遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『采女の怨霊 小余綾俊輔の不在講義』 高田崇史  新潮社

2024-11-11 11:43:00 | 高田崇史
 先月(10月)、『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』の読後印象をご紹介した。
 その際、見過ごしていると触れた本書を読んだ。この『采女の怨霊』が小余綾(コユルギ)俊輔シリーズの第2弾。書下ろし作品として2021年11月に単行本が刊行され、2024年7月に文庫化された。
  こちらは文庫の表紙カバー

 年に数回、何十年と奈良国立博物館の特別展を鑑賞に出かけるたびに「采女神社」を横目に眺めながら、興福寺の境内を通り抜けて往来してきた。猿沢池の畔に、小規模な境内地の「采女神社」がある。猿沢池に背を向ける形で一間社流造の社殿が西面し鎮座する
 池辺には、采女神社にまつわる伝承の案内板が設置されている。中秋の名月の夜に、猿沢池に身を投げて死んだ采女(女官)がいた。その霊を祀るのがこの采女神社という。私は見たことがないのだが、中秋の名月の夜に、「采女祭」という祭礼が連綿と行われている。采女神社は春日大社の境外末社の一つである。

 この采女神社について主人公の加藤橙子が抱いた疑問がストーリーの核になる。
 繰り返し采女神社を眺めてきているのに、私には橙子が抱いた疑問を発想したことがなかった。フィクションといえども、頭にガツンという感じ!! それゆえ、一層惹きつけられてこのストーリーをおもしろく読め、楽しめた。歴史研究者の学会という枠にとらわれない、学際的な視点と自由な発想で日本の古代史を眺め直すというひと時に導かれることになった。天智天皇、大友皇子、天武天皇に絡む壬申の乱の時代へと。

 フリーの編集者である加藤橙子は、9月11日(木)、中秋の名月の日に、京都で歴史作家の三郷美波と打ち合わせを終えた後、三郷から古都の名月を眺めてから東京に帰えればと助言された。京都駅で、春日大社の社殿と「采女祭」のPRポスターを目にとめ、橙子は奈良の猿沢池に行くことを決めた。奈良への移動中に、車中で予備知識として関連事項を調べなっがらいく。猿沢池傍の采女神社をまず拝観し、軽く食事を済ませた後、華やかさを見せる「花扇奉納行列」、采女神社での「花扇奉納神事」、最後に須沢池に浮かべた龍頭鷁首の船に花扇を載せて行われる「管弦船の儀」を見物する。橙子は采女祭の進行する途中から、何かがおかしいという、根源的な違和感を抱く。これがこのストーリーの発端となる。

 9月12日(金)、その違和感を突き止めたいという動機から、小余綾助教授に連絡をとるのだが不在。母校・日枝山王大学図書館を利用して、大元の春日大社から始め采女へとリサーチを進める。疑問は解消しない。そこで、再度奈良に出向こうと決心する。
 図書館からの帰路、橙子は偶然にも歴史学研究室の堀越誠也の姿を見かけて、声をかける。そこで橙子は、以前に小余綾先生から「春日大社は、本当に藤原氏を祀るためだけの神社なのだろうか」と言われたことと、橙子自身が壬申の乱について知りたいと堀越に告げる。堀越が明日から一泊二日の予定で奈良に行くことを聞き、橙子は日帰りで奈良に行くつもりだったと告げる。その結果、堀越に明日一日同行する形での奈良行が了解される。
 読者にとっては、橙子の最初のリサーチ・プロセスが基礎的な情報をインプットする第一段階となる。

 9月13日(土)、現地探訪、調査が始まっていく。
 奈良へ行く道中で堀越と橙子は橙子の要望に絡んだ会話で時を過ごす。これは第二段階として壬申の乱についての知識準備となっていく。第三段階は、堀越と橙子が探訪する現地での情報となる。そのプロセスは、疑問が広がり、深まることにもなるのだが・・・。そこが、歴史好きの読者には、いい刺激になることと思う。
 このストーリーはフィクションだが、堀越と橙子の会話には、文献学的な裏付けのある知識情報や研究者たちの見解、架設などが次々と出てくる。実に興味深い。古代史学習の一環にもなる。
 13日は、興福寺まで同行した後、橙子は談山神社に向かう堀越とは別れる。この後、橙子は目的地を巡る。疑問は解けず、橙子は東京に帰る予定を変更して京都に宿泊する。堀越にコンタクトをとり、14日(日)も堀越に同行する許可を得る。

 結果的にこの2日間の橙子の行動は、堀越に同行する箇所を含めて、奈良と滋賀の史跡巡りになる。別の視点で見れば、読者にとっては結構ディープな観光案内の知識を得ることにもなっていく。ガイドブック代わりにもなる小説である。
 では、この2日間、どこを探訪し調査することになるのか。抽出してみよう。
  奈良:采女神社、興福寺、春日大社、若宮神社、水谷九社、今三門町(説明版)
     談山神社、
  滋賀:石山寺、石山寺境内の若宮、三井寺、新羅善神堂、弘文天皇稜 長等山前稜
     近江大津京錦織遺跡、

