橙子は奈良の猿沢池に行くことを決めた。奈良への移動中に、車中で予備知識として関連事項を調べなっがらいく。猿沢池傍の采女神社をまず拝観し、軽く食事を済ませた後、華やかさを見せる「花扇奉納行列」、采女神社での「花扇奉納神事」、最後に須沢池に浮かべた龍頭鷁首の船に花扇を載せて行われる「管弦船の儀」を見物する。橙子は采女祭の進行する途中から、何かがおかしいという、根源的な違和感を抱く。これがこのストーリーの発端となる。
9月12日(金)、その違和感を突き止めたいという動機から、小余綾助教授に連絡をとるのだが不在。母校・日枝山王大学図書館を利用して、大元の春日大社から始め采女へとリサーチを進める。疑問は解消しない。そこで、再度奈良に出向こうと決心する。
図書館からの帰路、橙子は偶然にも歴史学研究室の堀越誠也の姿を見かけて、声をかける。そこで橙子は、以前に小余綾先生から「春日大社は、本当に藤原氏を祀るためだけの神社なのだろうか」と言われたことと、橙子自身が壬申の乱について知りたいと堀越に告げる。堀越が明日から一泊二日の予定で奈良に行くことを聞き、橙子は日帰りで奈良に行くつもりだったと告げる。その結果、堀越に明日一日同行する形での奈良行が了解される。
読者にとっては、橙子の最初のリサーチ・プロセスが基礎的な情報をインプットする第一段階となる。
9月13日(土)、現地探訪、調査が始まっていく。
奈良へ行く道中で堀越と橙子は橙子の要望に絡んだ会話で時を過ごす。これは第二段階として壬申の乱についての知識準備となっていく。第三段階は、堀越と橙子が探訪する現地での情報となる。そのプロセスは、疑問が広がり、深まることにもなるのだが・・・。そこが、歴史好きの読者には、いい刺激になることと思う。
このストーリーはフィクションだが、堀越と橙子の会話には、文献学的な裏付けのある知識情報や研究者たちの見解、架設などが次々と出てくる。実に興味深い。古代史学習の一環にもなる。
13日は、興福寺まで同行した後、橙子は談山神社に向かう堀越とは別れる。この後、橙子は目的地を巡る。疑問は解けず、橙子は東京に帰る予定を変更して京都に宿泊する。堀越にコンタクトをとり、14日(日)も堀越に同行する許可を得る。
結果的にこの2日間の橙子の行動は、堀越に同行する箇所を含めて、奈良と滋賀の史跡巡りになる。別の視点で見れば、読者にとっては結構ディープな観光案内の知識を得ることにもなっていく。ガイドブック代わりにもなる小説である。
では、この2日間、どこを探訪し調査することになるのか。抽出してみよう。
奈良:采女神社、興福寺、春日大社、若宮神社、水谷九社、今三門町(説明版)
談山神社、
滋賀:石山寺、石山寺境内の若宮、三井寺、新羅善神堂、弘文天皇稜 長等山前稜
近江大津京錦織遺跡、
9月15日(月)、橙子と堀越は、四ツ谷駅から少し離れた裏通りにある台湾料理店で、小余綾俊輔と待ち合わせる。食事をしながら、橙子の疑問並びに堀越の問題意識からの疑問を小余綾に問いかける場となっていく。小余綾との会話の中で、次々に疑問が氷塊していくという次第。民俗学の分野で研究し、研究のためには学問領域の境界などは存在しないという研究スタンスの小余綾助教授は、二人の疑問を解く形で、己の仮説を語っていく。 最後に小余綾俊輔の私的講義が聞けるという次第。
日本の古代史は謎に満ちている!
小余綾による『日本書紀』等の資料の分析と解釈は、隠された謎の世界の扉を開けていく。学校の歴史の授業じゃ絶対に出てこない。興味津々、引き込まれていくことになる。
ご一読ありがとうございます。
補遺
猿沢池 :ウィキペディア
中秋の名月の例祭。采女祭/采女神社(春日大社末社):「奈良市観光協会」
采女神社(春日大社末社) :「なら旅ネット」
中秋の名月「采女祭」行事 YouTube 奈良観光協会
うねめの里「片平町」 伝説うねめ物語 :「郡山市」
采女神社(郡山市) :ウィキペディア
元興寺 ホームページ
ならまち情報サイト ホームページ
観光スポット
南門から若宮へ :「春日大社」
若宮十五社めぐり :「春日大社」
石山寺を歩く13-秘密だらけの若宮 :「あるがままの自分を取り戻す」
本朝四箇大寺 三井寺 ホームページ
閼伽井屋 三井寺 :「大津歴まち百科」
新羅善神堂 :「大津歴まち百科」
弘文天皇稜 :「滋賀・びわ湖 観光情報」
新近江名所圖会 第186回 悲運の皇子 大友皇子の陵墓 -弘文天皇長等山前陵-
:「ヨミモノ シガブンシガブン 滋賀県文化財保護協会」
天智天皇 大津の歴史事典 :「大津歴史博物館」
大友皇子 大津の歴史事典 :「大津歴史博物館」
天武天皇 :「奈良県歴史文化資源データベース いかす なら」
壬申の乱 :「関ヶ原町歴史民俗学習館」
壬申の乱と古代の伊賀・伊勢 :「歴史の情報」(三重県)
壬申の乱(現代語訳) この町の物語 :「久留倍官衙跡公園」(四日市市」
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その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』 新潮社
「遊心逍遙記」に掲載した<高田崇史>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 25冊掲載