 9月15日(月)、橙子と堀越は、四ツ谷駅から少し離れた裏通りにある台湾料理店で、小余綾俊輔と待ち合わせる。食事をしながら、橙子の疑問並びに堀越の問題意識からの疑問を小余綾に問いかける場となっていく。小余綾との会話の中で、次々に疑問が氷塊していくという次第。民俗学の分野で研究し、研究のためには学問領域の境界などは存在しないという研究スタンスの小余綾助教授は、二人の疑問を解く形で、己の仮説を語っていく。 最後に小余綾俊輔の私的講義が聞けるという次第。
 
 日本の古代史は謎に満ちている! 
 小余綾による『日本書紀』等の資料の分析と解釈は、隠された謎の世界の扉を開けていく。学校の歴史の授業じゃ絶対に出てこない。興味津々、引き込まれていくことになる。
 
 ご一読ありがとうございます。
 
補遺
猿沢池   :ウィキペディア
中秋の名月の例祭。采女祭/采女神社(春日大社末社):「奈良市観光協会」
采女神社(春日大社末社)   :「なら旅ネット」
中秋の名月「采女祭」行事  YouTube  奈良観光協会
うねめの里「片平町」 伝説うねめ物語  :「郡山市」
采女神社(郡山市)  :ウィキペディア
元興寺  ホームページ
ならまち情報サイト  ホームページ
    観光スポット
南門から若宮へ    :「春日大社」
若宮十五社めぐり   :「春日大社」
石山寺を歩く13-秘密だらけの若宮   :「あるがままの自分を取り戻す」
本朝四箇大寺 三井寺   ホームページ
閼伽井屋 三井寺  :「大津歴まち百科」

新羅善神堂
     :「大津歴まち百科」
弘文天皇稜  :「滋賀・びわ湖 観光情報」
新近江名所圖会 第186回 悲運の皇子 大友皇子の陵墓 -弘文天皇長等山前陵-
   :「ヨミモノ シガブンシガブン  滋賀県文化財保護協会」
天智天皇  大津の歴史事典  :「大津歴史博物館」
大友皇子  大津の歴史事典  :「大津歴史博物館」
天武天皇  :「奈良県歴史文化資源データベース いかす なら」
壬申の乱    :「関ヶ原町歴史民俗学習館」
壬申の乱と古代の伊賀・伊勢    :「歴史の情報」(三重県)
壬申の乱(現代語訳) この町の物語  :「久留倍官衙跡公園」(四日市市」

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『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』  新潮社
「遊心逍遙記」に掲載した<高田崇史>作品の読後印象記一覧 最終版
                2022年12月現在 25冊掲載

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『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』  高田崇史  新潮社

2024-10-17 23:49:28 | 高田崇史
 「猿田彦の怨霊」というタイトルに関心を抱き読んだ。『源平の怨霊 小余綾俊輔の最終講義』を読んでいたので、小余綾(コユルギ)俊輔シリーズの第2弾かと思って読み始めたら、第2弾として『采女の怨霊』が出版されていることを知った。これも見過ごしていたことになる。まあ、それぞれ独立した作品なので、前後しても差し支えなし。
 本書は2023年12月に単行本が刊行された。

 主な登場人物は3人。ほぼこの3人だけでストーリーが進展するところがちょっと特異である。
 中核となるのは、勿論、小余綾俊輔。彼は日枝山王(ひえさんのう)大学民俗学科・水野研究室の助教授。非常に癖が強い水野史比古教授と似た者者同士の助教授で、民俗学界でも母校でも敬して遠ざけられている存在。学問や研究に垣根は微塵も必要ないという信条の持ち主。実力はある。研究や推理の赴くままに、学科という領域をやすやすと飛び越えて追究していくスタンスがおもしろい。そこが、このシリーズの読者を魅了するところだろう。
 そこに、加藤橙子と堀越雅也が登場する。
 加藤橙子は日枝山王大学の卒業生。東京の大手出版社の契約社員で、フリーの編集者。 堀越雅也は、日枝山王大学歴史学研究室、熊谷原二郎研究室の助手。

 このストーリーの起点がまずおもしろい。三者三様のスタートの描写から始まる。
 小余綾俊輔は、自分充てに届いている封書類の一通に目をとめた。10月半ばというのに、来年用のカレンダーが送られてきていた。来年は「申」年。
 「申は天神で神の意」なのに、申という文字に、人間より劣るとされてきた動物の「猿」をあてはめたのか。申と猿の関係にふと関心を抱き調べ始める。

 加藤橙子は、京都在住の歴史作家・三郷美波との新作打ち合わせの仕事を京都で終えた後、奈良の采女神社を再訪し、元興寺と御霊神社にも足を伸ばす予定を立てていた(この采女神社が本シリーズ第二弾で取り上げられているようだ)。そのことを三郷に話すと、三郷から「ならまち」とここにある「庚申堂」と「奈良町資料館」にも行くべきだと助言される。元興寺はもとは、御霊神社はもちろん「ならまち」をも境内に含んでしまうほどの規模だったこと。さらに、今日は60日に一度必ず巡ってくる「庚申の日」にあたることを三郷は橙子に告げた。「私はむしろ、この『庚申』に関して、あなたに調べてほしいくらい」(p21)とまで橙子に言う。これが奈良に赴く橙子にとって刺激剤になる。
 奈良を訪れ、橙子は問題意識を刺激され知った情報が多く、己では整理しきれなくなっていく。自分なりに調べても整理しきれない橙子は、この謎解きを小余綾俊輔にぶつけてみようと考える。彼女はいわば、このストーリーを転がす根回し役的存在となる。

 橙子が三郷の助言を踏まえ、列車中でインターネットで情報を調べ、奈良を巡り、問題意識を喚起しされたプロセスでのキーワードを列挙してみよう。凡そ次の語句が様々に関わっていく。だが、情報分析と整理がしきれず、橙子は戸惑ってしまう。
 庚申信仰、道教、守庚申/庚申参り、庚申待ち、三尸、謎の民間信仰、庚申経
 庚申塔、猿、三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)、帝釈天、青面金剛、道祖伸
 猿田彦神、括り猿、庚申堂の香炉(大きな香炉を頭の上に掲げる体を屈めた二匹の猿) 蒟蒻(蒟蒻の味噌田楽)
  
 堀越雅也は、歴史学科が天皇の皇位継承問題、つまり「男系・女系天皇」問題でごたごたしている渦中にいた。熊谷教授は研究室の全員に個人意見を発表してもらう機会を持つことを通達した。堀越は重苦しい空気に耐えられず、大阪での平日の学会参加に手を挙げて大阪に逃避し、そこで己の考えをまとめようと思う。
 学会に参加の後、摂津国一の宮・住吉大社に参拝する。堀越は、住吉大神の神徳の一つとして「和歌の神」と呼ばれるようになったのはなぜかという疑問を抱く。境内に鎮座する若宮八幡宮に応神天皇が祀られているのは不思議ではないが、相殿として竹内宿禰が祀られていることに違和感を感じた。そして、授与所で授与品を眺めていて、猿の土人形が目に止まりそれを土産に購入した。
 堀越は、猿の土人形を土産にして、住吉大社で抱いた疑問と、自分が今抱えている「男系・女系天皇」問題について、小余綾俊輔の考えを聞いてみようと決意する。
 堀越は俊輔に連絡を取り、話を聞く日時を設定した。一方、橙子も独自に俊輔にコンタクトをとったところ、堀越と会う場所に橙子も合流したらという形に話が進展する。

 その結果、ストーリーの後半部は、3人の食事と飲みながらの会合での疑問点の整理とその究明のための会話が主体になっていく。
 俊輔が着目した申と猿。橙子が庚申信仰から踏み込んで行き、そこから生まれた数々の疑問。堀越が皇位継承問題に関して抱えている問題と住吉大社で抱いた疑問。疑問点が整理され、俊輔による論理的な分析と推論、情報の統合により、疑問点が鮮やかに究明され、相互関係が明瞭になっていく。この究明プロセスが実に興味深いものとなっていく。
 
 庚申信仰と天皇の皇位継承問題に関心を抱く人には、有益な小説だと思う。
 ご一読をお勧めする。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
庚申信仰   :ウィキペディア
庚申塔    :ウィキペディア
青面金剛   :ウィキペディア
青面金剛   :「コトバンク」
元興寺  ホームページ
ならまち 情報サイト ホームページ
奈良市 神社 庚申堂  :「なら旅ネット」
身代わり猿   :「いざいざ奈良」(JR東海)
奈良市 神社 御霊神社 :「なら旅ネット」
住吉大社  ホームページ
  祭神の神徳  
  授与品  厄除ざる  
神功皇后   :ウィキペディア
第42話 神功皇后  :「関西・大阪21世紀協会」
武内宿禰   :ウィキペディア
330歳まで生きた? 伝説のヒーロー武内宿禰の足跡をたどる:「わかやま歴史物語100」
サルタヒコ  :ウィキペディア
猿田彦神社とは  :「猿田彦神社」

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「遊心逍遙記」に掲載した<高田崇史>作品の読後印象記一覧 最終版
              2022年12月現在  25冊掲載

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「遊心逍遙記」に掲載した<高田崇史>作品の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2022-12-28 23:24:30 | 高田崇史
ブログ「遊心逍遙記」を開設した以降、読み継いできた作品を一覧にまとめました。
お読みいただけるとうれしいです。 25冊掲載

『カンナ 京都の霊前』  講談社NOVELS
『源平の怨霊 小余綾俊輔の最終講義』  講談社
『QED ~ortus~ 白山の頻闇』  講談社NOVELS
『QED ~flumen~ 月夜見』  講談社NOVELS
『QED ~flumen~ ホームズの真実』  講談社NOVELS
『古事記異聞 オロチの郷、奥出雲』  講談社NOVELS
『古事記異聞 鬼棲む国、出雲』  講談社NOVELS
『卑弥呼の葬祭 天照暗殺』 新潮社
『神の時空 京の天命』  講談社NOVELS
『鬼門の将軍』   新潮社
『軍神の血脈 楠木正成秘伝』  講談社
『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS
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